173 霊王戦 その2
霊王戦、挑戦者決定トーナメント決勝。シェリィ対ヴォーグの試合。
闘技場中央で決闘冠を確認した二人は、そのまま一言も交わさずに位置へとついた。
出場者用観戦席にまで伝わってくる緊張感。これもまたタイトル戦の醍醐味だ。
「ピリッとしとるなぁ」
「うむ。会話する余裕すらないということか」
ラズの呟きにシルビアが反応する。
そうだな、当たっている。片方は。
「いや、シェリィはそうかもしれんが、ヴォーグはそうじゃない。あいつ、きっと、挨拶する時間すら惜しいんだ」
「時間が惜しい?」
「ああ。冬季の、たったあれだけの情報でよく気付けたものだ。どうやら、あんこ対策を練ってきたらしい」
「……なるほど、陽光か」
ヴォーグは、明らかに気が急いている。カピート戦の時も、そして今も。
……余程、日没が、あんこが怖いのだろう。
「――ねぇ、ちょっと、あんた!」
不意に、流れをぶった切る大声が響く。
シェリィだ。ヴォーグを指差して、挑戦的な笑みを浮かべている。あいつ、審判の号令の前に、啖呵を切るつもりだろうか。
「あんた? ……私ですか?」
「そうよ。あんた以外に誰がいるっていうのよ」
「いえ。しかし、あんまりな呼び方だったもので」
前霊王を「あんた」呼び。いやあ、流石に。
「余裕がないだと? 前言撤回だ……」
シルビアが頭を抱えながらそう呟いた。
だろうな。あれじゃあまるで「世間知らずの伯爵令嬢」だ。いや、実際にそうなんだろうが。
「余裕ぶっこいてるところ悪いけれど、この勝負、私が勝つわ」
「大した自信ですね」
「勿論よ。この半年、本当に死ぬほど努力したんだから!」
「へぇ……そうですか」
シェリィのわかりやすい挑発。
ヴォーグは淡々と返し、最後に一言だけ口にする。
「そういうことは、百年努力してから言いなさい。お嬢ちゃん」
これ以上ない切り返し。
シェリィは思わず閉口した。
「互いに礼!」
ここでタイムリミットだ。
挑発して有利に試合を進めようと目論んだシェリィの狙いは、裏目に出たと言えるだろう。
「構え――始め!」
審判による号令が響く。
同時に、二人は《精霊召喚》を発動した。
「――よぉ。久しぶりだな、土女」
「――あら~。お久しぶりね、赤ワカメ」
火の大精霊サラマンダラと、土の大精霊ノーミーデス。どうやら知り合いのようだ。
罵り方のセンスはテラさんに軍配が上がるが、属性は火が有利で土が不利。シェリィには厳しい要素だな。
「テラ!」
「はい~」
おっ、シェリィは早速“トーチカ”のようだ。テラさんの《土属性・弐ノ型》がシェリィを見る見るうちに包み込んでいく。
「サラマンダラ、ノーミーデスを狙いなさい」
「はいよ、っと」
対するヴォーグは、属性有利を活かしてテラさんを押さえ込む作戦か。
そして、その隙に……
「アクアドラゴンと、あれは……ウィングサレコウベに、ヨロイボアか」
「陸パワー・空スピード・陸パワー。随分と偏っとるなぁ」
《魔召喚》。やはり、と言うべきか。ヴォーグは魔物をしっかり三体テイムしていた。大きな水属性のドラゴンに、空飛ぶ翼の生えた頭蓋骨、これまた大きなゴツいイノシシの三体だ。
ラズの言う通り、かなり偏ってはいる。だが、それもまた作戦のうちなのだろう。
「一斉攻撃」
ヴォーグの指示で、魔物たちが一斉にシェリターへと突撃する。
なるほど、だからパワータイプが二体もいると。つまり、ヴォーグはシェリィがトーチカ戦法を使ってくることを予め見抜いていたってわけだ。素晴らしいね全く。
「あらら、マスタ~」
「おっとぉ、行かせねぇぞ」
テラさんはサラマンダラの妨害でシェリィを助ける余裕がない。
シェリィは土の壁で外の様子がよくわからない。
こりゃあ、早くも決まったか……?
「きゃあっ!」
アクアドラゴンとヨロイボアによる強烈な体当たり。たったの二発で、シェリターはシェリィの叫び声とともに跡形もなく破壊されてしまう。
大ピンチだな。召喚術師の弱点は、自身にある。目の前の二体の魔物に生身で勝てるのなら話は別だが、シェリィにそんなゴリラじみたステータスはないだろう。
「くぅっ……!」
「ハハハ! オレに勝てるワケねぇーだろうが!」
直後、テラさんがサラマンダラの火属性魔術を喰らい、地面へと落下した。
「テラ! そんな、どうすれば……っ」
シェリィ、いよいよ絶体絶命。
「決めなさい」
ヴォーグは嘆いている暇すら与えずに、最後の命令を下した。
アクアドラゴンとヨロイボアが、シェリィへと左右から迫る。躱すことも防ぐことも難しい攻撃。
「う、嘘、いやあああーっ!」
勝敗は、決した。
と、誰もがそう思っただろう。
「……なーんちゃって」
取り乱していたはずのシェリィが、ぺろっと舌を出して笑った。
「!!」
瞬間、ヴォーグは飛来する一体の魔物に気付いたことだろう。
トーチカが破壊された瞬間の土煙に紛れ、シェリィが密かに《魔召喚》していた魔物――『ドシャバード』に。
「策士やなぁ、シェリィはん」
「演技上手いなあいつ」
全て布石だったのだろう。この一瞬のためだけの。
魔物を使役している素振りすら見せず、世間知らずの伯爵令嬢だと侮らせ、あえて言い負かされ、あえて大きな悲鳴をあげ、最後の最後まで徹底して油断を誘っていた。
ドシャバードは土と砂のような色と模様をした鳥型の乙等級魔物。崩壊するシェリターの破片に紛れるには持ってこいである。ヴォーグの発見がギリギリまで遅れたのは、油断だけでなくそこにも要因があっただろう。加えて、ドシャバードは十分に奇襲たりうる攻撃力を有している。無視はできない。
アクアドラゴンとヨロイボアによる突進と、ドシャバードによる突撃。どちらが先に届くかは明確だった。ドシャバードの方が、距離も近く、スピードも速い。奇襲は成功している。ヴォーグは対応せざるを得ない。
……あのシェリィが、こんな泥臭い戦法に出るなんて。俺は俄かに感動を覚えた。
出会ったばかりの頃の彼女は、プライドばかりが高い温室育ちのご令嬢だったはずだ。これは、あの頃の彼女ならば絶対に考えられないだろう、泥臭い作戦。見栄えなど微塵も気にしない、プライドを捨て切って、ただただ勝ちに行く作戦。
成長している。スキルやステータスだけではなく、その内側も、ハッキリと。
「失礼……貴女も、勝負師でしたか」
だが、届かない。
ヴォーグは想定していたのだろう。シェリィが魔物を使役していることも、トーチカの破壊に乗じて《魔召喚》することも。いや、あの口振り、半信半疑で保険的に準備していたのかもしれない。
だからこそ、ウィングサレコウベを攻撃に参加させたフリをして、自身の遥か頭上の空中に待機させていた。
シェリィが「世間知らずの伯爵令嬢」ではなく「勝負師」だった時の保険として。
彼女もまた成長している。「わかったつもりになるな」という俺の生意気な説教を素直に聞き入れ、あらゆる可能性を考慮し対策を立てていたのだ。
「っ――!」
上空から恐るべき速度で落下してきたウィングサレコウベによって、突き刺さるような体当たりを喰らったドシャバードは、弾き飛ばされてふらふらと勢いを失う。
シェリィの切り札は、いとも簡単に無効化されてしまった。
「……あーあ、残念」
アクアドラゴンとヨロイボアの突進を受ける寸前、シェリィが口角を上げながら呟く。
あの表情、あの言い方。あいつ、残念なんて言っておきながら、全く悔しくないのだろう。
あいつはわかっているのだ。脅かすのは、自分の方だと。今後、脅かされるのは、ヴォーグの方なのだと。
初出場でここまでできるのなら、確かに大したものだ。以降、この成長ペースを維持できれば、ヴォーグと肩を並べる日はそう遠くない。何故なら、メヴィオンは強くなればなるほど経験値を稼ぎづらくなる。苦しむのはいつだって、上に立つ者の方だ。
だからこそ、シェリィは必要以上に悔しがらない。次に、その次に、そのまた次に、賭けることができるから。
「――そこまで! 勝者、ヴォーグ!」
試合が終わる。
ヴォーグにとってはこの勝利、あまり嬉しくないだろうな。
勝って当然の一戦だ。しかし、最後の最後に、拭いようのない不安を植えつけられた。
これまで彼女は、霊王として頂に立ち、ずっと戦ってきたことだろう。時には危ない場面もあったはずだ。だが、ここまでヒヤリとさせられたことは、一度もなかったんじゃなかろうか。
タイトル戦出場者たちの戦い方が、変わりつつある。そう感じているんじゃなかろうか。
「…………」
彼女が見据えるのは、俺一人だけ。だが、勝たなければならないのは、他全員。
悔しくて悔しくて、悔しくて堪らなくて、再び霊王へと返り咲くために、死にもの狂いで努力して、実力を何倍にも伸ばし、俺へと挑んでくる。ヴォーグのその頑張りは、想像に難くない。
だが、実力を伸ばしたのは、ヴォーグだけではないのだ。周囲にいる全員が、あの手この手で勝ちに来る。その熾烈な競争を、お前は余裕の表情で勝ち続けなければならない。
わかるぞ。お前が土煙の中から飛び出てきたドシャバードを目にした瞬間の、心臓の収縮、赤熱する脳、吹き出る汗、震える喉奥。
それは、日に日に強くなる。日に日に増していく。
不安を乗り越えなければならない。
不安に打ち勝たなければならない。
お前にとっての、本当の霊王戦は、今日、始まったばかりなのだ。
それを、シェリィが教えてくれたな。
「盛り上がってきた」
冬季より、格段に。
これからは、もっともっと盛り上がる。
出場者も増えるだろう。
皆、何倍も何十倍も強くなるだろう。
そして、いずれは……なんて、そう思うことだろう。
「冗談じゃない」
不安を乗り越え、不安に打ち勝つ。俺とて、同じ。
だから「何やったってこの人には敵わない」と、全員に思わせる。
全力だ。何一つ出し惜しみしない、全力。
半年の努力など一息で吹き飛ばすように、二度と挑もうなどと思わせないように、徹底的に、叩き潰す。
それでも……それでも、半年に全てを賭けて挑んでくる者こそが、俺の不安を悦楽へと昇華させてくれる好敵手となり得るのだ。
ラズ以外のやつら、果たして俺を愛してくれるだろうか?
「……行くか」
一次試験を突破して、俺をちょっぴり不安にしてくれた皆さん、オメデトウ。
さあ、二次試験の、ハジマリハジマリ――。
お読みいただき、ありがとうございます。