116 密談
暫く書き溜めすると約束したな。
あれは嘘だ。
「御守り?」
「はい。こちらで御座います」
俺が潜伏していた路地裏に、修道院からあんこが帰ってくる。
あんこはレンコから御守りを受け取ったと言って、俺に現物を手渡してきた。どうやら作戦は上手く行ったみたいだ。
「手紙か」
俺はその御守りとやらを手に取って、すぐさま気が付いた。中に何かが入っていると。
外側の布を引き裂いて、中身を確認する。思った通り、そこには小さく折り畳まれた手紙が入っていた。
「今夜0時にオルドジョー北の森で、だとさ」
人目につかない森の中で密談しよう、といったお誘い。
しかし、オルドジョー北の森? あそこはそこそこ強い魔物が出るが、大丈夫なのか?
確かに、魔物が出現する真夜中の森に人が入ってくることは滅多にないだろう。隠れて会うには適している。ただ、俺は問題ないが、フランに問題があるのではないかと思えた。
俺に救助要請の手紙を寄越したくらいだ。恐らく、フランは何らかの理由で経験値稼ぎができない状況なのではないだろうか。そう、つまり……転生した直後からずっとカメル教会に閉じ込められている、とかね。だとすれば、一人で北の森に行くなど自殺行為である。
誰か代理を立てるのか、それとも、俺の杞憂か。まあ、行けば分かるだろう。
「主様がお話されている間、あんこが周囲の魔物を掃除しておきましょうか?」
「ありがとう、そりゃ助かる。あんこは役に立つなあ」
「はいっ。あんこにお任せを!」
かわいい。
――それから。約束の時間まで、俺たちはオルドジョー郊外をぶらぶらと散歩して過ごした。陽光の差す場所は歩けないが、木陰から木陰へ手を繋いで歩くだけで、何だか温かい気持ちになった。たまにはこういうのんびりとした一日も悪くない。
ただ、一回、晩メシをどうするかで言い合いになった。俺は一旦家に転移して晩メシ食ってまた戻ってこようと提案したのだが、あんこはどうも真っ暗な森の中で二人きりで食べたかったらしい。寒いし暗いし良いことはないと渋る俺と、それでも食い下がるあんことでぶつかり合い、最終的に俺が仕方なく折れた。
焚き火をおこし、あんこが狩ってきてくれた謎の動物の肉を塩焼きにして食べる。あんまり美味しくなかったが、あんこが幸せそうなのでよしとする。
「さて、そろそろか」
長針と短針がてっぺんで揃おうかという頃。
俺は約束の場所で一人佇んでいた。あんこは、ここ周辺の魔物を湧いては潰し湧いては潰しと掃除して回っている。
そして。
2分遅刻して、真っ黒い服を着た女が現れた。
「――驚いたよ。魔物が全然いないじゃないのさ」
長い黒髪をポニーテールにした、切れ長の三白眼の若い女。身長は女にしては高めで、白い肌に赤い口紅が映えている。
「相方が綺麗好きでね」
「ああ、あの女かい。じゃあ?」
「俺がセカンドだ。お前は?」
「あたいはレンコ。へぇ、あんたが……」
密会にやってきたのは、修道女のレンコだった。
彼女はただでさえ鋭い目を更に尖らせ、俺を品定めするように観察している。
フランのやつ、予想通り使者を寄越してきた。ということは、やはり何か身動きが取れない事情があるのだろう。
…………。
……いや、それよりも何よりも、気になって仕方のないことが一つ。
一人称が「あたい」って、もしや……。
「なあ。本題の前に一ついいか」
「何さ。くだらない話はよしておくれよ」
「お前の本名、レイだろ」
「――っ!」
ナイス反応。「どうしてあたいの名前を!?」みたいな顔をしている。どうやら顔に出やすい子のようだ。
「ありがとう、よく分かった」
「……何を言ってるんだい? 人違いだね。あたいはそんな名前知らないよ」
「信じる信じないは任せるが、今、俺の家にキュベロとビサイドがいる。カメル神国へ行くならお嬢の安否を確かめてきてくれと頼まれた」
「…………ふん。レイなんて女は、もう死んだんだよ。ここにいるのは、ただの修道女のレンコさ」
「そうか。じゃあ本題に入るか」
「な……何なんだい、あんた」
少々面倒くさい雰囲気を察したので、スパッと話を切ってみる。案の定、レンコは肩透かしをくらったように戸惑っていた。
「で? 何のために俺を呼んだ? いや、回りくどい話はなしだ。俺は誰を助けりゃいい?」
「! ふぅん……そこまで分かってんのなら、話は早いね」
呆れたり驚いたりと表情豊かな彼女は、深呼吸を一つ、真剣な顔で口を開いた。
「――ラズベリーベル様の、力になっておくれよ」
どうだ、驚いただろう。というような口ぶり。
いや、ええと……。
「誰?」
「嘘だろあんた!?」
大声を出させてしまった。
「すまん、知らん。有名人?」
「カメル教の聖女だよ! このクサレ神国じゃあ赤ん坊でも知ってる名さ!」
聖女! 以前から気になっていた存在だ。へぇ、ラズベリーベルという名前なのか……。
…………お、おい、待てよ。ということは、つまり、だ。フランボワーズ一世は、聖女になったのか!? あのムキムキのオッサンが? カメル教の聖女? 冗談だろ……?
「待て、目眩がしてきた……」
あまりにもイメージとかけ離れすぎていて、“聖女ラズベリーベル”という言葉が全く入ってこない。俺の脳が受け入れを頑なに拒否している。
「ふん。驚くんなら最初から素直に驚きな」
違う、いや、違くはないけど、ベクトルが全く違う。
ただ、驚きはしたが、納得はできた。つまり、フランは何故か聖女としてカメル教会に祭り上げられているのだろう。加えて、担ぎ上げられているのだ。客寄せパンダならぬ信者寄せ聖女。教会としても手放せないに違いない。軟禁状態というのも頷ける。そりゃ助けを求めるわけだ。
「とりあえず、分かった。聖女を助けりゃいいんだな。聖女は今、何処にいる?」
「え……ちょ、ちょいと待ちなよ。何だい、その、今から助けに行くみたいな言い方は?」
「転移魔術を使える。聖女を俺の家に転移させりゃ、一発だ」
「…………今度はあたいがくらくらしてきたよ」
何か変なことを言っただろうか?
ああ! そういうこと。
「すまん、そうか。突然いなくなったら追われる身だな。人目に怯えて暮らすのはゴメンってか。それは俺も同感だ。よし、じゃあ、もうカメル教をぶっ潰そう」
「あんた……仕舞いにゃ殴るよ」
怒られた。何故? 納得いかない。
「おおもとを潰すってのは、なかなか良いアイデアだと思うが」
「ラズベリーベル様をそんな危険な状況に巻き込もうってのかい? それにね、あんたの正体がバレたら下手すりゃ全面戦争さ。話はそんなに簡単じゃないんだよ」
なるほど、確かにその通りかもしれない。現状、俺には上手く正体を隠せるような方法がない。もし何かの拍子で俺がカメル神国を大混乱に陥らせた犯人だと判明したら、戦争勃発の引き金になる可能性も否めないだろう。
「じゃあ教皇と枢機卿を一人残らず皆殺しに……」
「ふざけたこと言ってんじゃないよ! いくらあんたが強くても、できることとできないことがある。カメル神国全域に潜まれてみな、一人一人探して回るってのかい?」
「全員が集まる機会とかないのか?」
尋ねてみると、レンコはハッとした表情を見せる。
「あ、あるにはあるけど……あんた正気かい?」
「さあね。どう思う?」
至って正気という風に見つめ返すと、彼女は腕を組んで黙ってしまった。
それから数秒、考えがまとまったのか、レンコが沈黙を破る。
「……あたいは反対だよ。分の悪い賭けさ」
「だったらお前は何か案があるのか?」
「今ある手札じゃ、あんたが最初に言った方法が一番マシだね」
あんこの転移で聖女だけ奪還して逃げるってアレか。
よくよく考えれば、ありゃ問題点だらけだ。聖女が突然消えたらカメル神国は大混乱、そしてその聖女がキャスタル王国にいると判明したら、間違いなく大戦争。つまり、外出すらろくにできやしない。ただ閉じ込められている場所が移っただけだ。急場しのぎにはなるだろうが、根本の解決にはなっていない。
「……自分で言っといて何だが、俺は賛同しかねる。追われる身ってのは落ち着かないもんだ。どうせならスッキリしておきたいだろう?」
「はぁ。話にならないねぇ……」
禍根が残りそうな逃亡が気に入らない俺と、無駄な危険を冒すことに乗り気ではないレンコ。意見が真っ向からぶつかり合った。このままでは、話は平行線だろう。他に何か良い案があればまた話は変わってくるが、俺とレンコにはこれが限界のようだった。
互いに無言のまま、考えを巡らせる。
そして数十秒後、レンコは時計を一瞥して、眉根を寄せると、溜め息まじりに言った。
「ちっ……タイムアップだよ。あたいは一度、ラズベリーベル様にお伺いを立ててみる。また明日、この時間にここで落ち合うよ」
「ん、了解」
そうとだけ言い残して、彼女は足早に去っていく。AGIの高さが見て取れる移動速度であった。
聖女ラズベリーベルが、本当に俺の知っているフランならば、多分、俺の案に賛成するだろう。あいつはネトゲ云々などお構いなしで上下関係に厳しいやつだった。「きちんとセンパイの言うこと聞かんかい」くらいは言っていてもおかしくない。
だとすれば、もっと良い作戦を練っておくことも必要か。
……帰ってウィンえもんに聞いてみよ。
* * *
「きちんとセンパイの言うこと聞かんかい」
「し、しかし」
「もー。何べんも言わせんといてや」
「……はい」
赤と白の交ざり合ったロングヘアにスレンダーなモデル体型をした超絶美形の女が、侍女であるレンコへと指示を出す。
彼女は慣れた手つきで自身の髪をひと撫ですると、窓の外に広がる空を物憂げな表情で見つめた。
決して外には出られない、格子付きの窓。ふぅっと息を吹きかけると、窓ガラスが薄らと曇る。
その白魚のような指で、彼女はそこに相合傘を書き……自分の名前を入れるところになって、指の腹でこすって消してしまう。
いつも、そうであった。相合傘は、完成しない。
「難儀やなぁ、ほんま……」
お読みいただき、ありがとうございます。
余裕の書き溜めだ、やる気が違いますよ。