閑話 セーラー服と防寒着
おまけです。
「うちがこれしきで諦めると思うたか? 残念! そう簡単には諦めへんで~」
うっしっし、と口元に手をあてて笑う乙女が一人。元聖女ラズベリーベルである。
時刻は深夜0時。
皆寝静まった頃を見計らって、自室を出てきたのだ。
初日の夜は疲れ果てて何もできないまま寝てしまったため、二日目の夜と少々出遅れている。ゆえに、彼女には若干の焦燥感があった。
「……それにしても広い家やな。迷子になりそうやわ」
ラズベリーベルは、この豪邸で丸二日過ごしているというのに、未だその広さに慣れていない。
この湖畔の豪邸だけならまだしも、だだっ広い敷地内にはいくつもの馬鹿でかい家が散在しているのだ。日中、使用人に案内してもらったとはいえ、その全てを把握するにはまだまだ時間がかかりそうだった。
そうして探り探り、抜き足差し足忍び足で廊下を歩きながら、彼女はある部屋を目指す。
そう、セカンドの部屋だ。
ラズベリーベル一世一代の告白は、あんこによる転移で見事失敗に終わった。
だが、彼女はこれしきで諦めるようなタマではなかった。
十年近く、彼のストーカーをやっていたのだ。それもそのはずである。
「確かこのへんに……おっと、ここやここや」
記憶を頼りに薄暗い廊下を進むと、セカンドの部屋が見えてきた。
緊張の面持ちで、ドアの前に立つ。
深呼吸を一つ。
……もう一つ。
更にもう一つ。
おまけにもう三つくらいして、ラズベリーベルはいざドアをノックしようと、右手を振りかぶった。
「…………ん゛!?」
一瞬、彼女の耳に、ナニかが聞こえる。
気のせいであってほしい。そう思いながら、彼女は耳を澄ませた。
「……ん? ん? んん~~~?」
ついにはドアに耳を当て、部屋の中の様子を探り始める。
「こ、これは……そういうことなんやろか……」
嫌な予感は的中した。
聞こえてきたのは、明らかに“そういう声”だった。
「……なんや、センパイもやることやっとんねんなぁ」
はぁ、と溜め息一つ、ラズベリーベルは肩を落として呟く。
部屋の中から聞こえる声は、今まさに真っ最中といったようなものだ。流石のストーカーも、そんな二人の邪魔はできない。
だが、それで諦めるようなストーカーでもない。
「一時撤退やな……」
告白は、また今度にしよう。
そう決めたラズベリーベルは、セカンドの部屋を後にする。
……はずが、その足は一向に動かない。
「そ、そんなに、凄いんやろか?」
ごくりと唾を飲み込んで、ドキドキとうるさい鼓動を抑えつけながら、彼女は誘惑に負け、再びドアにそっと耳を当てる。
……それから5分も10分も、ラズベリーベルはその体勢のまま過ごした。
そして20分後、ドアから静かに体を離すと、また一つ大きな溜め息をついてから、とぼとぼと自室へ去っていく。
「あかん、洗濯せな……」
むなしい呟きが、誰もいない廊下に小さくこだました。
「今日は休んでおけと言っている!」
「嫌だ! 休まない!」
「なんだと! 私はセカンド殿のためを思って!」
「余計なお世話だっての!」
「なっ、わからん男だな!」
翌朝。
ラズベリーベルがリビングへ下りると、シルビアとセカンドが喧嘩をしていた。
「なんや、朝から騒々しい」
「ラズ! 聞いてくれ! こいつ俺に休めって言うんだ!」
「ラズベリーベル! セカンド殿はここ数ヶ月一日も休んでいないのだぞ!? 一段落ついた今日くらい構わないではないかと私は言っているのだ!」
「昨日だって午後は休んでたじゃねーか!」
「ユカリに鍛冶の指示を出していたではないか!」
「ほらァ! 休んでんだろ!?」
「それは休んでいるとは言わーんっ!」
ぎゃーぎゃーと言い合う二人。
そんな様子を見ながら、ラズベリーベルは溜息まじりに口を開く。
「……もう結婚したらどうやアンタら」
「いや、どうしてそうなった」
「け、けけけ、けっ、こけっ……!?」
呆れるセカンドと、変な声を出して硬直するシルビア。
「しるびあ、やきとり!?」
「エコ、焼いたらあかん」
「とり!」
「せやなぁ」
ラズベリーベルは「朝メシ前なのにご馳走さんやわ」と呟いて、洗面所へと移動した。
顔を洗いながら、ふと思う。
羨ましい――と。
セカンドと痴話喧嘩をする。
それがどんなに難しく、そして尊いことか、シルビアは知らない。
十年かけてできなかったことを、目の前でこうも簡単にやられてしまうと……ラズベリーベルとしては、ただただ「羨ましい」の一言であった。
「……いや、ちゃうやろ」
落ち込みかけた自分に、自分で活を入れる。
この世界に来て、ラズベリーベルは大きく変わった。
陰から彼を見ているだけでは、もう駄目なのだ。
その横に立つべく行動を起こす。そう心に決め、告白をしたのではなかったのか?
もう彼の迷惑にはならない。独りよがりの想いにはならない。心からそう信じ、その夢をささやかに実現するために『ラズベリーベル』をメイクしたのではなかったのか?
自問の答えは、すぐに出る。
YESだった。もう、これ以上ないってほどに。
「よっしゃ!」
パン! と湿った頬を叩き、ラズベリーベルは気合を入れ直した。
顔をタオルでぬぐい、鏡に向かってシャキッとした顔をする。
頑張れ、ラズベリーベル。負けるな、ラズベリーベル。
鈴木いちごは、彼女にエールを送る。
願わくば、彼の隣を笑顔で歩けるように――。
「せかんど、うみいこっ」
「海? ……あ、そうか。そうだな。じゃあ海行くか」
朝食後、R6の活動へと向かったレンコを除いたメンバー5人がリビングでまったりしている中、エコがふと思い出したように口にした。
「出たな、エコ贔屓が」
「出ましたね、エコ贔屓が」
シルビアとユカリが抗議の声をあげる。
「仕方ないだろ約束したんだから。なー?」
「なー!」
エコはご機嫌の笑顔でセカンドの膝の上からぴょんと降りると、駆け足で自室へ支度をしに向かった。
「ふん、勝手にするのだな」
まあ休暇にはなるか、とシルビアはセカンドに聞こえないよう呟く。
ユカリはその様子を見て「しょうがない二人ですね」と口角をわずかながらに上げ、セカンドのティーカップを片付け始めた。
「う、うちも付いてってええか?」
「ん? ああ、いいぞ」
チャンス! とばかりにラズベリーベルが挙手をする。
シルビアとユカリは一瞬だけむっとした表情をしたが、シルビアは喧嘩をした手前素直になれず、ユカリは仕事が立て込んでいるため挙手できず、仕方なしに彼女を見送ることにした。
「できた! いこ!」
しばらくすると、釣り竿とバケツを持ったエコがリビングに現れた。
「お前、釣りすんのか?」
「うん!」
3号500と書かれた大きな釣り竿だ。
一体いつの間に、何処で買ったのか、よく見ると仕掛けも本格的なものを準備しているようだった。
「そういや“釣りゲー”言われとったなぁ」
ラズベリーベルはセカンドにしか聞こえないよう、小さな声で呟く。
メヴィウス・オンラインは、やたらと釣りに凝っているゲームであった。釣りだけを目的にゲームを始めるプレイヤーもいるほどのクオリティで、その魅力に取り憑かれた者も少なくない。ゆえに、一部界隈では「釣りゲー」と親しみを込めて呼ばれていたのだ。
セカンドは「懐かしいな」と一言、二人にしかわからない笑みで返した。
「……ふふ!」
たったそれだけのことで、ラズベリーベルはどうしようもなく幸せな気持ちになる。
ちょろいなぁ、うち……と、ニヤけた顔のまま思うラズベリーベルであった。
「さー、行くぞー」
セカンドは全員の準備が整ったのを見て、あんこを《魔召喚》し、《暗黒転移》を指示する。
直後、エコから順番に海沿いの町へと召喚されていった。
行先は、古城アイソロイスのある孤島の玄関口、港町『クーラ』だ。
「――よし、着いたか。ご苦労あんこ」
「いえ、御身のためならば苦など一つたりともありませぬ」
「可愛いなぁお前は」
「か、かわっ、可愛いなどと、そんなことは……」
港町クーラに到着後、セカンドが労いとばかりにわしゃわしゃとあんこの頭を撫でると、彼女は気持ちよさそうに糸目を更に細めて体をすり寄せた。
「……嗚呼、懐かしい匂いがいたします。主様と初めて訪れた港町で御座いますね」
「潮の匂いは好きか?」
「ええ。主様の匂いの次に」
「じゃあ三番目は?」
「血の匂いでしょうか」
「お前らしいなぁ」
木陰で港を見ながらイチャイチャする二人。
「……ん?」
そこへ、血相を変えたラズベリーベルが遠くから駆け寄ってきた。
その傍らには、縮こまったエコの姿。
「どうしたー?」
気付いたセカンドが声をかける。
すると、ラズベリーベルが大声で応えた。
「あかーん! エコが落っこちたー!」
「……ま、マジか……」
あちゃー、という顔でセカンドは呟く。
木陰まで二人がやってくると、その状況がよく見てとれた。
エコのお尻にびっしりと緑色のコケがついている。
「コケで滑ってコケた?」
セカンドが尋ねると、エコが寒さに震えながらこくこくと無言で頷いた。心なしか震えが更に増したようだ。
「ははは、まあ大事なくてよかったよかった。あんこ、家に送ってやれ」
「御意に」
何しに来たのかわかんねぇな、と一言、セカンドはあんことエコを見送った。
「……あっ」
港を見渡せる大きな木の下で、セカンドとラズベリーベルの二人きりになる。
その事実に気が付いたラズベリーベルは、小さく声を漏らした。
次の《暗黒召喚》まで60秒。ラズベリーベルのよく知るセカンドなら、きっとこう言うはずだ。
「さ、俺たちも帰るか」
ほらね、と。小さく笑う。
ラズベリーベルは、瞬時に覚悟を決めた。
いつものように胸に手を当て、深呼吸を一つ、沈黙を破る。
「センパイ、折角来たんやから、ちょっちクーラの町をぶらついてから帰らへん?」
彼女は焦っていた。
先ほどのあんことの仲睦まじい様子を見て、居ても立ってもいられなくなったのだ。
ゆえに、このまたとない機会に、攻めの手を緩めることはない。
「おっ、いいぞ。何処行く?」
「うち商店街行きたいわ」
「あいよ」
気兼ねないやりとり。まるで、友達のような。
これではいけない。ラズベリーベルはその距離感に心地良さを感じながらも、一人首を横に振る。
sevenとフランボワーズ一世の関係ならば、これでいい。だが、セカンドとラズベリーベルの関係ならば……彼女にとっては、このままでは駄目なのだ。
「なあ、うち、セーラー服似合うと思う?」
「どうした急に」
「中学も高校もブレザーやったやん? うち、一回でええからセーラー服着てみたかってん」
「あ、そうか。セーラー服ってクーラでしか売ってないのか」
「せやねん!」
「おし。折角だからな、買いに行こう」
「うん! 折角やからな!」
セーラー服は、港町クーラの店売りでしか買えない装備だ。
これを口実にあわよくばデートをしてやろうというのが、ラズベリーベルが咄嗟に考えた作戦であった。
「ここか」
「うわぁ~、いっぱいあるで! 見てやセンパイ!」
店に着くと、ラズベリーベルは声を弾ませて駆け出した。
実際、セーラー服への憧れはあったのだ。ショーウィンドウに並ぶ様々なセーラー服に目を惹かれ、ついつい笑みをこぼす程度には。
「おお。これなんかいいんじゃない?」
「ほんまか!?」
「着てみろよ」
「うん!」
セカンドが手に取ったのは、シンプルな紺色のセーラー服。
ラズベリーベルは嬉々として受け取ると、試着室に入り着替え始めた。
鏡に映った自分を見て、「これはいける」と確信に至る。
「じゃーん! どや?」
「119点」
「……いや嬉しいけど、なんやその半端な19点は」
「素数にしてみた」
「7で割れるで……?」
「……うわ本当だ!?」
二人笑い合う。
ラズベリーベルは溢れ出る嬉しさに頬を染めて、セカンドはばつが悪そうに頭を掻きながら。
「ほな、うちこれ買うわ!」
右へ左へスカートをひらひらさせて、ニコニコしながら言うラズベリーベル。相当に気に入ったようだ。
セカンドはそんな彼女を見て、カラッと笑いながら言った。
「いいや、買ってやるよ。こういうのは男が払うもんだ」
「……ええの?」
「そもそも、お前そんな金持ってんのか?」
「………………あっ」
よくよく考えると、ラズベリーベルは無一文だった。
カァッと頬が熱くなる。浮かれに浮かれセーラー服を着てはしゃいでいた自分が途端に恥ずかしくなったのだ。
「相変わらずうっかりだな」
ケラケラ笑って料金を支払うセカンドを見て、情けなさが増す。
値札には21万CLと書いてあった。かなりの高額だ。加えて申し訳なさが増す。
だが、同時に……自分が女の子扱いされている事実に、得も言えぬ嬉しさが込み上げた。
思わず目頭が熱くなる。ラズベリーベルがずっと求め続けていたものが、今、ごく自然な形で実現しようとしているのだ。
ほんのちょっとの、わずか数分の、買い物デート。
しかし、彼女にとっては、まるで夢のような時間だった。
「ほら、寒いだろ。コートも買ってやったぞ」
「ぁ……センパイ……」
ふわりと肩にかけられたのは、紺色のセーラー服によく似合うベージュのダッフルコート。
――暖かかった。とても。
「暖かいわ……ほんま、暖かい……っ」
こうして、買い物デートは一瞬で終わった。
悲しいかな、男の買い物とはこんなものである。
「ほな、帰ろか」
「もういいのか?」
「うん。うち、もう、じゅーぶん満足や!」
商店街を海側に向かって歩きながら、二人はそんな会話をする。
ラズベリーベルは気が付いたのだ。何処か急ぎ過ぎていた自分に。
自然に、ゆっくりと、変わっていけばいい。
彼女には彼女のペースがあり、またセカンドにもセカンドのペースがあるのだ。
頑張れ、ラズベリーベル。フレフレ、ラズベリーベル。
鈴木いちごは、溢れんばかりの笑顔で、セカンドと二人、帰り道を歩くのだった。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回から『第九章 刀八ノ国編』です。