115 小せぇ聖地
さて。どうやってカメル神国へ潜入しよう。
密入国すること自体は大して心配していない。あんこの《暗黒転移》があるため、目視できる影ならば何処へでも転移できる。検問など何のそのだ。
問題は、入国した後。何の変装もなしに街をぶらついていたら、まず間違いなく「あいつセカンドじゃね?」と騒がれる。如何な閉鎖的宗教国家といえど、流石に前人未到のタイトル三冠王の顔は知られているだろう。
かと言って、仮面をつけるのは怪しすぎる。「俺は怪しい人物です」と宣伝して回っているようなものだ。
「なあ、ぼろぼろのローブみたいなやつ持ってないか?」
辺境伯の砦の廊下、俺はたまたま見かけた兵士らしき男にそう尋ねてみた。
ぼろのローブを纏ってフードを深く被り顔を隠せば、物乞いか何かに見えなくもないため、その場しのぎのカモフラージュ程度にはなるだろうと思ったのだ。
「はっ。私の普段使いの物でよろしければ」
「頼む」
男は実にきびきびと対応してくれた。俺が頷くと、彼は自身のインベントリから使い古した雑巾のようにぼろぼろな黒いローブを取り出す。
「年季が入ってるな。こりゃ使えそうだ」
「偵察任務の際、私が身に付けている物のうちの一着であります。どうぞお役立てを」
受け取り、身に纏う。なかなか、しっくりきた。
男に向き直り、「ありがとう」と簡潔に伝える。
……ん? この男、そういえば何処かで……。
「その節は、お世話になりました……!」
男は俺の視線を受け、感極まったような顔で頭を下げてそう言った。
思い出した! こいつ、カメル神国軍に人質に取られていた斥候か!
「斥候が変装に使うローブなら、折り紙付きだな」
俺が笑って言うと、男は無言で更に頭を下げ、鼻をすすりながら小刻みに震え出す。
明らかに助からない状況で助かったんだ、相当な感謝があるのだろう。ここまで感謝してくれるなら、こちらも気持ち良いものがある。人助けも悪くないかもしれない。
俺は「またな」と一言、フードを被り、清々しい気分で砦を後にした。
「あんこ。人目につかない場所を見繕いながら、あっちの方角へ転移してくれ」
「御意に、主様」
時刻は10時、天気は冬晴れ。あんこにとってはあまり良いコンディションではないが、晴れている分、影もまたはっきりと濃く映る。
俺たちは木の影から木の影へ、転々と移動していった。
盆地を越え、山を越え、草原を迂回して、カメル神国最初の街へと入る。
人目を避けて、路地裏から路地裏へ。検問所を無視して、街道を越え、次の街へ。
街の人間に転移がバレたんじゃねえかと冷や冷やする場面もあった。こんなことなら夜の間に移動すればよかったとつい後悔してしまったが、そうすると街の中以外は灯りも何もない真っ暗闇を移動するハメになるので、やはりそれは可能な限り避けたかった。十中八九、あんこが誘ってきて移動どころではなくなるからだ。
俺たちが目指すは、カメル神国の首都『オルドジョー』――カメル教の“聖地”と呼ばれる場所である。
キャスタル王国の首都ヴィンストンの半分にも満たないほど小さなこの場所に、カメル教会の総本山がある。ここは間違いなくカメル神国で最も閉鎖的な場所だ。フランからの手紙が本当に救助要請ならば、きっとやつは聖地オルドジョーにいる。そう確信が持てるほど、俺の知っているオルドジョーという場所は酷かった。
ただ、一つ、分からないのは。フランほどの廃プレイヤーが、何故、救助などを必要としているかだが――。
「嗚呼、主様はいけずで御座います。これほど体を密着しておいてお預けなど、あんこはもうどうにかなってしまいそうです……」
は、始まった始まった、始まりましたよ! あんこの発情大作戦が!
俺たちが体を密着させ合っているのは、あんこが《暗黒転移》の後に《暗黒召喚》で俺を喚び寄せる際に必ず胸の中に抱える形で発動するからであって、決して俺のせいではない。事実、あんこが俺以外の人物を召喚する場合はきちんと体から離れた位置に出現させていたのを俺はこの目で確と見たのだ。ゆえに、これはあんこの作戦だと断言できる。
そろそろとは思っていたが意外と早かったな。あんこの熱い吐息が俺の首筋にかかり、俺までだんだん変な気分になってくる。
転移と召喚はそれぞれクールタイムが60秒。すなわち、あんこが転移し、俺を召喚し、そのまま60秒待機と、これを繰り返して移動する。
つまり、だ。今後、俺は移動の度に60秒もの間、我慢の限界を迎えたあんこに誘惑され続けることになる。
「…………よ、夜まで待って」
「嗚呼、然様につれないことは仰らないでくださいまし」
果たして、オルドジョー到着までもつだろうか……?
もたなかった。
ユカリ特製ディナーが今日になって効いてきたのか、昨夜16ラウンドもこなして疲れ切っていたはずの何某は元気いっぱい、天国ループで三連チャンする始末である。
真昼間っからナニをやってんだと一時は自己嫌悪に陥ったが、よくよく考えれば俺は悪くない。いや、誘惑に負けた俺も悪いんだけれども……。
「主様、寒う御座いませぬか? あんこが温めて差し上げます」
……あんこは暫く召喚していないうちに変わったな。具体的には、随分と甘えてくれるようになった。
次第に遠慮がなくなってきている気がする。多分、良い傾向だろう。そう思いたい。
「いや、大丈夫だ。先を急ごう」
「さ、然様で御座いますか」
断ると、もふもふの耳をしゅんと萎れさせて、何処かしょんぼりとした顔をする。
以前ならば、糸目と微笑みを携えたままに、俺の言うことにただ従うだけで、このように眉をハの字にしたりはしなかった。
寂しかったのかもなぁ……もっと、一緒に居る時間を増やした方が良いかもしれない。
「……気が変わった。暫くこうしているから、そのままで俺の作戦を聞いてくれ」
「ぁ……はいっ、御意に!」
あんこの雰囲気が花が咲いたように明るくなる。その目は細いままだが、口角はいつもより明らかに上がっていた。
そして、寝転がる俺の上半身をいそいそとその豊満な胸に抱きかかえると、愛おしそうに撫で始めた。
俺は尋常じゃない心地良さに身を委ねながら、ゆっくりと口を開く。
「これからオルドジョーという街に潜入する。俺は潜伏しているから、あんこは単独で本部の修道院を訪ねて、レンコという修道女と接触してほしい」
「レンコ、で御座いますね」
女子修道院は基本的に、関係者以外の男は立ち入りできない。ぼろのローブを纏った物乞いの男など、以ての外である。というか付近をうろついているのが見つかったら終わりだ。ゆえに、レンコとの接触はあんこに頼むしかない。
「ああ。その際、修道服を着て変装しろ。お前は修道女のフリをしてレンコに会うんだ」
「畏まりました」
あんこが衆目に顔を晒したのは、対ヴォーグ戦の時の一度だけ。それも最後の最後の数十秒間のみ、荒れ狂う黒炎の中でだ。
カメル神国内それも最深部のオルドジョーに、あの時のあんこの顔を完全に覚えている者などいるわけがない。加えて、魔人が修道服を着て一人で歩いているなど、一体誰が予想できるだろうか。
「セカンドの使いで来た、だなんて馬鹿正直に言っちゃ駄目だぞ。何処に監視の目があるか分からないからな」
カメル神国では、言論の自由など存在しない。社会の至る所に潜む目と耳が、それを「反教会的だ」と判断したのならば、すぐさま“粛清”されるのだ。ここは、そういった国である。
「では、何と申せばよろしいのでしょう」
「7にまつわる話をしろ」
「数字の7で御座いますか?」
「そうだ」
手紙の差出人が本当にフランならば、そしてレンコという修道女が本当にフランの窓口ならば、間違いなく通じるはずだ。
「何気ない日常会話を装い、数字の7にまつわる話をする。それで何も反応がないようなら、ハズレだ。帰ってこい」
「承知いたしました。このあんこにお任せを」
甚だ優秀。死ぬほど強くて頭の切れる美人の狼、全く最高である。
「さて、では行こうか」
「ええ、参りましょう」
* * *
「――もし。こちらにレンコさんはいらっしゃいますか?」
「ええ。レンコにどういったご用件でしょう?」
「本日レンコさんと面会のお約束をしておりました、アンと申します」
「アンさんですね、少々お待ちください」
カメル神国首都オルドジョーの中央に位置するカメル教会本部、その女子修道院の受付にて、修道服を身に纏ったあんこはレンコとの面会を希望する。
受付をしていた修道女は、レンコへと確認を取りに歩いた。そして「面会の約束をしていた修道女のアンが訪ねてきた」と、ありのままの情報をレンコへ伝える。
彼女には、あんこのことが修道女にしか見えなかったのだ。カメル神国内では、修道女に人権らしい人権はない。ゆえに警戒が緩み、何処の支部の所属かも聞かずにレンコへと話を通してしまったのである。
「アン、ですか……?」
レンコという名前の修道女は、修道院の中にいた。腰まで伸びた長い黒髪をポニーテールにした、鋭い三白眼の美しく若い女であった。
彼女は報告を受け、直感する。例の手紙の一件か、と。
しかし、同時に違和感を覚えた。キャスタル王国に住んでいるはずの彼が手紙を受けてから行動を起こしたのだとすれば、あまりにも早すぎるのだ。
「……確かに約束しました。彼女を面会室へ通してください」
会って、この目で確かめなければならない。レンコは面会することに決めた。
十分後。面会室にて、あんことレンコが対面する。
「お久しぶりで御座います、レンコさん。7ヶ月ぶりでしょうか」
「……久しぶりですね、アン。また少し背が伸びましたか」
そして、茶番が始まった。
開口一番の「7ヶ月」という単語で、レンコは確信したのだ。彼女は、彼の関係者だと。
また、あんこも感付いていた。レンコの口調が、彼女本来のものではないことに。何かを隠している修道女、すなわち、目的の人物に相違ない。
互いに互いが求めていた人物であると認識し合った二人は、それから暫く、何一つ中身のない世間話で時間を潰した。
「今日は話せてよかったです」
「ええ、こちらこそ」
面会時間が終了し、別れ際。
立ち上がりその場を去ろうとするあんこを、レンコが呼び止める。
「そうそう、これをおば様に。手製の御守りです」
「あら、ありがとう御座います。これできっと、母の病気も良くなることでしょう」
友人の母を心配し、御守りを手渡す。
誰に聞かれていても、不自然でないように。
最後の最後まで、二人は友人同士という演技を続けながら、面会を終えた。
「…………っ……!」
あんこが去って、暫し。
レンコは、冷や汗と体の震えが止まらなかった。
机一つ分の距離で対峙する間、嫌と言うほどに感じていたのである――“格の違い”を。
面会室へと足を踏み入れたその瞬間から、常に、気配もなく、音もなく、防ぐ間もなく、一瞬で、一方的に、至極残酷に、いつ捻り殺されてもおかしくない状況だった。彼女には、その身の毛もよだつ事実を、感じ取れるほどの実力があったのだ。
「くそっ! 何なのさ、アレは……!」
三冠王セカンドが面会に寄越した女。
異常にも限度がある……と、レンコは天を仰ぐ。
単純に言って、アレは、バケモノだった。
【体術】スキルの殆どを高段まで上げている彼女が、十人と束になったって敵わないだろう、正真正銘のバケモノだったのだ。
「……とりあえず、報告しないとね」
誰に。
それが明らかとなるのは、誰もが寝静まった、夜――。
お読みいただき、ありがとうございます。
暫く書き溜め。