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160 道

サービスで長め。



「初日終了時点で、全員が歩兵体術から龍王体術までを習得できた。ブラボー、素晴らしい!」


 夜、旅館の宴会場にて。俺は皆を前に、手を叩いて褒め称えた。


 予定では、今日覚えきれなかった者は予備日として日程を空けていた明日中に覚えさせるつもりだったのだが、その必要はなかったようだ。結果、日帰りでも十分にこと足りる合宿となった。


「よって、明日は休暇とする!」


 俺が宣言すると、皆はそこそこ喜んだ。何故そこそこなのか、なんとなくわかる。皆“仕事人間”なのだろう。この感じだと多分、明日は皆でダンジョンでも行くんじゃないかな。


 ちなみに俺は予定を一日繰り上げて、【槍術】の習得に向かう。確か、希望者を募ったところ一人だけいたとユカリが言っていた。なので明日は、そいつと丸一日魔物狩りだ。



「じゃあ食べよう」


 手短に必要事項を伝え終えたら、お楽しみのバンゴハンタイム。ここの旅館の牡蠣飯がまた美味いんだこれが。雰囲気も相まって味もひとしお増すというもの。ファーステストの料理人のレベルも段々と上がってきたとはいえ、流石にプロには敵わないからな。


 さあ、お手手を合わせて、いただきま――



「がーっはっはっは!」



 ……というところで、隣の部屋から大きな笑い声が聞こえてきた。


 ここは宴会場を襖で仕切っているせいか、これといった防音ができていない。結果、さっきからちょくちょく隣の団体客の大声が聞こえてくる。前回と違って貸し切りではないためだ。


 うるさいなあ、とは思っていたが、まあよくあることかと我慢していた。しかし、この馬鹿笑いは流石にイラつくなあ……。


「私が注意して参りましょうか?」

「いや、いい。宴会の場は無礼講と言うしな」


 キュベロが気を利かせて申し出てくれるが、一旦は断る。


 もう一回我慢しよう、と。俺はそう心に決めて、「いただきます」と一言、牡蠣飯の頂上に鎮座ましましているプリップリの牡蠣を箸で摘み、そーっと口に運んで――



「わーっはっはっはっはっは!」



 ――ぽろり、と落っことした。



「…………」


 ぎりり、と。俺の奥歯が無意識のうちに音を鳴らす。



「わ、私が行ってくるから! セカンド殿はここで大人しくしていろ! 大人しくしていろ!!」


 シルビアが同じことを二回も言いながら立ち上がる。


 そうか、そうだな。俺が乗り込んだら、大パニック間違いなしだ。危ない危ない、少し冷静さを欠いていたな……。



「ほーれ! くれてやる! もう一枚だ! 脱げ脱げ!」



 直後。中年の酔っ払い声と同時に、仕切りの襖に「ドン!」と何かが投げつけられ当たったような音が響く。



「俺もくれてやる! 一万CLだ!」

「いいぞ、脱げ脱げーッ! 金ならあるぞー!」



 次いで、ガッシャーンだのチャリーンだのジャララララーだの、もはや騒音と呼ぶよりない喧しい音が、大声と振動とともに宴会場へと響き渡った。




「………………」



 ブチン、と。俺の頭の中の何かが切れる音がした。



「セカンド殿ぉ! 後生だから! 後生だからぁっ!」

「せ、セカンド様! 何卒! 何卒お静めを!」


「ええい離せッ! 黙っていられるかぁッ!!」


 シルビアとキュベロが俺の足に抱き着いて必死に止めようとするが、俺はもう止まんねぇからよ……二人を引きずったまま隣に突撃バンゴハンだ。



「何をしているのです! 皆も止めなさい!」


「あぁん! セカンド様ぁん! 逞しい、せ・な・か」

「うお、あああっ! あたしっ、ご、ご主人様の、手にッ、触れッ……!!」

「失礼! 左手、取らせていただくっ!」


 キュベロの一声で、リリィとエルとアカネコまで加勢してきた。

 馬鹿め! 本気で俺を止めたきゃあ、スキルを使うべきだったな……!


「な、何ぃ!?」


 五人を全身にくっつけたまま動き出した俺を見て、シルビアが驚きの声をあげた。


「凄い絵面だね……」


 一人傍観していたレンコが呆れ顔で呟く。

 確かに。特に体の大きいリリィを背負っている点がインパクトでかいだろう。




「――オルァ!!」


 俺は仕切りの前までズンズンと突き進むと、襖を頭突きで吹き飛ばした。



「 」



 急激に静かになった酔っ払いのオジサンたちが、茫然とした顔でこっちを向く。


 その傍には、半裸のねーちゃんたちもいた。そこらじゅうに金が散乱している。どうやらコンパニオンを呼んで金にものを言わせてストリップでもやっていたらしい。


 そして端っこには、困り果てた表情の仲居さん。できる限りの注意はしていたみたいだな。やはりここは良い旅館だ。



「え……アッ!?」


 三秒経って、気付かれた。背広を着崩した上座のオジサンが「セカンド・ファーステストが何故ここに!?」という驚愕の表情を浮かべる。


「きゃっ!?」「うそっ!」「セカンド三冠!?」「どうして!?」


 ねーちゃんたちも、露出した胸を腕で隠しながら驚いていた。


 どうしてって、お前らがうるさいからだよッ。



「一番偉いやつはどいつだ」


 俺は努めて冷静にそう口にした。

 すると、上座のオジサンが恐る恐るという風に手を挙げる。


「名乗れ」

「こ、こちらはチリマ・オームーン伯爵に御座います」


 何故か隣の男が答えた。


「お前に聞いてねえ。お前だ」

「は、初めましてセカンド閣下。チリマと申します。閣下におかれましては、まさかこのような場所でお目にかかれるとは――」


 指を差して催促し、チリマが若干怯えながら挨拶をしようと言葉を続けたところで……



「そうか、わかった」



 俺はさらりと踵を返した。


 ウィンフィルドに習ったやり方である。こういう手合いは、名前だけ聞く。それが一番効く・・のだとか。実にあいつらしい手法だな。



「襖、壊して悪かったな」


 仲居さんに謝って、その場で修繕費と迷惑料を手渡し、自分の席に戻った。



 その後、隣のご一行はまるでお通夜のような雰囲気で次々とその場を後にしていく。


 こうして平和な晩メシの時間が戻ったとさ。めでてぇなオイ。




 ちなみに翌早朝、ファーステスト邸にオームーン伯爵家から物凄く丁重な謝罪文と菓子折りが届いた。どうやら効果は抜群だったみたいだ。







「ご主人様。本日はよろしくお願いいたしますわっ」


 朝九時。リビングで【槍術】習得のための日帰り魔物狩りツアーの参加者を待っていると、そこに現れたのはエレガントなウェーブを描くふわふわ金髪のお嬢様メイド、シャンパーニだった。

 よく見ると化粧はバッチリ、髪のセットも完璧、メイド服も煌びやかなアレンジが施されており、ほのかに花の香りがする。気合十分だな!


「おお、よろしく……あれ?」


 挨拶途中、ふと思い出す。


「お前、剣術じゃなかったか?」

「覚えていてくださったんですの!? 感激ですわーっ!」


 俺が指摘すると、シャンパーニは胸の前で手を合わせて嬉しそうな顔でぴょんと小さく跳ねた。


「わたくし、突きの動作が得意ですの。けれどレイピアですとリーチが足りずに困ることもしばしばで、この機会に思い切って槍術へ転向しようと考えましたのよ」

「そうか。それは良い判断だ」


 長所を伸ばそうと、自分で考え、自分で方針を決める。自分の育成をよく考えている証拠だ。向上心の塊だな。


 俺が褒めてやると、シャンパーニは「嬉しいですわーっ」とまた喜びながら跳ねる。可愛いなこいつ。




「さて、今日の目的地はスライムの森だ」

「スライムの森、ですの?」


 あんこに頼んで転移・召喚してもらった先は、王都郊外にある『スライムの森』。初心者御用達の狩場である。


 シャンパーニは「どうして今更そんな所に?」と単純に疑問に思っているようだ。


「この森、実は奥が深い。二つの意味でな」

「なるほど! 形式的にも、性質的にも、ということですわね?」

「ん? うん。そういうことだ」


 その言い回し、なんか頭良さそうだな。


 シャンパーニの言葉通り、この森は奥へ奥へと深く続いている。その先では初心者ではとても太刀打ちできないような魔物が出現することもあるため、決して侮れない場所だ。


 つまり、浅い所では初心者向けの顔を、奥の方では中~上級者向けの顔を見せてくれる、深みのある森なのである。


 出現する魔物の強さがおおよそ一定のダンジョンよりも、目的に合わせて弱い魔物から強い魔物まで様々なリクエストに応えられるのがこのスライムの森の利点。今回の【槍術】スキル集中習得に最も適した場所と言える。



「じゃあ早速、桂馬槍術から始めよう」


 歩兵と香車は、既に王立大図書館のスキル本で覚えた。


 今日一日で、桂馬~龍王まで全て覚える。大丈夫、【槍術】スキルの習得はそう難しくないさ(個人の感想)


「合点承知、ですわっ!」


 シャンパーニの気合たっぷりの返事で、俺たちのスライム狩りの一日が幕を開けた。





「よし、いよいよ飛車槍術だな。これは二手に分かれる必要がある」


 数時間も集中してサクサク習得条件をこなせば、お次はもう飛車の習得だ。


「二手にですの?」

「ああ。とにかく数をこなさないとならん。金将槍術の反撃を使って、浅瀬でスライムを二百匹狩りまくれ」

「金将の反撃ですわね。わかりましたわ」


 《飛車槍術》の習得条件は「《金将槍術》の反撃効果を用いて二百体連続で魔物を倒す」こと。二百体連続というのがミソだ。間に一回でも別の攻撃や被攻撃が挟まれれば、それまでの回数はリセットされる。


 ただ、反撃効果を持つスキル《金将槍術》の発動条件は「発動時間中に攻撃を受ける」ことなので、それほど難しくない。《金将槍術》16級でも準備時間2.6秒の発動時間3.2秒。スライムの攻撃の予備動作に合わせて準備を開始すれば、余裕も余裕、余裕のミドガルズオルムである。


「競争するか」

「望むところですわっ!」


 なので、退屈な習得作業に、ちょっぴりのスパイスを。


「レッツゴー!」

「ですわー!」






 それから数分後、俺はあることに気付く。


 スライムの森の中に、やたらと人が多いのだ。


「……もしや」


 ふと思い当たり、森の中へとやってきた人たちの正体を確かめようと、その背後からこっそり接近する。



「あー、やっぱりな」


 予想は的中した。

 来訪者の正体は、『王立魔術学校』の生徒たち。


 彼らは年に何回か、このスライムの森で野営の訓練をするのだ。俺も留学生時代に一度だけ暇すぎて暇すぎてどうしようもなかったので参加したことがあるから、この行事のことを知っていた。それがたまたま俺たちの習得の日程と被ってしまったらしい。



 さて、どうしたもんか。


 初心者とも言える彼らは、野営訓練の過程で行われる索敵訓練の際にも、森の奥へと入ってくることはないだろう。


 俺たちの残すところは龍馬と龍王の習得。これらは森の奥で行う予定なので何も問題はないのだが、現在行っている飛車の習得は浅瀬・・で行うのが最も適している。となれば、王立魔術学校の生徒たちと出くわす可能性が極めて高い。



 ……大混乱は避けられない、か。訓練の邪魔をしてしまいそうだ。


 ならばプランを変えよう。《飛車槍術》がなくても習得できる《龍馬槍術》の習得を一先ず優先して、今日は早々に帰宅、《飛車槍術》と《龍王槍術》の習得を後日へ回すことにすればいい。


「シャンパーニは……あっちか」


 俺は彼女と合流すべく、人の気配を避けながら森の中を進んだ。







「あれぇ!? パニーじゃん!」

「え、嘘! ホントだ、パニーだ!」

「うわー、変わんないね。ってかメイド服? なんで?」


「あ、貴女たちはっ……」



 シャンパーニの姿を見つけ、声をかけようと近付いたところで――俺より先に声をかける三人組の女子生徒が現れた。


 俺は即座に木の陰へと身を隠し、彼女たちの様子を窺う。


 女子生徒たちはシャンパーニへと馴れ馴れしく話しかけ、すぐさまその周りを取り囲んだ。



「……久しぶりですわね。こんな所で、何をしているんですの?」


「ウケるー。それこっちのセリフなんですけど」

「うちら今、交換留学生やってんだよねー。ほら、うちら特待生だったじゃん? あの・・ヴィンストン学園で。ま、選ばれちゃったんだよね」

「その王立魔術学校の、野営訓練の、索敵? 的なカンジよ。で、周りに危険がないか確認中にぃ、パニーに出会っちゃった、みたいな」


 どうやら四人は、同級生的な関係のようである。


 しかし、それにしてはシャンパーニの表情が曇っている気が……。



「ぷっ……ふふっ! それにしてもメイド・・・って!」

「パニー、笑えるわぁ。サイコーだねマジで」

「あははっ! 落ちるところまで落ちちゃったかぁー」



 ……なるほど、理解した。そういうやつら・・・・・・・か。



「ね、今度ティーボのお父様に報告しようよ。『ファーナ家』のお嬢様・・・がメイドやってましたって! きっと大笑いするよ!」

「もー、やめてよ。うちもついこないだ伯爵家に陞爵したばっかなんだし、もうあんまり悪いことできないから」

「あんまりってことは、ちょっとはやってんじゃん!」


 ギャハハハ、と下品に笑う。しかし彼女たちの所作には、良いトコのお嬢さんなんだろうなぁと思わせる優雅な動きが含まれていた。その口調からはとても想像できないが、彼女たちもある面ではきちんとしたお嬢様なのだろう。


 特にあのティーボという女、伯爵家のご令嬢らしい。その名前、つい今朝方に聞いた覚えがあるぞ。ユカリが朝メシのBGM代わりに聞かせてくれたお役立ちオームーン伯爵家情報だ。


 ティーボ・オームーンは、そう、昨日の酔っ払いチリマ・オームーン伯爵の娘。ハハァ、道理でねぇ……。



「あー、スッとした。あのニセモノ・・・・パニーが今どんな風になってるのか、うち気になってたんだよねー」

「とっくに没落してるくせに、誰よりもお嬢様してたからねぇ? 猫被っちゃってさぁ。今思い出してもイラつくわー」

「良かったね、パニー? メイドなんかになれてさ! やったじゃん。憧れのお嬢様のお傍にいられるよ! なんちゃって」



 うわぁ……凄いな、こりゃあ。エコのいじめも酷いもんだったが、こっちも負けず劣らずだ。



「あれー? でも、おっかしいなぁ。確かうち、パニーを奴隷に落とすように・・・・・・・・・って、お父様に頼んだはずなんだけど」


「……っ!!」


「わー、怖ぁーい。睨まないでよ……気持ち悪い」

「貴族でもないくせに、いつまでもヴィンストン学園に居座ってたからそうなるんじゃん」

「品位を落とさないでよね。あの学園は、貴族の令嬢のための場所なの。貴女みたいなニセモノの来るような場所じゃないのよ」

「あ、わかった! パニーって、買われたんでしょ! だからメイドなんだぁ。奴隷のメイド!」

「えっ、えっ! じゃあもしかして、そっち・・・のご奉仕とかもしちゃってるカンジ!?」

「やぁー、キモーい! でもお似合いかも!」


 嘲るように笑う三人に対し、シャンパーニはぎゅっと拳を握りしめながら、声を張った。



「わたくしは……わたくしはっ、そんな風に、使っていただいてはおりませんわ! ご主人様は、そんな方では御座いませんっ!」



 一瞬の静寂――直後、三人は腹を抱えて笑った。


「ご主人様だってぇー!」

「使っていただくとか、もう完全に奴隷視点じゃぁん!」


「あーウケる……ねえパニー、貴女わかってる? 奴隷のメイドって、お嬢様から最も遠い存在よ? ちょっとは考えてごらん? パニーは、今後一生、お嬢様にはなれないんだよ? ね、絶望しない? ふふふふっ!」



 シャンパーニがお嬢様に憧れていることを知っていて、この女は、それを潰してやろうと権力を用いて行動していたのか。ハッキリしたな、こいつは黒だ。どす黒い女だ。



 そして、対するシャンパーニは、「お前がそうさせたんだ」とは、言わない。


 シャンパーニは、至って、優雅に……そう、まさにお嬢様然とした風に、ゆっくりと口を開いた。



「わたくしは、わたくしの夢を、片時たりとも忘れたことなどありませんの。ファーナ子爵家の娘として誇りを持ち、たとえ何があろうと、この心だけは売らないとそう誓ったのですわ。貴女方が何をなさろうと、わたくしは決して折れません。わたくしは、この生涯を終えるまで、わたくしであり続ける。これがわたくしの道ですわ」




 ――思わず、俺は目を奪われた。


 夢を見る彼女は、道を語る彼女は、とても美しかったのだ。


 こんなに美しい意志と信念をその身に宿した女性を、称賛せずしてなんとするのか。



 誰に何を言われようとも、如何様な邪魔をされようとも、決して挫けず、折れず、ブレず、ただ己の夢だけを真っ直ぐに見据えて歩き続ける。


 ……馬鹿だ。そんなもん、辛いに決まってる。心から絶え間なく血が噴き出すだろう。何度も何度も足を止めたくなるだろう。それでも歩みを止めないお前は馬鹿だ。馬鹿で、阿呆で、間抜けで、どうしようもないくらい……最高にカッコイイだろうが!!



「くっ……!」


 シャンパーニが言い切ると同時に、ティーボが平手でシャンパーニの頬を打った。


 恐らく魔術師にもなりきれていないだろう彼女の、弱っちい平手。それをシャンパーニは躱すこともなく、ましてや反撃することもなく、ただその頬に受け、無言で痛みに耐え、キッと相手を睨みつける。


 決して取り乱したりはしない。何故か。彼女の言葉を確りと聴いていれば、それくらいわかる。お嬢様だからだ。彼女の心は、その夢を胸に抱いた時からずっと、お嬢様だからだ。彼女の中のお嬢様は、暴言を吐かれて、平手を打たれて、それくらいで、取り乱したりはしないのだッ……!




「――シャンパーニ」



 初めて彼女の名を呼んだ。


 その名前には、呼ぶ価値がある。声に出して呼びたいと、心からそう思える途方もない価値が。



「ご、ご主人様!? 見ていらしたんですの!?」


 驚き振り返り、俺の顔を見つめる彼女の目の端には、小さな雫が煌いていた。


 必死に必死に我慢して、それでも少しだけ零れてしまった、小さな小さな心の血液だ。



「え? ごしゅ、じん、さ……ま……って……!?」



 ティーボと取り巻きの二人が、顔面を蒼白にして絶句する。


 当たり前だ。驚いてくれなきゃ困る。折角だから失禁くらいはしてほしかった。



「初めましてティーボ・オームーン。俺はセカンド・ファーステストだ」


 どちらが上で、どちらが下か。今ばかりは、ハッキリさせようじゃないか。



一閃座いっせんざ叡将えいしょう霊王れいおう、もしくは三冠か、全権大使か。覚悟があるなら呼び捨てでもいいだろう。好きなように呼んでくれて構わない」



 ……ひれ伏せ、小娘。世界一位の御出座おでましだ。さあ、身の危険を感じた小動物のように震えて怯えろ。


 そして、誰の所有物に手を出したのか、その心に確と刻み込むんだ。



「せ、セカンド、閣下に、おかれましては……まさか、このような場所で、お目に」

「お前も父親と同じく、聞き飽きたことを言う」

「っ!? お、お父様とも……!」

「そうだ、昨日会った。大変に失礼な輩だった。何か不都合があったか?」

「い、いえ! そんな! も、申し訳……っ」


 残念ながら、君の頼みの綱のダディーも、下の下の下だ。


 誰も君のことを守護なんかしてくれない。何処にも逃げ場なんかない。自力で戦うしかないんだ。この、俺と。


 君は悪意をもってその権力でシャンパーニを潰し続けてきたんだろう? だったら、俺に全く同じことをされても文句など言えるわけもないよな。



 彼女たちをどうしてくれよう。


 このまま一緒に王立魔術学校まで帰って、全校生徒の前で事実をありのまま述べてやろうか。それともヴィンストン学園とやらに行って、全てを白日のもとに晒してやろうか。そうだ、常に明確な敵意を向けながら、俺の家を案内してやるのもいいな。そのすぐ傍でオームーン伯爵家の行く末を声に出してあれこれ考えるのもいいだろう。


 ファーステストの敷地内にいる全員が三人を親の仇のように睨む中で何日も過ごすことになったなら、彼女たちは一体何を思うのか。


 もうやめてくれと懇願するか? 床に額を擦り付けて謝罪するか? だとしてもやめられない。シャンパーニはその心の中で何度そう願ったことか。それでも彼女は一度たりとも表に出さず、優雅な顔のまま“お嬢様”で在り続けたんだ。少なくともその高潔さを心の底から認められるまでは、彼女たち三人を解放するという選択肢は俺の中にはない。




「ご主人様。もう、いいですわ」


「…………何?」



 意外だった。


 まな板の上の鯉の調理方法を色々と模索していたら、シャンパーニが突然そんなことを言いだしたのだ。


 もう、いい、とは。彼女たちを、無罪放免にせよと、そういうことだろうか。


 だとしたら……



「わたくし、彼女たちを恨んでなどおりませんの。こうしてご主人様と出会えた奇跡は、彼女たちがわたくしを奴隷へと落としてくれたお陰なのですわ。だから、だから……」


「だから?」


「ご主人様の、その美しいお手を穢してしまうのが、辛いですわ」



 ……馬鹿だ。やはり、極め付きの馬鹿。超ド級の馬鹿だ。


 こいつ、辛くて辛くてしょうがなかったはずなのに、こんなことを言いやがる。



 ここぞと言う場面で、これ以上ないほどに、お嬢様なことを言いやがる……!



「……お前の思う優雅なお嬢様は、罪を憎んで人を憎まず、復讐など考えもせず、常に博愛主義で、優しさと気配りに溢れ、確りと規律を守り、強くて美人で可愛くて、化粧も髪も服も香水も、全て完璧なんだろうな」


「ええ……その通りですわ。わたくしの夢。わたくしの理想。わたくしは常にそう在るんですの。ご主人様のメイドであっても、そこは決して曲げられない、わたくしの芯なのですわ」




 ああ、狂ってる。


 シャンパーニは、人生の何処かで、取り返しのつかないほどに、狂ったんだ。



 そしてそれは、驚くべきことに……俺と全く同じ狂い方だった。


 メヴィウス・オンラインに人生を賭け、世界一位に誰よりも執着し続けた俺と。




「…………飛車槍術は一旦置いておく。龍馬槍術を先に習得するぞ」

「は……はいっ! かしこまりましたわ、ご主人様っ!」


 もはや見る価値もないという風に、ティーボたちに背を向け、背後からかかる声を無視して、俺とシャンパーニは森の奥へと進んでいった。


 俺たちには、他に優先すべきことが山ほどある。



 三人への制裁は、必要ないと彼女は言った。俺の手を穢したくはないと。

 ならば、その意を汲んで、この場は見逃そう。


 でも、家に帰ったら……考え得る最高の人選、あのメイド長にだけは、事実を事実として伝えておこうか。



お読みいただき、ありがとうございます。


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― 新着の感想 ―
何回読んでもやっぱり好きだ。 シャンパーニの狂った高潔さ。
[良い点] 主人公以外がメインの話では一、二を争うぐらい好きな話。やっぱ強い女性って魅力的だよな
[一言] 明確に身分がある世界だし割と普通だと思った。現代日本なら旅館側も色々できるけど、伯爵様に何も言えないだろうし。 逆にあそこで何もしなかったら自分はスッキリしないし、もっと悪いことする伏線みた…
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