185 鬼穿将戦 その3
「随分とやつれたな、エルンテ」
シルビア・ヴァージニアによる鬼穿将への挑戦。
前回の顛末を知っている観客たちは、沸きに沸いていた。
キャスタル国王が暗に認めたのだ、エルンテは「悪」であると。
言わばこれは、正義と悪の戦い。盛り上がらないはずがない。
「散々じゃ」
「何?」
「お主らのせいで散々じゃ」
「……そうか」
エルンテはボサボサの白髪を掻きむしり、喉奥で笑いながらシルビアを睨む。
「この半年、儂は酷い目に遭うた。名前も知らぬ餓鬼共に石を投げつけられ親の仇のように罵詈雑言を浴びせられた。何処へ行っても人の目が気になる。鬼穿将の威光なぞ見る影もないわい。お主らのせいでじゃ。なあ、こんな老人をいじめて何が楽しい?」
「何が言いたい」
「儂は恨んでおる、儂は憎んでおる……この爺の生涯を賭して、お主らを許すつもりはない」
「……っ……」
思わず、シルビアはぶるりと体を震わせた。
四百年を生きた老人に敵意を剥き出しにされるというのは、得も言えぬ感覚がある。
「お主、まだ儂を怖れておるな?」
片方の眉を上げ、にやりと笑うエルンテ。
シルビアは、しばしの沈黙の後、口を開いた。
「確かに、まだ貴様を怖れている」
「ほう! 認めるか」
「だが、今日、それを克服しにやってきた」
「ほっほほ、克服? お主が? 儂に何もできず負けたお主がか?」
「できる。貴様にはできないが、私にはできる。貴様がセカンド殿への恐怖を拭えず、克服しようと思うことさえできていないことを、私は気付いているぞ」
「……好き勝手言いよるわ」
「好き勝手やってきたのは、貴様の方だ。ツケを払い終えるまで、一生孤独に過ごすがいい」
「小娘が、図に乗るなよ」
エルンテは再び、脅すように凄んだ……が、シルビアは怯まない。
「無駄だ。私はもう怖れない。私こそ貴様を許さない。鬼穿将を穢したこと、出場者の夢を奪ったこと、いくら泣いて詫びようが許さない……!」
威圧が通用しないとわかったエルンテは、つまらないという風に鼻で笑い、黙々とインベントリから取り出した弓を構えた。
ミスリルコンパウンドボウ――軽量かつ強力、連射も射程も威力も全てが優れている滑車付きの弓である。難点と言ったら、本体そのものと、専用の矢が非常に高価ということくらいのもの。
エルンテは、全てをここに賭けているのだ。歪曲した憎悪による強い復讐心から、大枚をはたいて新たに強力な弓と矢を揃え、用意周到にシルビアを迎え撃たんとしていた。
対するシルビアは、相も変わらずロングボウ……かと、思いきや。彼女が取り出したのは、これまた何処の武器屋でも売っている「ショートボウ」。ロングボウに比べて射程と威力は減るものの、速射には優れている。しかし、エルンテの持つミスリルコンパウンドボウには全てが大幅に劣ると言えた。
「ひょっひょっ、然様に粗末な弓で――」
「侮るなかれ、だ」
「……ほう?」
そう、これはただのショートボウではない。
「速射特化六段階改造 三間飛車 ショートボウ」――鍛冶師ユカリによる六段階の速射特化改造と“三間飛車”の効果が付与された秘密兵器である。
射程と威力が格段に落ちる代償として他に類を見ない速射性能を獲得し、更に三間飛車の付与効果で「スキル使用後の硬直時間が0.00125秒短縮」されている。弓に埋め込まれている橙色のクリスタルがこの三間飛車の証明だ。
つまりは……ガチ武器。
シルビアは、本気も本気。見ようによっては反則級の弓さえ持ち出し、一切手段を選ばずにエルンテの首を獲ろうとしていた。
「――始め!」
審判による号令によって、ついに決戦が幕を開ける。
「むぅっ!?」
直後、エルンテは大きく体を仰け反らせ、飛来した矢を躱した。
シルビアの《歩兵弓術》――しかし、あまりにも早く、速すぎる。エルンテの感覚的には、号令以前から射っていたようにも思えるほどの一撃だった。
そこであえて、シルビアは手を止め、一言だけ口にする。
「見えなかったか?」
もしも自分の技術が通用するならば、言ってやろうと考えていた言葉。
セカンドがエキシビションで口にした言葉と一言一句変わらぬ、挑発の言葉である。
「…………~ッ!!」
エルンテは顔を赤黒くさせて激昂した。
――虚仮にされている。この、絶対王者、鬼穿将の儂が。
何十年も儂が頂点であった。誰一人として儂には逆らえなかった。出場者など儂の意のままにできた。
それが、今や、どうだ。たったの半年で、地の底のそのまた底まで落ちたではないか。
こいつらのせいだ。
こいつらさえいなければ、儂は今も偉大なまま。
……返せ。
返せ、返せ、返せ。
儂の、生き甲斐を、安らぎを、返せ――!
「か、かっ、返せぇえええ!!」
血走った目で、顔をぶるぶると震わせ、涎をまき散らしながら絶叫する老人。
シルビアは「ついに狂ったか」と眉を顰め、ショートボウを構え直した。
「!」
直後、エルンテから《歩兵弓術》が飛来する。
なるほど……と、シルビアは極めて冷静に、ミスリルコンパウンドボウのその優れた性能に納得しながら、《歩兵弓術》をぶつけて対応した。
「ふむ」
対応して、気付く。シルビアの歩兵はエルンテの歩兵を弾くことに成功したが、ぶつかった瞬間に大きく競り負けていたのだ。どうやら、威力の差はかなりのものがあるらしい。
「はぁっ、はぁっ……返せっ、返せぇっ!」
歩兵の連打。
エルンテは息継ぎもなく、弓の性能限界ギリギリで《歩兵弓術》を連打し続ける。
ミスリルコンパウンドボウならば、1.0秒間に二回~三回の速射が可能。速射の上限は十回、速射の判定は1.2秒以内の攻撃。十回速射してしまうと、十一回目の攻撃まで5.0秒のスキル使用不可のクールタイムが発生してしまうため、九回目で1.2秒以上の息継ぎを入れるのが最も効率がよい連続攻撃方法となる。
しかしエルンテは、そのクールタイムなど考えもせずに、十回射っては叫び、十回射っては喚きと、鬼穿将とは思えない行動をひたすら繰り返した。
その全てをシルビアは卒なく対応する。一つ一つの矢に歩兵を当てて、丁寧に処理をした。まるで、黒を白で塗り潰すかのように。それが無駄だと感付いていても、丁寧に丁寧に、決して手を抜かずに。
「し、死ねっ……負けろっ……はぁ、はぁっ……負けろっ、死ねっ、死ねっ……!」
……その後、エルンテの滅茶苦茶な攻撃は、二時間近く続いた。
エルンテが息を荒くしてふらふらになる頃にはもう、夜の帳が下り始めていた。
それでも、憎悪のまま、執念のままに、エルンテは矢を射続ける。
シルビアの直感の通りであった。孤独な老人は、もう随分と前から、狂っていたのだ。
「…………」
長い時間の中で、シルビアは色々なことを考えた。
そして最後に、こう思う。
――まるで子どもだ、と。
エルンテの振る舞いは、自分の思い通りにならないからと癇癪を起こす子どものようであった。
こうして歩兵を連打しているのも、エキシビションでセカンドにやられたことをシルビアに向けてやることで、仕返しをしようとしているのだ。まさに意地になった子どもそのものである。
しかし、その所業は、子どものように可愛げのあるものとはかけ離れている。
根底にあるのは悪意ではない、欲望だ。自身の欲求を何よりも優先する愚かな心。他人のことなど、タイトル戦のことなど、何も考えていない、自分さえよければそれでいい、我が儘で欲深な老人。
惨め……という言葉が、シルビアの頭に浮かぶ。
正義感に燃えていたシルビアの熱は、じわじわと冷めていた。
そして同時に、憐憫とも似た冷ややかな不快感が湧いてくる。
長い時間、矢を受け止めているうち、シルビアはエルンテという男の本性を見抜いたのだ。
この老人は、そうであるがゆえに孤独なのだな……と。
「返せっ、返せっ……負けろ、負けろ、負けろォっ……!」
ああ、かわいそうに――。
「もう、よせ。よしてくれ、エルンテ……とても見ていられない」
「何を言うかぁ! 小娘がっ! お前の、お前のせいで! お前のせいで儂は!!」
「エルンテ、貴様にも少なからず良心があるはずだ。自棄を起こすな。諦めて、きちんと罪を償え」
「くだらん、正義感で、正論を吐くな、糞餓鬼が! つまらんことを、ごちゃごちゃごちゃごちゃと! そんなもの、今更、どうだってよいわッ!」
「……最早、これまでか」
シルビアはエルンテの十連射への対応を九発時点で止めると、最後の一発だけひらりと身を躱す。
たったそれだけで、簡単に先後が入れ替わった。
「教えてやろう、エルンテ。速射とは、こうするのだ」
シルビアはクールタイム中のエルンテ目掛け、弓を引き絞る。
瞬間……様々な光景がシルビアの脳裏を駆け巡った。
この半年、シルビアは地獄を見たのだ。まず間違いなく、彼女のこれまでの人生において最も努力した期間と言えた。
何故、そこまでして一生懸命に頑張ったのか。
負けたくないからに決まっている。
負けられないからに決まっている。
敗北は、痛い。あの痛みは、もう二度と、味わいたくはない。
その一心で、頑張った。
――哀れだ。
敗北の痛みを知り、それでも克服せんと頑張れなかった者は、ああも哀れになる。
己に打ち克てなかった者は、更なる地獄を見ることになる。
不撓不屈、如何様な苦難にも屈さぬ強き心を持ち。
克己復礼、如何様な欲望にも負けず己の信念を貫き通し。
破邪顕正、如何様な邪悪であろうと私がこの手で正義を示す。
私を見習え、愚か者が――!!
「!?」
シルビアは瞬時に三発の矢を射った。
エルンテも、観客も、目を見開いて驚く。
何故なら、三本の矢が、殆ど同時に飛んでいったように感じたのだ。
これが速射特化六段階改造ショートボウの強み。《歩兵弓術》秒間五発を可能とする弓の力。
一発一発は大した威力ではない。しかし秒間五発のDPSは並ではない。香車も桂馬も銀将も角行も飛車も、速射改造の恩恵を受けにくい特性があり、ここまでDPSを上げることはできない。
この弓におけるこの改造においては、歩兵連打が龍馬接射に次いでDPSの出る攻撃方法となるのだ。
「な……なんじゃぁ……っ!?」
エルンテは恐れ慄いた。
空から降り注ぐは、まさに矢の雨。
それまでのエルンテの歩兵連射など、比にもならないような密度。
まるで延々と《龍馬弓術》を放たれているような弾幕の数であった。
シルビアは約1.8秒で《歩兵弓術》を九発撃ち、1.2秒間移動し、また1.8秒で九発撃ちと、攻撃の手を一切緩めない。
「がっ、があっ、あがああっ」
被弾に次ぐ被弾。
見る見るうちに傷を負っていく中、エルンテは思った。
こんなものに勝てるわけがない、と。
……また、負けてしまった。
傷だらけの老人は、痛みに顔を歪めながら、静かに覚悟を決めた。
そして。
「儂の負けじゃあ!!」
「!」
敗北宣言。
エルンテの叫びに、シルビアは矢を射る手を止める。
「――それまで! 勝者、シルビア・ヴァージニア!」
新鬼穿将が、誕生した。
「素晴らしい腕であった、シルビア・ヴァージニア。歩兵の雨霰、天晴れよ。儂は感心した。お主こそ次の鬼穿将に相応しい」
試合後、何処か吹っ切れたような顔で、エルンテはシルビアへと歩み寄る。
「……貴様、何を考えている」
シルビアは鬼穿将の獲得という悲願の達成を噛み締める間もないまま、警戒を一段階強めた。
エルンテの態度があまりにも不自然に思えたのだ。
「すまなんだ。儂は何処かおかしくなっておった。長い間、な」
「…………」
「お主が言った通りじゃ。儂は多くを望み過ぎていたのかもしれん。諦め、罪を償う。覚悟は決まった。それで儂のこれまでの行いが許されるかはわからんがな……」
「それは本心か?」
「誓おう」
しっかりとシルビアの目を見つめ、エルンテは頷いた。
暫しの沈黙の後、シルビアが口を開く。
「ならば……確りと行動で示すことだ」
「わかった」
許したわけではないだろう。しかしシルビアは、それ以上、エルンテに敵意を向けるような態度はとらなかった。罪を償うと誓ったのだ、その決心の邪魔をする必要はない。
「ふぅ。それにしても、この歳でこの試合時間に加えて、この傷はこたえるわい」
互いに礼をして、退場しようとシルビアが足を踏み出した時。エルンテがそんなことを言い出した。
「勝負だ、仕方がないだろう」
「それもそうじゃが……むぅ、思うように動けん」
どちらか一方に余程の負傷がなければ、出場者は同時に退場する流れになると、シルビアはタイトル戦運営から聞いていた。ゆえに、律義にエルンテの遅い歩みを待つ。
「失礼、暫し待ってくれ、ここで少し回復させてもらう。退場まで持ちそうにないのでな」
不意に、エルンテはインベントリからポーションを取り出した。
……青い液体の入った、細かい装飾の施されたガラス瓶。
それを手にした瞬間――不思議なことに、空気が凍てついた。
「――ッ!!」
エルンテが小瓶を取り出した直後から、凄まじいスピードで疾駆し始めた女が一人。
義賊R6の二代目親分、レンコである。
彼女はその薬の恐ろしさを誰よりも知っていた。
狂化剤――彼女の敬愛する聖女が調合したバフ・ポーション。使用者の命と引き換えに、十分間そのステータスを二十倍に引き上げる、恐るべき薬。
「くっ……!」
だが、高いAGIを有する彼女でさえ、阻止が間に合いそうにない状況であった。
彼女が観戦していた場所は、闘技場中央まで距離があったのだ。義賊である自分が堂々としていてはなるまいと、隅の方で観戦していたのが凶と出た。
誰か他に気付いているものはと、レンコは走りながら会場を見渡す。
しかし、会場の誰もが、あの青いポーションは危険なものだとは気付けていなかった。頼りのセカンドもラズベリーベルも、まだポーションの存在にさえ気付いていない。何故なら、エルンテは自身が唯一恐れているセカンドに背を向けて、ポーションを隠していたのだ。
「シルビアッ! ジジイにその青い薬を飲ませるんじゃあないよッ!」
レンコは叫んだ。
しかし、新鬼穿将の誕生に盛り上がる歓声にかき消されてしまう。
「クソッ!」
もう、間に合わない。
レンコが諦めかけた、次の瞬間。
「ぬぉっ!?」
突如として、エルンテが吹き飛んだ。
一拍遅れて、ぶわり! と、土煙が線状に舞い上がる。
まるで、とても素早い何かが移動した跡のように。
「――貴方の出番はつい先ほど終わったはずです。これから、明日の最後の試合が終わるまでは、僕たちの出番……違いますか?」
金剛ロックンチェア。
レンコたち三人以外に、唯一、会場内で狂化剤の存在を知っていた男。
「は、はぁっはっはっは! 馬鹿が! 薬はまだ儂の手の中にあるわい!」
ロックンチェアの《飛車盾術》による突進で十メートル近く弾き飛ばされたエルンテは、しかし、臆することなく、笑って瓶の蓋を開けた。
「問題ありませんよ。これだけ騒げば、彼が気付きますから」
「――ええ。うふふ」
「!?」
刹那、エルンテの背後に暗黒の影が現れ、一帯を絶望で支配した。
ロックンチェアも、シルビアでさえ、彼女の姿を見て、思わず肌を粟立たせる。
「嗚呼、なんと可哀想な生き物。孤独に耐え切れぬとは。どうぞお飲みなさいな」
糸のような目と、優しく微笑む口元。自然体のまま発せられたる言葉は、エルンテの耳にすんなりと入ってくる。だが、その意味合いは、とても理解したくないものであった。
彼女は、至極簡潔に、死ねと言っていたのだ。
狂化剤を飲もうが飲むまいが、私には関係ないと。いずれにせよお前など一息で殺せる、と。
「…………」
エルンテの頭の中を思考が駆け巡る。
元鬼穿将であるエルンテのステータスが二十倍されれば、いくらなんでもシルビアやセカンドに一撃以上は喰らわせることができるだろうと。そして、運がよければ殺せるだろうと。
それでも……目の前の女には、何をどうしても、一撃さえ与えられる気がしなかった。
思えば、レストランで一度目にしている。
絶対に敵対してはならないと、そう警戒した相手。あのセカンド・ファーステストの仲間。
ここは反省を見せ、再びの隙を狙うしかない。
「……参っ」
エルンテが降参しようと、瓶を口元から離した瞬間。
彼の意識は、深い暗黒の中へと消失した。
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よろしくお願いしまっす!!