131 刺青
「お久しぶりですセカンド様」
昼メシ後。ラズと二人で料理長ソブラのもとを訪ねた。
場所は敷地の北、森林の中にある別荘風の大きなログハウスである。ユカリによると、彼はここで長らく療養しているらしい。
「久しぶりだな。その後どうだ」
「悪くないですね。昔と比べりゃあ……」
「そうか」
ボサボサの黒髪と無精ひげは以前と全く変わりない。顔色も肌艶も良い。見たところ調子は本当に悪くなさそうだ。一時期は外にも出られないような状態だったと聞いていたが、大分回復したのだろう。
「今日は俺の昔なじみを連れてきた。ラズという。カラメリアについての話を聞きたいそうだ」
「……よろしゅうな」
「へえ、セカンド様の! わかりましたよ、俺でよければ話しましょう」
ソブラは俺たちをログハウスの奥へ案内すると、慣れた手つきで紅茶を人数分淹れ始めた。
感心して見ていると、俺の視線に気づいたのか、ソブラがこちらに背を向けたまま口を開く。
「ここにいると、大してやることがないんです。だから来る日も来る日も自主練するしかない。料理の腕、上がったと思いますよ」
「そいつは楽しみだ。実を言うと、お前の復帰を心待ちにしている。カツ丼の約束もあるしな」
「俺にとっては、これ以上ないお言葉だ……本当に」
かつて喫煙所で約束したことを忘れてはいない。貴族向けの料理を学びつつ庶民派の料理も学んでほしいと頼んだのだ。ユカリは俺たちの健康を考えてかあまりガツンとした脂っこいものを作ってくれない。密かに、俺はソブラの料理を楽しみにしていた。
「さて。何から話しましょうかね」
よっこいしょと椅子に腰かけて、ソブラはラズに向き合う。
ラズは暫し考え、ゆっくりと言葉を選ぶようにして問いかけた。
「依存症はどんなもんやろか?」
存外、ストレートな質問。ソブラは「ははっ」と軽く笑って答える。
「爆乳の美女が走った。どうなります?」
「えーと……?」
「爆乳の美女が、走るんです。イッチニ、イッチニと」
「そら……まあ、乳が揺れるやろな」
「ええ。たゆんたゆん、ないし、ばるんばるん揺れますね」
「……??」
「何を当たり前のことを、と。そう考えましたね」
「そらな」
「爆乳の美女が走ったら乳が揺れる。カラメリアを吸ったら気持ちが良い。これは同じように当たり前のことと言える」
「はあ」
「男ってのは、乳が揺れてんのを見たら、十中八九ムラッと来る。わかりますか?」
「まあ、わからんけど納得はできるわ」
「カラメリアを一度でも吸ったことがあるやつってのは、ほんの一瞬でもカラメリアのことを思い出したら吸いたくなる。そういうことです」
「…………なるほどな」
「その衝動はどうしたって起こってしまう。男の誰しもが乳揺れにムラッと来るのを抑えられないように、カラメリアを吸いたくなる気持ちを抑えることはできんのですよ」
こいつぁひでぇ……思ったより深刻そうだ。
「多分、今後一生そうでしょうね。俺はタバコを見たりカラメルって聞いただけでカラメリアを連想して、あの快楽を求めて居ても立ってもいられなくなる。二度と消えねえ脳ミソの刺青ですわな」
沈黙。
ラズはかける言葉が見つからないようだ。
そのはずである。たったの数ヶ月前、ラズがカラメリアを調合していなければ、ソブラはこのようなことにならないで済んだのだ。
「まあ、最近はマシになりましたけどね。どう足掻いたって吸えないってわかってるんで、諦めがつくんですよ。つまりカラメリアを絶つためには環境が大事だと言えます。そして何より周囲の協力と、曲がることのない信念ですかね」
「信念……?」
「生きがいって言うんでしょうか。ファーステストの料理長としての誇りだ。セカンド様に、ファーステストの皆に、料理を作る。今俺を支えているのはそれだけですよ。本当に、それだけ。だから絶対に裏切れない。カラメリアを吸うってことは、俺という人間の死を意味するんです」
死んでまで吸う価値はない、と。
そう考えられるってのは、意思が強いな。常に「バレなきゃ問題ない」という誘惑と戦わなければならない。ソブラはその波を乗り越えてきたのだろう。
「どうしたら楽になるんやろか……?」
ラズは申し訳なさそうな顔で言った。自責の念を感じているようだ。
自分を責める必要はないと、俺はそう思うが、力になれるならなってやってほしい。残念ながら俺には薬の知識なんてこれっぽっちもないから。
「……できることなら忘れたい」
ソブラはぽつりと呟いた。
無理だ。素人の俺でもわかる。身体的苦痛は薬である程度取り除けても、記憶ばかりは不可能だろう。
それをソブラもわかっているのか、何処か遠くを見つめるその目には薄らと諦念が滲んでいた。
「……おおきに。ほな、うちらはこれで」
「こちらこそどうも。随分と気が紛れましたよ。セカンド様も、ありがとうございました。わざわざ足を運んでいただけて嬉しかったです」
「ああ。まあ、俺の家だけどねここ」
「ははは、そうですね」
俺とソブラは、笑顔で別れる。ラズだけは上手く笑えていなかった。
ログハウスを出て、しばらく無言で歩く。
さて。どんな言葉が飛び出してくるか。
こいつとの付き合いは短くない。だからわかるのだ。今こいつは何かとんでもないことを考えている。
メヴィオン歴たった8年足らずで世界ランキング最高128位まで喰らいついたやつだ、普通の人間とは一味も二味も違う。と、俺は勝手にそう思っている。
「……うち、どっかまだ、ここがゲームの中なんやないかと思うとったわ」
「俺も経験があるな。ゲーム気分で食料品店の前で踊り狂ってたら第三騎士団に威力業務妨害でしょっ引かれて挙句ヤク中の疑いまでかけられたことがある。そのおかげでここがきちんとした現実の社会の中なんだと自覚できたが」
「うちにはセンパイみたいな経験なかったから……甘かったなぁ」
ラズは後悔するように呟いた。
ずっとカメル教会に閉じ込められていたのだから、身を以て社会を知る機会などこれっぽっちもなかったに違いない。
いきなり現実を知ったわけだ。それも、薬物依存患者との対面という、とびっきり生々しい現実を。
まあ、困惑するだろうな。普通なら。
「不謹慎かもしれへんけど……うちな、今わくわくしとる」
「ほう」
「ここは地球とはちゃう。メヴィオンともちゃう。せやから、地球でもメヴィオンでもできひんかったことが、ここではできるようになっとるんちゃうかって。とどのつまり、メヴィオンみたいな世界に、地球の科学力が加わったら……最高やない?」
「……イイねぇ、その考え」
「せやろ?」
自然と、口角が上がってしまう。
とてもイイ。手を叩いて賞賛したいくらいの気分だ。
同類の俺にはわかる。こいつもまたゲーム脳。三度のメシよりメヴィオンに没頭していた者のうちの一人。だからこそこう考える。考えてしまう。「ここは最高の世界だ」――と。
ソブラの言っていた、脳ミソの刺青。言い得て妙だな、その通りだ。俺たちにも、一風変わった刺青が入っているのだろう。どうしてもそう考えちまうような、メヴィオンプレイヤー特有の刺青が。
ゲームと現実が調和した世界。まさしく最高の世界だ。不可能が可能となることも、否定はできない。
そして、事実、ラズはカラメリアを調合している。地球にもメヴィオンにもないものを創ったのだ。つまり……
「治せるかもしれへん。うち、諦めんと、やってみるわ」
カラメリアの依存症を治せる薬も、創れるかもしれない。
僅かな可能性だろう。だが、ラズがそこに賭けるというのなら、俺は持てる全てを使って支援する腹づもりだ。
「何か手助けは必要か?」
特に必要ないと知りつつ、聞いてみる。
ラズは現状では無力な聖女でも、中身は元・世界128位だ。放っておいても勝手に強くなる。勝手に大金も稼ぐ。そのための方法を熟知しているはずだ。序盤はダイクエ戦法で、その後はダンジョン周回でと、効率良く経験値を稼ぎ、スキルを上げ、数ヶ月とかからずに追いついてくるだろう。何も心配はしていない。だが、この世界のしがらみについては、話は別である。
「なーんもいらへん。と言いたいとこやけど、うち聖女やからなぁ……」
「じゃあ、キャスタル王国内では自由に動けるようにしといてやろう」
「……センパイ。今朝から気になっとったけど、今何やっとるん?」
「全権大使」
「何処のや」
「ジパング国」
「架空の国やないか!」
「笑っちまうだろ?」
ニッと笑うと、ラズも「ほんまになぁ」と呆れながら笑ってくれた。
中身が男だとわかっていても、思わずきゅんと来る可憐な笑顔だった。
「そうと決まれば、早速あいつを呼ぼうか」
「あいつ?」
「この国の大臣」
「で、私が呼ばれたわけですか」
使いを出して数時間、夕方になってハイライ大臣がファーステスト邸を訪れた。
相変わらず丸眼鏡が似合っている、バーコードハゲの管理職風のオッサンだ。
「忙しそうで何よりだな。少し髪の毛が減ったか?」
「セカンド閣下こそまた随分と楽しそうなことをしておいでで」
軽く挨拶を済ませ、すぐさま本題に入る。本当に忙しそうだからな、珍しく気を利かせているのだ。
「カラメリアの取り締まりはどうだ?」
「難航しております。カメル神国からの密輸は取締法制定前と比べて10割減ですが、代わって国内での密造が7割増。毎日が麻薬カルテルとの戦争ですな」
ヤベェ集団が蔓延っているらしい。
「なら丁度良かった。こいつはロックンチェアからの依頼で保護している某国の聖女ラズベリーベルだ。薬物の知識がある。依存症治療に役立つ薬の開発をしたいようだから、便宜を図ってくれないか」
「……まさかとは思っておりましたが、本当に聖女様とは」
「よろしゅうな」
「こちらこそ、ようこそキャスタル王国へ。後日また改めて正式な挨拶に伺います」
「かまへんかまへん。そんなことより、薬剤の開発や。力になってくれへんか?」
「願ってもないことです。こちらからご依頼したいほどの思いで御座います」
上手い具合に噛み合ったな。これでラズは国内でも動きやすくなるだろう。
「よし。じゃあそういうことで」
「お待ちを、閣下」
パパッと話を済ませて解散しようとしたら、ハイライが俺を引き留めた。
こりゃあ、何か厄介なことを頼まれそうな気がする。俺はめちゃくちゃ嫌そうな顔を作って振り向いた。
「相変わらず正直な方ですね。しかし陛下も望まれていることです、私も退くことはできません」
「まあ言ってみ」
「国内におけるカラメリアの取り締まりに協力していただきたい。具体的には、麻薬カルテルに対抗できる身軽な戦力を」
「身軽な戦力?」
言いたいことはわかる。要は第三騎士団だけじゃ手を焼いているから手を貸してくれと、そういうことだろう。だが、身軽というのがわからない。
「第三騎士団への協力をと申しているわけでは御座いません。正規の取り締まりとは別に、麻薬カルテルに圧力をかけていただきたいのです。ゆえに、身軽な戦力と」
「おい待てよ、それって……」
「ええ。お考えの通りでしょう」
第三騎士団すなわち警察とは別口で、ふしだらな集団に圧力をかける。
これで俺が思いつくのは、ただ一つ――“義賊”の復活。
身軽というのはつまり、騎士団のように様々な制約に縛られることなく、自由に動けるという意味だろう。なるほどなぁ。
「お前が言っちゃっていいのそんなこと」
「閣下だからこそ申し上げております。お断りいただいても構いませんが、いずれにせよ他言無用でお願いいたします」
一見なんでもないお願いのようで、中身はかなり黒いことを言っている。
癒着だ。義賊は義賊として、その活動の中で王国の法を犯すこともある。ハイライは、それをある程度は見逃すと暗に言っているのだ。そこまでして麻薬カルテルの取り締まりを強化したいと、そういうことだろう。さては、かなり難航しているな? なら答えは決まっている。
「いいぞ」
「本当ですか……?」
「ああ。運の良いことに、適任がいる」
「――あたいだろ?」
俺が答えを口にすると、リビングの奥からレンコが姿を現した。
彼女はこっそり聞いていたのか、話の内容を理解しているようだ。
「彼女は?」
「名前はレンコ。義賊R6の親分リームスマの一人娘だ。カタギという話だったが、俺はいいんじゃないかと思ってる」
「左様ですか」
頷くハイライ。レンコは腕を組み、ふんと鼻を鳴らした。任せておけということだろうか。
「お前がやりたいのなら、お前に任せるが……どうだ?」
「あたい以外に誰がいるっていうのさ。任せときな」
とても乗り気である。なんとなく「やりたいんじゃないかな」と思っていたが、俺の勘は当たっていたようだ。
短い間、接していて気づいたが、彼女にはこれといった主体性がない。なのに、やり甲斐を他人に求めながらも、そこに無理矢理自分の色を出してしまうから上手く行かないのだ。なら、自主的に動ける環境を用意してやればいい。他人からのお願いという建前で一から能動的に動ける環境こそ、彼女に合っているんじゃないかと俺は感じた。
すると、レンコの後ろから更にもう一人、意外な男が姿を現した。どうしても黙っていられなかった、というような様子で。
「――私は反対です、セカンド様」
執事キュベロ。元R6の若頭である。
「どうしてだい? 確かにあたいはカタギさ。でも、義賊の心意気は」
「お嬢は何もわかっていません。義賊を、何も」
「……なんだって? もう一ぺん言ってみな」
「何度でも言いましょう。お嬢は義賊を何もわかっていない」
「あんた、覚悟はできてんだろうね……っ!」
「おい喧嘩はやめろ鬱陶しい」
血の気が多いったらない。
ただ、俺もキュベロの言葉に同感だ。レンコは義賊のことを何もわかっていない。
だが。
「なあキュベロ。お前、レンコには真っ当に生きてほしいんだろ?」
「……ええ。それが亡き親分の願いでもあります。お嬢に決して刺青を入れさせることのないよう、と」
「優しいな。優しい考えだ。でもな、そいつの生き方を決められんのは、そいつだけだ」
「しかし」
「このまま宙ぶらりんの半端者でいる方が、レンコにとっちゃあ辛いと思うがな」
「…………」
「俺は自由にやらせてみたい。義賊の真似事でもなんでもいい。レンコの思い描く義賊に、レンコがなればいい」
「……そこまで仰られてしまっては、私も頷くよりないではありませんか」
「すまんな。文句は後でいくらでも聞いてやる」
誰が決めたんだっつー話だ。
義賊が真っ当じゃないなんて、誰が。
ゲームに人生賭けるのが馬鹿だなんて、誰が。
人に言われることじゃない。最後の最後に自分で思うことだ。
やってみてから「ああ馬鹿だった」と思えばいいじゃないか。俺もそう思った。馬鹿だったって、無駄だったって。でもな、俺は結果的に無駄なことをしていたと思っても、無駄な時間を過ごしたとは思っていない。メヴィオンをやっていた十数年間、俺はずっと楽しかった。これが俺の人生だと胸を張って言えるくらい、ずっと楽しかったんだ。
「レンコ、やってみろ。好きなように。楽しいと思うなら、それが正解だ。お前はそれでいい」
「……ふん。余計なお世話だよ」
「だろうな」
ブレない彼女の返答に、俺は思わず笑ってしまった。
ばつの悪そうな彼女と、苦笑するハイライ、仕方なさげに笑うキュベロと、優しく微笑むラズ。話は纏まった。
義賊R6の復活。果たして、吉と出るか凶と出るか。まあ、なるようになるか。
さて、色々とスッキリしたところで。
そろそろ晩メシ……の前に、頃合かな。
作戦会議の。
お読みいただき、ありがとうございます。