閑話 ある愚直な男の一生
おまけ
私は日本が好きだ。
一体いつ頃からどういった理由で興味を持つようになったのか、記憶は定かではないが、これだけは断言できる。物心ついた頃にはもう、私は日本のことが大好きになっていた。
スクールの勉強などそっちのけで日本についてばかり調べ、クラスメイトを呆れさせる。そんなことは日常茶飯事で、口を開けば日本・日本・日本。Weebと呼ばれようがOtakuと呼ばれようがお構いなし。そしてついに、私は日本語を勉強し始めた。
そんな風にして学生時代を駆け抜け、結果スクールの成績は酷い有様だったが、おかげで卒業後は翻訳家として仕事を得ることができた。
この仕事、私はとても気に入っていた。翻訳のためには日本人の言葉を隅々まで解釈する必要がある。なんと素晴らしいことか。日本人の言葉と触れ合うことができるなど、私にとってはお金を払ってでも行いたいこと。それでお金が貰えるというのだから、天職に違いなかった。
思えば、私は好きなことに対して真っ直ぐ過ぎたのかもしれない。
身に付ける衣服は必ずウニグロのものだけだった。
酒はヒノデビールのもの以外は一滴も飲まない。
車はトミダに決まっている。
どれもこれも、理由は好きだから。
私としてはこれといって徹底しているつもりはない。好きなのだから、好きなものを使って当然だろうと考えている。しかし他人から見れば、私の趣向は異質に思えるようで、よく指摘を受けた。「君はあまりにも真っ直ぐ過ぎる」――と。
そうかもしれない。
私がこうして自覚できるようになったのは、つい最近のこと。
30歳を目前にして、私は『メヴィウス・オンライン』というゲームに出会った。
私の人生を大きく変えたゲームだ。
優秀な日本人チームが製作した世界最大規模のVRMMORPG。それだけで私の好きな要素は揃っていたが、いざプレイしてみると……これが翻訳家としてあるまじきことに、もはや言葉として表せるような面白さではなかった。私の人生における最大の衝撃と言っていい。
私はすぐさま、仕事を極限にまで減らした。
何故って、メヴィウスをプレイするためである。
行き詰まることの多くなってきた仕事よりも、私はメヴィウスのことが好きになってしまったのだ。
それから、私のメヴィウスライフが始まった。
具体的には、仕事が差し迫っていない時期は、朝食後から夕食前までずっとメヴィウスをプレイしていた。そして時には、夕食後も。
キャラクター名は「0k4NN」だ。過去の日本のFPSプレイヤーの多くは、Leetを好んで用いて名前を付けていたと聞いたことがある。なんでも、チーム戦の際に相手チームが瞬時に読めないような名前を付けることで、時間的有利が生じ、自身らのチームにとってプラスに働くとか。
ゆえに、私の好きな数字を私なりに日本語で表し、日本式の名付け方に則って、私の分身の名前とした。零の環、これは即ち無と有の共存を、つまり世界の理を示す。輪廻転生、無限に繰り返される有限の事象が永久に続くさまを表現した。
成長タイプは魔術師だ。私は日本の魔術観を個人的に気に入っていた。特にいくつかの属性を操る魔術は、日本人の描く創造物の中で多大な役割をこなしており、数々の日本の小説を読んだ私がそれに対して憧れを持つには十分な理由であったと言えよう。
そういった理由を含め、私はメヴィウスの世界へと日に日にのめり込んでいった。
私は没頭していた。メヴィウスの【魔術】に傾倒していた。四属性×スキル五種というシンプルさがありながら、他のスキルに比べてスキル数が多いためINTを上げやすく火力を出しやすいという特色、その上に属性の相性があり駆け引きの要素が強い点など、魅力を挙げれば切りがない。
それほど魔術が大好きだった私が「初代叡将」を獲得できたのは、必然……などと言えるわけもなく、まさに偶然がいくつも重なり合った結果であった。
始まったばかりのゲームというものは、時間的側面から見て、プレイヤーのプレイが隅々まで行き届いていないに決まっている。私は見事、その穴を突けた。
全員が初参加のタイトル戦、参加規定すら曖昧だった頃の叡将戦にて、私は失格を覚悟し“魔々術”を使用した。
当時は「魔乗せ」と呼ばれていたそのスキルを、私はよりによって魔術に乗っけたのだ。
当然、失格するものだと、出場者は皆そう考えていたようであった。しかし、審判の出した答えは「アリ」。結果、失格することなく、私は一人勝ちを決めたのだ。
……いや、語弊があった。正しく言うならば、一人勝ちではない。決勝戦まで一人勝ちし、そこでギリギリの優勝を決めた、だろう。
今でも覚えている。私と決勝で相対した男。
その後、誰もが認める完全無欠の世界一位となった男――「seven」だ。
彼はずば抜けていた。陳腐な言葉を用いれば、まさに天才と言っていい。輝かんばかりの若さがありながら、王者の資質、覇者の風格、勝者の威風を兼ね備え、彼の体中から止めどなく溢れ出る白銀の魅力に、私は一目でやられた。
試合は勝った。しかし、勝負は負けた。彼は魅せたのだ。魔々術を使う卑劣な私に対し、ただの魔術で良い勝負にまで持ち込んだのだ。
そして試合後、彼は私に一言こう伝えた。
「面白かった。良い発想だと思う。笑ったよ」
……後にわかる。彼は他のどのプレイヤーよりも「負けず嫌い」だ。恐らくこの時も、笑顔の下では鬼の形相で血涙を流し私を睨んでいたに違いない。しかし、彼はそれらの感情を全て呑み込み、そして本心から他人を称賛できる人でもあるのだ。
彼のその、まるで天上の神が食す黄金の果実の蜜のような、あまりにも甘く、尊い敬意が、他の誰でもない私に向けられている――それは、身震いするような快感だった。
ファンにならないわけがない。そうは思わないだろうか。
私はsevenが大好きになった。
彼の試合は必ず応援した。
彼と試合をする時は全身全霊で挑んだ。
彼が叩かれていれば怒りとともに擁護し、彼が褒められていれば心から喜び同意した。
それだけで私は幸せだった。
私の好きなメヴィウスをプレイし、大好きなsevenを応援する毎日。まさに夢のような日々だ。
しかし、現実はそう単純ではない。
三年も続ければ、仕事を減らした分、生活は苦しくなってくる。
先の見えない不安に、ストレスが溜まる。
世界ランキングにおける私の順位は、38位付近を維持していたところから、一気に100位圏外へと落ち込んだ。
そして何よりストレスなのは……彼が、sevenが負けることだった。
彼も人間だ。人より圧倒的に少ないとはいえ、負けることだってある。それはわかっている。
だが、私は完全無欠の世界一位たる彼が負けるところを見るのが、どうしても嫌だった。
彼は負ける度に成長を見せた。それも驚くべき成長だ。誰もがあっと驚く革新的で真新しい戦術をその都度生み出していた。メヴィウスにおける“常識”を、たった一人で何度も何度も塗り替えていた。常人にできることではない。悔しくて悔しくて仕方がなかったのだろう。きっと死に物狂いで日夜研究したに違いない。
ゆえに、負けることが彼を強くしていると論じる人もいた。私もそう思う。彼のためを思えば、適度に負けるべきだとも。しかし、それでも、私は彼が負けるところを見るのが絶対に嫌なのだ。
この頃、私は酒に溺れていた。
意識を失うほど酒を飲めば、生活苦も、将来の不安も、世界ランキングも、sevenの敗北も、全てを忘れられる。
少しでもストレスを感じる何かがあれば、大量の酒を飲む。それが、自分の「好き」を裏切る行為だと知っていながら、酒も嫌いではないと言い訳をして、私は度が過ぎた晩酌を続けた。
その愚かな行為は、やがて毎晩となった。
私の肝臓は静かに悲鳴をあげていた。
だが病院に行こうとは思わなかった。
酒を飲めなくなるくらいなら、メヴィウスができなくなるくらいなら、このまま死んでしまいたいとさえ思った。
そして――
「……………………」
――死んだ。恐らく。
気が付けば、私は小さな船に揺られていた。
見渡す限りの海。一向に覚める気配のない夢。ログインした記憶のないサブキャラクター。管理画面の開かないゲームワールド。
死後の世界は、紛うことなきメヴィウス・オンラインであった。
日暮れを目前に流れ着いた先は、つい先日、大型アップデートによって実装された日ノ出島。
私が最も楽しみにしていた【抜刀術】、その本拠地。
私自身はカトリックとはいかないまでも、私の両親は敬虔なカトリックであった。ゆえに多少の影響を受けている。だからであろうか。この時ばかりは、私は神に感謝を捧げた。最期に、素敵な夢をありがとう……と。
私は酒をやめた。
やり直すのだ。思えば、前世では何一つ成し遂げることができなかった。
せめて、せめて、私の好きなものに対して、ちっぽけでもいい、何かを残したい。強くそう思った。
この“ボーナスステージ”は、いつ終わってしまうかわからないのだ。ならば、胸を張ろう。格好良く生きよう。いつ死んでもいいように。あいつは立派に死んだと、誰もがそう言ってくれる、そんな人生を送ろう。そして、私の生きた証を、私の大好きな人に残したい。
自分の「好き」に愚直な人でありたい。これは私の欠点であると同時に、唯一と言っていい、私の誇れる信念。
さあ、抜刀術を始めよう。
この胸に、あの熱き青春の日々を抱いて。
お読みいただき、ありがとうございます。




