148 変遷へ
思うに、だ。
ケンシンは身の丈に合わない力を持っているからおかしくなっちゃったのではないだろうか。
そう、力さえなければ、これまで追い詰めてきた相手の気持ちもわかるというもの。
実際に相手の立場になって初めてその恐怖を理解できる。
理解した頃には、もう逝っちゃってるかもしれないが……。
「動くなよ」
俺はケンシンの頭をむんずとわしづかみにして、念じた。
――今後、【抜刀術】における一切の技術を思い出すことはできず、鯉口を切れば途端に手足が脱力する……と。
そして――《洗脳魔術》を、発動した。
「??」
ゆっくり手を放し、きょとんとするケンシンに笑いかける。
……滑稽だ。何十年もかけてこつこつと築き上げてきたものが、彼の誇れる唯一無二の宝が、知らないうちに一瞬にして崩れ去った男の顔は。
まだ気付いていない。さて、いつ気付くか。
まあ、いつ気付いてもいい。もはや微塵も興味がない。どうなろうが知ったこっちゃない。こいつにはもう二度と会うことはないだろう。
俺は再びアカネコへと振り返る。
「で、アカネコ、俺んとこ来るか?」
「ま、待て、何を申しておる!? 今、父上に何をした!?」
「いずれわかる。そうだな、準備があるだろうから、何日か待とう。2日後でどうだ?」
「2日!?」
「え、ごめん。じゃあ3日」
「そういう問題ではない、戯け!」
アカネコは事態を受け入れるのにまだ時間がかかりそうな様子だ。
ここは一旦別れて、頭を冷やす時間を設けようか。
「――セカンド三冠、否、四冠! 是非、是非ご挨拶を!」
さあ、お次は弥勒流の道場へ……なんて考えていると、めちゃくちゃ上機嫌な背の低い太った中年オヤジがいきなり話しかけてきた。
「誰?」
「なっ、あー、いやはは、相変わらず豪放磊落なお方。私は大黒流家元トウキチロウに御座いまする」
「ああ、お前が」
とても刀を操れそうにない風体。刀の師範というよりは、経営者といったポジションなのだろうか。
「お前は俺のことを知っているのか?」
「勿論、存じておりますとも! 先のタイトル戦、尽くこの目に焼き付けておりますゆえ」
「へえ。じゃあ毘沙門戦に出ていたのか。人は見かけによらないな」
「いえいえ私なんぞ、昔は名を馳せてはおりましたが、今のこのなりでは出られようはずも御座いません。うちのカンベエが出場しておったのです。私はその付き添いで御座います」
「カンベエか。あいつ、なかなか見どころがあるぞ」
「ありがたきお言葉! カンベエも修行に身が入るというものでしょう!」
……なんだこれ。ヨイショが凄いな。
「あれ? でも俺、表彰式の時に見かけてないぞ……というか、ケンシンすら見かけなかったな」
「それもそのはず。この島の悪しき慣習に御座います。今回はそのことについて一つご相談があって参りました」
俺がその事実にふと気付くと、トウキチロウは「待ってました!」とばかりに喋り出した。
すると、直後、道場のあちこちから野次が飛ぶ。
「悪しき慣習とは何ごとか! 恥を知れぃ、トウキチロウ!!」
「抜刀術とは我が国の至宝なり! 有象無象にああして見せてやっているだけでも情けというもの!」
「左様! 毘沙門戦とは見世物ではなく、武の祭典であろう! 大陸の者どもと馴れ合う筋合いなど御座らん!」
樹老流のウラシマとその門下生だな。加えて兜跋流の門下生も何やら文句を言っている。
うるさいのでまた黙らせてやろうかと俺が考えていると、トウキチロウがずんと一歩進み出て、その大きな口を開いた。
「黙らんか!! 私はこの島の行く末を案じておるのだ!!」
びりびりと道場じゅうに響き渡る大声だ。
凄まじい威圧感。心の底から怒っているのだと一発でわかる。
「皆もわかったであろう! 毘沙門は敗れた! このお方に! 大陸の三冠王とはこのお方よ! 正しきは強き者、そうではなかったか!? 今こそ新風を巻き起こすべき時なのだ!」
「それとこれとは話が別! 島の決まりごとは守るべきである!」
「虫が良すぎる! 刀八ノ国は今すぐ変わらなければならん! ここで変わらなければ明日はないぞ!!」
「何を申すか! トウキチロウ貴様、島の外から人を招いて金を稼ぎたいだけであろう!」
喧々囂々の大舌戦が始まった。
それを傍から聞いていると、なんとなく状況が掴めてくる。
つまり、トウキチロウはこの刀八ノ国の流派が延々と身内同士で乳繰り合っている状況をなんとかしたいようだ。主に、金の流れ的に。
そして反対派は、今の状況に甘んじて、変化を恐れていると。特に、大陸から俺のようなやつが何人も来て、自分らの現在の地位が脅かされるんじゃないかと懸念している。
なるほど、だからトウキチロウは俺のような存在を待ち望んでいたんだな。自分一人ではこいつらを力でねじ伏せられないから、代わりに三冠の俺にやってもらおうと、そういうこった。虎の威を借る狸といったところか。全く、とんだ狸オヤジだ。
しかしながら……俺としては、トウキチロウに大賛成である。
「なあ、オイ。ミロクとかいうやつに話を持っていったらどうだ」
話が平行線を辿っている最中、俺はふと思い出した名前を言ってみた。
この島の流派の名前を決めているとかいう裏番的なやつだ。今で二十代目だったか。それだけ続いてる家を含めずにこの話をするのは、些かフェアじゃない。
そしてその裏番が頷けば、味方が一人増えるし、首を横に振れば、力尽くで首を縦に振らせればいいと。俺に任された仕事は単純明快だな。
と、そう思い言ってみたのだが……。
「なんと恐れ多い」
「それだけはならぬ」
「触らぬ神に祟りなしという言葉を知らんのか」
大ブーイングだった。
あれぇ……と首を傾げていると、俺の《変身》が時間経過で解けた。
そのタイミングで、隣にマサムネがやってきてちょいちょいと俺の袖を引く。
誘われるがまま付いていくと、二人きりになったところでマサムネは沈黙を破った。
「セカンド君。ミロク様はね、決して表舞台には立たないんだ。その意味がわかるかい?」
「いや全然」
「だと思ったよ。ミロク様は、現人神……この島では、神様と同じ存在なんだ。神様がこうと言ったら、それは絶対。島の皆は必ず従わなければならないのさ」
「……ああ、そういうこと」
だから、触らぬ神に祟りなし、か。なるほどなぁ。
皆、怖くて何も聞けないんだな。
「今の均衡を崩しちゃ駄目なんだ。ごめんね、わかっておくれよ」
「わかったわかった」
さっき、トウキチロウが言っていた。
正しきは強き者、と。つまり、ミロクってさ……そういうことだよな。
「じゃあ、俺が一人で会いに行く。それならいいだろ?」
「聞いてた? ボクの話」
「ばっちり」
「はぁ……」
マサムネは俺の言葉に溜め息一つついた。
「やれやれ……何もわかっていないよ、君は」
呆れられた。しかしその後、小さな声で「ボクもね」と呟く。
どういう意味だろうか?
首をひねっていると、マサムネは、じっと、俺を上目づかいに見つめ――
「おっ……と」
――ぎゅっと、抱きついてきた。
「……君が刺された時、自分でも驚くくらい、胸がざわついたんだ」
「俺は今一番驚いてるよ」
「うん、わかる。ドキドキしているね……」
数十秒、だろうか。
わけもわからず抱き合ったまま、なんとも不思議な時間を過ごした。
「生きてる。君はまだ生きてる」
マサムネは安堵したような顔で言うと、ゆっくり体を離す。
そして、彼女は自身の脇差を鞘ごと抜き取り、俺に差し出した。
「死なないと誓っておくれ。でなければ許さない」
何を許さないと言うのか。
彼女とは、出会って二日だ。そこまで深い関係じゃない。
でも、それってもう……。
「誓うのか、誓わないのか、早く」
マサムネは余裕なさげに催促する。その頬は赤く染まっていた。流石に、ただのしもやけではないとわかる。
「誓おう」
「それだけ?」
「それだけ」
「……そっか」
俺は脇差を受け取った。
マサムネはくるりと俺に背を向けて、足早に去っていく。
……ちょっぴり変な空気だ。尻のあたりがこそばゆくなる。
何か一言、伝えておきたい。そう思った俺は、ぱっと思い付いた言葉を口にした。
「傘、ありがとな。雨が止んだら返しに行くよ」
去りゆく背中を呼び止めるように声をかける。
マサムネはぴたりと足を止めて、満面の笑みで振り返りこう言った。
「君って、やっぱり素敵だ!」
* * *
セカンドが消えた道場内、各家元らによる舌戦の傍らで、雑談に耽る侍たちもいた。
「桂馬に対し金将で受けたのがよくなかったと見える」
「では何で受ければよかろう。相手は桂馬を構えているのだぞ」
「銀将にて迎え撃てば……」
「なるほど。しかし、左様な技術……手前には御座らん」
「如何にも」
侍たちは、ケンシンが敗れた試合の流れを思い返し、どう対応するのが正解だったのかを考える。
しかし、そう簡単に答えは出なかった。
「げに恐ろしき男なり。ケンシン様を赤子扱いか……」
「島内一の兜跋流二人を鞘で倒すなど……拙者には考えられん」
考えれば考えるほど、セカンドという男の異常なまでの技量の高さが見えてきてしまい、侍たちは思わず身震いした。
「悔しくはないのか、貴様ら。腑抜けていてはならぬぞ」
「カンベエ殿!」
「あの男、恐らく次の毘沙門戦に現れる。それまでに如何ほどの修行をこなせるかが勝負と見たり」
「カンベエ殿は、た、立ち向かうと仰るのですか?」
「左様。あの男とて、我らと同じ人間である。追い付けぬ道理はない」
「流石、大黒流筆頭は仰ることが他と違われる。拙者らも見習わなければなりますまい」
「ああ、そうせよ。それに……負けられぬ理由もあるのだ」
カンベエは小さく呟く。彼の視線の先には、アカネコの姿。
まだまだ、諦めてはいないようであった。
「うああああっ! ああああああ!!」
「ケンシン様! お気を確かに! ケンシン様!」
「何故! 何故だ! うわあああああ!?」
「ご、ご乱心だ! 奥へ! 奥へお連れせよ!」
不意に、ケンシンが叫び出す。
道場じゅうが彼に注目した。
しかしケンシンは、なりふり構わず、顔面蒼白で、喚き散らし、暴れまわり続ける。
彼の手には一本の刀。
帯刀すらせず、手にぎゅっと握っている。
――彼にとって、刀の装備方法すらわからないというのは……想像を絶する苦痛に違いなかった。
その刀さえ扱えれば、また元の生活に戻れたかもしれないというのに、再び他者を支配できたかもしれないというのに。
何もかも思い出せないのだ。彼は、もう二度と勝つことはできなくなった。
後は、ただ、負け続けるのみ。力なき者となり、しかし過去の栄華を捨てきれず、しかし決して思い出せず、一生を苦痛の中で過ごすこととなる。
彼に恨みを持つ者が、彼が刀を握れなくなったと知れば、一体何を考えるだろうか。
それとも、彼自身が、苦痛に耐え切れなくなる方が先か。
彼の終わりは、既に始まっていた。
「あれはもう駄目であろう」
「兜跋は、もはや仕舞いである」
「アカネコ様も島を出てゆかれるらしい……いよいよ、といったところだ」
「時代の変遷を、我らは目撃しておるのか……」
刀八ノ国に、今、まさに、新たな時代が訪れようとしている。
セカンドと、ミロクの接触によって――。
お読みいただき、ありがとうございます。