99 叡将戦 その2
初戦の内容は、観戦者全員に途轍もない衝撃を与えた。
特に大きな衝撃を受けたのは、叡将ムラッティ・トリコローリ。
セカンドの放った《雷属性・伍ノ型》……その魔術陣を目にした瞬間から、彼はその場で立ち上がり、思わず大声をあげた。
歓喜。驚愕。興奮。どのような言葉を尽くしても足りない。その時の彼の感情は、36年の人生で最大の爆発を起こした。
やはり、在った。この世には、在ったのだ。未だ見ぬ【魔術】が――!
「…………!!」
ムラッティは、闘技場の中心で未知の【魔術】を行使する青年の一挙手一投足を、穴が開くほどに凝視した。
彼が人生で最も集中した瞬間だった。
まるで生まれて初めて目にした映像作品に没頭する子供のように。口をぽかんと開けたまま、ただただ、ひたすらに、迸る電撃を見つめ続ける。
彼にとって、その雷属性魔術は、他のどのような娯楽より、睡眠より、食事より、女体より、薬物よりも、極上の快楽に思えるものだった。
人生を賭して求め続けてきた更なる【魔術】の深淵。それが具現化していきなり目の前に降臨したかのような、あまりにも直接的で刺激的で究極的な衝撃。その脳みそを剥き出しにされ、そこへバケツ一杯の快楽物質をぶっかけられたような多幸感、絶頂感。
つまるところ。
「最ッッッッッッ高ォ!!」
「いよいよだねアルファ。これが終わったら、婚約だ」
叡将戦挑戦者決定トーナメント準決勝。
ニル・ヴァイスロイ対アルファ・プロムナード。
水色の髪をした美形の男エルフと、焦げ茶のロングヘアで黒縁眼鏡をかけた巨乳の地味めな女エルフの試合である。
下馬評はニルが優勢と言われていた。アルファは初参加ゆえ、経験からも実力からも、ニルには劣っている。
「あ、あの、私……」
「ん? どうしたんだい?」
何やら声を出そうと口を開いたアルファに、ニルが気障ったらしく問いかける。
アルファはしばらく沈黙したのち、ニルへ視線を向けると、今までにない強い口調で言った。
「私、負けませんから」
その眼鏡の奥で、闘志が燃え上がる。
「…………」
不意の反抗に、ニルは沈黙した。
つい一昨日まで、アルファは諦めていたのだ。プロムナード家に生まれた宿命なのだと、家のためになるのならそれでも構わないと、仕方がないのだと、そう考えていた。
だが。
生まれて初めてその目にした、一閃座戦が、鬼穿将戦が、彼女に勇気を与えた。
勝利のために死力を尽くすことの美しさ。ただひたすら己の強さを求め、工夫し、改良し、努力することの尊さ。そして、負けると分かっていても立ち向かっていく者の、格好良さ。
彼女は強く憧れた。
自分もそうありたいと、強く願った。
100歳という若さが、彼女にそうさせた。
「あの男に何か言われたのか」
「……だとしたら、何だと言うのですか」
ニルは鋭く見抜く。直近の不穏分子といえば、あの男しかいない。
「僕が勝つ。この試合を終えたら……覚悟しておけ」
「――っ」
ゾクリ、と。アルファの背中を悪寒が駆け上がった。
ニルの目が一瞬にして暴力的なものへと変貌したのだ。それこそが気障というマスクを被った彼の本性であった。
「両者、位置へ!」
審判から指示が出る。
ニルとアルファは互いに距離を取り、所定の位置についた。
そして。
「――始め!」
ついに、試合開始の号令がかかる。
……面白いことに。
その後は、不思議と一方的だった。
手を変え品を変え、アルファに攻撃を当てようとするニルと。
射程距離ギリギリから壱ノ型を連射し続けるアルファ。
ニルは焦っていた。一発も攻撃が当たらないからだ。それもそのはず、アルファは攻撃よりも回避に専念していた。壱ノ型という最も準備時間のかからない【魔術】の詠唱中でさえ、ニルから攻撃が来ると察知できた時には事前に詠唱を破棄し、全力で回避行動へと移った。慎重を絵に描いたような戦闘スタイルである。
そして、また隙を見て壱ノ型を撃つ。ひたすら回避し、ちょこちょこっと撃つ。見事なヒットアンドアウェイ。壱ノ型は威力が低いとはいえ【魔術】における最速の攻撃手段である。ニルは一々その対応に追われ、思うような攻撃ができなかった。
では逆にと、ニルも壱ノ型でのヒットアンドアウェイを戦法に取り入れた。しかし、そう上手くは行かない。
現状、アルファに先手を取られているため、ニルが先手を取り返すことは困難だったのだ。ならばとカウンターを狙おうとしても、【魔術】に【魔術】をぶつけて相殺させる場合、同じ属性でなければならない。ゆえに、対応に次ぐ対応で、どうしても後手に回ってしまう。かといって自身への被弾を無視して攻め合おうとしても、同じペースで削り合ったら、アルファによって既に何発か壱ノ型を当てられているニルが先に倒れることになるだろう。
――手詰まり。
まさか、自分が、そんなわけがない。
だが、いくら考えようとも、ニルの頭では良い対策が一つも浮かばなかった。
……焦燥。このままでは、アルファを手に入れることができない。そのうえ「婚約のかかった一戦でプロムナード家の娘などにボロ負けした男」と、一生バカにされ続けてしまう。
焦る。焦る。焦る……。
「クソォオオオオッ!」
ニルは吠えた。威嚇した。アルファを脅した。暴言を吐いた。
しかし、アルファは意に介さず、ただただ冷静に、回避し、距離を取り、壱ノ型を撃ち続けた。
簡単なことではない。
例えるならば、酔っ払いが鬱陶しく絡んできている状態で爆弾処理をするようなものである。並大抵の集中力では不可能だ。
そして、30分が経過する。
試合時間は一時間。つまりは折り返し地点。
このまま行けば、より多くダメージを与えているアルファの判定勝ちである。
「…………!」
試合時間、残り20分。そこで、はたと、ニルは閃いた。
先のセカンド対チェスタ戦。そこでチェスタが取った作戦は、伍ノ型詠唱中のセカンドへ接近して参ノ型を放つというもの。
――“接近”。
そして、そこで、わざと壱ノ型を喰らい、自身の詠唱時間を稼ぐ。
「これしかない……!」
ニルは、無防備に、アルファへと全力疾走した。
アルファはいつも通り、距離を取りながら壱ノ型を放つ。
「――っ!」
あえて壱ノ型を喰らうニル。そして、喰らいながらも《水属性・参ノ型》の詠唱を始め、即座に発動し――
「きゃっ」
ついに、アルファが一撃、その体に喰らってしまった。
「は、はは、やったぞ!」
ニルは大いに喜んだ。
壱ノ型数発より、参ノ型一発の方が、威力が大きい。
すなわち、このまま時間切れまで行けば、ニルの判定勝ちとなる。
……しかも。
「ほらほら! 貴様がやっていた嫌らしい作戦だ! そっくりそのままお返ししてやる!」
アルファのダウンにより、“先後”が入れ替わる。
今度はニルがヒットアンドアウェイでアルファを翻弄する番となってしまった。
アルファは丁寧に回避し続ける。丁寧に対応し続ける。だが、反撃の機会は一向に回ってこない。
残り15分。
この状況が続けば、アルファの判定負け。
「…………っ」
しかし、どうすることもできない。
彼女は諦めかけていた。一生懸命にのぼってきた崖から、一気にずり落ちた。そうして、また、以前の彼女に戻っただけである。“強さ”に憧れる前の、ただの意気地なしの彼女に。
「――落ち着け!」
観戦席から、野次が飛んだ。
何処かで聞き覚えのある男の声。彼女は振り向かずとも、その声の主が誰か分かった。
「くっ……!」
不思議と、脚に力が入る。勇気が湧いてくる。立ち向かう気力が漲ってくる。
彼が言うのだから、まだ何処かに勝機はあるのだと。彼女はそう納得できた。
……負けたくない。
ドクリと、心臓が鼓動する。
ここにきて、彼女の感情は大きな高ぶりを見せた。
そして、不意に。彼の言葉を思い出す。
参ノ型は、最後の最後の奥の手の、目くらまし――。
「……! 行きます!」
彼女の中で“気付き”があった。
目くらましとは、相手の目を欺くこと。偽り、騙し、惑わせること。
アルファはニルの《水属性・壱ノ型》を躱してから、間髪を容れず《風属性・参ノ型》を詠唱し始める。
詠唱が間に合うわけがない。そんなこと、誰もが分かっている。
「馬鹿め! 無駄な足掻きだ!」
ニルは「チャンス!」とばかりに準備中だった《水属性・壱ノ型》の詠唱を済ませて放った後、回避に徹するため動きだす。
ここで、二人の性格の差が出た。
慎重なアルファならば、この時、壱ノ型の詠唱を即座にキャンセルして回避に専念したことだろう。
しかしニルは「相手が参ノ型詠唱中ならば壱ノ型一発当ててから逃げても余裕だ」と、そう考えてしまった。
事実、その通りである。参ノ型の詠唱は、それほどすぐには終わらない。
……だが。
「馬鹿は、貴方です!」
アルファは、《風属性・参ノ型》の詠唱を、開始から僅か0.3秒で破棄していた。
参ノ型は、目くらまし。その刹那、相手に「参ノ型を詠唱しているな」と思わせるだけの――フェイク。
「何ィ!?」
直後、ニルの頭部に《風属性・壱ノ型》がぶち当たる。参ノ型と入れ替わりで準備していた壱ノ型だ。
またしても、攻守交替。
残り時間、約10分。
総ダメージ量は、未だニルの優勢。
しかし。アルファは、とても落ち着いていた。
「焦るなよ」と。あの人に、そう言われているような気がして。
その後。彼女は、変わらず、焦らず、ヒットアンドアウェイを続けた。
ニルの接近にも、フェイクにも、惑わされることなく、慎重に、じわじわ、こつこつ、ちまちま、壱ノ型で攻撃した。
……そして。
残り1分。ダメージ量が、ついに、逆転する。
「――試合終了! 判定により、アルファ・プロムナードの勝利!」
彼女は、勝利した。
* * *
叡将戦挑戦者決定トーナメント決勝。
試合直前、俺は巨乳眼鏡エルフのアルファ・プロムナードと言葉を交わす。
「あの、セカンド一閃座。先日はありがとうございました」
「アドバイスか?」
「はい。貴方の助言がなければ、私は負けていました」
「いや、でもお前、才能あるよ。俺のアドバイス聞いてから2日でここまで仕上げたんだ。センス抜群だと思う」
「……あ、ありがとうございます」
素直に褒めちぎってやると、彼女は頬を朱に染めて俯いた。
眼鏡で表情がよく分からないが、きっと照れているのだと思う。
「両者、位置へ」
審判の指示に従って、距離を取る。
さて。今回は、あっさりサッパリと優しく行こう。
初戦がド派手だったから、ここで緩急をつけることも大事だ。脂っこいものが続くと、観客の胃ももたれるからな。朝昼晩と揚げ物は流石に嫌だろ?
「始め!」
号令がかかる。
アルファの戦法は、ニル戦の時と同様に《風属性・壱ノ型》でヒットアンドアウェイのようだ。
俺は今回、雷属性を封印する。何故ならアルファが相殺できないからだ。雷属性が対人戦において反則級に強い理由の一つとして、同属性の【魔術】をぶつけ合って相殺するという対応が不可能な点が挙げられる。
これをやっちゃあ、あまりにも一方的。それはつまらないだろう。
「なあ、これ知ってるか?」
ひょいっとアルファの壱ノ型を躱し、俺はそう言いながら、地面に伏せる。
「な、何してるんですか……えっ!!」
アルファはすぐに気が付いたようだ。
そう、この体勢で【魔術】を詠唱すると、術者の足元に出現する魔術陣が見えづらい、即ち、その属性や【魔術】の型の看破が難しくなるのだ。
非常に原始的だが、なかなかに厄介な手法である。ただ見た目は格好悪いのであまり使いたくはないが。
そうして、伏せたまま《水属性・壱ノ型》を発動する。アルファはワンテンポ遅れつつも、同じく《水属性・壱ノ型》をぶつけて対応した。悪くない観察力だ。
「イイねぇ。じゃあ、これはどうだ?」
次いで、俺は《風属性・壱ノ型》を詠唱する。アルファは回避しようと、射程距離外へ逃げるように距離を取り始めた。ヒットアンドアウェイの基本だ。こうされると、こちらは困ってしまう。と、言いたいところだが……。
「嘘っ!?」
俺の《風属性・壱ノ型》は、俺の足元に向かって放たれた。
ぶわっと風圧が加わると同時にジャンプすることで、体が斜め45度に飛び上がる。
少し痛いが……これで、一気に距離を詰められるのだ。そして。
「これは移動中にはならないから、詠唱できるんだ」
ジャンプの瞬間から詠唱を開始することで、“詠唱しながら移動する”という本来では考えられない状況を可能にする。
射程距離外に逃げていたアルファに近付きつつ、《火属性・参ノ型》の詠唱を進めながらの、着地。
「着地をミスると詠唱がパァになるから注意な」
一言伝えて、参ノ型の準備を完了させた。
アルファの位置は、バリバリの適正射程距離。こちらの参ノ型は、いつでも撃てる。
確実に当たるだろう。俺とアルファの攻撃力差を考えても、これで“必至”だった。彼女は何ら有効な対応もできず詰まされる形だ。
……が。俺はあえて、一拍だけ待った。
アルファがどのような対応をするのか見たかった。彼女はセンスが良い。まだ教えたいことがたくさんあるのだ。俺としては、まだまだ指導対戦を続けたかった。
「くっ……!」
そして。
アルファは、驚くべきことに。
その場に、伏せたのだ。
「…………ああ最高」
考え得る最高の対応だった。
伏せて詠唱し、自身の魔術陣を隠すことで、必至の状況と言えども「何をしてくるか分からない」という緊張を相手に強いる、“間違い”を誘う“怪しい一手”。
それだけではない。その“伏せ”を教えたのは、つい数分前だ。
にもかかわらず、彼女は応用して見せた。このどうしようもなく追い詰められた状況に、最高の形で。
「もう少し、やろうか」
俺は《火属性・参ノ型》をアルファの少し手前に撃って、後退するように距離を取る。
もっともっと、見たくなったのだ。彼女に色々なことを教えたくなった。
「はい……っ! よろしくお願いします!」
参ノ型の余波を受け、少しダメージを負ったアルファが、一生懸命に喰らいついてくる。
……こうして。その後、数十分。
俺たちは衆目の中、長々と指導対戦を続けた。
観客からは「イチャイチャしてんじゃないわよ!」「もはや試合になってないじゃないですか!」「やはり胸か! 胸なのか!」「帰ったらお話がありますご主人様」「おなかすいた!」など様々な野次が飛んできた。
いいじゃないの、たまにはこのくらい。勉強になっただろぉ? お前らもさぁ。
「試合終了! 勝者、セカンド・ファーステスト!」
審判から判決が下る。
俺とアルファは笑顔で握手をして、舞台を後にした。
さあ、お次はいよいよ叡将との対戦。
どんなヤツなんだろうな? 何にせよ、楽しみだ。
お読みいただき、ありがとうございます。