171 一閃座戦 幕間
「へ、陛下」
「……なんでしょうか、クラウス」
「ご覧になりましたか、陛下」
「ええまあ。見ましたよ、クラウス」
「この感動、どう表せばよいものか! ああ、言葉が見つかりません」
「気持ちはわかります。ボクは感動というより戦慄ですけどね」
第四百六十七期『一閃座』が決まった。
それは、この場にいる誰しもが予想していた人物、セカンド・ファーステスト。
言わば予定調和。しかしながら、彼とラズベリーベルの試合を観た者は皆、一様に震えていた。
勝者が予想通りの人物であっても、その試合内容は予想を遥かに超えていたのだ。
否、人知を超えていたと言っていい。
単純な力が、ではない。その知識が、技術が、指先に至るまでの動きが、一切の妥協などないと一目見てわかる、人という生物の持つポテンシャルの限界にほど近い、美しく尊い勝負。
そう、あまりにも美しすぎる光景は、目を奪い、身体を震えさせ、果ては心地よい恐怖をもたらす。
二人の決着がついてより、数秒、全ての観客が沈黙した。彼ら全員が我に返るまで、数秒もの時間を要したのだ。
直後、未だかつてない拍手と歓声が堰を切ったように溢れだす。一人残らず立ち上がり、今の感動を伝えんと精一杯に手を叩き声を出していた。
観客は、やっと触れられたのだ。
正真正銘本物のタイトル戦に、紛れもない本物同士の勝負に、ようやく触れることができたのだ。
かつて、一人の男が、誰よりも熱く、誰よりも愛した、人生の全てを捧げた輝き、再び取り戻さんとする栄光の頂、その一端に、この世界の人々が初めて触れた瞬間である。
彼は再三言っていた。
ここは、最高の世界であると。
今、その言葉が、エンターテインメントという形をとって、この世界の住人に伝わろうとしている。
「聖女のあの黒い武器、恐らく相手を強く弾く効果があります。それを構え合った段階で見抜いた一閃座は緻密な攻防の中で細やかに有利を築き上げ、最後に一瞬の隙を見せ誘い、鋭く切り返し一撃で決めた! 本来ならこれだけで拍手喝采ですが、この勝負の最も素晴らしいところはそこではないのです! セカンド一閃座、あの方はきっと、あえて聖女の作戦に乗っていた! 大きなステータス差を利用したつまらない勝ち方が数多ある中で、絶対に勝たなければならない防衛を賭けた勝負で、あえて、あえて、不利ではあるが面白い方へと向かっていったのです! それはあの方にしかできない! しかし、聖女も素晴らしかった! あれほど火力不足の中で、よくあのような武器を見つけ、あそこまで一閃座とやり合えた! 時代が違えば彼女もまた一閃座として何十年と君臨していたことでしょう!」
「クラウス、興奮しすぎです」
「……し、失礼しました、陛下」
「でも、おかげで勝負の内容がよくわかりました。これは、この試合が濃厚ですかね」
「私ならば、これで決めてしまいそうなほどです。しかし、この先も……」
「……そうでしたね。セカンドさん、まだあと七つもタイトル戦に出るんでした」
何が濃厚なのか、何を決めるのか。
セカンドの登場により変わったのは、タイトル戦の出場者だけではない。
この第四百六十七期夏季タイトル戦より、いくつかの「新たな試み」が始まっていた。
「それにしても暑いですね、クラウス」
「はい。只今、冷たい飲み物をお持ちいたします」
「二つお願いします。ボク、喉が渇いているんです」
飲み切れなかった時はクラウスが飲んでください、と言って微笑むマイン。
クラウスは敵わないなと思いながらも、口角を上げて頷いた。
「……ラズベリーベル様って、あんなに強かったんですのね」
「あの美貌で、あの実力で、ご主人様とあんなに親しげで、おまけに聖女様で……」
「嫉妬する気も起きねーな」
闘技場の一角、ファーステスト家専用と化した観客席で、使用人たちが盛り上がる。
シャンパーニの畏敬を含んだ呟きに、エスとエルが少し呆れながら返した。
彼女たちは、珍しくセカンドについて話さない。
何故なら、話し出すと止まらなくなることを皆知っているからである。その上、各々「ご主人様論」のようなものを持っており、共感することもあればぶつかり合うこともしばしばあるため、「この祝うべき時に喧嘩をしていたらいけない」と自制しているのだ。
「そっか、パニっちは槍術の前に剣術やってましたもんねぇ。ラズ様の強さをビンビンに感じちゃうわけですね」
「ええ。今のわたくしでも、勝てるかどうか……」
「……ぇ……ぁ……」
「槍と剣で比べるのはどうなのかなぁ、と申しております」
コスモスの質問に、シャンパーニが答え、イヴとルナが突っ込む。
その会話を聞いて、他のメイドたちは「ほう」と感心の溜め息をついた。
シャンパーニとイヴの、静かな闘志を感じ取ったのである。
つまり二人は、ラズと戦って勝てずとも、いい勝負をする自信はあるということ。
そこに、驕りや侮りなどない。
これは凄まじい成長と言えた。
二人が一足先にタイトル戦へと出場することは、全員が知っている。
そしていずれは自分もと、使用人の殆どがそう思っている。
だが、果たしてここまでの自信をつけられるかと聞かれれば、頷く者は少ないだろう。
「ところで、今日のコスモスはやけに静かでしたわね?」
「綺麗な顔してるでしょう? 漏らしてるんですよ、これで」
「……その綺麗な顔を吹っ飛ばして差し上げますわ」
一閃座戦終了後、闘技場を後にする姦しい集団があった。
御存知、王立魔術学校セカンドファンクラブの面々である。
「尊みが深すぎる」
「それな」
「明日も朝からあるのに今夜眠れそうにないっす」
「今日の興奮で眠れないし、明日もあるという事実でも眠れない」
「じゃあもうずっと眠れないやんけ」
「それな」
観戦の抽選を勝ち取ったメンバーが百人ほどに増えた彼女たちは、しかし前回ほどの姦しさはなかった。
主要の会員が二年生となり、新たに加入した一年生、つまりはたくさんの後輩が増えたため、少々の慎みを覚えたのだ。
「席が良かったと言わざるを得ない。副会長ほんとすこ」
「アロマ副会長様好き好き大好き」
「現金ね貴女たち……」
セカンドファンクラブの現副会長は、アロマ・ヴァニラという二年生の女子生徒だった。
彼女はヴァニラ子爵家のご令嬢。ゆえに、そのコネと財産を存分に利用し、最前列の席を人数分用意してしまったのだ。
「いやいや現金は払いましたけど、めっちゃ格安でしたから」
「ヴァニラ家ってしゅごい。最前列にうちら百人ねじ込むとか普通考えらんねー」
「……お父様に私とお姉様とで一緒にお願いしたら、たまたま席が空いていたから取ってくれただけよ」
「めっちゃいいパパでワロタ」
「娘に甘すぎる」
「たまたま数千万CL持ってて、たまたま伝手があって、たまたま取れちゃったんですねわかります」
「控えめに言って神」
タイトル戦の席料は比較的安めに設定されているが、最前列は八日分で十万CLを優に超えている。そして恐らくヴァニラ子爵はその倍額以上支払って百人分押さえている。つまるところ、少なくとも二千万CLはかかっているということ。それを一人当たり一万CLの徴収で提供してしまうのだから、神と崇められるのも当然である。
「それにしても、あのラズベリーベルって人、なーんか女っぽくねぇよなぁ?」
「わかりますねぇ! 臭う臭う、臭いぜ」
「おっ、そうだな。あのカップリングならギリ許せた……許せない?」
「もう許せるぞおい!」
彼女たちがその嗅覚を存分に発揮し、セカンドとラズベリーベルについての妄想を語り合っていると――突然、進行方向に十人ほどの女性の集団が現れた。
その集団は道を退きそうにないため、ファンクラブの面々は仕方なく迂回する。
しかしながら、女性たちは、まるで通せんぼするようにファンクラブの前へと立ち塞がった。
「え?」
何故、邪魔をするのか。全員が理解できない。
しかし、その理由は、次の言葉で決定的となった。
「大きな顔していられるのも今のうちよ」
「天網座戦、楽しみにしておくことね」
「貴方たちみたいな下品な集団、吠え面かくのがお似合いだわ」
「せいぜい泣いて悔しがりなさい」
そうとだけ言い残し、睨みつけながら去っていく女性の集団。
ファンクラブの面々は顔を見合わせ、苦笑いする。
「あー、わかっちゃった。プリンス天網座の……」
「なーるほど……宣戦布告ってわけ」
「聞いた? 下品だってさ、うちら」
「違いねぇなオイ!」
「でもさ……」
「セカンド様は、下品じゃない。でしょ?」
「よくおわかりで」
タイトル戦の舞台とはまた別の所で、熾烈な戦いの火蓋が切られようとしていた。
* * *
「セカンド殿、防衛おめでとう!」
「せかんど、おめっとーう!」
「イェーイ! 宴じゃ宴じゃあーっ!」
夜。一閃座防衛記念パーティがささやかに(?)開催される。
俺はラズのグラスにワインを注ぎながら「よっしゃー!」だの「やっふー!」だの、ここぞとばかりに騒いだ。俺なりの盤外戦術である。
彼女の意識は既に次のタイトル戦へと向けられているはずだ。ここで煽り立てておけば、やる気も出るに違いないと思ったのだ。
ただ、全然効いていそうにない。ラズのやつ、何故か俺を見てずっと幸せそうにニコニコしていた。逆に怖いな……。
「しかし、ラズベリーベルはもちろん、レイヴ殿も強かったな。セカンド殿としてはうかうかしていられないのではないか?」
「俺は生まれてこの方うかうかしたことなんてない」
「しるびあ、ぐもん!」
「だな!」
エコにまで言われてちゃどうしようもないな。
「ち、違う、私としてはだな、参加者の著しい成長が気になったのだ。カサカリ殿もヘレス殿もガラム殿も、前回より明らかに実力を伸ばしていた。ロスマン殿は……よくわからないが」
「ああ、そういう。確かに成長していたな。ロスマンは、むしろ一番伸びていた可能性すらある。まあ、誰かさんが酷い目に遭わせたせいで微塵も実力を出せていなかったが」
「しゃーないやん! うち、前回の流れとかちっとも知らんねんもん。相手に勝つことしか考えてへんよ」
「いや、非難しているわけじゃない。タイトル戦って、そういうものだろうからな。ただ、可哀想だったなってだけだ」
「まあ、そら同感やけど……」
そう、可哀想で当然。
負けた方は、全てを失う。半年を、一年を、十年を、そこに賭けた分だけ、全て失う。
ただ、その喪失は幸運にも一時的なものなのだ。失ったものは取り戻すべきである。なら、半年後に勝てばいい。それだけのことだ。それだけのこと、なのだが……。
「あいつはやり辛くなったなあ。俺の対策の前に、お前の対策をしなきゃならん」
防衛だけなら一戦。しかし、挑戦者となるには何戦もしてトーナメントを勝ちのぼらなければならない。
ラズベリーベルに、レイヴに、成長中の参加者たちに……と、周りは手強いやつばかり。来季の一閃座戦、あいつにとっては厳しいものになりそうだ。
「通さへんよ。うちの目が黒い限りは」
「だろうなぁ」
彼女の壁は、厚すぎる。
今のままでは、来季の挑戦者もラズで決まりだと確信を持って言えた。
「センパイと愛し合うのは、うちやからな」
次回も、愛ある試合を。
この考えが持てないうちは、誰も彼女には勝てないだろうから。
「ご主人様、こんなところで横にならずに。明日もあるのですから、部屋へお戻りください」
「んー?」
深夜一時。めでたいこともあり、普段より二杯ほど多く飲んで、ソファで横になっていた俺を、ユカリが揺すり起こした。
明日もあるって、明日は鬼穿将戦だろう? 俺は出ないぞ。
「シルビアだろ? 俺はいい」
「……何か勘違いされているようですが、明日は霊王戦です」
「……………………は!?」
一瞬で目が覚めた。
何故!?
「まさかご主人様、日程を確認されていないのですか?」
「するわけないだろ」
「何故するわけがないのかはさて置き、明日は霊王戦です。第四百六十七回タイトル戦から、より公平を期すため、開催されるタイトル戦の順番が抽選となりました」
「マジか。じゃあ、たまたま最初が一閃座戦だったってことか」
「はい」
「それは、マインが?」
「ええ、恐らく。加えて、最優秀出場者賞・新人賞・敢闘賞・特別賞・名勝負賞が創設されました」
「マジかよ! いいねぇ」
流石だ、友よ。俺のことをよくわかっている。
「わかった、情報ありがとう。じゃあお休み」
「いや、ですから、自室でお休みくださいと」
「大丈夫。俺の出番、午後だもん」
「そういう問題では……」
「それにな」
霊王戦だろう? 多少寝覚めが悪かろうが、心配は何一つない。だって――
「明日は全力で迎え撃つから」
お読みいただき、ありがとうございます。