169 一閃座戦 その4
聖女ラズベリーベル。彼女は、いくらなんでも強すぎる――。
観客の熱気は、最高潮へと達した。
「…………」
それを、つまらなそうに見つめる男が一人。
レイヴである。彼は実の父親が見るも無残な敗北を喫し茫然自失としていることなど気にも留めず、喝采を浴びるラズベリーベルをただ冷めた目で見つめていた。
彼の思うところは一つ――僕ならひっかからない。
あれほどあからさまな誘導、むしろひっかかる方がどうかしているとしか考えられなかった。
それは、一閃座への執着。やはりロスマンはどうかしていたのだ。早急にかつての栄光を取り戻さんと、半年間をただひたすらセカンド対策にのみ注ぐという、言ってしまえば愚行。その焦燥感と視野狭窄が、ラズベリーベルのハメ技にひっかかった原因と見て間違いないだろうと、レイヴは冷静に分析する。
「……楽勝、かな」
彼には、父親のような油断はない。
ラズベリーベルは、あまりにもステータスが低かった。ロスマンに《銀将剣術》を七発当てても削り切れないような低STRなど、剣術勝負においては致命的ですらある。
試合開始前から、レイヴの圧倒的有利。
言わば二枚落ち(龍王・龍馬・飛車・角行の使用不可)以上のハンデがある状態で試合が始まると考えていい。二人は、それほどのステータス差だった。
レイヴは、自身の勝利をこれっぽっちも疑わず、当然という風に呟く。
「セカンド三冠と戦うのは、僕だ」
一閃座挑戦者決定トーナメント決勝戦。
レイヴ対ラズベリーベルの試合。
闘技場中央で対峙する二人の間には、冷たい静寂があった。
一方は、つまらなそうな、退屈そうな、冷めた目を。
もう一方は、まな板の上の鯉を観察するような、冷徹な目を。
「センパイがな、最高言うとったで。天才ちゃうかって」
先に口を開いたのは、ラズベリーベル。
彼女の言うセンパイとは、セカンド三冠を意味すると、レイヴは瞬時に理解する。
それは、彼にとって驚くに足る言葉だった。
「え、本当?」
全てに冷めきっていた少年が、初めて反応らしい反応を見せる。
それを見て、ラズベリーベルは口角を上げながら口を開いた。
「さて、どうだったやろ」
「…………」
一瞬にしてレイヴの不機嫌が戻ってくる。
ラズベリーベルの言葉は紛れもない事実だったが、レイヴは自分をおちょくるための嘘だと思ったのだ。
「初戦も次戦も見たで。若いのになかなかやるやんか」
次に出てきたのは、彼女自身からの褒め言葉。
しかし、レイヴは素直に受け取ることができない。
「僕、天才だから」
レイヴは一切の謙遜を見せずに、さらりとそう返す。
……天才。彼はずっと、周囲からそう言われ続けて育ってきた。
事実、天才だろう。十六歳の若さでこの場に立っていることが、何よりの証明である。
しかし……“天才”という言葉の重みを、彼はまだ知らない。
本物の天才に、彼はまだ触れたことがないのだ。
「自分、震えたことないやろ」
「……?」
「泣いたこともないやろ」
「……いや」
ラズベリーベルの質問を受け、レイヴは「何を当たり前のことを」と鼻で笑う。
「だって、負けたことないから」
震える必要も、泣く必要も、なかった。
それは、これまでも、これからも。
「せやろなぁ」
やはり彼は、真剣勝負の場での敗北を知らない。
予想の当たったラズベリーベルは……にんまりと笑って言った。
「まずはそこから覚えんとな、お坊ちゃん」
明らかに「下」に見た言いぐさ。
レイヴは無言で眉を顰め、自身の位置へとついた。
「互いに礼! 構え!」
審判の号令で、気だるそうに礼をし、ゆるりと長剣を構える。
ラズベリーベルは、優雅なお辞儀を見せた後、インベントリから――“ミスリルロングソード”を取り出した。
何で来ようが、自分の有利は動かない……と。レイヴは心を乱されず、ただ目の前の相手に集中する。
「――始め!」
試合開始の合図と同時に、双方から間合いを詰め始めた。
ラズベリーベルは、二試合連続同じハメ技を仕掛けてくるような馬鹿ではない。それはわかっていたレイヴだが……しかし、彼女の弱点を補えるだろう大剣を、双方の距離が開いているうちに出してこないというのは、疑問に思うところ。
「…………」
それでも、レイヴのやることは変わらない。
間合いが詰まった段階で、《歩兵剣術》《桂馬剣術》複合を右足目がけて突き刺すように放つ。
『セブンシステム』という名称を知らない彼は、この一連の定跡を『セカンド式』と呼んでいた。
半年前、いつものように父親に連れられ、いつものように観戦した一閃座戦。
その時から、彼はセカンド式の、否、セカンドの……虜。
彼には自身の父親が、何処かくだらない存在に感じていた。世間ではこれを反抗期と呼ぶのだろうが、彼の場合は一味違う。何故なら、彼の才能は父親を遥かに超えていたのだ。
確かに、ロスマンは一級のテクニックを持っている。しかしレイヴにとってみれば、テクニックばかりでなんとも退屈な剣術に思えてしまう。
それはロスマンに限ったことではない。一閃座戦に出場する誰も彼もが、退屈。つまらない剣術ばかり使う。確かに、そう、思っていたのだ……半年前までは。
「終わり」
セカンド式の変化に突入した時点で、自身の勝利は決まる。
レイヴは、そう確信していた。
――負けるわけがない。僕の憧れ、僕の目標、あの最強の男、セカンド一閃座の剣術が、負けるわけがない。
「ちゃうわ。始まりや」
ラズベリーベルの落ち着いたツッコミと同時に、定跡へと突入する。
二手目、ラズベリーベルは大きく足を引いて躱した。
三手目、レイヴは中空へと放り出されたラズベリーベルの手を狙い《歩兵剣術》で斬り上げる。
四手目、回避。二手目で少し大きめに回避したことで、ここは余裕を持って回避できる。
五手目、《飛車剣術》を準備し、ラズベリーベルの懐へと突き刺すように放つ。
そして、六手目。ラズベリーベルは《角行剣術》と《桂馬剣術》の複合で、レイヴの顔面に突きを入れた。
《桂馬剣術》は急所特効があり、急所へのヒットは九段で火力200%。急所判定は、人間が相手ならば、主に顔から首または心臓への攻撃で出る。
「知ってる」
この切り返し、レイヴは予想していた。
ここは威力差の出る場面。いくら《桂馬剣術》に急所特効があると言えど、今の二人のステータス差ならば《飛車剣術》の威力には負ける。
であれば、あえて躱さず、攻撃し合うのが正解。
決まった――レイヴは勝利を確信する。
「アホ」
ラズベリーベルが一言こぼした。
――瞬間、全てがスローモーションと化す。
そして、彼女の剣先は、コマ送りのようにして、ゆっくりゆっくりと下へと落ち……レイヴの手を狙う。
「……っ……」
ゾクリ、と。一瞬にして冷や汗が噴き出る。
実に間の抜けたうっかりだ。《桂馬剣術》に急所特効があるからと、急所を狙ってくるとは限らない。
ラズベリーベルは、左足を下げるようにして体を躱しながら、レイヴの手にミスリルロングソードを振り下ろす。
レイヴの長剣は、ラズベリーベルの懐から僅かに逸れ、中空へと放り出される。
直後、左手の先に激痛が走った。
痺れが腕全体を包み込み、思わず長剣を手放す。
「 」
……嘘だ。
レイヴは叫びたくなった。
あまりにも呆気ない。
こんなに、簡単に、負ける。
それは、何よりも許しがたい屈辱。
だが……どれほど後悔しても、もう遅い。
「普段の僕ならあんな間抜けな失敗はしない」と、彼は心の中でそう釈明することだろう。
しかし、うっかりをしてしまった。その事実は、曲げられない。もう、取り返しはつかない。
カラン――と、長剣が地面に落下する。
顔を上げたレイヴが目にしたものは……一体いつの間に出したのか、大剣を構えるラズベリーベルの姿。
「……うちは、震えたことも、泣いたこともある。なんでかわかるか?」
ラズベリーベルは、丸腰となったレイヴを前に、無慈悲にも《龍王剣術》を準備し始めながら語り掛けた。
「なんで……」
「勝ちたいからや。理由なんてあらへん。勝ちたい。絶対に勝ちたい。勝ちたくて勝ちたくて勝ちたくて、もう死ぬほど勝ちたくて、死に物狂いで頑張るからや」
《龍王剣術》の準備が終わる。
レイヴは、剣を拾うことも忘れ、ラズベリーベルの言葉をただぼうっと聞いていた。
「天才言うのはな、あんたはんの考えてるような、なんでもかんでも余裕でできてまう冷めたやつやあらへんで。なんぼ負けても悔しくても、勝つために全てを賭けられる人や。強く強く、誰よりも強く、勝ちたいと思える人や」
「……!!」
瞬間、レイヴは自分のことが途轍もなく恥ずかしくなった。
思えば、全てを賭けて一生懸命に頑張ったことなど、一度もない。
余裕なく必死に頑張ることが、何処か格好の悪いことだと思っていたのだ。
今、この時、インベントリから二本目の長剣を取り出さなかった自分を悔いなければならない。
今、この時、弾き落とされた長剣を決死の思いで拾いに行かない自分を恥じなければならない。
勘違いをしていた。
セカンド三冠は、なんでも余裕でできてしまうから、天才なのではない。
誰よりも勝ちたいと強く思い、全てを賭けることができるからこそ、天才なのだ。
「ほな……終わりや」
ラズベリーベルは最後に一言だけ口にして、大剣による《龍王剣術》を振り下ろす。
いくらステータス差があろうと、これを直撃してしまっては、ひとたまりもない。
負けた。
真剣勝負で、大勢の人前で、初めて負けた。
自分の全てが否定されるような、とても耐えがたい感情。
悔しい。恥ずかしい。そして、死ぬほど痛い。
数時間経って、泣くだろう。数日経って、震えるだろう。
なのに、どうしてか……彼の気持ちは、なんとも清々しいものだった。
「ありがとう御座いました」
――彼女は、会わせてくれた。間接的に、僕の憧れの人に、会わせてくれたのだ。
こうして、彼の初めての一閃座戦は、感謝の言葉と共に、その幕を下ろした。
お読みいただき、ありがとうございます。