139 破廉恥な!
約束の時間。
俺はあんこの転移召喚で刀八ノ国の港に降り立つ。
そこには既に、アカネコの姿が見えていた。
「……その顔はやめろ。二度は笑わぬぞ」
「…………」
「ンッフ、やめろと申しておる!」
「はいはい」
出会いがしらの勝負は、俺の勝ちだな。
「さて。刀を返す前に、証明と行こうか」
「大した自信だな。如何にして証明する?」
「今から一つずつ見せる」
単純な話だ。
俺は虚空へ向かって、《歩兵抜刀術》から順にやって見せていく。
最初のうちは「ほう」と感心した様子で見ていたアカネコだが……《飛車抜刀術》あたりからその表情が青いものに変わった。
そして《龍王抜刀術》を見せる頃には、アカネコはこちらに疑いの眼差しを向けるようになる。
「一体どのようなイカサマを使った」
「イカサマできると思うか?」
「そうか、私をおちょくっていたのだな。お前、実は最初から覚えていたのだろう?」
「まさか」
「では、幻の類か」
「そっちの方が難しい」
「……全て、覚えたというのか?」
受け入れがたいようだ。
だが、実際に全て覚えてきたのだから仕方がない。
「ふ、ふざけるな。一週間で……一週間で、覚えきるなど――」
――人間ではない。
アカネコが小さく呟く。
出た出た、いつもの化け物扱いだ。自分が理解できない事実に直面したやつは、すぐに俺を化け物だと言って「例外認定」する。まるで、自分はおかしくない、あいつがおかしいだけだと、正当化するように。
かわいそうになぁ。そうしなきゃあ、これまで気の遠くなるような時間を費やしこつこつ努力して積み上げてきたものが、全て「無駄だった」と認めざるを得なくなるんだものなぁ。だから自分の小さな小さな砂上の楼閣を守るために、俺のような化け物を悪者に見立てて必死に追い払おうとするんだ。
「おい、勘違いするなよ」
気持ちはわからんでもないが、腹が立つ。
無駄? 馬鹿を言え。メヴィオンなんてな、その繰り返しだぞ。“1000”の力をかけてやっていたものが、ある日突然“1”で済むようになるんだ。つい先日の《龍王抜刀術》の習得だってそうだった。都合の良い近道なんてものは、大概が来た道を振り返った時にしか見つからない。
本当に心の底から「無駄だった」と思う時なんて、人生を無駄にした時くらいじゃなきゃ駄目なんだよ。
「お前はこれからスタートするんだ。ここで踏ん張れないやつは、一生そのままだ。それでいいなら、ずっとそこで不条理に対して文句を垂れながら糞垂れてくたばれ」
「なんだと……!」
「どう思ってくれようが構わないが、これが現実だ。お前は賭けに負けた。大人しくミニスカ履いて俺を案内するんだな」
「…………くっ」
アカネコは親の仇を見るような目で俺を睨むと……三歩近付いて俺に“絆之矢”を差し出した。
不服そうな顔をしていても、約束はしっかりと守るようだ。
これまでの彼女の人生を根底から覆しかねないような事実を目の前にして、それでも、約束は守る。実に高潔な人間だな。
俺は感心して、笑顔でアカネコに刀を返した。
「ああ、それと」
待望の、約束の品を手渡す。
「なっ、こんなに!? 私は着せ替え人形ではない!」
「全部やるよ。好きな物を一つ着ればいい」
「!? 斯様に上等な生地、見たことも……」
「わりと寒いからな、この際ロングスカートでも構わない。お前はとても美人だし、きっと似合うだろう。その長い黒髪が映える色合いを選んだ」
「か、からかいおって……!」
両手いっぱいに俺のプレゼントを受け取ったアカネコは、なんとも複雑な表情をしていた。
喜んでくれたようで? まあ、何より。
さて、本題も済んだところで……じゃない、雑事も済んだところで、本題だ。
「島を、いや、刀八ノ国を案内してくれ。巡る順番は、お前に任せる」
* * *
「今日はもう日が落ちる。明日の朝で構わぬか?」
「構わない。俺はどうすればいい?」
「帰れと言ってほしいのか? 心配するな、夜を明かす場所くらい私がなんとかする」
「お優しいことで」
「誰のせいで私がこれほど苦心していると思う!」
「……お前の親父?」
「お前のせいに決まっているだろう!!」
……全く、ふざけた男だ。
こういった軽薄な男が一番嫌いだ。
ゆえに、私はこう思う。この男の余裕綽々といった表情が、崩れ去る様を見たいと。
一体どのような手を使って一週間で抜刀術を覚えきったのかは知らないが……この男はまだ知らないのだ。
この島が、この国が……血に飢えた悪鬼どもの蔓延る修羅の地獄ということを。
抜刀術を覚えた如きで調子に乗ってもらっては困る。
私など、十一で全て覚えた。身の毛も弥立つ死地に足を踏み入れ、地獄の窯すら生ぬるい修行の日々を昼も夜も過ごしたのだ。いずれ『兜跋流』の名を背負う者として――。
「着いたぞ。ここならば夜風も凌げよう」
「随分と風格のある家だな。ここは?」
「日子流の創始者がかつて暮らしていた場所だ」
「日子流?」
「大昔、小さな船で島へと流れ着いた余所人が創始した流派。今ではその言い伝えだけが残っている。誰も使っていない、近寄ろうともしない空き家だ」
「へぇ。俺にぴったりだな?」
「然様。余所人という点では」
そして……悲惨な死を遂げた最期も、同様となろう。余所人は皆そうなる運命なのだから。
「では明朝また訪れる」
「おう。ありがとな」
「……ふん」
考えれば考えるほど、おかしなやつだ。
一体なんのために刀八ノ国へとやって来たのか。抜刀術を覚えるためと言っていたが、その目的はもう果たしたろうに。
わからぬ。全てがわからぬ。
もしや、私の刀が狙いか? ひょっとすると、贋物とすり替えられているのではなかろうか……。
「…………考えすぎか」
見たところ、私の刀は間違いなく本物。それどころか、渡した時よりも鋭く研がれている。実に丁寧な手入れだ。
刀の扱いを知っている……?
であれば、やはり最初から抜刀術を覚えていたのだろうか?
「ん……?」
ふと、目に留まった。
柄に巻かれた革の溝。そこに、小さな黒い塊がこびり付いていた。
「………………」
――血だ。
私にも覚えがある。我を忘れて刀を振り続けるあまり、手の皮が剥がれ出血するのだ。
これほど丁寧に手入れして尚、こそぎ落とせない血。一体どれほど出血したのか? 出血したまま刀を振り続けたのか? 恐らくはポーションを使う暇すらなく、痛みなど無視して振り続けたのだろう。でなければこうはならない。この黒く固まった血は、それほど抜刀術に没頭していたことの証左。誤魔化しようのない努力の証拠。
「まさか……あの男、本当に……?」
少し、私の考えが変わった。
……のも、束の間。
「む、む、むぅうう……っ!」
翌朝、あの男から貰った贈り物を広げて見てみれば、どれもこれも私には到底似合いそうもない女子らしいものばかりであった。
いや、斯様な衣服に心惹かれぬというと嘘になる。
本土では「すかぁと」なる筒状の袴や「わんぴいす」なる衣服が流行していると行商人から聞いたことがあり、密かに憧れていたのだ。私とて十七の女子、時には女らしい恰好もしたくなる。
加えて、こんなにも上等な服、一生に一度は着てみたいと夢見る女子が殆どであろう逸品。それは、私も例外ではない。
しかしながら……いざ、これを身に纏い、外を歩くとなると……っ。
「な、ならんっ!」
破廉恥な!!
こんな姿、道場の者に見られてみろ! 兜跋流跡取りの威厳が地に落ちる!
私は、最も無難な長い袴の着物を乱暴に手に取り、袖を通した。
そこで……再び逡巡してしまう。
これを着ていったとして、あの男に何を言われるか。
がっかりされる? 否、あの男、長いものでも似合うと言っていた。恐らく褒めてくれる。
短い袴でも、褒めてくれるだろうか? 似合わないと笑われるのではなかろうか?
……いいや、あの男は助兵衛だ。きっと褒めちぎってくる。そうだ、そうに違いない。
こんな機会、もう二度とないのではないか?
であれば、この機に乗じ、あやつのせいにして、思い切って履いてしまうという手も……?
……………………。
「~~~っ!! ええい、くそっ! 約束は約束だ!」
もう知らぬ!
私は誰にでもなくぶつぶつと言い訳を垂れながら、恐る恐る短い袴を手に取った。
* * *
「最強。お前の銅像をぶっ建てて、朝昼晩と祈りを捧げたいくらいだ」
思った通り、完璧だった。
白の着物に紺の袴、大きめの羽織に、白い足袋と黒い雪駄、ポニーテールに結われた長い黒髪と、腰にぶら下がった無骨な刀。
何よりゆでだこのように真っ赤っかになった顔を両手で隠し、ふるふると小さく震えている様が見事の一言。狙ってやっているのなら、こいつ、天下取れるな。
「ふ、ふ、ふざけるなっ」
「ありがたやありがたや」
「本当に祈りを捧げるな戯け!」
「いやでも、約束とはいえありがとう。勇気がいっただろう?」
「当たり前だ! 誰にも見つからぬよう道場を抜け出すだけでどれほど疲れたか!」
そんなに他人に見られたくないのか。相当な恥ずかしがり屋だな。
でもさぁ……。
「なあ、お前忘れてないか? これから島を案内してくれるんだろ?」
「……?」
「その恰好で島を練り歩くことになるんだぞ」
「………………あっ」
気付いたようだ。
真っ赤だった顔が、どんどん青くなり、そして紫になる。
「き、着替えなければ」
「許すと思うか?」
「…………」
沈黙。
「……は、ははは……こうなったら、破れかぶれだ……もう、どうにでもしてくれ……」
数十秒後。アカネコはようやく諦めがついたのか、ぐるぐると目を回しながら半笑いで呟いた。
よし。そうでなきゃあ、罰ゲームにならない。
「さて、最初は何処から案内してくれるんだ?」
下準備も完了し、いよいよ。
俺は逸る気持ちを隠しきれず、彼女の案内を催促した。
すると――アカネコは不意にそれまでの鮮やかな表情を消し、刀のように鋭い目で口を開いた。
「……大黒流。先ずは、この島で最も門下の多い流派の道場へ」
お読みいただき、ありがとうございます。