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164 苦より努力



「ユカリ。一つ頼みごとがある」


 メティオダンジョンからの帰還中、あんこの転移待ちでユカリと俺だけが残った際、俺は「大仕事だ」と前置きしてユカリに話しかけた。


 ユカリは意外そうな顔で一拍置いて、口を開く。


「ご主人様がそこまで真剣なお顔をなさるということは、余程の大仕事なのでしょうね」


 流石、付き合いが長いだけある。ご明察だ。



「こいつを見てほしい」

「これは……」


 俺はインベントリから一振りの刀を取り出した。


七世零環ななよれいかん』――0k4NNオカンさんの分身。


 経年劣化によって耐久値が限界まで削れたそれは、朽ち果てる寸前にして尚、不気味な赤黒い輝きを帯びている。



「修理を頼みたい。手段を尽くしてくれ。費用に糸目はつけない」

「……なんとも不思議な材質です。見たことは勿論、聞いたこともありません。正直申し上げまして、修理の方法が皆目見当も付きませんね」

「素材は恐らく“玉鋼たまはがね”と“緋緋色金ヒヒイロカネ”だ。素材さえあれば時間はかかるが鍛冶スキルで修理できる」

「玉鋼は、刀八ノ国トウハチノクニで入手できるとして……その謎の素材は」

「緋緋色金は刀八島の東側の崖に入り口のある洞窟の最奥で手に入る。市場で手に入らなければ、俺が採掘してくるから問題ない」

「……今更ですが、どうしてご主人様はそのような常識をひっくり返しかねない情報を然も当然のようにご存じなのでしょうね」

「多分、他の誰かが知っていたとしても、難易度が高くて攻略できないぞ」


 確か、あそこの中にいる魔物は全て甲等級レベルだ。あの島の連中じゃあ、手に負えないだろう……0k4NNさんのようなプレイヤー・・・・・でもない限りは。


「そういう問題ではありませんが……まあ、かしこまりました。優先順位は如何いたしますか?」

「一位だ。制限時間は、夏季毘沙門びしゃもん戦まで」


 打ち合わせの最後に、俺が指を一本立てて言うと、ユカリは不敵な表情で頷いた。


「では、それまでに修理してご覧に入れましょう。世界一位の鍛冶師の名にかけて」






 翌朝。

 予定通り、今日からシルビアとエコの特訓が始まる。


 夏季タイトル戦開幕まで残り約五ヶ月。基礎をある程度まで固めた彼女たちに、基本を叩き込み、一から定跡じょうせきを教え込むには……ちと足りない気もするし、なんとかなる気もする、微妙な時間である。


「良い天気だな!」

「だなっ!」


 二人は気合十分といった風だ。シルビアは【体術】を、エコは【斧術】を習得し、スキルランクも今まで溜め込んでいた経験値で全て高段にまで上げ、ステータスの底上げもバッチリ。後は対人戦の訓練をして、いよいよ次こそは鬼穿将きせんしょう金剛こんごうを獲ってやろうという腹積もりなのだろう。まさに前途洋々である。



 だが、タイトル戦はそんなに甘くない。


 今のままでは、確実に負ける。断言できる。あのゴミのようなクソジジイにさえ、負ける。


 経験差という巨大な壁は、やはり依然としてそそり立っているのだ。



「シルビア。上空に放り投げた石ころを歩兵弓術で狙うとして、百発中何発ミスする?」

「むっ。私とて基礎訓練は毎日欠かさず行っている。一発も外さない自信があるぞ」

「それは当然・・のことだ、そうじゃない。数字の問題だ」

「数字?」

「歩兵弓術の命中率は九段で99%、そこにDEXによる命中率補正が加わって、今のシルビアなら99.67%くらいの命中率か」

「……うむ。そうか、そうだな。私の狙いに関係なく、百発中一発くらいは、外すかもしれないな」

「そうだ。そして、ここぞという一発で、0.33%を引く可能性がある。それを必ず念頭に置け」

「承知した」


 技術上のミスをなくすことは当然。基礎とは当然のこと。PvPとは、基礎だけでなんとかなるような勝負ではない。


 数字との付き合い方は、常に考えていなければならない。主に、悪い方へと転んだ場合について。その対策こそが基本・・。あらゆる確定要素を満たし、あらゆる不確定要素を懸念し、事前に己の隙という隙を埋め尽くす。揺るぎない基礎の上に成り立つ基本の考え方である。


「エコは、相手を決して侮るな。熱くなって手筋を忘れるな。ハメる前にハマったら、あっという間に終わりだ」

「うん」

「ロックンチェアはきっと装備を整えてくる。以前より何倍も手強いと考えていい。その対策を立てられるだけ立てるぞ」

「たいさく? それってさくせん!?」

「そうそう、対策を立てる作戦だ」

「おーっ!」


 エコは「たいさくたてる!」と意気込んでいる。対策を作戦の親戚か何かだと思ってんのか、非常に上機嫌だ。



 さて、二人に注意事項を伝え終えたら、いよいよ。


「じゃあ、さっそく定跡を覚えようか」


 本題。


 これから数ヶ月かけて、二人は“定跡”をその身へ嫌と言うほど刻み込むことになる。


「定跡を覚える」こう聞けば単純だが……その実、まさに地獄。


 定跡が身に付くまでは、この世の何もかもを呪いたくなるくらい、本当に、全く、何もかもが上手く行かなくなる。「定跡なんて覚えない方がマシだ」と本気で考えて、全てを途中で放り投げたくなるに違いない。それでも一歩ずつ前に進まなければならないいばらの道だ。


 その事実をまだ知らない二人は、やる気満々の顔で俺の話を聞いていた。


「まずシルビア。定跡を覚える前に、問題だ」

「うむ」

「こっちの初手、歩兵弓術に、相手が何かで対応した。それに対して、こっちが何かで返した時のパターンは、何通りになる?」

「む? ええと……歩兵から龍王で、九種類で、それに対して、九種類で返すから……九×九で、八十一通りだ」

「正解。じゃあそれに相手が何かで対応したら、何通りだ」

「八十一×九で、七百二十九通りだぞ?」


 単純な掛け算。シルビアは何故そのような簡単な問題を出されたのか、疑問に思っているようだ。



「若干の誇張はあるが、定跡とはこれらの選択肢を乗り越えたものだ」


「…………まさか」



 俺の一言で、シルビアが何かに気付く。



「応酬が十一手続いたとして、考え得る最大のパターンは……約三十四億八千万通り」


「さッ――!?」



 実際はこんな数字にはならない。


 《歩兵弓術》に《龍王弓術》で対応するなど、そもそも準備が間に合わないので有り得ない話。


 有り得る・・・・選択肢としては、多くとも三通りだ。相手の場合も、精々が三通り。


 しかし、それでも……十一手先となると、三の十乗で、約五万九千通りとなる。


 そして、二十一手先ともなれば……まさしく、三十四億通りの数字となる。



「それを、全て、覚える、の、か……?」


 シルビアが戦慄しながら言った。こいつ、ちょっと勘違いしているな。



「逆だ。とても覚えられない。だからこそ定跡を用いる」

「逆、だと?」

「ああそうだ。対戦における定跡とは、いちいち考えていられない何十億何百億通りの選択肢を、考えないで済む・・・・・・・方法と思っていい」

「ま、待て。よくわからない」

「わかるはずだ。思い出せ。お前は対戦中に何を考えている?」

「何を考えて……? ううむ、相手の対応を予想したり、それに対してどう返せば相手が困るか、とかだろうか」

「まあ、殆どのやつがそうだろう。事実、そういった思考が必要な時もある。特に終盤は」

「それと定跡と、一体なんの関係があるのだ?」


「いちいち考えないで済むのなら、その分、素早く動けるだろう? 定跡ってのは、対戦が始まるより前に、そういった膨大な思考を全て済ませておいてしまおうという作戦だ」


「!」

「さくせん!」



 そう、定跡とは立派な作戦。


 戦闘中に思考することも、確かに必要なことではある。しかし、先を予想しようとすればするほど、先ほど言ったようにそのパターンは樹形図的に大量に広がるため、どうしても思考時間を要してしまう。


 じゃあもう対戦の最中じゃなくて、対戦が始まる前にある程度のパターンを知っておけばよくね? というのが定跡。


 あらゆる場合の最善を、あらかじめ研究し、身に付けておく。これに勝る「速さ」はない、と言っても過言ではない。


「ちょ、ちょっと待てセカンド殿! 今の話、得心は行ったが、結局のところ、その何億という選択肢を全て覚えなければならないということではないか!?」

「いいや、違う。定跡とは最善の連なり・・・・・・だ。相手に最善を要求する連続。相手が道を踏み外した時、その分岐はそこで終わる。だから、何億という数字にはならない。大体、そうだな、数千から数万通りだろう」

「む、そうか、数千から数万か、それなら……って多いな!? やっぱり多いぞ!」


 最初のうちは、そう思うかもなあ。


「大丈夫だ。本筋は十通りくらいと考えていい。その枝葉が多いだけで」

「それでも、覚えなければならないのだろう? 私に覚えられるだろうか……」

「意外と覚えられるんだ、これが。一つ一つの意味をしっかりと理解していればな」


 二人はステータスこそ上級者となったが、対人戦はまだまだ初心者。ゆえに最初は数十通りの王道パターンからゆっくり覚えていけばいい。



 ……まあ、それだけなら、単なる記憶力の問題。この二人であれば、何も心配はいらないだろう。


「むう……数億通り覚えるのと比べたら、幾分か現実的か」

「ぱたーん! あたしおぼえるのとくい!」


 ただ、一つ勘違いしてほしくないのは――



「馬鹿、安心するな。覚えて終わりじゃないぞ」


「何?」

「ほ?」



 ――記憶しているかどうかと、実際に使えるかどうかは、また別の問題。



「定跡とは思考時間をカットするための手段の一つでしかない。最も重要な部分は、呼吸するように、定跡を自分のモノ・・にできているかどうかだ。いざ実戦となって、えーっと確か定跡がこうだからここはこうで……なんて考えていたら意味ないぞ。こう来たらこう! と、即座に、無意識に、反射的に動けなければお話にならない」



 言わば、己の戦闘スタイルを丸ごと構築し直す。それが、定跡を覚えるということ。


 一旦、これまで培ってきた何もかもを忘れ、ちっとも上手くできない高等技術を一から身に付けなければならない。


 それは、一度己を殺すと言い換えてもいい所業。



 だからこそ、苦労する。苦しみもがくことになる。文字通り、死ぬほど。


 それでも、我慢して、我慢して、我慢して……最後の最後まで努力し続けられた者こそ、偉大なる定跡の恩恵を受けられるのである。



「それは、つまり……?」


「言っただろう。地獄の特訓、と」



 さあ、始まるぞ。


 楽しみだなあ? 夏季タイトル戦が。



お読みいただき、ありがとうございます。


次回、165話「集結!!」をお楽しみに。

夏季タイトル戦開幕は、166話からです。


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エコの「ほ?」の口の形は◇
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