141 男装・後攻、損だ。
「トウキチロウ様! トウキチロウ様!」
「やかましい。一体なんだ」
「カンベエ殿が!」
大黒流道場の最も奥、家元の一室。
トウキチロウと呼ばれたでっぷりと腹の出た背の低い中年の男が、大声に顔を顰めながら門下生の言葉に耳を傾ける。
「カンベエがどうした」
「敗れたので御座います! 道場破りに!」
「……詳しく話せ」
トウキチロウはカンベエが敗れたと聞いて、表情を鋭いものへと変えた。
門下生は、道場にセカンドが現れた場面から、一つずつ事態を説明する。
すると、暫しの沈黙の後、トウキチロウは驚きの反応を見せた。
「がっはっはっは!」
「!?」
なんと、笑ったのだ。
彼の運営する道場で最も強いカンベエがあれほど無残に敗れたというのに、笑う。門下生はわけがわからず、あんぐりと口を開けるよりなかった。
「報告ご苦労。戻ってよい」
「はっ、しかし……」
「戻ってよいと言っている」
「は、はい」
トウキチロウは門下生を強引に追い出すと、上機嫌な様子で椅子の背もたれにドシッと体重を預けた。
「カンベエで歯がたたぬか。がははっ! いいぞ、その調子で邪魔な兜跋の糞共も薙ぎ倒してしまえ」
待ってました、とでも言いたげな顔で、愉快に笑う。
「やはり、思った通り。本土の怪物は、実に御誂え向きよ。釣具屋に報酬を与えねばならんか」
笑いはなかなか止まらない。
トウキチロウの目論見は、それほど上手く行っているようであった。
* * *
「お次は、弁才流か」
「然様。少々特殊な流派だ」
「特殊?」
「あの道場には、女子しかおらぬ」
「マジかよ」
ちょっと興奮してきたな。
「刀の申し子と謳われたマサムネ殿が、島内では肩身の狭い女子のためにと、九年前に立ち上げた新流派。当時十六歳ということを考えれば、マサムネ殿の才能もうかがえよう」
「十六歳で流派を立ち上げたのか。ってことは、今二十五歳だな。へーえ、二十五で家元ねぇ」
「他の家元と比べればまだ若いが、実力は侮れん」
「カンベエとどっちが強い?」
「難しい質問だ。二人の抜刀術は真逆。カンベエは荒く攻撃的だが、マサムネ殿は流麗で繊細ゆえ、容易に比べられぬ」
「そんなもん関係ねえよ。戦績はどっちが勝ち越してる?」
「全くお前は……確か、マサムネ殿か」
「ありがとう。それが聞けてよかった」
カンベエより弱いなんて言われたら、行く意味がなくなるからな。
いや、しかし、女だけの道場というのもなかなかになかなか興味深いが……。
「着いたぞ。今回ばかりは、大人しくしていろ」
「やなこった」
「全く……どうなっても知らぬからな」
「え?」
どういう意味だ……?
「失礼いたす! 兜跋流アカネコ、挨拶に参った!」
俺が謎に思っていると、アカネコは門の前に立ち、声を張りあげた。
小さな門だ。金回りは、あまり良さそうではない。
「――おやおや、これは可愛いお客さんだ」
暫し待つと、道場の中から長身細身で短い黒髪の美男が現れた。
…………ん?
いや、待てよ……さてはこいつ、男ではないな。
マインやアンゴルモアやラズベリーベルを間近に見てきたからこそわかるぞ。こいつは多分、いや、確実に女だ。なるほど、所謂「男装の麗人」ってやつか。
しっかし、なんでまた男装を?
「おっと、横には美形のお兄さんも。こんにちは、お兄さん。お噂はかねがね聞いているよ」
「セカンドだ。お前は?」
「自己紹介をありがとう、セカンド君。ボクはマサムネ。弁才流家元と言えばわかるかい?」
「ああ、ついさっきこいつから聞いた」
「こいつ! ははは、アカネコちゃんをこいつ呼ばわりする人を見るのは初めてだ。面白いね」
「面白がらないでいただきたい、マサムネ殿。私にとってはいい迷惑だ」
「まあまあ、そう怒らないで。その服、とてもよく似合ってるよ。セカンド君からの贈り物だね? 実に素晴らしい!」
「……褒めても何も出ませぬ」
「ただボクが褒めたかっただけさ、別に何も期待していないよ。さ、こっちへ、二人とも」
マサムネは甘い言葉とともにアカネコへウインクして、俺たちを道場の中へと案内する。
彼女の第一印象は悪くない。
だが、何処か不自然にも思える。演技くさいというか、なんというか。
それに、最初はてっきり女が好きだから男役をしているのかと思っていたが、マサムネからは“女好きのニオイ”を全く感じない。恐らくそういう趣味はない人なのだろう。
だったら何故、と謎は深まるばかりだ。せっかく美人なんだから、女らしい恰好をしていればいいのに。損しているな。
まあ、多分、何かやむを得ない理由があるんだろうけど。
「して、今日はなんの用だい? 生憎とボクたちは鍛錬で忙しいから、あまり長くは時間を割けないんだが――」
「そうよ! マサムネ様を独り占めしようったって、そうはいかないんだから!」
「マサムネ様は、あんたらなんかと話してる暇はないのよ!」
「とっとと帰って頂戴!」
…………なんだこいつら。
マサムネが話し始めるや否や、いきなり門下生と思われる女たち十数人がわらわらと出てきて、えらい剣幕で口を挟んできやがった。
「……はぁ……」
隣のアカネコが、小さく溜め息をつく。
なるほど、こいつ、このことを言ってたんだな。こりゃ確かに面倒くさい。
「ごめんね、ボクの子猫ちゃんたち。これも道場には必要なことなのさ」
マサムネは何処か遠くを見つめ、悲しげな表情を作り、溜め息まじりに呟いた。すると、マサムネの後ろに群がっていた門下生の女たちは「きゃー!」と盛り上がる。
なんだこれオイ。
「いつもこうなのか?」
こっそりアカネコに聞いてみると、彼女はゲッソリした表情で頷き、「厄介なことになる前に早う帰った方がよい」と小声で返す。
いやあ、流石に同感だ。
が……そうはイカの金玉。
「ここ、道場破りって受け付けてる?」
「ンぶっ!?」
「ぷはっ!?」
あっけらかんと言うと、アカネコとマサムネが吹き出す。
「そ、そんな聞き方があるか戯け!」
アカネコにバシッとぶたれて、俺はへらっと笑った。
マサムネの後ろの門下生たちは、ぎゃーぎゃーと騒ぎ出す。やれ「身の程を知れ」だ、「消え失せろ」だ、シンプルに「死ね」だと、もう言いたい放題だ。
「はははは! 面白い! 本当に面白いよ、君……」
暫く笑っていたマサムネはそう言うと、門下生たちに振り向き、手を一振りした。すると、ざわついてた彼女たちは一瞬にして静かになる。
そして、マサムネは再びこっちに向き直り、沈黙を破った。
「――ボクが受けて立とう」
それまでの嘘偽りの表情は、もはや見る影もなく。
一人の侍とでも言うべき、斬れ味鋭い眼光をした女が、こちらをじっと見つめていた。
アカネコと初めて出会った時を彷彿とさせる、命のやり取りをせんとする目。
マサムネもまた、刀に生きる一人なのだろう。
彼女のその覚悟に、俺は満面の笑みで応えた。
* * *
勝負は一瞬。
「始め」の号令から一秒と経たぬうち。
マサムネ殿が抜刀した直後、セカンドの《角行抜刀術》による突きが、その刀身の中心を捉えた。
光の如き速さで動く刀を刀で捉えるなど、ましてやそれを命懸けの勝負の初手で、しかも基本は不利となる後攻で行うなど、まさしく想像を絶する。
この男、一体何処までおかしいのかと、私は愕然とした。
……結果、甲高い音が鳴り、マサムネ殿の刀が大きく横へ逸れる。
大きすぎる隙。「二の太刀が決まる」――私がそう思った刹那、セカンドは驚くべきことに、納刀しながら《金将抜刀術》を発動した。
何故そのようなことを、と。疑問に思う間もなく、その理由がすぐさま明らかとなる。
読んでいたのだ……マサムネ殿の、脇差の一撃を。
マサムネ殿は瞬間の判断で刀を手放し、もう一本の小刀、脇差に切り替えんとしていた。
天晴れ! と言わざるを得ない。あの一瞬でそこまでの判断ができるなど、流石は十六歳にして家元となった才の持ち主である。
……しかしながら、その上を行く者がいた。憎らしいことに、軽々と。
恐らくセカンドは、刀に与えた一撃の僅かな手応えの違いで、マサムネ殿の次の狙いを見切ったのだろう。マサムネ殿の繰り出す脇差による必殺の一撃、その延長線上に、ひょいと軽く置くようにして、《金将抜刀術》の反撃を用意していた。
「そん、なっ――!!」
マサムネ殿は、成す術なくセカンドの《金将抜刀術》へと斬り込んでしまう。放り投げた石が空中で止まれぬが如く。
「すまん、痛いぞ」
セカンドは一言呟いた。
直後、くるりと刀を回し、強烈な反撃を入れる。
がら空きとなった、マサムネ殿の心窩へと……。
* * *
峰打ちだ。
バツン! と痛そうな音が響き、マサムネは悶絶した。
……殺してしまうにはあまりにも惜しい才能。彼女もまた、タイトル挑戦者として相応しい、光るものを持っている。
そもそも、殺すことなど目的ではない。まずはその腕前を堪能し、もし相手がぬるま湯に浸かっていたならば、そこに火を点けてガソリンを注ぎ入れてやることこそが目的だ。
そして、目的は果たした。
マサムネはまだスタンしているようで、床に倒れ伏したままぴくりとも動かない。
また門下生が騒ぐんだろうな、と予想していたが、結果は正反対だった。道場内はシンと静まり返っている。門下生の女たちは、全員が沈黙したまま、決してその場を動こうとしない。マサムネを介抱しようとも、俺にかかってこようとも。
それでいい。腰抜け共の相手をしている暇はない。
「マサムネに伝えておいてくれ。また会おうと」
一つ言い残し、俺とアカネコは弁才流の道場を去った。
五分か、十分か、俺たちは無言で歩いた。
そろそろ日が暮れる。元来た道を戻っていることから、これが帰り道だとわかった。つまり、今日の案内はこの二つの道場で終わりということだろう。
「弁才流の門下生、大黒流より練度が高いな。マサムネには教育の才能もあるのかもしれない」
「…………」
「お前の道場はどうなんだ? 門下生の水準は」
「…………」
「なあ、おい。聞いてるのか?」
「…………」
駄目だ、反応がない。
アカネコは何やら考えごとをしているのか、前を見据えてスタスタと先を歩くだけだ。
……かと、思いきや。それから数分後、アカネコは突如くるりと振り返り俺を見ると、沈黙を破った。
「私はお前が恐ろしい」
「どうした突然」
「お前は、刀八ノ国を潰しに来たのか?」
真剣な表情。どうやらボケているわけではないようだ。
うーん。潰しに来た、ねぇ……。
「違うな」
「では何をしに来た。今日だけで二つの流派の面目を潰した。明日もまた潰して回るのであろう。これで潰してないと言っては嘘になるぞ」
「面目を潰したって……潰されるような面目があったのか?」
「……やはりお前は島にとって害となる。約束とはいえ、引き入れた私が間違いであった」
空気が凍りついた。
その冷気は、アカネコから発せられている。殺気ってやつだな。
「おいおい、抜こうとするな。試したってつまらんぞ」
刀を持っていない俺を試したところで、それはやはり、つまらない。
「…………」
アカネコもそれをわかってか、沈黙の後、静かに刀から手を離した。
「お前ももうわかってんだろ」
「何を」
「抜刀術ってのは、面白いなァ?」
「それがどうした」
「……観たくて堪らないんだろう。俺の勝負を」
「っ!」
薄々、感付いていた。
アカネコも、抜刀術の魅力に取り憑かれた者の一人だと。
皆、そうだ。先を知りたいんだ。本物の、究極の、その先を――。
「心配しなくても最後まで見せてやる」
「……戯けたことを。私は微塵もお前に興味などない。無論、見たくて堪らぬなどと思っては」
「じゃあ何故マサムネとの勝負の時、俺に刀を貸した?」
「それは……っ」
「なるほどな、今わかった。お前は時折、本心とは裏腹なことを言ったりやったりするきらいがあるな。誰かにそう指摘されたことはないか?」
「なっ、ない! 断じてない!」
「図星か。わかりやすいなぁ、アカネコ」
「~~~っ!! うるさい! 先に行く!」
あーあ、怒らせちゃった。
でも、良いことを知った。嫌よ嫌よも好きのうちってか。まあ、時と場合にもよるだろうが。
ということは、案外、本心では……。
「明日も案内よろしくー」
……この島、潰れてほしいって思ってんのかもな?
お読みいただき、ありがとうございます。