191 天網座戦 その2
【糸操術】
《龍王糸操術》 拘束した対象を限定に最も強力な単体攻撃
《龍馬糸操術》 何本もの糸を同時に放射し触れた対象を強制拘束
《飛車糸操術》 束ねた糸で非常に強力な単体攻撃
《角行糸操術》 糸を針のようにして強力な貫通攻撃
《金将糸操術》 半径4メートル以内の対象を糸で拘束する
《銀将糸操術》 束ねた糸で強力な単体攻撃
《桂馬糸操術》 一定時間、魔物や人間や人形を糸で操る
《香車糸操術》 糸を針のようにして貫通攻撃
《歩兵糸操術》 束ねた糸で単体攻撃
(金+香or角の複合が可能)
澄み渡る晴天。
昨夜の雨などどこ吹く風で、天網座戦当日は快晴もいいところであった。
そして、そうなると若干かわいそうなのが、こいつだ。
「…………」
俺と向かい合う、全身黒づくめの格好をしたメイド、イヴである。
彼女は肌が弱い。直射日光に長時間さらされれば火傷してしまうほどに。「アルビノ」というらしい。ラズに教えてもらった。
ゆえに、こうして全身の肌を隠し、なんとも暑苦しい恰好をしている。
指先は革のグローブで隠し、つば広の帽子で頭部への陽光を遮り、目には大きなサングラスをしていた。
糸操術師というよりは、怪しい魔術師のような恰好だが……しかしこうする他ないのも事実。
「暑いか?」
「ぃ……ぁ……」
はい、でも少しの間ですから心配いりませんご主人様、か。
俺が思う存分戦えるよう、余計な心配はかけまいとしているわけだな。殊勝だ。
「わかった。悔いのない試合にしよう」
「……ぃ」
イヴはこくりと頷いた。帽子とサングラスで隠れて表情は全くわからないが、その真っ白な肌をした頬は薄らと赤く染まっているように見える。
彼女は風になびく純白の絹のようなもみあげをさらりと撫でながら、照れているように帽子のつばで顔を隠した。
「互いに礼! 構え!」
審判の号令に従い、インベントリから糸を取り出す。
【糸操術】における武器となる糸には色々な種類がある。火力特化のワイヤーや、リーチ特化の蜘蛛糸、火力とリーチを両立した龍ノ髭など、用途によって様々。いずれも一長一短である。
今回、イヴは蜘蛛糸を使うようだ。火力は低いが、柔軟性が高く扱いやすい、そして攻撃範囲の広い初級者向けと言える糸である。
対する俺は、フロロカーボン16lbで行く。これは何って、ただの釣り糸である。
「ぇ……?」
ほら、イヴの口から困惑の声がもれた。
そりゃそうでしょ。これは基本的に釣り用の糸。【糸操術】の武器として使う者は少ない。
だが、俺はこれでないと駄目だ。比較的重く、細く、透明で、伸びが少なく、強度がある、このフロロカーボンの、それも16lbでないと、思うがままに操れない。
絶妙な操作感の違い、十メートル先の針の穴にこの糸の先を通すことを考え、突き詰めに突き詰めた結果、やっと辿り着いたのが、これなのだ。
【糸操術】における釣り糸。言ってしまえば、ゲームによくある「使えないこともない武器」だろう。一部プレイヤーはネタ武器と笑って馬鹿にまでしていた。
……俺が、天網座戦で使い始めるまでは。
「――始め!」
教えてしんぜよう。
天網座戦において、最も重要なことは。
火力でも、リーチでも、柔軟性でもない――正確性だ。
「!」
号令と同時に疾駆、一気に距離を詰めてきたイヴが、途中で反応を見せる。
サングラスでよくわからないが、多分、彼女は今、目を見開いた。
ここで驚くということは、すなわち、彼女はしっかりと自分の糸の“間合い”を把握しているということ。実に素晴らしい。
彼女があと一歩でも踏み出せば、間合いに入ってしまう。にもかかわらず俺はなんのアクションも起こさない。スキルを準備しようともしていない。ゆえに、彼女は驚いたのだろう。
ただ、よく考えれば単純なことである。ここでリーチの短い俺の方からアクションを起こしてしまえば、負けるに決まってるでしょうよ。だってまだ届かないんだもの。だったら無駄な動きはせず棒立ちがベスト。最初から決まっていたことだ。
「……っ……」
行きます、と。イヴはご丁寧にそう宣言して、一歩踏み出した。
よし、ならば俺も行かざるを得ない。
彼女の間合いに入ったと同時に、更にもう一歩踏み込んで、一メートル半ほど詰める。これが俺の間合いだ。
「――!」
イヴの《歩兵糸操術》が俺の右頬を掠めた。
「 」
想定の倍は速かった。冗談でなく。
軌道も文句のつけようがない。恐らく地面スレスレを這わせたのだろう。最も目視しにくいルートだ。
……やるねぇー。
「!!」
お返しだ。全く同じことを、更に上の精度でお見舞いしてやる。
イヴは必死に左足を引いて体勢を変え、俺の《歩兵糸操術》をすんでのところで弾いた。追撃のため準備していた第二の《歩兵糸操術》を防御に回した判断、悪くない。
【糸操術】は基本的に右手と左手で分業して糸を操る。その際、右手から右手と繋げるよりも、右手から左手と繋げた方が、何倍も素早く第二撃を繰り出せる。
つまり。
「よっ」
「!」
「よっほっ」
「っ! ぅ!」
「ほいほいっ」
「っ! っ!」
イッチニー・イッチニー、ではなく、イチニッ・イチニッの繰り返し。
先手の二発に、後手は二発を合わせて対応する。
二発打ち合い、一拍。二発打ち合い、一拍。
四メートル――すなわち“金将圏内”に接近するまでは、この繰り返しなのだ。
糸なんていう細くて見えにくい武器を使う【糸操術】は、知らない人からすれば地味に思われがちだが、まさか! そんなことは断じてない。
これは、格闘技だ。肉弾戦だ。互いの《歩兵糸操術》という拳で、まるで拳法映画の格闘シーンの如き激しい打ち合いをしながら、じりじりと四メートルまで接近、そこから半径四メートル以内の対象を拘束するスキル《金将糸操術》で決めにいこうという戦いなんだよ。
だから、こんなにも激しい。
全身をフルに使って、ビシバシと糸と糸をぶつけ合い、一進一退の攻防を繰り返し、綿密に間合いを計算しながら、四メートルまで隙なく接近し合う勝負。見ごたえ十分だ。
「おお……!」と、観客たちから感嘆のため息が聞こえてくる。
イラッとした。シンプルに。
なぁーにが「おお……!」じゃ! 【糸操術】を舐め腐りやがって。
イヴも、そう思うだろうが。
「…………?」
そのようだ。
「行くぞ」
金将圏内に入る。
この瞬間の駆け引き、何度やっても堪らない。
大量の情報が一瞬で爆発し、頭が煮え滾るような感覚。
間合いに入った直後、何も考えずに金将を準備したところで、歩兵に潰されて終了だ。つまり金将を準備する時間を作り出す必要がある。
手順はいくつかあるが、ベターな方法は、これだ。
「!?」
《香車糸操術》から《桂馬糸操術》へと繋ぐ。
香車の貫通攻撃を受けるには、同じく貫通でなくてはならない。つまりイヴは香車で受けるよりない。
香車後の硬直時間は歩兵よりわずかに伸びるため、その時間を利用し、次の桂馬を一工夫する。
桂馬で“松明”を操るのだ。
松明はインベントリから取り出した。この時間を稼ぐための香車である。
タイトル戦は、基本的に武器に制限がない。霊王戦で剣を持っていても問題ないように、スキルさえ使わなければ、武器は何を使っても問題ない。
そしてこの松明こそが、天網座戦における革命。世界ランキング最高5位「傲嬌公主」さんが発見した金将圏内コンボの攻略法である。
ワイヤーと龍ノ髭以外の糸は全て、この松明のせいで辛酸をなめることとなった。
何故なら、切れるのだ。問答無用で。元より火属性に弱い武器。しかし天網座戦中に【魔術】は使えないため、脅威はないはずだった……松明の登場までは。
結果、誰もがインベントリに松明を忍ばせるようになり、天網座戦はワイヤーか龍ノ髭ばかりと化す。
その後、釣り糸を使って色々とやりだした実質小卒の馬鹿の影響で天網座戦に再び多様性が取り戻されたわけだが、本当に一時期は一閃座戦の黒ファルブームを彷彿とさせるような大流行で実に困ったものであった。
ああいう流行、俺は嫌いだ。ワクワク感が減る。ゆえに。
この世界では、早めに、やっておきたい。そう思っていた。
松明という攻略法の存在を知り、そして、それを乗り越える術を学んでほしいのだ。
なあ、イヴ。お前、戦闘センス凄まじいから、何か思い付くんじゃないか?
「ぁっ」
俺が振り回した松明の火によって、対応の《銀将糸操術》を切られたイヴが、小さな声を漏らす。
……ここで銀将を用意してくるセンス、やはりイイ。
銀将は強力な単体攻撃。桂馬に対して準備する理由。恐らくイヴは、俺が桂馬で石や剣などの武器を操ってぶつけてくると予想していたのだろう。それを強く弾き、桂馬の糸を切断するための銀将。桂馬の糸が切られた場合、使用者には長めの硬直が襲ってくる。つまり、もしも俺が松明を出していなければ、銀将で弾かれて硬直、その後金将の餌食となっていたに違いない。
まあ松明のおかげでそうはならないんだけども。
「……ぅ……!」
イヴが銀将後の硬直に見舞われている間に、俺は《金将糸操術》の準備を終えた。
すぐさま発動。イヴはなすすべなく釣り糸でグルグル巻きにされる。
間髪を容れず、《龍王糸操術》の準備を始めた。拘束した相手を対象にした【糸操術】最大の攻撃である。
もがいて逃げ出せるようなぬるい拘束じゃあない。イヴの両腕は特に念入りに拘束されているため、糸も使えない。
……ゲームセットだ。逃れようがないだろう。
呆気なかった。やはり松明を出すのはやり過ぎだったのかもしれない。
そうだな、次は松明の対策をどう立ててくるかに注目して――
「――ッ」
驚いた。嘘だろう?
お前、何故――《香車糸操術》を発動している? 両手は使えないはずだが、
「!?」
まずい! そういうことかッ……!
「ぐおッ!!」
直後、俺の目を、白く輝く何かが貫いた。
……やられた。髪の毛だ。
こいつ、最初からそのつもりでいやがった! 帽子は伸びた髪を隠すためだったのか……!
凄い。凄いぞイヴ。こんな特殊な攻撃方法、メヴィオンでも発見されていなかった。髪だと? どんな生き方をしていればそんな発想ができる? どれだけ髪が長ければ武器として判定される? 火力は? リーチは? 使い心地は? 興味深い、興味深い、興味深い……。
「面白過ぎるだろそれぇ」
「……っ……」
つい口から出てしまった言葉。イヴが息を呑んだのがわかった。
おいおいビビるな。圧倒的有利はお前だ。俺は今、目が見えないんだぞ?
……手に伝わってきた感触からして、俺の目を潰した後、再び《香車糸操術》で俺の糸を切って拘束から抜け出したな? 二発目が遅かった。つまり髪の毛は両手のように交互に一発ずつとは行かないらしい。わざと遅らせたか? いや、だとすれば既に追撃が来ている。それはない。つまり、猶予は後2秒もない。
「お前の両腕の糸がとれるのは大体4秒後」
「!」
万が一拘束から抜け出された時のため、念入りに巻いておいてよかった。俺はいつもこうする。イヴのようにびっくり仰天の方法で抜け出すやつが、たま~にいるんだ。大した手間じゃないから、やっておいて損はない。
さて、喋りながら《桂馬糸操術》の準備を終えたぞ。
イヴはそろそろ髪の毛で金将か何かをやってくる頃合いだろう。
……金将なら、このまま無抵抗。角行以上なら、桂馬で先制する。それ以外なら……
「…………」
来ないな。金将の準備時間は抜けた。つまり角行以上。もしくは、銀将以下をあえて発動せず待機しているか。
銀将以下なら、一発くらってからカウンター気味に《金将糸操術》で決めにいきたい。角行以上なら、先に潰したい。
逆に、銀将に対して桂馬で先制したら糸を切られて長めの硬直を余儀なくされる。角行以上に対して一発くらうなんてまさしく自殺行為だ。
勝つか負けるか、ニブイチ。やだよなぁ、ギャンブルだよなぁ。
…………というわけで、俺は《桂馬糸操術》を準備したんだ。
「ぅ――!?」
嘘、とイヴが口にする。
まあ嘘みたいだけど、こうなるんだ。折角、ほどけかけていたのにな。
お前の両腕にまだ絡んでいる糸を、桂馬で操作して再び拘束し直した。それだけのことだ。
そして、糸を思い切り手前に引き締めながら拘束を更にきつくしていく。
フロロカーボン16lbの強度は伊達じゃない。全て繋がっているのだ。つい数秒前までイヴの全身を拘束していた金将の糸は、全て。
一瞬にして、まるで蛇が獲物を締めつけるように、イヴの全身を糸が這い上がり満遍なく拘束していく。当然、首も、頭も、目も、髪までも。「もう二度と油断しません」という反省を込めて。
「……っ」
バツンッ! と、イヴの髪の毛が、俺の桂馬の糸を断ち切った。どうやら髪の毛はそれほどリーチがないらしい。そして、《銀将糸操術》……なるほど、イヴは準備完了状態でずっと待っていたということか。素晴らしい策略家だ。
ああ。これはいわゆる、最後のお願い。イヴは、「どうか間違えてください」と、俺に最後のテストを突きつけてきた。
俺の視界がゼロということを考えれば、納得できる足掻き方と言える。
よろしい。最後まで付き合おう。
「飛車だ」
「!?」
何で来ようが飛車。そう決めていた。
最後に間違えたのはお前の方だ、イヴ。お前は今、桂馬の糸を切ったように錯覚しただろうが……それは違う。お前は、誘いに乗ってしまった。お前が切ったのは、俺が操っていた金将の方の糸。つまり、道糸ではなくリーダーを切った。何故なら拘束開始と同時に俺は糸をできる限り手前に手繰り寄せたんだ。操っている金将の糸が、桂馬の糸に見えるように。
ゆえに、硬直しない。すぐさま桂馬をキャンセルし、次のスキルの準備に、《飛車糸操術》の準備に移行できる。
飛車は、非常に強力な単体攻撃。残念だが、俺とイヴとのステータス差では、ほぼ一撃だろう。
ああ、素晴らしきかなフロロカーボン16lb。目が見えなくとも体の一部のように動かせる。まるで触角だ。
「……ぁ……ぅ」
「こちらこそ、ありがとう。楽しかった」
本当に、楽しませてもらった。
イヴ、言わずともわかるな? 目を酷使するのは序盤中盤くらいだ。終盤は、あまり必要ない。ゆえに目潰しは早めに狙うが吉。
次は、もっと面白くなることを期待している。
あー……目ぇ痛ぇ。
「――それまで! 勝者、セカンド・ファーステスト!」
お読みいただき、ありがとうございます。