161 漫才?
「わたくし、ファーナ子爵家の一人娘でしたの」
帰り際、シャンパーニに「しばらく歩きませんか」と誘われて、敷地内の散歩道を二人並んで歩いていると、そんな風に切り出された。
彼女は歩みを止め、頭を下げながら「黙っていて申し訳ございませんわ」と謝る。
「いや、多分、ユカリは知っていた」
「ええ……そう、ですわね」
奴隷を購入する前に、その素性は全て調べ上げているはずだ。つまり。
「ユカリが俺に話さなかったということは、俺が知る必要のなかったことなんだろう。俺の方こそ、覗き見るような真似をしてすまなかった」
「!!」
シャンパーニを正面から見つめて謝ると、彼女は目を見開いて沈黙した。
彼女が今何を考えているのか、なんとなくわかる。素性を隠していたことで結果的に俺に謝らせてしまったことが、全てが自分のせいではないとしても、気に入らないのだろう。
そう、それは、お嬢様としての矜持。であれば、彼女が次にとる行動は。
「……全て、お話しいたしますわ」
筋を通す。
できることならこのまま隠し通したかっただろう悲惨な過去を、自ら明かそうとする。
やはり彼女は、骨の髄までお嬢様。彼女が信じる彼女の中のお嬢様に決して背かないよう、狂気とも似た信念を持って生きている。
「聴こう」
彼女のその馬鹿げた夢を、あらゆる形で応援したいと俺が思うのは、当然のことだとは思わないだろうか?
「わたくしは、ヴィンストン学園に通っておりましたの」
「王都の名門校か」
「ええ。貴族のご令嬢ばかりが集まる、名門中の名門ですわ。わたくしも例に漏れず、子爵家の令嬢としてそこへ入学いたしました」
そこでティーボ・オームーンたちと出会った、と。
「当時、ファーナ子爵家の領地経営は右肩下がりでしたわ。地方ゆえの過疎化に、塩害と移民問題が重なり、もうどうすることもできませんでしたの。ですからわたくしは、いずれわたくしが子爵領を再び盛り上げなければと、誰よりも勉学に身を入れましたのよ」
「……もたなかった、か」
「はい。わたくしの入学から一年足らずで、ファーナ子爵領は破綻しましたわ」
だから、ティーボたちに「没落貴族」と蔑まれていたのか。
「不幸中の幸い、とでも申しましょうか。ヴィンストン学園の学費は、三年分全額前納しておりましたの。ですから、わたくしが学園で残りの二年を過ごすことは、何一つ問題のない、当然に認められるべき権利でしたわ」
……そうか、そうだな。シャンパーニはその二年間を決して無駄にせず勉強し、再び貴族として生きる道を必死に切り拓いていたんだろう。
事実、彼女は頭が良い。それは話していて具に感じ取れる。無事に二年間を過ごすことができていたなら、ひょっとしてと、考えてしまうほどには。
「ですが、学園が認めても、学園生は認めてはくださいませんでした。貴族ですらないわたくしを、良く思わない方々がいらっしゃいましたの。わたくしの存在が、名門の品位を落としている、と」
「品位を落としているのはそいつらの方だと思うがなあ」
「いいえ。貴族の世界は、肩書きが全てですわ。各人の内面など、一々見ている暇はございません」
「それは……愚かしい、と言うべきか」
「そういう世界、ですわね……」
もちろん、貴族の全員がそういった輩というわけではないだろう。スチーム・ビターバレー辺境伯のような異端者や、バレル・ランバージャック伯爵のような切れ者も中にはいる。
だが、シャンパーニは知っているのだ。貴族の世界とはそういうものであり、良からぬこととは思いながらも、どうにも変えることのできない部分であると。
「……いじめが、始まりましたわ。彼女たちにとって、わたくしはニセモノ。逆らうような力など何一つない、まさにいじめてくださいと首に看板をぶら下げているような、御誂え向きの存在だったのでしょう」
「ティーボ・オームーンだな」
「彼女は特にわたくしを目の敵にしておりましたわね。元より、貴族に非ずは人に非ずと声に出して仰るような方でしたの。偏に、彼女の性格でしょう」
「ひん曲がってるな」
「どうしてひん曲がったのか、そこに目を向けなければなりませんわ」
「仰る通りで、お嬢様」
「あ、あら。ありがとう御座いますわ、ご主人様っ」
何故ここでという場面で赤くなるシャンパーニ。どうやら彼女は「お嬢様」だと思われることに強い悦びを覚えるようだ。よくよく考えれば当たり前か。俺だって「世界一位」だと思われたら嬉しいからな。
シャンパーニは「おほん!」と咳ばらいを一つ、話を続けた。
「まあ、そこからはまさに怒涛でしたわね。伯爵家のご令嬢に敵対されてしまっては、庶民と相違ないわたくしに成す術などございませんでした。あっと言う間に奴隷落ちですわ」
「何があって、奴隷にされたんだ?」
「お父様がチリマ・オームーン伯への借金を返すため、モーリス奴隷商会へとわたくしを売ったのです」
親に売られたのか……。
「……お父様は、何も悪くありませんわ。領地経営が上手く行かなくなったのも、難しい問題が幾つも重なってしまったから。わたくしを売らざるを得なかったのも、オームーン伯からの圧力があったから。全て、どうしようもなかったのです」
俺がファーナ子爵の行動に疑問を感じていると、シャンパーニが擁護するように言った。しかしそれは、あまり擁護になっていない。
言ってしまえば、シャンパーニの親父に本当に子爵としての器があれば、つまり無能でなければ、シャンパーニは今もお嬢様でいられたんだろう。
これを言ったら彼女はお嬢様として怒らざるを得ないだろうから、口にはしないが。
「両親に会いたい気持ちはあるか?」
だから、代わりにこう尋ねてみた。
意地悪な質問だったと思う。きっと彼女の両親に、彼女に合わせる顔はない。それでも会いたいかと聞けば、メイドである彼女は、お嬢様である彼女は、どう答えるか。相反する二つの気持ちを、彼女の中でどう結ぶのか。俺には興味があったのだ。
そしてシャンパーニは、しばしの逡巡の後、口を開く。
「わたくしがご主人様に購入していただいたその日、メイド長はわたくしたちにこう仰いましたわ。貴女たちは恵まれている、と。ええ、本当にその通り。ここは奇跡のような場所。メイドでありながら、お嬢様でいられる、とっても不思議な、わたくしの楽園。ですから……」
さらりと髪を後ろに流して、気持ちの良い笑顔で彼女は言った。
「一度だけ、本当に一度だけ、今の幸せで幸せで最高なわたくしの顔を、見せに行ってやりたいですわっ」
……欲張りめ。メイドとお嬢様、どちらもものにしようとしてやがる。
シャンパーニ・ファーナ。一体何処まで、こいつは最高なのか。
でもな、その答えは、100点だ。あと20点足りないぞ。
「夏だ」
「夏、ですの?」
「四鎗聖戦で、全王国民にその顔見せてやれ」
「おはようございマー……って、何故パニっちが」
「あ~ら、御機嫌ようコスモス。何度も言いますけれど、その呼び方やめてくださらない?」
「誠意を見せてくれるなら考えないでもないですよ」
「誠意ですの?」
「そうです。誠意という名の、下の方に身につけている薄い布を」
「ブレませんわね貴女は……」
早朝。俺が時間ぴったりに集合場所へ行くと、シャンパーニとコスモスが何やら楽しげに話していた。
「おう、おはよう。何話してたんだ?」
「おはようございますご主人様。只今パニっ、シャンパーニさんと、昨今の布の相場について情報を交換しておりました」
「おはようございますわ、ご主人様。気持ちの良い朝ですわね」
へぇ、布の相場。メイドはそんなことにまで気を配るのか、大変だな。
「貴女、相変わらずご主人様の前では猫被ってるんですの?」
「逆にズル剥けにできると思います?」
「絶対におやめなさい」
こしょこしょと内緒話をする二人。仲が良いな。
「さて、今日は杖術の習得だが、その前に槍術で覚え残した飛車と龍王だけ先に片付けよう」
「かしこまりましたわ。けれど……そんなにすぐ覚えられるものなんですの?」
「ああ、飛車さえ片付けばすぐだ。龍王槍術は覚え方さえ知っていれば一瞬で覚えられる」
「す、凄いですわね」
「流石ご主人様です」
二人が褒めてくれる。いや、そんなことについて褒められてもなぁ。
「ちなみに私もイカせ方さえ知っていれば一瞬でイカせられますが」
「……何を張り合っているんですの貴女」
「いやあ、私まだ、張形はちょっと」
「張形?」
「ああ、男性の象徴を模した作り物のことです。主に女性が個人的行為に用いますが、人によっては男性も後ろの」
「お黙りっ!」
「あぉん!」
また何か内緒話のようだ。シャンパーニがツッコミを入れているあたり、馬鹿話だろう。この二人、本当に仲が良さそうだ。ただそこまで内緒にされると、俺もちょっと気になるなあ。
「行くぞー」
気を取り直して。目的地は、今日も今日とて『スライムの森』だ。
実を言えば、【杖術】の習得もスライムの森でこと足りてしまう。だが、この【杖術】の習得方法、他のスキルの習得方法とは一味違っている。主に面倒くさい方向に。
さあ、今日は長くなりそうだぞ……。
「やりましたわーっ! 覚えられましたわーっ! 嬉しいですわーっ!」
スライムの森到着から二時間と少し。ついにシャンパーニが【槍術】スキルを全て習得した。
彼女はぴょこぴょこと跳ねながら喜びを全身で表現する。しかし弾け過ぎないところは、やはり根がお嬢様だからだろうか。
「口を衝いて出る喜びの言葉。同時に彼女の股座からは意識せずとも染み出る悦びの液体があった。身に覚えのない快感が彼女を襲う。そう、彼女はこの時初めて絶頂を体験した。二人の冷たい視線に射貫かれながら彼女は、生まれて初めての快感を押し殺しつつも噛み締め、ついにはあられもない表情を浮かべてしまう。嗚呼、どうしてこんなにも恥ずかしくそして気持ちが良いのか。愧死寸前の彼女は我を失う刹那、二人の蔑むような目を前にして、快感の終わりを告げるよう恍惚の顔でぶるりと身体を震わせた。こうして彼女は無意識のうちに露出の悦びを知り――」
「うるさいですわっ!」
「ぁふん!」
シャンパーニの横で何やらぶつぶつと呟いていたコスモスが、チョップを喰らわされる。
なるほど、段々わかってきたぞ。シャンパーニがツッコミで、コスモスがボケなんだな。コンビ名は「しゃんこスター」なんていいんじゃなかろうか。え? センスない? あ、そう。
しかし二人が漫才をやっていたとは知らなかった。こうして日常的にも小さな練習を欠かさないくらいだ、わりと本気で目指しているのかもしれない。もしくはファーステストの観桜会あたりの出し物としてこつこつ準備しているのだろう。
いやあ、でもそうなると可哀想だな。何故かってラズベリーベルのやつが何かとうるさいからだ。あいつ漫才には一家言あるのか、タイトル戦のネット中継番組『メヴィオンTV』の司会者と解説者の軽いやりとりにさえ「さぶっ」とか「今のはツッコまんとあかんわ」とか色々言っていたのを思い出す。メイドの漫才に元聖女が駄目出しするなんて、そりゃ本気でヘコむやつだ。
「よかったな」
でも俺は応援しよう。純粋に二人の漫才を見たいという気持ちの方が大きい。
「ありがとうございますわ、ご主人様っ! わたくし、経験値稼ぎを頑張りますわ!」
「ああ頑張れ。夏に間に合うといいな」
シャンパーニはウェーブがかった長い金髪をふわりとさせながら、華麗なお辞儀をした。
彼女は元々、【槍術】だけでなく【剣術】もそこそこ上げていたため、他の使用人たちと比べて多少は魔物を狩りやすいはず。その分、同レベル帯の魔物から得られる経験値は少しだけ減るが、彼女くらいのランクならそこまで気にする必要はないだろう。ゆえに、キュベロたちのように「出られるかもな」ではなく、彼女の場合は「間に合うといいな」だ。
「じゃあ、再開しようか」
その後、いつまでもニコニコしていたシャンパーニを見送り、いよいよ【杖術】スキル習得本番が開始となった。
シャンパーニが《飛車槍術》と《龍王槍術》を覚えるまでの現在、俺とコスモスは王立大図書館で《歩兵杖術》と《香車杖術》を、スライムの森で《桂馬杖術》と《銀将杖術》と《金将杖術》を習得できている。
そう、大概のスキルは、金将までは簡単だ。問題は、角行以降の四つ。
「次は角行ですね。私の予想をお話ししても?」
「ああ、いいぞ。ここまで来れば、大体予想はつくだろうからな」
「ええ」
【杖術】は他のスキルと比べて、非常に独特だ。「突・打・払」の基本的な三種の動きを、一つの小スキルごとに行えるのが【杖術】。すなわち、歩兵~龍王までの九種×三種で、計二十七種の技があるとも言える。
そしてその習得方法もまた、独特なのだ。加えて、次の習得方法を予想できるような法則性がある。
桂馬は、歩兵と香車で突・打・払を同じ魔物にそれぞれ二回ずつ当てて倒せば覚えられる。つまり2*3*2回の攻撃だ。
銀将は、歩兵と香車と桂馬で突・打・払を同じ魔物にそれぞれ三回ずつ。つまり3*3*3。
金将は、歩兵と香車と桂馬と銀将で突・打・払を同じ魔物にそれぞれ四回ずつ。つまり4*3*4。
すなわち、習得方法を表す式はこうなる。n=当該スキルを歩兵から数えた数、として、(n-1)*3*(n-1)と。
ゆえに角行は、歩兵から数えて六番目なので、n=6で、5*3*5となる。
つまり、計75回の攻撃を同じ魔物に当て続けなければならない、ということだ。
このように、【杖術】の習得条件はその法則性さえ見つけてしまえば、見抜くのは簡単だ。
そして、そこらへんの普通の魔物、あるいはHPの高いボス魔物なんかを相手にしてこの条件を満たそうとしてしまうと、習得が非常に難しいものになるのだが……この『スライムの森』に潜む「とあるスライム」にさえ出会うことができたら、習得はとても簡単なものとなる。
そう、出会うことさえできれば。だからこそ厄介なのだ。
「…………」
まあ、それはいいとして。
俺は密かに期待していた。コスモスの予想を。
実質中卒の俺でさえわかる(n-1)*3*(n-1)なんていう法則だ、コスモスももうとっくに見当がついているに違いない。
では何故、ここで彼女は改めて「予想を」などと言いだしたのか?
そう、ボケるためである。
フリは十分。さあ、ここでどうボケてくるのか。こっちも「なんでやねん!」の準備は既にできている。よし、来い……!
「歩兵・香車・桂馬・銀将・金将で、突き・打ち・払いを五回ずつ、同じ魔物に、ですね?」
……あれ?
「あっ、ああ、正解だ」
しまった、これもボケだったか! すぐには気付けなかった。ちくしょう裏を行く高度なボケだ。今のは「真面目か!」とツッコむべきところ! くそっ、変な間があいた。もう今更ツッコんでも遅い。悔いが残るな……。
「あの、私、何か変なことを言ってしまいましたか?」
とかなんとか考えていると、コスモスが不安そうな表情で口にした。
ん? ……まさか、ボケでもなんでもなかったのだろうか?
「申し訳ございません、ご主人様。改めて考えれば、わざわざ口にするようなことではありませんでした。軽率な私をどうかお許しください」
どうやらそのようだ。本当に真面目に言っていたらしい。
となると……なんだか、途端に寂しさのような気持ちを感じる。
コスモスは、シャンパーニにはボケ倒して、俺にはわかりやすいボケの一つもくれない。つまり、俺はツッコミ役として不十分だと、暗にそう言っているような。
確かにそうかもしれない。俺は漫才には特に明るくないから、大して上手いツッコミはできないだろう。
だが、それでも、練習相手くらいにはなれる。
伝えなければならない。もっと俺を頼ってくれていいのだと。俺は、君たちの主なのだから。
「言ってくれていいぞ」
「はい?」
「遠慮するな。もっと言っていいんだ。言いたいのだろう?」
「ええと……?」
「シャンパーニ相手のように、俺にも言えばいい」
「……まさか、ご主人様」
ガンガンボケていいぞと、そう伝える。
するとコスモスは、何故だか顔を引きつらせて「まさか」と呟いた。
――あっ!? もしや、花見で漫才をすることは、秘密だったのか!?
だとすると……ああ、なんということだ。俺はたった今、彼女たちのサプライズを潰してしまったということになる。
……いや、でも待て。それを言えば、俺の目の前でこそこそと練習する彼女たちにも、若干の責任があるのではなかろうか?
そうだ。いや、もう、そうじゃん! 俺だけのせいじゃねえ!
よし、ここは開き直ろう。
「悪いな、聞こえてたんだ」
ちっとも悪いと思っていない風に俺が言うと、コスモスは……
「 」
どうしてか、全身を硬直させて、あわあわと口を動かしながら、見る見るうちに涙目になり、ボッ――と、耳も顔も首までも、かわいそうなくらい真っ赤っかになった。
お読みいただき、ありがとうございます。