114 いざ旅立たん
「フランボワーズ一世とは、一体誰なんだ?」
シルビアが当然の疑問を口にする。
俺は何と返そうかと暫し考え、それからひとまずの答えを出した。
「……死んだはずの男だ」
三人の表情が強張る。
そんなはずはない、と言うのは簡単だ。だが、誰も何も言わなかった。俺を信じてくれたのだろう。
死んだはずの男――正確には、クラックされたはずの男キャラクターの名前。
あの日、あの時、俺と同じ目に遭った、3000人のプレイヤーのうちの一人である。
世界ランキングは、確か200位くらいか。筋骨隆々ムッキムキの重装騎士で、パワーでゴリ押す男くさい戦闘スタイル。咥えタバコの似合う寡黙な大人の男という印象で、女にはモテないが男には憧れられるようなダンディなおっさんキャラだった。
そんななりのくせして、俺のことを「センパイ」と呼び、何処へ行くにも必ず付いてくるほど俺に懐いていた。きっと中身は年下だなと、そんなことを思った覚えがある。
……フランが、俺と同じ道を辿ったのなら。
あいつも、今、この世界に、サブキャラの姿で転生しているのだろうか……?
「ユカリ、ウィンフィルドを」
「畏まりました」
俺が指示を出すと、ユカリは即座に《精霊召喚》を行い、ウィンフィルドを喚び出した。
こういう時は、あーだこーだ悩んでいても仕方がない。何はともあれ、今はこの手紙の真意を読み取ることが先決だ。
「はぁい、セカンド、さん。おひさー」
「おう、久しぶり。来て早々に悪いが、とりあえずこの手紙を読んでくれ。こいつをどう思う?」
「んー」
グレーの髪色のツーブロ長身美人が、30秒ほどでサラっと中身に目を通す。そして、相変わらず眠そうな目でこちらを見て、ゆっくりと口を開いた。
「多分、検閲突破のための、偽名。三冠を祝いたいとか、ぜーんぶ、フェイク。ただ、この、修道女レンコ。これが、窓口、かな」
「窓口?」
「うん、そう。どうしても、会いたいから、彼女に接触してほしいってことだと、思うよ」
すげえな、うちの軍師様ったら、一瞬で送り主の目的を見抜いちまった。
もう流石としか言いようがないが、ただ、一つだけ気になることがある。
「どうしても会いたい? 会いに来い、ではなく?」
「相手、きっと、すンごい切羽詰まってる。会いに来てー、というか、助けに来てー、って感じかなあ」
「救助要請か」
「うん。明白。あの国で、今こういう手紙送るの、ちょーリスキーだろーし。窓口、用意するのも、ちょーギャンブルだろーし」
「なるほどなぁ」
「なるほどよ~」
つまり、フランボワーズ一世を名乗る手紙の送り主は現在、カメル教会の中枢にいるのだと分かる。俺に手紙を出していることが教会にバレたら粛清されかねない立場、すなわち教皇や枢機卿のように権力のある位階ではない、助祭か、その従者か、それとも司祭か、はたまた……?
……まあ、会えば分かるか。行動あるのみだな。
「ウィンフィルド、助かった。とりあえずレンコとやらに接触してみるわ」
「ほいほーい」
感謝を伝えると、ウィンフィルドは手をひらひらとさせて眠たげに去っていった。かと思えば、《送還》される最後の一瞬、ユカリの目を盗んで俺にウインク&投げキッス。わーお、そういうの、わりとドキッとするなぁ……。
「せかんど、でかける?」
「ああ。ただもう日暮れだから、明日の朝かな」
「一大事なのだろう? 私たちのことは気にせず行ってこい」
「いってこーい!」
二人はこう言ってはいるが、内心では俺に行ってほしくないのだろう。笑顔が少し寂しげだ。
ムラッティやミックス姉妹との約束を終え、明日からは彼女たちに“定跡”を教えようと考えていた矢先の話である。タイトル戦のあの悔しさがまだ鮮烈に残っているに違いない彼女たちは、居ても立ってもいられないはずだ。なのに、俺を気遣って笑顔を作ってくれた。
……できるだけ、早く帰ってこよう。俺は心に決めて、頷いた。
「すまん。予定を前倒しにして、カメル神国の調査を先に終わらせる。二人の特訓はそれが済んでからにさせてくれ」
「うむ。その間、私たちは自主練だな。基礎を固めておいて損はないだろう?」
「概ね得しかないぞ」
「ではそうする。後は、そうだな、息抜きにダンジョン周回もいいな」
「あたしもいく!」
「おっ、エコも乗り気か。ならば明日にでも行こうか」
前言撤回。この二人、放っておいても勝手にどんどん強くなっていきそうである。やる気の塊だ。こりゃ暫く帰らなくても大丈夫かもしれない。
「留守中はお任せください」
「ああ、頼りにしてる」
ユカリも本当に頼りになる。安心して留守にできるな。ただ留守中はというか常時ずっと家のことを任せっきりなので、いつも通りとも言えるが。
……あれ? ファーステストって、ひょっとして俺いなくても何ら問題ないんじゃ……?
「夕餉の支度をして参ります」
ユカリの尋常じゃない優秀さに要らぬ無用感を覚えているうち、すっかり日が暮れた。
晩メシは、カキフライに青魚の南蛮漬け、長芋のサラダと卵焼き、アサリの味噌汁。
もしやと思ってユカリを見やると、耳の先をほんのり赤くしながら熱っぽい視線でこちらを見つめていた。なるほど勉強になる。カキと青魚と長芋と卵とアサリって、精のつく食べ物なんだなあ。
結局、夜は一睡もできなかった。必要とされるって、気持ち良いけど、大変だ。
「いってらっしゃいませ、ご主人様」
「気をつけるんだぞ。余計な心配だろうがな」
「いってらぁー……」
翌朝。
肌ツヤの良いユカリと、爽やかに微笑むシルビア、半分寝ているエコの見送りで、家を出発する。
玄関を出ると、そこには、両の膝を折り足を開いて地面に座し、両の拳を地につけ頭を下げた体勢のキュベロとビサイドが俺を待っていた。
「お嬢の件、何卒お頼み申し上げます」
「何卒! よろしくお願いいたしやす!!」
“お嬢”……義賊弾圧の最中にカメル神国へと渡っていたらしい、今は亡き義賊R6の親分リームスマの娘「レイ」のことだろう。
現在の生死は不明。今のところ手がかりは名前のみだが、もし生きているとしたら当然ながら偽名で暮らしているに違いないため、あまり参考にはならない。
「連れて帰ると確約はできないが、可能な限りの調査はする。何か、彼女の特徴はあるか?」
流石に手がかりが少なすぎるので、尋ねてみる。
「有り難きお言葉です。名はレイ、17歳、165ほどの身長で、長い黒髪を茶に染めており、好んで真っ赤な口紅をつけておりました」
「よく親分に反抗しちゃあ家を出て、慌てて後ぉ追っかけた若い衆に鉄拳くらわせて黙らせてってなもんで、並みの男より腕っ節の強ぇ、ほんでもって気も強ぇ、とんでもねぇ跳ねっ返りでさァ」
「お嬢はカタギです。しかし幼少から私たち義賊と共に育ったせいか、少々、その……気性が」
「男に手厳しいといいやすか、男嫌いなところがありまさぁな。おいらもカシラも、よく怒鳴られとりましたわ」
なるほど、なんとなーくイメージが湧いてきたぞ。レイお嬢とやらは、つまるところ“スケバン”みたいな女の子なのだろう。きっと一人称は「あたい」だな。
「よし、分かった。任せておけ」
俺は「何卒」と頭を下げる二人に確と頷いて、それからあんこを《魔召喚》した。
いざ旅立たん。そう、彼女に《暗黒転移》と《暗黒召喚》をお願いするのだ。
「あんこ。暫く二人旅だぞ」
「まあ、まあ! 主様、あんこは嬉しゅうて堪りませぬ!」
「さっそく転移を頼んでいいか」
「ええ、御意に! どちらへ参りましょうっ?」
あんこは尻尾をブンッブン振りながら俺に身を寄せて、行き先を聞いてきた。
これから向かう場所。そこは、現時点で最もカメル神国に近い地点。
「スチーム辺境伯の影へ飛んでくれ」
「畏まりました」
あんこは記憶している影ならば何処へでも転移できる。例えそれが人の影であろうとも。
カメル神国との国境付近の砦に居を構えているスチーム・ビターバレー辺境伯の影が、現在あんこが記憶している数多の影の中で最も適当な場所だと考えられた。
「――よお。久しぶり」
というわけで、転移する。
「……………………」
スチーム辺境伯は、砦の執務室にいた。
突然現れたあんこと俺を見て、目を点にして絶句している。かと思えば、「はぁ」と嘆息して口を開いた。
「もし私がマスかいてる最中だったらどう責任とってくれるんです?」
「執務室で別のもんカイてるお前が悪い」
「ぐうの音も出ない正論をどうもありがとうセカンド卿」
流石は33歳の若さで辺境伯までのぼり詰めた男だ。一言二言交わしただけでもう落ち着きやがった。
「で、私に一体何の御用です?」
「いや、別に。カメル神国へ行くから、ついでにちょっと寄っただけだ」
「……本当に何なんですか貴方は。相変わらずおかしいですね」
「それほどでもない」
「褒めていません。褒めるとすれば、タイトル三冠おめでとう、くらいでしょうか」
「ありがとう。花輪もな」
「ええ。大いに感謝していただきたい」
早いところ恩を返さなければなりませんから、とスチームは言葉を続ける。
一万四千のカメル神国軍を追い払った貸しが、お祝いの花一つ如きで返されたら世も末だな。
「……万が一、億が一、もしかしたら、ひょっとしたら、お前に頼みごとをするかもしれない。とだけ言っておく」
「そういうの、一番嫌なんですよ私。日常の中でずっと気にしていないといけない。仕事中も、食事中も、ナニの最中もね。何とも落ち着きません」
「悪いな。ただ、俺のために、たった一度だけ、無茶をする覚悟は決めておいてくれないか?」
今回の旅で、俺がカメル教会全体に多大な影響を及ぼすことになった場合、下手こいたら王国と神国で全面戦争だ。そうなれば、真っ先にお鉢が回ってくるのは辺境伯である。その事態を防ぐためにも、彼には即断即決で万の軍勢を動かすくらいのスピーディな無茶をしてもらいたいのだ。
ゆえに、俺はカードを切った。あの“貸し”を突きつけたのである。スチームは、いくら嫌でも、頷くよりないだろう。
だが、彼は、フッと鼻で笑い、余裕の表情でこう答えた。
「そんな大層な覚悟なんてね、あの日の夜からずっとしてますよ」
やっぱこいつ面白いなぁ……と、改めて思う。
ありがとう、とは声に出さず。「またな」と一言、俺とあんこは彼の執務室を後にした。
そして、いよいよ足を踏み入れる。
監獄にほど近い、イカれた宗教国家へ。
お読みいただき、ありがとうございます。