126 決死
「落ち着かねぇー……」
現在、俺はラズベリーベルの部屋へと繋がっている修道院の中を歩いていた。
何故落ち着かないのか。理由は単純、女装しているから。というか女の姿そのものだから。
まず門番に気づかれないよう修道院の中に転移した後、適当な修道女を見つけて背後から目隠しを被せ、彼女をあんこの《暗黒転移》と《暗黒召喚》で遠くの街に飛ばして置き去りにし、彼女の容姿そっくりにレイスで変化して戻ってくる。なかなか強引なやり方で、ちょいとばかし時間がかかってしまったが、これで難なく潜入できた。
レイスの面白いところは、姿だけでなく声も変化するという点だ。感覚的には“真似”ではなく“複製”に近いと思う。恐らくキャラクターデータをそのままコピーしているのだろう。ゲーム的というかなんというか。使ってみて改めてわかる、非常に便利である。
俺は堂々と修道院の廊下を歩きながら、聖女の部屋を目指した。部屋の場所は、予め潜入していたルナが、じゃなかった、コードネーム:コンサデが既に特定済みだ。
「ここか」
明け方だからか、誰とも出くわさずに部屋の前まで辿り着いた。なんだか誘われているようで少々不気味である。
ドアノブに手をかけると、カチャリと抵抗なく開いた。鍵はかかっていない。
「……はい、いません。っと」
案の定と言うべきか、ラズベリーベルはいなかった。
聖女の世話係レンコによる教皇暗殺未遂で、向こうは警戒を強くしている。そのため聖女を安全な場所に移動させた、と見るべきだろう。もしくは、聖女さえ疑って見ているか。
ええと、いなかった場合はどうするんだったっけ……ああそうだ、ルナに通信だ。
俺は修道院を後にしながら、ルナに「いなかった」と通信を入れる。数秒で「暫しお待ちください」と返信が来た。
それから10分ほど経って「発見しました」と通信が来る。えぇ……彼女、有能すぎません?
ルナは「オルドジョー北東D地点に転移後、川沿いに南進してください」と言う。前日の打ち合わせで大体の転移ポイントを共有していたので、誰にもバレずに安全に、かつ最も近い場所に転移できるよう教えてくれているのだ。
オルドジョー北東D地点。そこは激戦区と予想していた峡谷から少し離れた川のほとり。彼女の指示通りに転移すると、ズボッと足が雪の中に突き刺さった。一晩で随分と降り積もったようだ。
「主様、寒くは御座いませぬか?」
「大丈夫だ、動けば温まる」
あんこが体を撫でて心配してくれる。残念ながらゆっくりと温まっている暇はない。
そろそろ日が昇りきる頃。日陰に入らなければと進行方向に影を探したが、見通しが悪く先の方がよく見えない。
これでは影から影へ転移するより、普通に走った方が早そうだ。俺はあんこに「暫し休んでおいてくれ」と伝えて、感謝とともに《送還》した。
さて走ろう。さあ走ろう。
しっかし、雪が足にまとわりつくなこりゃ……。
「ああくそっ、走り難いったらねえよ!」
とかなんとか悪態をつきながら移動しているうちに、峡谷の脇に出た。
そこは激戦の真っ最中だった。きっと白い外套の方がディザートだろう。おお凄い、少人数なのに素早く立ち回って圧倒している。チームワーク抜群だ。対して、こんな雪の中なのに馬鹿みたいにゴツイ鎧を着ている方がカメル神国軍だろう。そりゃ押されるっちゅーねん。機動力皆無だもの。
俺は彼らに気づかれないように、しれっとした顔でカメル神国軍の兵士に化け、本陣へと突入していったディザートの後を追うカメル神国軍の、更にその後ろを追う形で、こそこそと先へ進んだ。
きっと、ディザートが一点突破していった先に教皇がいる。そして、ラズベリーベルも。
レンコのやつ、どうなったかなあ……と。ぼんやり考えながら、俺は雪道をひたすら歩いた。
* * *
奇襲は大いに成功した。
ディザートは雪と闇にまぎれて接近し、大量の火矢を放つ。冬の乾燥した空気で燃え広がり、明け方のオルドジョーは途端に大混乱と化した。
とはいえ、そもそもの人数差は絶望的。カメル神国軍は多少の混乱などものともせず、瞬く間に兵を展開する。
しかし、ディザートはここからが強かった。
練りに練られた“白銀作戦”の開始である。彼らは数十の部隊に分かれ、渓谷や森などの地形を存分に利用し、カメル神国軍を次々に分断、散り散りとなった兵士たちを各個撃破していった。
数で押しつぶせばものの数時間で決着はつく、と。当初はそう考えていたブラック教皇だが、人数差の通用しない地形に、何処から攻めてくるかわからない白銀の戦士たちによって、どんどんと削られていく自軍を見て、頭を抱える。
現在のオルドジョーは、教皇の思っていた以上に手薄であった。キャスタル王国を恐れて国境へと兵を送った影響だ。
また、兵士たちの雪中戦の練度は低く、士気も最低であった。これまで信仰を逆手にとり奴隷のように扱き使ってきたことによる当然の結果である。
……負けはない。それは明らかだが、長期化は十分にあり得る。そして、その中で唯一、負ける可能性が出てくる要素とすれば……。
「聖下、お気を付けを」
そう、暗殺である。一度は影武者でことなきを得たとはいえ、二度目がないとは限らない。
近衛兵ネクスによる忠告に、ブラック教皇は深く頷いて口を開いた。
「場合によっては、ネクス、お前に頼むやもしれん」
「お任せください」
ネクスは無表情で頭を下げる。
護衛を頼む、という当たり前の話ではない。それは、安易に言葉にはできないほど恐ろしく悍ましい依頼であった。
「ブラック、まさか自分、アレを使うつもりやないやろな……」
「口の利き方がなっておらんぞ、ラズベリーベル」
オルドジョー東部の本陣。ブラック教皇が指揮を執るその場所に、聖女ラズベリーベルの姿もあった。
ネクスが連れてきたのだ。彼はラズベリーベルを疑っていた。レンコによる影武者の暗殺は、彼女の差し金によるものではないかと。そして、彼女はディザートと繋がっており、彼女を奪還しにディザートが訪れるとも読んでいた。ゆえに、聖女をこの場に置き、ネクスが直々に監視しているのだ。
教皇と聖女、この二人がいるということは、即ち、ここがオルドジョーで最も安全な場所ということ。全ての兵力が集中している、最も防護の堅固な場所である。
暗殺できるものならしてみろ、奪還できるものならしてみろ、というのが、ネクスの本音。そして、もしも、この場に到達するような圧倒的強者が現れた時には……。
「どりゃァ――ッ!!」
隊列をなしていた兵士たちの一部が、爆発でも起きたかのように吹き飛んだ。
「やはり情報は正しかった! 教皇はここだッ! 総員突撃ィイイイ!!」
反教会勢力ディザートのリーダー、ブライトン。彼を先頭とした革命軍の本隊が、本陣へと捨て身の突撃を仕掛ける。
直前、ある人物との接触があったのだ。「教皇はここにいる」と、彼女がそう教えてくれた。
教皇の居場所さえ判明していれば、後は単純だ。ディザートの全勢力を集中させて決死の突撃をぶちかませばいい。
「何故ここだとわかった!?」
「今日はコンクラーヴェだろう!? もう何人もの枢機卿を殺した! 次は貴様だブラック!」
「どうして知っている!?」
「自分の胸に聞いてみるんだな!」
コンクラーヴェがバレているという状況、互いに「教皇サイドに裏切者がいる」と考えるところだろう。しかし真実は、全く以て無関係な精霊による仕業。当然、気づけるわけがない。
「うらぁああッ!」
ブライトンは大盾を構え、《飛車盾術》の突進で何人もの兵士を弾き飛ばす。
そして突進が止まると、今度は大剣に持ち替えて、進路を塞ぐ兵士たちをバッタバッタと薙ぎ倒した。
彼は実に強かった。【剣術】も【盾術】も、どちらも殆どが高段。復讐したい一心で、死に物狂いで身につけた力であった。
こうしてブライトンを主力に、ディザートの戦士たちは本陣を一点突破し、ついには教皇の目前にまで辿り着く。
「な、何故、これほどまでっ……!?」
……強すぎる。人数差ではカメル神国軍に分があっても、その戦力差は明らかにディザートが勝っていた。教皇はその勢いに威圧され、一歩後ずさる。
中でも、ブライトンに負けずとも劣らない、獅子奮迅の活躍を見せる戦士がいた。それは――
「――あたいさっ!!」
レンコだ。
彼女は高段の【体術】で電光石火の如く素早く移動しながら次々と兵士を無力化していった。
彼女こそが、ディザートが僅か数百人でこの本陣を突破できた大きな要因の一つ。教皇の位置情報を教えた当人。一人では無謀だと踏んだ彼女は、ディザートとの協力を選択したのだ。
このレンコとブライトンの狂ったような強さに加え、地形と、天候と、情報と、雪中戦の経験差と、士気の高さの差が、奇跡的に揃ったことで、番狂わせが起こったのである。
本来、特定のスキルの殆どが高段の者など、言わば“突然変異”のようなもの。一般的な視点から見れば、バケモノのように強い。誰もが「明らかにおかしい」と感じる強さである。
復讐のために全てを賭して強くなった男と、世界ランキング最高128位『フランボワーズ一世』から教えを受けて強くなった女。この二人のバケモノが揃ってしまったからこそ、教皇は一気にここまで追い詰められることとなった。
……だが。この場に、バケモノはもう一人いた。
「シーク、聖下とラズベリーベル様を頼む」
「はっ」
近衛兵ネクス。カメル神国で最も強い剣術師。彼もまた、突然変異のうちの一人。
彼は自身の部下のシークに教皇と聖女を護衛するよう伝え、前方に躍り出た。
「君たちの戦力を侮っていた責任、貴女を逃がしてしまった責任、ここで果たさせてもらいます」
ブライトンとレンコは、ブラック教皇にとってあまりにも危険な存在。ゆえに、ここで潰しておかなければならない……ネクスはそう考えた。
「あ、あかん! レンコ! 逃げんとあかん!」
ラズベリーベルが叫ぶ。もはやレンコと共謀していることを隠そうともせず、必死に。
彼女は察知したのだ。ネクスが使うつもりだと。
レンコは「大丈夫」とジェスチャーを送った。ネクスと戦うのは二度目、その実力はしっかりと把握していた。変身後の自分に加えてブライトンがいるのだから、負けるはずはない。それは明白であった。
「そうやない! あいつが! あいつが持っとるんは……っ!」
しかし、それでもラズベリーベルは叫び続ける。
どうも様子がおかしい。レンコは首を傾げ、そして、ふとネクスが手に持っている物に目が留まった。
……小さな、ポーションの瓶。青い液体の入ったそれを見て、ぶるりと、レンコの体が震えた。
「なんだい、アレ……ヤバそうだね」
「あいつを止めるぞ!!」
ブライトンが叫ぶ。直後、ディザートの戦士たちがネクスへと一斉に襲い掛かった。
だが……もう、なにもかも、手遅れだった。
ネクスの体が、青白く光り輝く。
彼はポーションを飲んでしまった。
“狂化剤”という名の、世にも恐ろしいバフ・ポーションを。
「――ッ!?」
ネクスは目の前に迫ったディザートの戦士たちへ向けて剣を振る。
それは、ただの《歩兵剣術》であった。
にもかかわらず……彼らは、たったの一撃で絶命する。
「あかん……っ!」
ラズベリーベルは、そのポーションの正体を知っていた。
狂化剤――600秒間、全ステータスが2000%になる、最強最悪のバフ・ポーション。
その代わり、600秒経過後、使用者は必ず死亡する。
メヴィウス・オンラインでは、使用できるタイミングが相当に限られている、非常に使い勝手の悪いポーションという認識だった。特に上級者は、デス・ペナルティを嫌って使っていなかったアイテムである。
それが、現実世界となった今。こうも“特攻”に最適なアイテムとなるとは……ラズベリーベルも思ってはいなかった。
命と引き換えに10分間、20倍のステータスを手にする。まさに「最後の抵抗」に相応しいポーション。
……そして、これは。
ラズベリーベルが、ブラック教皇に命じられて【調合】したものであった。
「どうかね? 己の調合したものに仲間が苦しめられる光景は」
「……許さへんぞ、ブラック。今のうちに念仏でも唱えておくんやな」
「ふむ、折角だから種明かししておこう。カラメリア、あれは鎮痛薬でもなんでもない。ただの麻薬だ。お前がせっせと調合してくれたお陰で、神国は潤いに潤った。礼を言おうラズベリーベル」
「そっ……そんな! あれほど扱いに気ぃつけぇ言うとったのに!」
「私はお前を恐れていた、本物の聖女だと。ゆえに従順なフリをしていたのだ。だが、こうとなっても奇跡はなかなか起きぬものだな? つまりお前は聖女などではないのだろう。媚びへつらって損をした気分だ」
「き、貴様ぁあああっ!」
ぐい、と。近衛兵のシークが、激昂したラズベリーベルを教皇から遠ざける。
はははは、と。教皇の笑いがこだました。その視線の先では、狂化したネクスとディザートの戦士たちによる一方的な戦いに、早くも決着がつこうとしていた。
「ぐっ……う!」
ボロ雑巾のようになったブライトンが、ネクスの一撃に弾き飛ばされ地面を転がる。
「く……そォ……!」
レンコは、ただ気合で立っているだけのような状態。
「…………」
ディザートの戦士たちは、その尽くが地面に倒れ伏していた。
一方、ネクスは――無傷。
幾人の猛者たちが力を合わせても、傷一つつけられない。ステータス2000%とは、それほどのものであった。
「トドメだ」
ブライトンの前に立ち、無慈悲にも《歩兵剣術》を振り下ろすネクス。
ここで終わりか――脱力したブライトンがその瞼の裏に家族の顔を思い浮かべた、次の瞬間。
「!?」
ネクスの剣が、何かにぶつかる音が聞こえた。
「――申し訳ありません。少し遅れてしまいました、兄さん」
キラリと光るミスリルピアス。
腕についた小さな盾で、20倍のSTRによる一撃を軽々とパリィした男。
その後姿と、丁寧な言葉遣いに、ブライトンは覚えがあった。
「ロ……ロックン……チェア……ッ!?」
金剛ロックンチェア――ブライトンの弟。
「細かい話は終わってからにした方がよさそうですね。兄さんはここにいてください。後は僕が」
ロックンチェアはそう言うと、パリィで吹き飛ばしたネクスへ《飛車盾術》による突進で追撃をかけた。
ゆらりと起き上がり、体勢を立て直したネクスは、そこに《銀将剣術》をぶつけて対応する。
ガチン! と弾き合って、仕切り直し。
「確かに貴方の剣は重く速い。勢いもありますね、ヘレスさんにほど近い剣筋でしょうか。しかし、ロスマンさんには遠く及びません」
「ジカンがナイ。ノコリ6フン。スグにケリをツケル」
挑発は効きませんか、と。ロックンチェアは溜息をつく。
「いいでしょう。では篤とご覧ください、タイトル保持者の戦いを――」
お読みいただき、ありがとうございます。