174 霊王戦 その3
「お久しぶりね、セカンド三冠」
「ああ」
およそ半年ぶりだ。
ヴォーグ前霊王。彼女の成長は目覚しいものがある。
恐らく、火の大精霊サラマンダラだけでは俺に太刀打ちできないと考えたのだろう。ゆえに《魔召喚》を上げ、魔物を三体揃えてやってきた。
見るからに勤勉な彼女のことだ、その他のスキルもランクアップさせ、ステータスを底上げしているに違いない。
……たった半年で、たった一人で、ここまでの準備をしてくるのか。
素晴らしい。前回、俺の抱いた期待、出場者の中で一番「ある」かもしれないと感じたその素質は、気のせいではなかった。
いいぞ。いい感じで不安になる成長具合だ。
今のままでは勝負にすらならないだろうが、二年先三年先となると、本当にわからない。
だからこそ、ここで木っ端微塵に叩き潰す必要がある。
こいつとなら、勝敗を度外視してでも楽しい試合がしたいと、そう思えるようなプレイヤーに育成しなくてはならない。
まだまだだ。まだまだ半年に賭ける力が軽い。
もっと重く、もっと強く。ヴォーグにはそれができる。俺はそう思う。
「悪いが圧勝する」
「あら、大層な自信ね?」
「自信じゃない、単なる事実だ」
「……?」
ヴォーグは首を傾げている。
本当に俺が何を言っているのかわからないようだ。
そんなはずはない、と自己暗示をかけているのかもしれない。
現在は昼間。彼女は恐らく見抜いている、暗黒狼が陽光に弱いと。だとすれば、俺はアンゴルモアしか召喚できない、つまりサラマンダラと魔物三体を使える自分が圧倒的有利であり、そんな戦力差でどうやって圧勝するというのか……なんて、考えているのかもな。
人間の心とは、不思議なものだ。時としてその安寧を保つため自動的に働く。冷静に考えれば気付けるものを、どうしたってこう思ってしまうのだ――「格上にこれ以上の成長はない」と。
馬鹿が。ヴォーグ、俺はこの半年で、お前の何倍も成長した。出場予定のタイトル戦を見ればわかるはずだ。【糸操術】【体術】【槍術】【杖術】【抜刀術】を全て九段にしたんだ。元からそこそこ上げていたわけではない。ゼロから全て覚え、16級から九段に上げたんだ。加えてレイスと阿修羅もテイムしている。
半年前、お前が戦って負けたクソほど強い俺は、この五種のスキルについて全く覚えていない状態の俺なのだ。
……恐怖を捨てなければならないぞ。自分に都合よく考え、そうであってほしいという願いを無意識に反映させてしまう、お前の中の恐怖心を。
そのためには、どうなるべきか。もう、わかるよな?
「俺が圧勝する。お前は完全敗北する。お前は最も怖いものを見ることになる」
恐怖心を麻痺させろ。
最大の恐怖を味わうことで、それ以下の恐怖を恐怖とすら思えないようにすればいい。
俺はそうしてきた。お前もそうするといい。
「ふふっ。流石、三冠は仰ることが一味も二味も違うわね」
ああ、その顔、過去に何度も見たことがある。
まだ純朴な頃の顔。その尽くが見ていられないほど歪むこととなった。
「互いに礼! ……構え!」
始まる。
夏季霊王戦が。
彼女にとっては、悪夢のような時間が。
「――始め!」
審判の号令と同時にヴォーグは《精霊召喚》を、続けざまに《魔召喚》を行う。
「(待機)」
「(御意)」
俺はというと、《精霊召喚》だけを行い、即座に念話で指示を出して、アンゴルモアを空中で待機させた。
「圧勝するのではなかったのかしら?」
「…………」
「張り合いがないわね。ではこちらから参ります」
ヴォーグは挑発しながら、アクアドラゴンとヨロイボアを俺めがけて突進させる。
ウィングサレコウベは彼女の頭上で待機、サラマンダラはアンゴルモアが動き出した時に備えて迎撃の準備をしているようだ。
隙の少ない連携攻撃。攻めにも受けにも優れた配置。突破性も柔軟性もある。攻めの初手としては申し分ない。
「さあ、圧勝して見せなさいな!」
攻撃開始と同時に、ヴォーグが更なる挑発を放つ。
作戦としては悪くない。悪くないが……。
「……圧勝して見せよう」
圧勝とは何か。彼女は、それをまだ知らないようだ。
圧勝ってのは、お前が思っているような、そんなに華やかなもんじゃない。むしろ。
圧勝――。
それは、たったの一撃で相手を葬り去り勝つことか? いいや、違う。
誰も見たことのないような天才的な技で勝つことか? いいや、違う。
大人が子供を甚振るよう徹底的に苛めて勝つことか? いいや、違う。
――圧勝とは、圧倒的な勝利。圧倒とは、全てにおいて勝ること。
相手に何もさせないで勝つのではない。相手に何もかもを出し尽くさせ、その全てを上回り勝つのだ。
相手がこれまで積み重ねてきたありとあらゆる全てを真正面から否定する。すなわち、全否定。それが圧勝なのだ。
「来い、ミロク」
《魔召喚》。現れたのは、人間形態のミロク。
俺は出現と同時に迎撃指示を出した。
右方のアクアドラゴンへ、ミロクを向かわせる。
そして、左方のヨロイボアへは、俺自身を。
「主、斬ってもよろしいか」
「よろしい」
「……恐悦至極に存ずる」
ざわり――と、背に観客のどよめきを感じた。
ミロク、つまり阿修羅が見たこともない魔物だからだろう。もしくは、魔人だからか。ないし、“刀”を腰に携えているからか。それとも、俺があんこ以外に魔物を使役しているのが意外だったのか。まあ、そのいずれかだろう。
「――日子流、七雲」
ミロクはなんだかカッコイイ技名を口にしながら、《金将抜刀術》を発動した。
……凄まじい技巧だ。今、何回フェイントを入れた? 七回か? あれでは瞬時に金将が来ると容易には見抜けない。足の運び方も文句のつけようがないほど素晴らしい。前進しているようで後退しながらスキルの準備時間をギリギリまで引きつけつつ回避不可能なタイミングまで誘い込んでいる。
「ああ」
日子流。そうか、0k4NNさんの……。
「おっと」
忘れていた。俺はヨロイボアの相手をしなければならない。それも、スキルなしで。
ただ、何も問題はない。
今更、乙等級程度の魔物、相手になるはずもないのだから。
「ヘイ、パス」
突進を躱しながら、軽くヨロイボアの角に手を添えて、くるりと一回転。
その勢いを更に加速させながら、ミロクの方へとぶん投げる。
「承知」
《金将抜刀術》のカウンター効果でアクアドラゴンをダウンさせたところへ追撃しようとしていたミロクが、俺の放り投げたヨロイボアを目にして、一つ頷いた。
「刮目せよ。弥勒流奥義、龍華一閃」
ミロクは即座に納刀し移動、間髪を容れずに《龍馬抜刀術》を準備し、アクアドラゴンとヨロイボアが有効範囲に重なる瞬間を待つ。
《龍馬抜刀術》は、全方位への範囲攻撃。二体同時に仕留めるにはお誂え向きのスキルである。
しっかしまた難しい技を……ヨロイボアから先に一体ずつやればいいものを、二体まとめて始末しようとは。ミロクのやつ、観衆の前だからって張り切ってやがるな。
「な、あっ!?」
ヴォーグが情けない表情で情けない声を出す。
ミロクのたった一発の《龍馬抜刀術》で、アクアドラゴンとヨロイボアが致命傷を受けた、すなわちスタンしてしまったからだ。
乙等級の魔物を二体まとめて葬る。それも、たったの一撃で。
誰が見ても「ミロクには常軌を逸した攻撃力がある」と理解できたことだろう。ヴォーグも、嫌でも理解させられたはずだ。
それでも勝負は終わらない。ましてや降参など、前霊王ができるわけがない。
「待機」
「承知」
ミロクを待機させる。
さあ、次は何で来る? ヴォーグ。
お前の手持ちはサラマンダラとウィングサレコウベのみ。加えて、お前自身か。
ほら、出してみろ、お前の全てを。
一つ一つ、丁寧に潰してやるから。
「くっ……!」
ヴォーグは険しい表情で、ウィングサレコウベに攻撃指示を出した。
直後、サラマンダラが不自然に前進する。
「(肆ノ型)」
「(フッハハッ! 御意!)」
なるほど、だな。普段の俺なら阻止するところだが、今回はあえて受け切る形で対応しよう。
「喰らいな! オレの火はアッチィぜぇ!」
《火属性・弐ノ型》で、広範囲に火を撒き散らしてくるサラマンダラ。それを目眩ましに、遥か上空からウィングサレコウベが高速で落下してくる。
本来なら火力のあるサラマンダラがメインとなるべきところを、あえて反対でやってくるという、なかなかに気付きづらい上手な戦術だろう。
「ぬるいッ! ひれ伏せ、サラマンダラァ!」
ただ、攻めとしては手ぬるい。
だからといって、受けの手は微塵も抜かない。
サラマンダラが前進した時分から準備を始めていたこともあって、アンゴルモアはサラマンダラの弐ノ型の発動に被せるようにして《雷属性・肆ノ型》を発動できた。
「何ぃ!?」
予想していたのか、と驚くサラマンダラ。
まさか。予想していたのではない、備えていたのだ。
肆ノ型は、考えられる対応手段の中で最も準備時間のかかるスキル。ゆえに先走りで準備を始めておいただけのこと。別の対応を求められる攻撃が来た場合、肆ノ型をキャンセルして準備すればいい。
「きゃっ!」
「ぐおぉっ!」
発動直後、荒れ狂う肆ノ型の雷撃がサラマンダラの放った炎を跡形もなくかき消した。
「――日子流、七千矛」
それとほぼ同時に、ミロクが空から飛来したウィングサレコウベを《飛車抜刀術》で迎撃する。
凄ぇ。天高くから落下してきた米粒に針を刺すような、正確無比の一撃。立ち位置を少しずつ調整しながら限界まで溜めを入れることで、素早さ・鋭さ・命中率・火力、全てを調和させている。並大抵のテクニックではない。
ミロクめ、やはり普段より多めに張り切っている。大舞台だからってシャカリキだな。
「あっ……ぁ……」
さて、ウィングサレコウベもスタンした。
残るはヴォーグとサラマンダラのみ。ということは、《精霊憑依》で逆転を狙ってくるしかないだろう。
「……っ! サラマンダラ、憑依なさい!」
「オウ、やったろうじゃねぇか!」
そうだ。
よい闘志だ。
冬季の俺ならば、ヴォーグの闘志に敬意を表し、ミロクを《送還》して、アンゴルモアを憑依させ、一対一で殴り合っただろう。
「前半はボロボロだったけどぉ、それでも立ち向かっていったヴォーグさんはとっても勇敢でぇ、最終的にはいい勝負になったね、ナイスファイト! あたし思わず泣いちゃいました~」……なんて、メヴィオンTVに毎回呼ばれるメヴィオンのメの字も知らない馬鹿そうな巨乳の女が媚びへつらいながら言いそうな展開になったことだろう。
……そうはならない。夏季の俺は、そんなに甘くない。否、かつてない“辛さ”で受ける。
でなければ、圧勝にはならない。
「行くわっ――!」
全身を紅く燃やしながら、腰まで伸びたワインレッドの長髪をゆらりと浮き上がらせ、空気が揺れるほどの闘気を放出するヴォーグ。
彼女のゴツいステータスで《精霊憑依》を行ったのだ、それ相応にぶっ飛んだ数値にはなっているはずである。
ゆえに、まだ勝機はあると、彼女はそう思っているのだろう。
最後の望みだ。唯一の希望だ。
勝っても負けても全てをここに賭けてやる、という不退転の覚悟だ。
「お願い、届いて……っ!」
これまで積み重ねてきた全ての思いを込め、ヴォーグは駆け出した。
……その、なけなしの思いさえ、俺は否定する。
届くわけがないのだと。そんな付け焼刃の半年間では、掠りすらしないのだと。
「弐ノ型」
「御意」
「龍王抜刀術」
「承知」
アンゴルモアへの指示。直後、《雷属性・弐ノ型》が俺の目の前へバリケードのように出現し、ヴォーグの行く手を遮った。
俺の隣では、ミロクが《龍王抜刀術》を溜めている。
非常に強力な範囲攻撃。溜めるほど、その威力は増す。
「……っ!!」
雷撃が収まった頃、ヴォーグが目にしたものは……《龍王抜刀術》フルチャージのミロク。
この状況――まさに必至。
どう足掻こうと、ヴォーグを待ち構えるは、“敗北”の二文字。
「…………」
沈黙が流れる。
普段の俺ならば、少しの間も置かずにミロクへと発動を命じていたことだろう。
そうして《龍王抜刀術》をエサにし、俺自身を狙ってきたヴォーグへのカウンターを準備し、鮮やかに勝利するだろう場面。
しかし、そんな甘いことはしてやらない。
ここは、ガッチリと、盤石の構えで受ける。気の遠くなるような鉄壁の守りを固める。つまりは、受け切って勝つ。目指すところは圧勝なのだ。勝負になど出てやるものか。
ゆえに、待機だ。
ヴォーグが仕掛けてきたその瞬間、もしくは《精霊憑依》が解除された時の、絶対に躱せない一瞬でのみ、ミロクに《龍王抜刀術》の発動を指示する。
それ以外の場合は、待機。いくら時間がかかろうと、待機する。
ほんの僅かな隙も見せず、ほんの欠片の勝機も与えず、完全に、安全に、圧倒的に、勝利するために。
「………………」
ヴォーグは何もできず、ただ立ち尽くしていた。
いいや、できること全てをやり尽くした結果、できることがなくなったと言うべきか。
攻め入ることも、立ち向かうことも、喋ることも、聞くことも、勝ちに行くことも、負けを認めることもできない。
何もできない。
何故なら、できることを全てやって、全て駄目だったのだから。
彼女の持つ全てが、俺に圧倒的に劣っていると、一つずつ確と証明されてしまったのだから。
「……………………」
そうだ、その顔だ。
悔しくて、悲しくて、どうしようもなく惨めで、いっそ死んでしまいたくなるような、その最低の気持ちだ。
自分の全てを否定される恐怖を、死にほど近い惨敗の苦痛を、心の底から味わうんだ。
そして、ヴォーグ。
俺を怨んでくれていい。
お前は、それでも這い上がれ。
どうか、どうか、この艱難辛苦を突破してほしい。
そうしたら、きっと。
「……あ……」
五分が経過し、ヴォーグの《精霊憑依》が終了する。
刹那、ミロクの右手が、その腰の刀を抜き放ち――
「――そこまで! 勝者、セカンド・ファーステスト霊王!」
俺の防衛が、確定した。
お読みいただき、ありがとうございます。