13 ダマクラカス作戦
「お初にお目にかかります、ヴァージニア卿」
――厄介だ。
彼を見たとき、俺はそう直感した。
その会釈ひとつとって見ても心技体に満ち足りている。剣術の腕だけで比べてみても、騎士爵である俺が引けを取ってしまうほどだろうと分かる。
彼の見目麗しい姿は同性の俺ですら目を奪われるほど。見るからに仕立ての良い服は、一体いくらするのか想像もつかない。靴は艶のある革製、かなり高位の魔物のものだろう。
特筆すべきは、彼の纏う外套だ。見る者を吸い込んでしまいそうな漆黒と群青、そこには光り輝く宝石が星のように散りばめられており、まるで夜空のようであった。
だが。その美しき装飾は、外側のものではない。外套の内側なのである。
それが何を意味するか。
彼は秘めている。おそらく、何かとんでもないものを。
「父上。こちらは異国の貴族のお方、セカンド殿に御座います」
久しぶりに会った我が娘がおずおずと彼を紹介した。
シルビアよ。相変わらず嘘が下手だな、お前は。眉が小刻みに動いているぞ。
……さて、これで彼が貴族ではないことは分かったが。
では何者なのか。
一つだけ、たった一つだけ、俺は思い当たる。それは――「王子」。
我がキャスタル王国の第一王子クラウス様は剣術に長け、その腕は王国一を競う程とも言われている。第二王子マイン様は、名門『王立魔術学校』の第1学年の首席であられるとの噂だ。
目の前の彼の、眩いほどの自信、溢れ出る富、強かな出で立ち、理知的な眼光、そして超越的なまでの余裕。どれをとっても俺の知る王族に引けを取らない。
……よし。ここはひとつ、試してみるべきだろう。
そう考えた俺は、あえて対等に振舞うことにした。
怒り出すなら、その程度の者だったということ。ボロが出るなら、詐欺罪で逮捕すればいい。
「うむ、セカンド殿だな。俺はノワール・ヴァージニアだ。よろしく頼む」
「よろしく」
驚くべきことに。
彼は余裕をもった笑みで、たった一言、そう返してきた。
俺は確信する――彼は異国の王族だ。間違いない。
そこらの穢れた貴族ならば、騎士爵ごときにこのような対応をされれば激昂するに決まっている。必ず行動や言動のどこかが綻び隙を露呈する。
ましてや王族を騙る貴族だとすれば、そのような戯け者が礼を失した俺の対応を前にこの余裕を出せるわけがない。そもそも彼は自分が王族だなどと一言も騙っていやしない。
で、あれば。
……ここは正直に申し上げ、非礼を詫びるべきであろう。
バン、と音がする。
俺の頭がテーブルに当たった音だ。
「セカンド殿下。試すような真似をして申し訳なく存じます。如何様な罰も受けましょう。しかし許していただけるならば、このノワール、如何様なことでも引き受けましょう」
千載一遇の好機、逃す手はない。
あのシルビアがわざわざ連れてきた人物だ。剣の腕はなかろうとも、人を見る目は確かだということを父である俺は知っている。セカンド殿下はまず間違いなく悪人ではない。その目的は分からないが、俺が彼の役に立つことで我が家の、果てはキャスタル王国の利となるならば、自ら進んででもこの機を掴みに行くべきであろう。
俺は頭を下げたまま、セカンド殿下の言葉を今か今かと待っていた。
願わくばそれがヴァージニア騎士爵家にとって良いものであるように、と。
* * *
どうしてこうなった、と。
俺はそう言いたい。
ダマクラカス作戦とか言って変に盛り上げたが、単に「レア服を着て異国の貴族のフリをしてシルビアパパを騙して魔術学校への紹介状を書かせる」だけのつもりだった。
剣の実力ひとつで騎士爵となった叩き上げの男の紹介状だ。“権力”はなくとも“信用”はある。きっと王立魔術学校からは明るい返事が来ると俺は読んでいた。
しかし実際はこうだ。
なんだこれ。
何でノワールさんは頭を下げてんの?
殿下って何?
試す? 罰? もう意味が分からない。
ちらりとシルビアを見る。目が点になって固まっている。
なんなんだよこれ。わけ分かんねぇよ。
…………あ、いや。でも一つだけ分かっていることがある。
それは――
「面を上げよ」
――便乗すべきだということだ。
俺が堂々とそう言うと、ノワールさんは顔を上げた。
不思議なことに、俺の後ろに立たせているシルビアが今どんな顔をしているか分かる。きっと「なに言ってんの!?」みたいな仰天顔だ。
だがもう後戻りはできない。こうなったら行けるところまで「なんか偉い人」のフリを続けようと決めた。
「こちらこそ騙すような真似をしてすまない……事情があって身分を隠している。分かってくれるか?」
「はっ。他言は致しませぬ」
お。出たとこ勝負だったけど、こりゃ行けそうだぞ。
「今日は二つの頼みがあって参った」
「はっ。何なりとお申し付け下され」
……ノワールさん、えらい騙されっぷりだ。一体どんな勘違いをしたらこうなるんだ?
だんだんヴァージニア家が心配になってきた。あんた騎士なんだからキャスタル国王に忠誠を誓ってるんじゃないんですかねぇ? そもそも素性の知れない人物にここまでこうべを垂れる意味がちょっと……。
流石シルビアの親父と言わざるを得ない。いろんな意味で。
しかしいくら相手がぽんこつ(父)だからって気を抜いてはいけない。俺は頭をフル回転させて次の言葉を考える。
「ではまず些細な頼みごとからだ。王立魔術学校へのコネクションが欲しい。何とかなるか?」
「は。第1学年への転入であれば、今直ぐにでも紹介状を書きましょう。第1学年の主任であるケビンというエルフの男とは、その昔戦場を共にしておりました」
……わーお。ノワールさんは信用のある人物だとは思っていたが、まさかそこまでとは考えていなかった。凄いぞこの人。
しかし転入はまずい。期間が長すぎる。ちょろりと潜入してちょろちょろっと魔道書を読めればそれでいいのだ。
「短期間でよい。案はないか?」
「ふむ。でしたら、短期留学という形をとるのがよろしいかと」
「なるほど」
良い案だ。異国からこの国の魔術学校を見学に来たとでも言えば筋は通る。
期間はどうしようか。短めがいいが、2~3日にして魔道書の場所が見つからなかったらマズい。
おっと、そういえばシルビアも火属性の弐ノ型と参ノ型を覚えるんだったな。シルビアも俺と同じでパラパラとめくれば覚えられるだろうか?
……うーん、不安だから少し長めに期間をとっておくか。
「分かった、期間は2週間だ。その形で紹介状を頼む」
「御意に」
ノワールさんは頷きつつ、その目はちらりとシルビアの方を見ていた。
そろそろ次の頼みが気になる頃だろう。そしてそれがおそらくシルビアに関することだと予想しているのだ。ノワールさん、かなり頭が切れる。なのにどうしてこんなにおかしな勘違いをしているのだろうか。ただそのお陰でこっちは助かっているから何とも言えないが。
「さて。些細な頼みごとが終われば、次に来るのは重要な頼みごとであろう」
「左様で御座いますな」
俺の適当な言葉に、納得したような表情で返すノワールさん。
俺は居住まいを正し、口を開いた。
「単刀直入に言おう……朕はシルビアが気に入った。彼女には弓術と魔術の才がある。どうか朕の供として同行を許してはくれまいか」
頭を少しだけ下げて願う。
ここでシルビアの同行を認めさせておけば、後々第三騎士団にスパイがバレて諍いになった際、ノワールさんを味方に付けることができると思ったのだ。できればヴァージニア家直々のお墨付きが欲しいところである。
……しかしいくら一人称が思いつかなかったからって「朕」はどうだろう。ノワールさんは目を丸くしていた。いかん、流石にマズかったかも。
「あ、頭をお上げくださいッ」
ノワールさんの慌てたような声。俺はゆっくりと顔を上げた。
「不出来な娘ですが、殿下がよろしいのであれば何なりとお使いください。しかし、本当にシルビアを……?」
疑念が残るようだ。
そりゃそうか。ノワールさんの中では、シルビアはまだ剣の一つも満足に扱えない、ただ騎士に憧れるだけの夢見る少女なのだろう。
「確かに彼女に剣の才はない。しかし弓魔においては、その腕まさに天下に轟くものと言えよう。朕が保証する。シルビアは騎士団から離れ、朕と共に来るべきである」
俺は自信満々に宣言した。
「シルビアに然様な才が……」
ノワールさんはそれでも信じられなかったようだ。手ごわい。
「第三騎士団から彼女を2年の契約で借り受けている。期間が済んだら、朕のところへ来てほしいと騎士団に頼むつもりである。その際ノワール殿の力を借りたい」
ここまでしてシルビアが欲しいんだ、という風に見せてみる。
「……恐れながら……いや、畏まりました」
ノワールさんは否定の言葉を言いかけて、すぐにそれを否定する。そして決心したような顔でこう言った。
「希うは獅子奮迅の活躍。この地に座していようとも、必ずや届くであろうその喝采をこの家で待つことに致します」
「…………っ」
ノワールさんの言葉の後、シルビアの感激するような息遣いが聞こえる。
何言ってんのかよく分からなかったが、つまりOKってことでいいのかな? いいんだろうな。
「その心意気、天晴れである。朕はヴァージニア家を決して忘れることはない」
俺は満足気に頷き、できるだけ大らかに微笑むと、シルビアを連れてヴァージニア邸を後にした。
……不思議なことに帰路を歩く足が少し震える。いやぁ緊張した。
シルビアは帰り道の間ずっと「この馬鹿者!」「大馬鹿者!」とうるさかった。
「お前といると心臓がいくつあっても足りん」なんて言うが、俺は知っている。最後にノワールさんがお前の弓の才能を認めて送り出した時に少しだけ涙目になっていたことをな。心臓痛めて正解だっただろ?
しかし、まあ、これで王立魔術学校へのコネはできたが……なんだか予想以上に大変なことになりそうで怖い。
嘘なんかつくもんじゃねーなと、心底そう思った。
* * *
「ポーラ校長。少々お話が」
王立魔術学校、校長室。
スラリと伸びた手足に美しい顔立ちをした耳の長い男が無遠慮に入室してくる。
その男は、本棚に囲まれた部屋の中心で沢山の書類が積まれた机に向かって黙々とペンを動かしている、まさに姥桜といった眼鏡の女性ポーラに話しかけた。
「名前で呼ぶなといつも言っているでしょう、ケビン先生」
ポーラはそう言うと、ペンを動かす手を止める。
「よいではありませんか。ここでは二人きり、ですよ」
「あら、私を口説いているのかしら?」
「ははは。ふた回りも年下の女性を口説こうなど、紳士としてのポリシーに反しますね」
「そういえばそうだったわね貴方……」
微笑むケビンを見て頭を抱えるポーラ。その様子を見たケビンはフォローするように言った。
「おっと、勘違いしないでいただきたい。ポーラ校長に魅力がないと言っているわけではございません。せめて、あともう少し、そう、あとほんの100歳くらい年をとっていただければストライクなのですよ、ええ」
「……エルフのくせに熟女好きとは始末に負えないわよね」
「ん、今何か?」
「独り言よ」
ちなみに王立魔術学校の校長ポーラ・メメントの年齢は49歳、第1学年主任・第1学年A組担任であるケビンの年齢は130歳だ。ポーラは人間なので歳より若く見えるくらいの真っ当な外見だが、ケビンはエルフなので百年以上生きているとは思えないほど若々しい外見をしている。
「ところで何の話? 雑談をしに来たわけじゃないでしょう?」
ポーラがそう聞くと、ケビンはパチンと指を鳴らして答えた。
「ノワールから手紙が来た」
「あら珍しい……でも、ただの手紙ってわけじゃなさそうね」
ポーラはケビンの表情を見て感付く。
「その通り。手紙にはこう書いてあった――異国の然る高貴なるお方が魔術学校への短期留学を希望している。我が娘シルビアと共に貴殿の組へ2週間の留学を願う――と」
「…………」
ケビンの表情が真面目なものとなると同時に、ポーラの表情もまた固まった。
依頼自体は大したことがない。2週間の短期留学などどうとでもなる。問題なのは、依頼してきた人物と、依頼した人物。
「貴方、どう思う?」
ポーラが問いかけると、ケビンは待ってましたとばかりに口を開く。
「あの堅物のノワールが“高貴なるお方”だなんて言っている。つまりノワールが認めざるを得ないような器の持ち主だ。それも実の娘をわざわざ護衛につけた上ご丁寧に紹介状まで書いて案内する程の相手ときた。これは異常事態だね。今すぐ対策を立てる必要がある」
「概ね同意よ」
腕を組んで唸る二人。
一体どのような人物がどのような目的で短期留学しに来るのか、手紙には何も書かれてはいない。分かっているのは「セカンド」という名前だけ。
「普通なら、怪しいと……そうなるんだろうけどねぇ」
「ええ。あのノワールからの手紙となると……」
絶対に無視はできない。それ程にノワールという「真面目が服を着て剣を振っているようなお堅い騎士爵」への信頼は厚いものがあった。
それから暫く経ち。
ポーラは少なくない時間を思考に費やして、おおよその対策を立てた。
「……私が思いついた対策は二つ。一つはそのセカンド君を異国の王族と仮定してこれ以上ないくらいの手厚い待遇で2週間至れり尽くせりで過ごしてもらう。もう一つは、全ての学生を平等に扱っているというスタンスのまま短期留学手続きを済ませて後は“触らぬ神に祟りなし”よ。さあどっち?」
語る方も聞く方も、苦々しい顔をしている。
「後者の方がマシ、かなぁ……仕方なくだけど。うちの組ではセカンド君だけ特別扱いできない理由がある」
ケビンがそう言うと、ポーラも頷く。
「そう言えばそうね。だって貴方の組には――」
「ええ、そうです。僕のA組には――」
――マイン第二王子がいらっしゃるから。
お読みいただき、ありがとうございます。