97 鬼穿将戦 その3
「ルールは単純。通常の鬼穿将戦と同じだ」
「……む、然様か」
俺がエキシビションのルールを伝えると、エルンテはそれまでの狼狽が嘘のように落ち着いた。自分の土俵で戦えると知って安堵したのだろう。
「よいのかね? 一閃座よ。儂は鬼穿将であるぞ?」
「ああ。ちなみに、二枚落ちだ」
「何。二枚落ち?」
“二枚落ち”とは、ハンデ戦の一つ。上手側が、龍王・龍馬および飛車・角行の4種スキルを封じて戦う手合いの形式を言う。
「ふむ、その程度ならばよかろう。舐めてもらっては困るわい。儂は鬼穿将。二枚落ちとて――」
「あ? いや、勘違いしてるぞ」
「何じゃと?」
「二枚落とすのは、俺の方だ」
「 」
エルンテは絶句する。
そして。
「ふわぁっははははは! はぁっはっはっは! お主は冗談が上手いのう!」
「冗談じゃねえよ」
「ははは、では何じゃ。洒落か?」
「怒りだ」
「……っ」
俺は怒っている。
俺を知る人物なら、分かるだろうさ。俺がハンデをつけているのだ。この、俺が、タイトル戦という舞台で、わざわざ、ハンデをつけているのだ。
「怒ってるぞ」……と。そういう、宣言だよ。
「ほら、これで回復しろ」
「……安くないポーションであろうに。随分と親切じゃな」
「お前のHPが低いと困る」
「手加減されたと思われるのが嫌か?」
「俺の楽しみが減る」
「…………」
一発でも多く叩き込みたい。
「両者、位置へ」
審判の指示に従い、移動する。
瞬間、雑念が消え去った。
いつもの感覚。心穏やか。目的はただ一つ。ひたすら、甚振る。
「――始め!」
号令とともに《歩兵弓術》を放つ。
「何!?」
エルンテはオーバーなリアクションをとってから、大きく体を逸らして回避した。
「見えなかったか?」
多分、そうだろう。
鬼穿将戦のポイントは、如何にして「いつ射るか分からなくする」かだ。何でもない棒立ちのような状態から一瞬でスキルを発動する。現実では「矢を番え弓を引き絞り狙いを定めて射る」という流れを“クオリティをそのままに”省略するのは不可能に近いだろうが、ここはゲームの中。慣れりゃできる。
ただ、言うは易く行うは難し。これは先天的にできる者と、いくら練習してもなかなかできない者の2パターンに分かれる。俺の場合は後者、完全に身に付けるまで1年もかかった。PvPにおける高等テクニック、かつ必須テクニックだと俺は思っている。
「げあっ」
そうしてひょいひょいと《歩兵弓術》を放っていると、エルンテの眉間に一発だけ入った。
おいおい、つまんねーの。このまま決着ついちまうぞ。
「ね、狙いが、正確すぎる! 小僧、何か、卑怯な真似をしているのではあるまいなッ」
何やら言いがかりをつけてきた。卑怯な真似ねえ。自分がやっていることは相手もやっているもんだと思っちまうわけか。
ただまあ、400年生きているジジイに狙いが正確と褒められるのは素直に嬉しいな。世界一位のやり方は間違っていなかったのだと裏打ちされたように感じる。
俺は、そう思いつつも無視をして、ひたすら《歩兵弓術》を連打した。
【弓術】における“定跡”など、使う必要もなければ見せたくもない。というか《歩兵弓術》以外で攻撃したらダメージがもったいない。一番威力の低い《歩兵弓術》が、一番多くあの老体に叩き込めるスキルなんだからな。
「鬼穿将戦ってのは、戦略云々以前に、テクニックの差がモロに出るからな。例えばお前、こんなことできないだろ?」
言いながら、俺は前方へ移動しつつ《歩兵弓術》を様々な角度で撃つ。ちょいと観客にサービスだ。
エルンテはその隙に《歩兵弓術》を何発か撃ってきたが、射るタイミングも軌道もバレッバレである。当たるわけがない。
「ぬぅおっ!?」
直後。エルンテの足元へ、ほぼ同時に5本の矢が飛来した。
まるで一度に5発射ったような不思議な現象。これはスキルでも何でもない、単なるテクニックである。矢を射る位置や角度、力加減を調整することで、このようなこともできるのだという一例。
「まあ、もうやらないけどさ」
曲芸まがいの“魅せプ”はこれっきりにして、俺はまたひたすら《歩兵弓術》を撃つ作業へと戻る。
一気に5発も入ったら、決め手になりかねない。楽しみが5分の1になるからな。
……あらら。こんな《歩兵弓術》連打の打開すらできないようなやつが、鬼穿将だってさ。分かってはいたが、世も末だな。二枚落ちではなく十枚落ち(歩兵だけ)でもよかったくらいだ。
「せいぜい最後まで走り回ってくれ」
15分が経過した。
エルンテは息も絶え絶えに逃げ続けている。SPを回復させる余裕を与えないよう、常に《歩兵弓術》で押し続けた結果だ。
こんだけ同じことを繰り返してんだから、そろそろ打開策に気付いてもいい頃なのに、エルンテはちっともこちらへ向かってこない。
そう、少し考えれば分かる。歩兵連打の打開は、接近し攻め合うこと。ただまあ今回の場合は技術の差が大きすぎて、接近したところで何の解決にもならないんだけども。
「分かった。お前、怖いんだろ」
《歩兵弓術》の手を少し緩めて、そう問いかけてみる。
「な、何がッ!」
「俺が怖い。負けるのが怖い。痛いのが怖い。接近して攻め合うのが怖い」
「違う!」
「何度も何度も立ち向かってきたシルビアのことも、怖かったんだろ? だから蹴った」
「違う!! 意趣返しじゃあ!」
意趣返し。【弓術】を使わずに手で矢を突き刺されたから、自分も同じく【弓術】を使わずに蹴ったと。小学生の言い訳かな?
「嘘だ。お前は今までずっとそうやって戦ってきたんだろ? もう二度と自分に立ち向かおうなどと思わせないよう、シルビアの心を徹底的に叩き潰しにいったんだろ?」
「だったら何だと言うんじゃ! 小僧!」
「いや。やり方はスマートじゃないが、目的は悪くない。何やったってこの人には敵わない、と相手に思わせることは大切だ」
「……な、何ぃ?」
「俺はな、別にお前がシルビアを踏みつけたことに対して怒ってるんじゃないんだよ」
「はぁ……?」
ジジイに「何を言ってるんだこいつは」みたいな目で見られる。
理解できないか。まあ、できないよなぁ。
「アルフレッドに全部聞いたぞ。呪術で目を潰したらしいな?」
「だから何じゃ」
「弟子が逆らえないのを良いことに扇動して鬼穿将戦出場者を潰していたらしいな?」
「だから何じゃ」
「鬼穿将の権力を利用して揉み消しながらレストランの時みたいに潰して回ってたんだろ?」
「だから何じゃ!」
「弟子が最終戦に上がってきても勝てるように半端な弓術を教えてたらしいな?」
「だから何じゃッッ! 儂はそうやって勝ってきた! 勝利のためならば手段など選んでおれぬ! それが儂のやり方じゃあッ!」
「なら自分がやられても文句は言えないな」
「…………!!」
タイトル保持者が、タイトル戦を穢しやがって。
「初めて会った時、言ったよなぁ? 今までやりたい放題やってきたツケを払う時が来たんだよ」
最後に勝った者のみが笑えるんだろう?
「……俺がいる限りお前、二度と笑えないな」
俺は《香車弓術》と《桂馬弓術》を複合し、エルンテの足を狙って地面スレスレに放った。
緩やかな《歩兵弓術》の連射中にそれを行うことで、単純な回避を難しくする。
「ぬあああッ!?」
結果、エルンテの右足先を貫通矢がえぐり抜けていく。足の親指というのは、移動において非常に重要な部位。これだけでかなり変わってくる。
「うっ、ぎぃっ、ぐがっ」
早速、エルンテに《歩兵弓術》が刺さるようになってきた。親指ぶち抜いた効果だな。
俺はその両足と左手を狙って《歩兵弓術》を放つ。次々に刺さる。数十秒も経てば、エルンテの足と左腕には十本以上の矢が刺さっていた。
「も、もう……無理じゃ……こ、こうさ――」
言わせない。
降参すら言えずお前に潰された出場者が今まで何人いた?
言い換えれば、だ。
タイトル戦にすら出られずにアカウントをクラックされたプレイヤーが、何人もいるってことだろう?
「――か、ひゅっ」
その喉に《歩兵弓術》の矢がぶっ刺さる。
エルンテは仰向けに倒れたまま、沈黙し、動かなくなった。
左手は矢が刺さりまくりで、弓を引き絞ることもできない。足はズタボロで、満足な移動ができない。喉は潰れ、少しの声も出せない。憐れな姿。
俺はエルンテに歩み寄り、その頭上に立った。
「もう二度と自分に立ち向かおうなどと思わせないよう、相手の心を徹底的に叩き潰す。お前のやり方だ」
その顔面から数センチのところで、《銀将弓術》を準備する。
エルンテの目から、俄かに涙が溢れた。
さあ、別れの挨拶だ。
これから半年、地獄を過ごすことになるだろう、呪いの挨拶。
「また、夏に会おう。鬼穿将」
こうして。
濃密な鬼穿将戦は幕を閉じた。
「観客ドン引きでしたよ。というかボクもドン引きでした」
「だろうな。俺も老人をボコボコにするのは些か気分が悪かった」
ファーステスト邸。今夜は『鬼穿将戦お疲れ様パーティー』がささやかに開催されている。
ただ、使用人たちは何とも落ち着かないことだろう。何故なら、参加者にキャスタル王国国王マイン・キャスタルがいるためだ。声をかけたらお忍びで参加してくれた。ついでに鬼穿将戦出場者のアルフレッドも声をかけたところ、二つ返事で参加を決めてくれた。
「しかしあの後、陛下が観客へ向けて真実を明らかにしてくださいました。セカンド一閃座のエキシビションについても、観客は理解を示してくれるでしょう」
アルフレッドが俺とマインの両方を立てるように言う。気配り上手だな。
「いいえ、真実ではありませんよ。明確な証拠がないのですから。それでもボクは国民に事実として伝えてしまいました」
「アルフレッドの目は証拠にならないのか?」
「その呪術をエルンテの手の者によってかけられたという証拠がありません」
「難儀だな。まあでも世間のエルンテの印象は“裏で汚いことしまくって勝ってたエセタイトル保持者で、一閃座に二枚落ちで負かされたクソ雑魚ジジイ”って認識になるだろうけどな」
「前半については、ボクのせいで、ですね」
「国王ってのは一つ発言するだけでもえらい大変だなぁ」
「ええ、おかげ様で」
マインめ、言うようになったな。
実に成長を感じる。何だか不思議な嬉しさがあるな。酒も進むというものだ。
「ところで、セカンド一閃座。夏季は鬼穿将戦に?」
宴もたけなわというところで、アルフレッドが単刀直入に聞いてきた。
「悩んでいる。夕方まではバリバリ出るつもりだったが、あえて出ずにあいつを苦しませ続けるのもアリかもしれない」
「ははは、それは確かに、あの爺にとってはつらいものがありそうだ」
「まあ、後は……シルビア次第だな」
「セカンドさんは、どうせ他にもたくさん出るんでしょう?」
「モチのロン」
「……すまない、後学のために聞かせてほしい」
「今季は一閃座・叡将・霊王を獲得する。夏季は、これはまだ予定だが、三冠の防衛に加えて、闘神位・四鎗聖・千手将・天網座・毘沙門の5つくらいだな。鬼穿将と金剛は保留。余裕があったら影王と天津星砕も狙う」
「……………………」
「……………………」
「…………何か言ってくれ。俺がスベったみたいじゃないか」
「いや、予想の3倍多かったんで思わず天国の父上に会いにいってました」
「冗談、ではないのだろう。声音が嘘をついていない。いやはや凄まじいな。一閃座と呼ばず、もう今のうちからセカンド三冠と呼んでおこうか」
酔っぱらっているせいか、二人とも結構な冗談をぶっこんでくる。
そんなこんなで、お疲れ様パーティは相当に盛り上がった。時計の針は軽々とてっぺんを通り過ぎている。
パーティ中、誰一人として「明日は叡将戦なのだからほどほどにしておけ」などと言ってこなかった。何故なら、一番言ってきそうな普段はあれほど口うるさいパーティの主役が、飲まない・食べない・喋らないの三拍子揃っていたからだ。
俺はそろそろだろうと思い、パーティの終了を宣言する。
そして解散の間際、アルフレッドを呼び出す。
「その目の解呪についてだ」
「!」
目に呪術をかけられたと聞いていた。それも聖女にしか治せないと。
それは恐らく、ある甲等級ダンジョンに生息するある魔物によるもの。その魔物はプレイヤーを失明させる呪術を使うことで有名だった。魔物限定のスキルである。即ち、エルンテは腕の立つテイマーを雇っていたのだろう。
治し方は二つある。一つは、【回復魔術】《回復・異》ないし《回復・全》を使うこと。もう一つは、一度死んでリスポーンすること。後者はこの世界では不可能なので、前者が妥当だろう。
ただ、一つ気になるのは。“聖女”という存在。
《回復・異》も《回復・全》も、というか【回復魔術】の習得方法は全て『カメル教』が関わっている。治し方に該当する二つは、カメル神国にある“聖地”でしか習得することはできない。
メヴィオンには聖女などという輩は存在しなかった。いても教皇くらいなもの。しかもキャスタル王国とここまで関係は悪くなかったし、カラメリアなんて薬物も聞いたことがなかった。
……なーんか、怪しい。そう思うよなぁ?
「いつになるか分からんが、俺が覚えてくる。そしたら一報入れるから、それまでカメル教とはあまり関わらない方がいい」
「……! 感謝の言葉もない。そしてご忠告、誠に痛み入る」
アルフレッドは感激したような表情で、ピシッと綺麗な礼をして、従者と共に帰っていった。
急に、家の中が静かになる。
聞こえるのは、使用人が片付ける食器の音くらいなもの。
少しばかり、寂しい。鬼穿将戦が終わってしまったのだなと、改めて実感させられた。
さて。
「シルビア」
俺はぼーっとしている勇者に声をかけ、自室で二人きりになった。
俺も、大昔に経験がある。
……よく、分かる。
絶対に負けられない試合で負けるってのは、そういうもんだ……。
「泣いていいぞ」
正面から向かい合って、優しく微笑みかけた。
「…………ふ、ぅ、ううう、ううっ――!」
突如、シルビアは滂沱の涙を流し始める。
俺は彼女を胸の中に迎え入れて、震えるその背中をずっとずっと撫で続けた。
――悔しい。悔しい。悔しい。
嗚咽まじりに、何度も何度も口にする。
ああ、彼女は大丈夫だ。
きっとまた立ち上がり、立ち向かっていく。その強さがある。
こんなに強いシルビアが、挫折なんてするものか。何も心配することなどなかった。
最高だ、お前は。
惚れ直すとは、このようなことを言うんだろう。
そうして。俺たちはきつく抱き合ったまま、この日の夜を明かした。
お次は、叡将戦だ。
お読みいただき、ありがとうございます。