122 革命前夜
魔物が越冬する。
この事実は、俺に地味な衝撃をもたらした。
今まで、魔物という存在はプログラムされたパターンに従ってのみ行動するものだとばかり思っていたが。今回の一件で、それに“例外”が複数存在することが証明されたのである。
わかりやすい例外はあんこだ。あんこはテイムに成功したその瞬間から、実際に生きているとしか思えないような行動をとるようになった。それまでは、間違いなく、プログラムに従うだけのただの魔物であったというのに。
彼女はそれを「神の呪縛」だと言った。
神――その単語が適切かはわからないが、つまりは高次元の存在ということだろう。
そいつが、この世界を調整している。それは確信している。
だが、今回の場合は……調整か? 微妙なところだ。
そもそも、魔物が越冬なんてする必要があるか?
それはどちらかといえば、調整というよりは、自然の摂理にあえて合わせるような、現実感を増すための“演出”ではないか?
ゲームだから許されていた非現実的な諸々が、現実に適応する形で変更されている。
全て一律に、というわけではない。実際に“乗馬着地”のような物理法則を覆す無茶苦茶は可能だった。だが一方で、今回のレイスたちのように、越冬する魔物なんていう無駄に現実的なものも同時に存在している。
ふと気づく。
今まで、この世界は「限りなくメヴィオンに近い現実」だと、そう思っていたが。
もしかして、「限りなく現実に近づけたメヴィオン」なのではないか……?
……駄目だな。実質小卒の俺じゃあこれが限界だ。いや、一応は中学高校も行っていたけどさ、勉強なんかそっちのけでメヴィオンやってたからなぁ。ああ、柄にもなく考えすぎて頭が痛くなってきた。
考えごとはほどほどにして、今は目の前のことに向き合っとこうか。
「テイムするから、降ろすぞ」
「は……ぃ」
俺は一言断って、イヴを地面に立たせる。
そして、眠っている魔物たちの中からオオカラテザルを一匹、その首根っこをむんずと掴んで手前に持ってくると、ゲシッとその腹部を蹴った。
直後、オオカラテザルは姿を変える。現れたのは、無色で半透明のゼリーのような魔物。それはまさしく俺の知っているレイスの姿であった。
「こう言っちゃあアレだが、イヴが落っこちたおかげだな」
蹴り一発で瀕死になったレイスに《テイム》を発動し、振り返って笑いながら言うと、イヴは頬を赤く染めて俯いた。どうやら彼女にとって、崖から落ちるような“うっかり”は赤くなるほど恥ずかしいことらしい。
「はは、からかってすまん。じゃあ、帰るか」
テイムは成功。目的は果たしたので、もうこんな寒いところに用はない。俺はレイスを《送還》し、あんこを《魔召喚》する。
「……あ! ……の……っ」
すると、珍しいことに、イヴが小さくない声を発した。
何事かと思い、耳を傾ける。
「ルナちゃ……も……ぃむ……」
ルナちゃんにもテイムさせてあげてほしい。彼女はそう言った。
そんなの、俺の答えは決まっている。「ご自由に」だ。
だが、何故イヴが今そんなことを声を大きくして口にしたのか。俺は気になったので、尋ねてみる。
「構わないが、どうして?」
「……っと、やくに……から」
きっと、役に立つから。
その言葉を聞いてハッとする。
ウィンフィルドは、イヴ隊を使ってカメル神国周辺についての調査をしていた。つまり、カメル神国の内情をイヴ隊の面々は知っているということ。
ゆえに、俺がカメル神国で何をしようとしているのか、イヴ隊だけは薄々感づいているのだろう。
その中で、最も俺の役に立ちそうな人選。それが他ならぬルナだと、イヴ隊隊長である彼女は推薦しているのだ。
ユカリ曰く、イヴ隊は隠密部隊。隠密とレイスの親和性ときたら、鬼に金棒と言ってもいい。確かにピッタリである。
その道を極めんとしている彼女たちになら、カメル神国での俺の仕事を手伝ってもらってもいいかもしれない。むしろその方が、危険なく円滑にことを進められる可能性すらある。
それらを全て踏まえて、レイスをテイムした状態のルナを連れていってはどうかと、俺に具申しているのだろう。
……イヴは、こう見えて、しっかり隊長としての考えを持ち、その役割を果たしているんだな。なんだか、胸にジーンときた。
「わかった。ルナだけとは言わず、イヴ隊の主要メンバーに可能な限りレイスをテイムさせよう」
「っ! ……ぃの?」
「ああ、いいぞ。それに、お前もだイヴ」
「~~っ!」
俺の考えを伝えると、イヴは相変わらず顔を真っ赤にさせたまま、なんとなく嬉しそうな感じのある無表情で頷いた。
さて、そうと決まれば善は急げである。
俺はあんこにイヴ隊の全員をここに召喚するよう命じた。
この後は、暗殺の準備に加えて、レンコとの密談、ルナと打ち合わせもしなければ。
革命前夜、忙しくなりそうだ……。
* * *
「何? キャスタル王国が国境で兵を動かしているだと?」
「はい! 昨日遅くに確認されたと。規模はおよそ二万です。たった今情報が入りましてっ」
「今? もう半日以上も経っているではないか」
「し、しかしながら、国境からの距離を考えますと、早馬でも……」
「口ごたえをするでない。この私を誰だと心得る。ネクスッ!」
「はっ」
ブラック教皇へと報告に訪れた兵士は、近衛兵のネクスによって助けを乞う間も与えられないままに斬り伏せられた。
警備に立つ兵士たちは、その様子をただ黙って見ている。彼らは、内心では「またか」と嘆息していた。
「国境の防備を固めるよう伝えよ。必要であれば援軍を送ってもよい」
「はっ、畏まりました」
気に食わない兵士を粛清して満足したのか、ブラック教皇は指示を出し、椅子に深く腰掛ける。
彼は、自分が正しい指示を出したと思い込んでいた。事実、それは正しい指示に思えた。明日、革命さえ起こらなければ。
以前、カメル神国軍は、漁夫の利を狙って内乱中のキャスタル王国の背中を突く形で攻め込んだ。その際、有利と思われた戦で酷い敗走を経験している。当時の指揮官は当然の如く粛清されているが、その苦い経験はまだ多くの兵士にとって記憶に新しい。
ゆえに、今回のブラック教皇の指示は、至極真っ当なものであり、同時に間違いであったと言える。
あの日あの夜に起きたことを知っている者たちにとってみれば、キャスタル王国軍は、特にあの男と黒衣の女は、恐怖の対象でしかなかったのだ。
国境の防備を固め、必要であれば援軍を。実に素晴らしい指示。だが、あのトラウマを植え付けられた者からすれば、いくら固めようと、いくら援軍が来ようと、そこに“安心”はなかった。
つまるところ……ブラック教皇の「お任せ」ともとれる指示によって、カメル神国軍は期せずして必要の何倍も何十倍も国境を固めてしまうことになる。そうでもしなければ、かつての恐怖に打ち勝てなかったのだ。
ブラック教皇は、自身で国境を固める兵士の数から援軍の数まで、必要最低限の数を考えて指示を出すべきだったのである。面倒くさがり、キャスタル王国へのトラウマを持つ神国軍に全て任せてしまったのが、運の尽きであった。
これがウィンフィルドの狙い。セカンドとあんこによる過去の地獄のような所業を利用し、スチーム辺境伯に国境付近で大規模軍事演習をさせることによって、首都オルドジョーの護りをたった一手で剥がし取ってしまったのだ。
「明日はコンクラーヴェか……」
ブラック教皇は小さく呟くと、熱い紅茶を啜り、窓の外の景色を優雅に眺めた。
そして、たまには外に出してやるのもよかろう、と。聖女に対して思考を巡らせる。
彼は、聖女ラズベリーベルを「本物の聖女」であると確信しながらも、自身が信仰を得るための道具としか考えていなかった。
何故、彼がそう思うのか。聖女ラズベリーベルには、常人には考えられない神通力とも呼べる力があったのだ。
まさに聖なる存在。だが、その聖女でさえ、教皇の権力の前には手も足も出ない。ゆえに彼は思い上がる。聖女を飼い殺している私に何者も敵うわけがない、と。
だが、同時に彼は聖女を恐れていた。本物の聖女であると信じるがゆえに。
だからこそ、監禁して利用しながらも、決して鬼畜なことはせず、裕福な生活を与え、時折は庭に出し、完全に敵対しないよう細やかな気を遣っている。
上に立つ者は、常に追い抜かれることを恐れなければならない。
不安がないなど、嘘八百。ブラック教皇は、いつ如何なる時も不安と共にあり、下から迫る何者かに怯えながら生きていた。
「……逆らわせてなるものか」
コンクラーヴェは、彼にとって非常に重要な場。
教皇の偉大なる権力を下々の者へと大々的に示し、反抗する気力を刈り取るのである。
そのためには、聖女という存在が必要不可欠。教皇による独裁体制は、もはや聖女への信仰なくしては維持できないのだ。
革命前夜。
ブラック教皇は、底知れぬ不安を抱きながら過ごした。
* * *
「――まさか、前と違う女が来るとは思わなかったよ。あんた、軟派な男だね」
深夜0時の森の中。密談場所に現れたレンコは、開口一番に憎まれ口を叩く。
彼女へ「今夜会おう」と伝えたのは、前回と違ってあんこではなくルナだった。ルナはレイスを使って完璧に変化し、何処からどう見ても普通の修道女といったルックスでレンコにアポを取りつけたのだ。
そしてそのまま、ルナはカメル教会内部へと既に潜入している。まるで空気にでもなったかのように、何一つ違和感なく場に溶け込み、ごく自然に、いとも簡単に、するりと忍び込んだ。流石は専門と言わざるを得ない華麗な技だった。
一方あんこは、前回と同じく周辺の森の魔物を湧いては潰し湧いては潰しと、俺とレンコが落ち着いて密談できるように裏で働いてくれている。
「軟派な男は嫌いか?」
「さあね。少なくともあんたは嫌いさ」
おっと、こりゃ一本取られたな。
俺は「そうか」と軽く流しつつ、本題に入ろうと口を開いた。
「革命は明け方だ。日の出とともに反教会勢力ディザートがオルドジョーへ奇襲をかける。お前には、日が昇る直前にブラック教皇を暗殺してほしい。俺たちは夜の間に潜入し、それを補佐するように動きつつ、ラズベリーベルを奪還、そして革命を成功させる。以上が作戦だ」
「……いいのかい?」
「何が」
「あたいが殺って、いいのかって聞いてんだよ」
「構わない。ただし、二つ約束しろ」
「言ってみな」
「一つ、絶対に成功すること。二つ、絶対に死なないこと」
「ふんっ……了解」
レンコは鼻を鳴らして、それから引き受ける言葉を口にした。
ウィンフィルドが言うには、レンコが殺そうとしているブラック教皇は“影武者”らしい。だが、それをここで彼女に伝えてしまっては、囮作戦にはならないのだ。ゆえに、少々心苦しいが、一旦、彼女には騙されておいてもらう。
その代わり……絶対に、彼女を助ける。俺が、責任を持って。死なせるものか。拷問すらさせない。彼女が命を賭してつくり出す隙を、決して無駄にはしない。
俺たちの目的は、ディザートによる革命を成功させ、ラズベリーベルを奪還すること。何一つ、こちらの損害なく、正体がバレることなく。
いよいよ、革命が始まる。
お読みいただき、ありがとうございます。