123 鈴木いちご(前編)
革命はまだです。
鈴木いちご。
彼は、実におかしな両親のもとに生まれた。
父親はいちごを自分の子供だとは認めたがらず、いちごが生まれたその日に姿をくらました。
母親は生まれた赤ん坊を頑なに娘だと言い張り『いちご』と名付けた。しかし、しっかりとチンチンは付いていた。
以降、いちごは母親によって女の子として育てられる。
誕生日は四月一日。親戚一同からは「嘘みたいな子供」だと言われていた。
小学校入学と同時に、いちごに転機が訪れる。
いじめだ。
それもそのはず、鈴木いちごという女の子の名前に、女の子の服、可愛らしい顔。しかし性別は男。周囲の六歳児たちは、気味悪がった。避けた。馬鹿にした。ばい菌扱いした。
「どうしてうちはこうなんやろ」
六歳のいちごには、自分が何故いじめられるのか、自分は何故女の子の格好をしているのか、自分には何故母親しかいないのか、理解できなかった。
来る日も来る日もいじめられ、わけもわからず耐え続ける。
それでも女の子の格好をし続けたいちごに、いつの日か、クラスメイトは話しかけすらしなくなった。
「あの子にはなるべく近付かないように」と。各家庭内で子供への忠告があったのだ。
当たり前であった。鈴木いちごの母親は何処かがおかしい。母親同士で交流しているうち、いちごを女の子と信じて疑わないその母親の狂った様子を見て、周囲が気付き始めたのだ。
こうして、いちごは独りになった。
相変わらず、女の子の格好は続けていた。
六年生の時。いちごに第二の転機が訪れる。
中学受験だ。
いちごはとにかく地元を離れようと、関東の公立中学校へ入学を決めた。
入学式。彼はカルチャーショックを受ける。
ピッカピカの金髪に眉毛のない同級生、もはや同じ服とは思えないほどアレンジされた制服、マスク、エクステ、つけまつ毛、金属バット、などなど。
そこは不良の巣窟であった。
「ここならうちも目立たへんな!」
当時、ようやっと女装しているという自覚が出てきたいちご。この学校なら自分もやっていけると、前途洋々たる気分で入学した。
だが、そう甘くはなかった。
彼の制服は、当然ながら女子制服。そして、見た目も声も完全に可愛らしい女子生徒。当初、クラスメイトはいちごのことを女子としか認識していなかった。
ある日、事件が起こる。いちごが男子便所へと正面切って突入したのだ。
愕然とする男子たちへ向かって、一言。
「うち、男やで?」
思春期真っただ中の男子は、いちごにどう接していいか途端にわからなくなった。
一方で女子も、別に心が女であるというわけでもないいちごに、どう接していいかわからなかった。
結果。
いちごはものの見事に浮いた。
不良は不良で固まり、陽キャは陽キャで、陰キャは陰キャでと、グループがどんどん固まっていく中。女装子は女装子で固まることができればよかったのだが、生憎とこの中学校に女装子はいちご一人であった。
「また独りや……」
落ち込んでいても仕方がないので、いちごは勉学に集中することにした。
といっても教室は動物園のようにうるさく、とても集中できない。教室にいて楽しいことなんて何もない。同学年に友達なんて一人もいない。
そのため、いちごは避難するように“保健室”へと逃げ込む。保健室は、いじめられる生徒の避難所のようになっていたのだ。
こうして、一年生の早いうちから、いちごは保健室登校となった。
保健室登校を始めて三日。いちごに人生最大の転機が訪れる。
朝、いつものように保健室の奥の机で勉強していると、ドタバタとうるさい男が入ってきた。
「あーっす、あー、腹痛ぇ。あー腹痛ぇなこれ。ヤベーッ、腹痛ぇわこれ!」
「佐藤君、また?」
「いや、今日はマジのガチのやつなんで。ベッド貸してくださいよぉ」
「新学期始まってもう五回目よ?」
「学校来てるだけマシと思いません?」
「……もうっ」
調子の良い男と、押しきられる養護教諭。
せっかく静かな場所だったのに、急に賑やかになり、いちごは機嫌が悪くなった。
明らかな仮病でベッドに横になっただろう男。どれだけ面の皮の厚いやつなんだと、いちごはそいつの顔を見てみたくなった。
男が寝静まった頃を見計らって、そーっとカーテンをめくる。
そこでいちごが目にした光景は、予想の斜め上を行っていた。
「な、なんやこいつ……」
男は“VRヘッドギア”をつけて横になり、ゲームをしていたのだ。
学校に何しに来とんねん、と。いちごは内心でツッコむ。
それから3時間。いちごはその男が気になり、勉強に身が入らなかった。
正午過ぎ。三時間目の終わるチャイムが鳴り、いちごは昼休憩しようとノートと教科書を閉じて、テーブルの上にお弁当を広げた。
「佐藤君、佐藤君! お昼! 佐藤君! 起きろっ! 佐藤コラッ!」
「……あー? あー、吉田先生かぁ。美人女子大生かと思った」
「その手はもう通用しません。起きなさい。お昼ごはん食べられる? ほらっ」
吉田先生、大変やなぁ……そんなことを思いながら、母親の手作り弁当を食べるいちご。
すると、その佐藤と呼ばれた男はベッドから下り、なんといちごの座っているテーブルの対面の席にドカッと腰かけた。
「……えっ……」
今まで全くと言っていいほど他人とかかわらずに生きてきたため、突然の近距離接近に硬直するいちご。
しかし佐藤は会釈すらせず、目を合わせようともしない。彼の頭の中は、99%がゲームのことで埋め尽くされているようであった。
佐藤はガサゴソと制服のポケットから「エネルギー補給MAX!」と書かれたゼリー飲料を取り出し、ぎゅっと握りつぶしながら喉奥へ流し込む。
どうやらそれが佐藤の食事のようだと、いちごはちらちらと観察しながら予想する。
その後、僅か10秒とかからずに昼食を終えた佐藤は、再び吉田先生の目を盗みつつベッドに横になった。
きっとまたゲームするんやろなぁ、と。いちごの予想通り、次に佐藤が起きてきたのは、下校のチャイムが鳴る頃であった。
……この佐藤の奇行は、一ヶ月も二ヶ月も、いちごの目の前で続けられた。
どうしてそこまでしてゲームに熱中するのか。次第に、いちごは尋ねてみたくなってくる。何故だか、佐藤のことが気になって仕方がないのだ。
そして、ある日。
「センパイ、なんのゲームやっとるん?」
いちごは、勇気を出して聞いてみた。
「あ? メヴィウス・オンラインだけど」
「それっておもろいん?」
「ああ、メチャおもろいよ」
以上が、佐藤の10秒間の昼食タイム後の一瞬の隙を突いて交わせた唯一の会話である。
いちごは二ヶ月以上も佐藤の習性をこっそり観察し続けていたため、会話をする時間はここしかないと見抜いていた。それ以外の場合、佐藤は一にも二にもゲームを優先するため、下手したら無視されると気付いていたのだ。
佐藤七郎、二つ上で三年生のおかしなセンパイ。やっているゲームは、メヴィウス・オンライン。
いちごの佐藤観察日記に、大きな1ページが加わった。
これが、良くも悪くも、いちごにとって運命の出会いであった。
入学から一年が経ち。いちごは二年生となり、佐藤は卒業した。
新年度が始まると、いちごは得も言えぬ寂しさに襲われた。
保健室に佐藤が来ないのだ。一度しか話したことのない相手だが、いちごは暇さえあれば佐藤のことを観察していたため、その喪失感は想定以上に大きかったのである。養護教諭の吉田先生も、どこか寂しそうな様子で仕事をしていた。
ここで、いちごの決意が固まる。
「よっしゃ、うちもメヴィウス・オンラインっちゅうのをやってみよ」
……佐藤との出会いが最大の転機であったならば、この決断が次いで大きな転機であった。それは何故か。
――鈴木いちご、メヴィウス・オンラインにドハマりする。
自身が男だろうが女だろうが、どんな格好をしていようが、誰も何も言わない、気味悪がらない、避けもしない。なりたい自分になれる、理想の空間――バーチャル世界。
いちごは、今までの反動からか、ツルッパゲの男らしいむさ苦しい汗臭いダンディなオッサン重装騎士となり、日夜メヴィオンの世界を冒険した。
佐藤の影を追い求めて――。
入学から三年が経つ。鈴木いちごは中学を卒業し、付近の公立高校へと入学した。
彼の学力ならば、もっと上の、それこそ一流の進学校も狙えたのに、彼が希望したのは中学と似たような底辺公立高校。
理由は単純である。佐藤七郎の入学先に調べがついていたのだ。
この頃から、いちごのストーカー気質がめきめきと頭角を現す。
どうしてそれほどまでに佐藤を追いかけるのか。彼は自分でもよくわかっていなかったが、とにかく佐藤のことが気になって気になって仕方がなかったのだ。
結果、いちごは佐藤の後輩として高校に入学した。
だが、入学して早々、いちごは自身の失敗に思い当たる。
そもそも、佐藤は全くと言っていいほど登校していなかったのだ。
高校は中学と違い義務教育ではない。保健室登校など、ましてや保健室のベッドでゲームなど、まかり通ることではなかった。
よって、いちごも自動的に不登校と化す。
ただ、彼は異常に要領が良かった。必要な出席日数を事前に計算し、最低限の出席を確保して、ギリギリで卒業できるように調整していたのだ。最大限学校を休めるよう計算した、計画的不登校であった。
そして、使える時間を全てメヴィオンへと注ぎ込んだ。
彼は見つけたのだ。佐藤七郎を。そう、当時、既に世界一位だったキャラクター『seven』を。
高校卒業。いちごはメヴィオンの片手間に受験勉強をして、東都大学理科二類に現役合格する。
大学入学と同時に家を出て、佐藤七郎の住むアパートの隣の部屋に引っ越した。
当然、佐藤七郎に教えることはなく、教えるつもりもなく、顔を合わせるつもりすらなく。ストーキング、否、こっそりと観察するためである。
その後、いちごは生活費と学費を稼ぐため、三ヶ月ほどデイトレードに集中。向こう五十年ほど困らない額を預金し、メヴィオンと佐藤七郎へと気兼ねなく時間を注ぎ込める環境を作り上げる。
この頃、いちごは軌道に乗り始めていた。
ついにメヴィオンの世界ランキング1000位以内となったのだ。その名も『フランボワーズ一世』。フランボワーズとは“木いちご”を意味するフランス語である。
いちごは、フランボワーズ一世として、頼れるオッサン騎士として、皆に慕われながら、男らしくメヴィオン世界を生きた。今までできなかった男らしいことをいくつもした。声も渋めのダンディな雰囲気に設定したし、口調も無口で不器用な男らしい男を意識していた。
その傍ら、彼はsevenを密かに観察し続ける。メヴィオンの中でも、現実でも。やはりどうしても気になるのだ。毎日一回はsevenを見なければ落ち着かないし、週に一回は佐藤を見なければ落ち着かない。いちごは間違いなくストーカーであった。
そんなある日のこと。
大学の講義が長引き、ログインのタイミングがいつもより15分ほどズレた時があった。
……偶然か必然か。ログインした場所、いちごの目の前には、あのsevenがいた。
いちごは今まで、sevenと出くわさないようこまめに時間を調整し、無駄なくストーキングして、もはや“生きがい”となった観察を日々楽しむという手法をとっていた。だが、たった15分のズレが、sevenと対面するという事態を引き起こしてしまったのだ。
長年メヴィオンをプレイしてきたいちごだが、sevenと、すなわち佐藤七郎とゲーム内で顔を合わせるのはこれが初めて。当然、佐藤は『フランボワーズ一世』が中学の頃に一度だけ話したことのある後輩の女装子だとは知らない。そもそも鈴木いちごという名前も、女装子だとも知らないだろうし、顔を覚えているはずもない。
いちごは、あまりのハプニングに、暫しフリーズしてしまった。
すると、不運なことに、sevenの方から話しかけられてしまう。
「あれ? なあ、こないだ一閃座戦で大剣振り回してなかった?」
その通りであった。
PvPでは不利と言われていた大剣に一つの可能性を見出していたいちごは、好んで使っていたのだ。
そして……それが自分だとsevenが覚えていてくれたことが、いちごにとっては感激以外の何ものでもなかった。
不意打ちに次ぐ不意打ち。ゆえに、つい――感極まった。
「せやねん! センパイ、見とってくれたん!? うち嬉しいわ~っ! …………あっ」
瞬間、いちごは、自身がフランボワーズ一世であることを忘れてしまったのだ。
女装した状態の、女の子にしか見えない鈴木いちごが、その口調で喋るならまだしも。
ツルッパゲのオッサンの状態で、女言葉を口走ってしまった。
それも、初対面のはずの相手を、センパイ呼ばわり。
……気味悪がられる。避けられる。馬鹿にされる。ばい菌扱いされる。よりによって、センパイに。
いちごの血の気が引いていく。
だが、sevenから出た言葉は、相も変わらず、予想の斜め上を行っていた。
「よし、じゃあ一緒にダンジョン行くか」
何が「よし」なのか、何が「じゃあ」なのか、どうして「一緒にダンジョン行くか」となるのか、いちごにはワケがわからなかった。
ただ……不意に、一つだけ、心の奥底で理解した。
鈴木いちごは、男であるにもかかわらず、女として育てられ、男らしさに憧れながらも、決して女装は欠かさず、そうやって矛盾しながら生きてきた。
でも。
……でもな、男とか、女とか、関係あらへん。
うちは、男でも、女でも、この人のことが、大好きなんやなぁ……。
お読みいただき、ありがとうございます。