143 否も伝統、もうとんでもない
早朝。
廃屋の前にアカネコが来ていることを確認した俺は、少し安心した。
昨日の夕方は色々と意地悪を言ってしまったから、今日は来てくれないんじゃないかと心配だったのだ。
ただ、その表情はなんとも渋いものである。まあ間違いなく“ミニ巫女服セット”を着ているからだろうが……。
「おはよう。今日も爆裂に似合ってるな」
「お……うるさいっ。さっさと参るぞ」
挨拶がてら褒めると、アカネコは挨拶を返そうとして途中でやめ、ぷいと後ろを向いて先に歩き出した。
律儀にミニ巫女を着ておきながらその態度……なんだろう、燃える。
「今日は何処に連れていってくれる?」
「天南流だ」
「ああ、お前の言っていた、南極流が分裂したとかいう」
「然様。新しきを求めるが天南流、古きを尊ぶが樹老流。どちらも南極流の極意を受け継いでいる」
「へぇ。何やってんだか、よくわからんなあ」
「……見ればわかる」
アカネコは若干だが呆れた様子で言った。
何故呆れる? もしやまた弁才流のように門下生がうるさい道場なのだろうか。
…………と、思っていた時期が俺にもあったのよ。
到着した天南流の道場では、朝っぱらから何やらイベントを行っていた。
曰く『第十五回 天南流・新☆抜刀術 お披露目会!!』らしい。
なんだそれ。とツッコまざるを得ないが、しかし気になるものは気になる。俺はやたらと盛り上がる十人ほどの若い侍たちの後ろにアカネコと陣取り、じっと開会を待った。
だが、待てども待てども始まらない。
すげえ暇なので、俺はアカネコと雑談して時間を潰す。
「こいつらも何処かの道場の門下生なのか?」
「天南流の門下生だ」
「サクラじゃねえか!」
道理で不自然なほど盛り上がっていると思った。まだ開会すらしていないのに拳を振り上げてんのは明らかにおかしい。というか、もしや外部の客って俺たちだけでは? マルチのセミナーかよ。悲しいなぁオイ。
……と、思いきや。
数分経ち、俺たちの後ろへと更に見物客が現れた。しわくちゃの白髭ジジイが一人に、中年のオヤジが二人。その風貌から三人とも侍のようだとわかる。
「あいつらは?」
「樹老流家元ウラシマ様と、樹老流門下の侍だ」
「おお」
ビッグネームのお出ましだ。あのジジイが樹老流の家元らしい。
なるほど、実は開会時間はもっと先なのかもしれないな。これからどんどん島中の猛者たちが集まってくるのだろう。そうなんだろう?
「――やあやあ皆さん! ナイス・トゥー・シー・ユー! よくぞ集まってくれました!」
違った。
いきなり始まりやがった。
まるで、ウラシマの到着を待っていたかのように。
「本日はお日柄もよく、ミーの体調もバッチグー! 実にお披露目日和と言えますねぇ!」
……頭が痛くなる。
出てきたのは、茶色のドレッドヘアをした三十代半ばほどの侍。いかにも「外国かぶれしてます」と言わんばかりのチャラついた様相だ。
だが驚くべきことに、微妙な英語を喋っている。この世界に来て初めてじゃないか? 英語を喋るやつは。ここでは英語はどういった位置付けなのだろう。遠い外国の言葉? よくわからんな。
「なんなのあいつ」
「天南流家元マムシ殿だ」
「家元かよ!」
やべぇ道場に来ちまったみたいだ。
「レディース・エーン・ジェントルメーン! さっそくミーの新たなるホップヒップ抜刀術をお披露目しますよぉ!」
ホップヒップ抜刀術。
ホップヒップ抜刀術????
「イェア! レッツ・プレイ・ミューーーズィック!」
マムシの掛け声とともに、裏でいきなりノリノリな音楽が鳴り出す。HipHop? 詳しくないからわからないが、多分そんな感じの。しかし楽器が古臭いせいか、雅楽に聞こえないこともない。
……というかこれ、生演奏だ。天南流の門下生は苦労してるなぁ……。
「ハッ! ハッ! セヤァーッ! Groooooove!!」
そして、もはや意味不明だ。
マムシは黒子によって壇上に持ってこられた藁の束を、音楽に乗ってダンスを踊りながら斬り始めた。
一閃座戦の舞踏派カレーおじさんカサカリを彷彿とさせる芸だが、なんというか、こっちの方が間違いなくふざけてる。
…………いや、面白いけどさぁ。
「センキュー、センキュー」
一通り終わったようで、マムシは門下生たちの拍手喝采に対して満足げな表情で応えた。
ちなみに俺らとウラシマたちは終始無表情である。
「如何でしたでしょうか、ホップヒップ抜刀術ヴァージョン・フィフティーンは! 興味を持たれた方は是非! 是非! 是非! 我が天南流に! では、シー・ユー・アゲイン! ネクストお披露目会にて!」
ぽかんとしているうちに終了した。
……なんだろうかこれは。不思議な世界に迷い込んだような気分だ。
いや、でも、面白かった。
やっていることはクソにほど近かったが、その心意気を俺は評価したい。
常に新しいことを追い求め、出口の見つからないトンネルをずっとずっと掘り進んでいく――根底は、俺となんら変わりないのだから。
迷走していようがなんだろうが、関係ない。その意志を持ち続けることこそ大切で、大変なんだ。
この閉鎖的な島にも、骨のあるやつがいるもんだなぁ。それを知れただけで、俺は満足だ。
「……ふん。また時間を無駄にしたわい」
「やはりウラシマ様のお考えが正しいと再確認できました」
「樹老流の恥で御座います。あのような者、破門にして正解です」
「何が新抜刀術じゃ。新しきを求めるようでは否なり。歴史と伝統こそが技術の裏付け。積み重ねてきた技こそ光るのだと、あやつは何故わからぬか……」
「仰る通り! はは、一生かかってもわかりますまい」
「あやつは病気で御座います。死んでも直らぬと言うではありませぬか」
「行くぞ。もう二度と顔は出さん」
まあ、気に食わない連中もいるみたいだな。
自分が正しいと思い込んで、好き放題言ってやがる。
「ウラシマ様が去られるようだ。私たちも後を追おう。次は、樹老流の道場へ――」
「いいよ、行かねえ。樹老流は飛ばそう」
「何?」
あの会話を聞いて、行く気が失せた。
「俺はどちらかというと天南流の方が好きだ。南極流のままなら、行く気にもなれたが……」
伝統だけのやつらには、ちっとも興味が湧かない。
「本気か? 全く、おかしなやつだ」
「ウラシマは強いのか?」
「御年八十。衰えはしているが、技術は島内でも随一。しかし父上には敵わぬ。近頃は弁才流にも後れをとっている」
「だろうな」
いよいよ行く意味がなくなった。
ジジイをボコボコにしても何も気持ち良くないとエルンテの一件で知っているしな。
「じゃ、お次は何処だ?」
「樹老流を飛ばせば……あそこか」
「あそこ?」
「吉祥流だ」
吉祥流。つい最近聞いた名だ。
「マサムネが元いた所か」
「よく知っているな。そうだ」
「婿が浮気してハチャメチャになった所だろう」
「よく知っているな!?」
当人から聞いた、ということは黙っておいた。
俺とアカネコは吉祥流の道場へと歩きながら言葉を交わす。
「どういう流派なんだ?」
「一子相伝。島内でも他に類を見ない抜刀術家系……否、例外があったか」
「例外?」
「弥勒流。決して表舞台には現れぬ、これもまた一子相伝の流派。現在のミロク様は、確か二十代目か」
「世襲制か……って二十代目ぇ!?」
「一千年続く、島内にて最も歴史ある流派だ」
ハンパねぇなおい。
「ゆえに、島内の流派は全てミロク様に名付けていただいている」
「最初は弥勒流だけだったんだな」
「然様。次に兜跋流ができ、吉祥流、南極流、大黒流と増え、日子流が加わり、南極流が樹老流と天南流となり、弁才流ができた」
「へぇー」
「つまり、これから訪れる吉祥流は、島内にて三番目に歴史ある流派と言えよう」
「強そうだな?」
「……否。先代家元スミレ様はお強かったが、現家元アザミ様は……」
アカネコが言葉を濁したところで、吉祥流の道場に到着した。
確かに風情ある建物だ。しかし……これまでの道場のような活気は、あまり感じない。
「失礼いたす! 兜跋流アカネコ、挨拶に参った!」
例によってアカネコが口上を述べると、建物の奥からドタバタと足音が聞こえてきた。
そして。
「――いや~ん! アカネコちゃん何その恰好!? 可愛い可愛い可愛い~っっ!!」
突如現れたグラマラスな美人が、アカネコをぎゅっと抱擁する。
二十代後半くらいの、ゆるふわウェーブの黒髪が綺麗な美女だ。
「ア、アザミ様、お戯れをっ」
「まっ、相変わらず他人行儀! 昔のように姉様と呼ぶの! いーい?」
「し、しかしアザミ様は吉祥流家元で」
「細かいことは気にしない! アザミ姉様よ。ほら、言って?」
「……アザミ姉様」
「いや~ん可愛い!!」
何を見せられているんだろうか俺は。
ぼんやり眺めていると、アザミと呼ばれた女は俺に気付いたようで、視線をこちらに向けてハッとした顔を見せた。
「あ、あら、これはこれは……私ったら、はしたないところを……」
オホホと笑いながら、アカネコから離れる。
アカネコは「はぁ」と疲れたような表情で溜め息をつくと、俺の隣に並んだ。
「アザミ姉様。こちらはセカンドという旅の者です。島の紹介をして回っております」
「どーも」
「島の紹介……? え、それって、いいのかしら?」
「よくはありませぬが……あの、少々、訳がありまして」
「訳? 訳でよくなるものだったかしら……?」
ずいっと顔をこちらに寄せて、アザミは首を捻る。
ほわほわした感じに見えて、意外と厳しい人なのだろうか。
「……まあ、美青年ならなんでもいいわね!」
違った。
どうぞよろしく~、と笑顔で握手をせがんでくる。
俺は「テキトーな人だな」と思いながらアザミの手を握って……不意に気付いた。
――肉刺だ。
彼女の手のひらは、女性とは思えないほどにゴツゴツとしていた。
ポーションで回復しないのか? 否、安いポーションを使えば傷が完全に回復しないことが、今まで多々あった。安物を使い続けていれば肉刺ができても不思議ではない。もしくは、毎日、毎朝、肉刺ができるほど抜刀術の練習をしているのか……。
「さ、入って入って! 今お茶を淹れるわね~」
アザミは嬉しそうに俺たちを屋内へと案内すると、お茶を淹れに走った。これまでの流派とは違い、珍しく歓迎ムードだ。
しかし、周囲は静か極まりない。家の中はがらんとしている。
道場も、廊下も、客間までに通った場所では、誰一人として見かけていない。
もしや休日だったのだろうか。そう考えていると、アカネコが口を開いた。
「アザミ姉様は、スミレ様亡き後、たった一人で吉祥流を守っている」
スミレ。吉祥流の先代家元で、マサムネの義母だな。もう死んでたのか……。
「ここに一人で暮らしてるってことか?」
「然様。吉祥流は一子相伝。子が生まれるか、養子をとらぬ限りは、技の継承すらできぬ」
なるほど。今までにない歓迎っぷりの理由が、少し理解できたような気がする。
多分、寂しいのだろう。
「はい、お待たせ。お煎餅しかなかったけどいいかな?」
「ありがとう。ちょうど小腹が空いてたんだ」
お盆に煎餅と人数分の緑茶を乗せて戻ってきたアザミ。
俺は煎餅に手を伸ばして頬張った。しなりと不思議な触感。濡れ煎餅か。醤油味がまたなんともお茶に合う。
「……あ、湿気てる」
アザミがしょんぼりとした表情で言った。俺のそれっぽい感想を返せ。
いや、しかし、意外と食える。俺は我慢ならず、二つ目に手を伸ばした。隣のアカネコがぎょっとした表情をする。
「いいのよ気を遣わなくても」
「いや腹減ってて」
「そ、そう。ありがとね」
アザミにも引かれた。
しかし、これほど引くくらいなら、他の物を出せばいいのに……と考えたところで、俺は合点がいった。出さないんじゃない、出せないんだ。安物のポーションと、湿気た煎餅。なるほど、繋がった。吉祥流は、相当に貧乏なんだろう。
「えっと、気を取り直して……ねえ、アカネコちゃん。ところで今日はなんの用事? あっ、そうね、案内って言ってたわね。なら、私も吉祥流について紹介した方がいいのかしら?」
「紹介せずとも構いませぬ。お茶をいただいたら帰りますので」
「待て待てーぃ!」
「…………」
自動的に帰らされるところだった。
アカネコのやつ、だんだん俺の扱い方をわかってきやがったな。
俺の渾身のツッコミに白い目を向けるところなんか、まんま某女騎士だ。
「待て待て待てーぃ!」
「わかったわかった。うるさいぞ、全く。頼むから大人しくしていろ」
「嫌だ」
「全く! この男は!」
「うるさいぞアカネコ。少しは静かにできないのか?」
「こ、このっ……!」
アカネコが怒って赤くなったあたりで、アザミに視線を戻す。
「うふふ、賑やかで楽しいわ」
アザミは上機嫌な様子だ。
この流れなら、言えそうだな。
「なあ、折り入って頼みがあるんだが」
「ええ、なんでも言って頂戴。私にできることなら協力するわ」
「なら遠慮なく。お前と一戦交えたい」
「…………へぇ」
口にした途端、アザミの雰囲気が変わった。
この島のやつらは、皆、そうだ。抜刀術と聞いた途端、目の色を変える。
アザミもまた、本物の侍なのだろう。
「構わないわ。今すぐに?」
「ああ。アカネコ、刀貸せ」
「嫌だ!」
「…………」
ちらりと横を見ると、アカネコが「どうだ参ったか」というような顔をして俺を見ていた。
なかなかやるな、お前……。
しかし困った。これでは素手でアザミと試合することになる。それでは面白くない。
どうしたものかと考えていると……不意に、背後から声がかかった。
「――じゃあ、ボクが貸してあげよう」
聞き覚えのあるボーイッシュな声。
同時に、アザミの顔が鬼の形相へと変貌する。
振り返ると、そこにいたのは、不敵な笑みを浮かべるマサムネだった。
お読みいただき、ありがとうございます。