146 堪らないなら、また。
マムシを見送って、少しだけ寝て、朝。
俺は兜跋流道場への道を歩く。
道は昨日アカネコから教えてもらった。なんてことはない一本道だ。
最終日は、生憎の雨。冬の寒さで傘をさす手がかじかむ。
傘は玄関に置いてあったので、勝手に使わせてもらった。後であんこに聞くと、マムシが帰った頃くらいにマサムネが来てこっそり置いていったのだという。
「……ここか」
二十分ほどで道場へと到着した。
しとしとと小雨の降る静かな朝とは正反対に、道場の中は随分と賑やかな様子だ。
「おはよう」
正面切って道場に入ると、中にいた全員が俺の方を向いて静まり返った。
道場には、アカネコと、兜跋流の門下生らしき面々と、マサムネもいた。よく見ると大黒流のカンベエもいるし、その隣では知らない顔のチビデブ中年が上機嫌に笑っている。樹老流のウラシマとかいうジジイもいるし、今朝方に別れたばかりのマムシもいる。そして、アザミの姿もある。
刀八ノ国の侍たちが勢揃いだ。道理で賑やかなわけである。
「お主か」
面々を見渡していると、アカネコの隣に座っていた七三分けのオッサンが口を開いた。落ち着き払った低い声だ。ただ座って喋っているだけなのに、なかなかの威圧感がある。
「何が?」
「道場破りに御座る」
「ああ、そうそう」
俺を待っていたらしい。
オッサンは静かに立ち上がると、言葉を続けた。
「某、名をケンシンと申す。兜跋流は家元なり。毘沙門の冠を預かり十八年、未だ修行中の身に候」
おっ、名乗り口上というやつか。
よーし、俺も。
「お控えなすって。俺はキャスタル王国からの余所人。一閃座・叡将・霊王の三冠は我が手にあり。夏を待たずして毘沙門の首、獲りに参った次第。姓名、ファーステストはセカンドに御座い」
うちの執事のキュベロを真似してやってみた。なんか違った気もするが、アドリブにしては上々だろう。
すると、俺が言い終わるや否やざわざわと外野がうるさくなった。やれ失礼だ高慢だと、どうやら俺の悪口のようだ。
「うるせえな」
一番うるさかった樹老流の門下生を睨みつけて言ってやると、静かになった。
許すまじ樹老流。後で嫌がらせしてやる。
「……アカネコ、参れ」
「承知仕りました」
すると、静かになるのを待っていたかのように、ケンシンがアカネコにゴーサインを出す。
アカネコは冷たい顔で立ち上がり、静々と道場の中央まで歩み出た。その恰好は、残念ながらミニスカではなく道着であった。
「マサムネー」
「はいはい、そうじゃないかと思ったよ」
俺は呆れ笑いのマサムネから刀を借りて装備し、アカネコと対峙した。
アカネコは無言で無表情、俺と目が合ってもこれといってなんの反応もない。
いいぞ、雑念が全て消えているようだ。集中が極限まで高まっているさまを感じる。
毘沙門戦は、自然体でいることが一番重要だと言っても過言ではない。少しでも雑念が入ると、十中八九、負ける。経験上、これは明らかだ。
ゆえに、勝負へと没入できることは大きな強みとなる。
アカネコのやつ、コンディションをつくってきやがったな。
ガチもガチ、大ガチだ。あいつ、絶対に絶対に絶対に、負けないつもりだろう。
俺を倒すために、全てを賭して、ありとあらゆる手を尽くしている。
俺のために、全身全霊の本気を出してくれている。
こりゃ、120%本気という名の、愛だ。
何度受け取り、何度壊したことか。
……ああ、やっぱ堪んねえな、これ。
「やろうか」
互いに礼をして、構える。
「――始め」
ケンシンの号令。
直後……アカネコは、動かなかった。
つまり、後手を選択したのだ。
……へぇ、そう。ほほう、はー、なるほど。
これまでアカネコの前で見せてきた俺の試合は三回。うち二回が後手であり、アザミとの試合のみ先手をとった。そして、最も長引いたのがその試合だ。
俺が先手を苦手としていると考えたのか?
最初はそう思ったが……彼女の表情を見るに、どうやら違ったようだ。
いやあ、面白い。
面白いぞ、その考え。
「…………」
――アカネコは、こう言っているのだ。
やってこい、と。あの技を出せ、と――。
「いいねぇ」
そんな風に誘われて、やらないわけがないよなァ!
俺は間合いを詰め、《飛車抜刀術》を準備する。
アカネコはそれに対応するように一歩後退し、鯉口を切った。
間合いを取らせはしない。俺は準備を終えて尚、抜刀を溜めながらアカネコとの距離を詰め続ける。
アカネコの後退が止まった。ここだ。
瞬間、姿勢を低くして、スキルキャンセル。同時にくるりと横方向に回転し、《銀将抜刀術》を準備完了と同時に抜刀する。
「――ッ!!」
アカネコが短く呼吸を止めた。
彼女が繰り出したスキルは――同じく、《銀将抜刀術》。
キィンと甲高い音が鳴り響く。俺の抜刀は、アカネコの抜刀によって弾かれた。
見切られた? 否。初見であれを見切るのは不可能に近い。
軌道を予測し、最も素早く対応できるスキルをぶつけたのだろう。
良い判断だ。後から出す分、彼女の方が《銀将抜刀術》を多く溜められる。溜めた分だけ、威力が増すスキルだ。おかげで、俺の手はじんと痺れた。
「はッ!!」
アカネコの二の太刀が迫る。同様に《銀将抜刀術》だ。
溜めずの銀将が最速。カンベエは小手先の技と批判していたそれが、兜跋流ではメインなのかな? だとしたらカンベエは立つ瀬がないなぁ。
だが、その有用性たるや【抜刀術】でも最たるもの。兜跋流は【抜刀術】というスキルをなかなかよくわかっているな。
いやあ、しっかし、痺れる手で応じざるを得ないのかこれ。ちょっと嫌だな。
……アレやっとくか。
「よっ」
「!?」
俺は、アカネコの袈裟斬りに対して、正面から突っ込んだ。
彼女の驚く顔を見ながら、更に急接近する。
刀が俺の脳天に直撃する寸前で体を逸らし、そのまま片足で立って肩でアカネコの振り下ろした刀そのものをぐいっと押してやった。
「いっ……!?」
思い切り振り下ろしていたもんだから、アカネコは横に逸れた刀に引っ張られるようにして体勢を崩す。
こりゃ【合気術】でやると効果抜群なんだが、今は【抜刀術】縛り中だ。ただ、スキルを使わずとも効果は十分である。
「さて」
納刀して、仕切り直し。
俺は地面に手をついて体勢を立て直すアカネコに向き直り、ニッと笑った。
「…………っ」
アカネコはきょとんとした後、キッと表情を引き締め、再び雑念を取り払う。
その一連の表情変化で、「惜しかったのに」という悔しさと「馬鹿にしやがって」という怒りと「次こそは」という期待が伝わってきた。
駄目だなぁ、勝負の場で心の内を見せちゃあ。
才能は抜群にあるが、まだまだ粗削りだ。加えて精神面が成熟しきっていない。
つまるところ……実に育て甲斐のある抜刀術師と言える。
「アカネコ。抜刀術ってのは、刀だけじゃないんだ」
折角だから、今、一つ教えてしまおう。
俺は初手と同様に、間合いを詰めながら《飛車抜刀術》を準備する。
「!」
アカネコは「またか」という顔で後退、同じ対応を見せた。
俺の手を痺れさせることができたあの対応が、最善だと思い込んでいるようだ。
それではいけない。【抜刀術】だけに言えることではないが、戦いの序盤に“たった一つの最善”などないのだ。山のような選択肢の中に一つある最善を探し出し拾い続けることなど不可能。数多ある候補から自分で一つ選び、その至る先を最善へと限りなく近付けることこそ必要な思考と言える。「これが最善」と思い込み思考を放棄することは、愚かでしかない。
「朝メシが出ないことを祈る」
姿勢を低くし、スキルキャンセル、くるりと回りながら《銀将抜刀術》を準備、そして抜刀。
アカネコも、《銀将抜刀術》で対応を準備する。
このままでは、先ほどの二の舞。
だが――
「ッッッ!?」
――ドスリ、と。
直後、鈍い音とともに、アカネコは苦悶の表情を浮かべた。
時計回りに回転した俺は、8時のあたりで急停止、そこから反時計回りに立ち上がりながら後ろに一つステップを踏んで、腰の鞘をぐいっと斜めに突き上げたのだ。
刀が右から来るものだと思い込んでいたアカネコ、その腹部はがら空きである。
鞘の先端が鳩尾に直撃し、アカネコは声すら出せずに悶えた。
かわいそうに。俺のSTRはそこそこ高いから、多分めちゃくちゃ痛いのだろう。
アカネコはついに立っていられなくなり、その場に膝をついて蹲った。
「勝負あり」
ケンシンの号令がかかる。
「面白かった。また、やろう」
俺が笑顔で挨拶すると、アカネコは蹲ったままガクリと頭を垂らした。苦しみつつもお辞儀をしたのだろう。
「さて」
お次はいよいよメインディッシュか……と、俺が視線を向けると、ケンシンは瞑目したまま立ち上がり、こちらに歩み寄ってきた。
そして、アカネコの前に立ち、しゃがみ込む。
「ち、父上、お待ちをっ――!!」
…………次の瞬間、ケンシンはアカネコの頬を殴った。
容赦など一切ない、憎しみをぶつけるような一発だった。
「兜跋の面汚しめ。然様に育てた覚えはないぞ」
「……申し訳が、立ちませぬ」
「ぬるい。決意を見せよ」
「…………はい」
しばしの沈黙の後、アカネコは脇差を抜く。
そして、自身の右目にその切っ先を持っていくと……
「――っ!?」
……流石に、見ていられない。
俺はあんこを《魔召喚》し、その脇差を取り上げるよう指示を出した。
あんこは《暗黒転移》でアカネコの背後に瞬間移動すると、脇差をひょいと摘み上げ、不思議そうに首を傾げる。
「……邪魔立てするか、女」
ケンシンは全く驚く様子を見せず、あんこを見つめてそう凄んだ。
「嗚呼、なんと活きの良い人間。主様、昼餉は刺身にいたしましょう」
あんこは糸のように細い目を更に細め、にっこりと笑いながら、脇差を指で挟んで――
――パキリ、と。いとも簡単にへし折った。
ゾッ――と、道場内の空気が凍てつく。
皆、気付いたのだ。ここにいる全員が束になっても、あんこに傷一つ付けることなどできないと。
……しかし、ケンシンだけは違った。
目の前で折られた脇差に対して眉一つ動かさず、そして、いつでも抜ける体勢を崩さず、ただじっと黙していた。まるで、あんこの隙を窺うように。
あの野郎、あわよくばあんこに斬りかかる腹積もりのようだ。
その間に、アカネコが、実の娘が挟まれているというのに。
瞬間、俺は理解する。
初めてこの島に俺が降り立った時、アカネコは、躊躇なく俺とユカリを殺そうとした。あれからずっと気になっていたんだ。どうやったらそう育つのかと。人の命をなんだと思っているのかと。
そうかぁ……こいつが原因かぁ。
「あんこ、悪いが譲ってくれ」
「御意に、主様」
俺はアカネコに近寄りながら、あんこを《送還》した。
「おい。隠しきれてないぞ、オッサン」
アカネコを後ろから引っ張り上げ、立たせる。
そして、俺の後ろに逃がしてやる。
「何が」
ケンシンは俺との間合いを維持しながら、一言、そう返した。
「殺意だよ」
「…………」
「図星だろ? お前、殺したくて堪んないって顔してるよ」
でなきゃ、説明がつかない。
兜跋の面汚し? 育てた覚えはない? 決意を見せろ?
観衆を前にして娘を殴りつけそんなことを宣う理由なんて、たった一つだけだ。
自分を追い込んでいるんだ、この男は。
そうして、人生の全てを賭け、負けるわけにはいかない勝負を、命と命の獲り合いを、切望しているんだろう。
だよな?
「……ふ、はは、何を申すかと思えばっ……」
ほらね。笑ってるよ。
わかるぜ、俺もそうだった。
でもな……一つだけ、お前とは決定的に違うんだ。
それを死ぬほど教えてやる――。
お読みいただき、ありがとうございます。