93 一閃座戦 その2
カサカリと別れて、出場者席への通路を歩いていると、今度は男女の二人組が何やら話しているところに出くわした。
こんな場所でイチャついてんのかよと思い、ちょうどイラついていたこともあって、いっちょ冷やかしてやろうと近づくと、どうも様子が違う。
「ほら、早く参りましょう。特別にアルファの席も用意してあるんだ」
「え、いや、ええと私」
「明後日にはどうせ一緒になるのです。プロムナードの娘がヴァイスロイ家の席にいても、誰も文句は言いませんよ」
「いえ、あの、私、一人で見たくって……」
「何を寂しいことを! 僕と一緒にいた方が楽しいに決まっています。さあ、ほら」
「えぇー、いやあ、ちょっと……」
やけにキザったらしい水色の髪をしたバンドマンっぽい美形の男が、眼鏡の地味めな焦げ茶のロングヘア女に言い寄る図。
分かった、ナンパだこれ。
俺は女を助けることに決めた。何故かって、眼鏡の女のおっぱいがマジでけぇからだよ!
「…………」
というのは冗談としても、単純に困っていそうなので助太刀しようと思う。
「おい、邪魔になってんぞ」
まずは軽く一声。二人はこちらに気付いた。
「おや。貴方はセカンド・ファーステストではないですか? 一閃座戦はよろしいので?」
「うるせえな。邪魔だよ」
「……おかしなことを申しますね。僕たちは通路の端に寄っているではないですか」
「目障りだって言ってんだよ。分かんねぇかなぁお坊ちゃんには」
男の額にピキピキと筋が立った。よしよし、喧嘩の売り方としては花丸だろう。
「お坊ちゃん? ご存知ないのかな? 僕はニル・ヴァイスロイ。ヴァイスロイ家の人間ですよ?」
「おおっと、だったら赤ちゃんの方だったな。すまんすまん。道理で言葉が通じないわけでちゅねぇ~」
家の名前を出したら俺がビビるとでも思っていたんだろうが、ンなわけない。俺は全く気にせずに煽りを続けた。
直後、ぶちッという音が聞こえる。
「貴様! 人間風情が! エルフに盾突くか!」
「エルフだったのかお前。言われて初めて気付いたわ。風格も何もねえなヒョロガリ。ヴァイスロイ家ってもしかして食うもんにも困ってる感じ?」
ユカリを見習えと言いたい。あいつなんか風格の塊だぞ。腕組んで立ってるだけでめっちゃ強そうだもの。
「言わせておけば! 我が家名を侮辱するか!」
いやお前を侮辱してるんだよと言おうとしたが、ニル・ヴァイスロイとかいうカルシウム足りてなさそうなエルフは早くも手が出そうになっていたのでやめておいた。
「まあいいや、女を置いてとっとと去ね」
「何なのだ貴様は! それに彼女は僕の婚約者だ!」
「え……そうなの?」
マジかよ。オイオイオイ、だとしたら俺ただのDQNじゃねーか。とんだツッパリ損だ。
「い、いえ、その。まだ違います」
「……まだ違うらしいけど?」
「明後日には婚約する!」
「そうなの?」
「ええと、はい、あの……私が叡将戦で彼に負けたら」
「じゃあ違うじゃん。嘘までつくのかよ最近のエルフは。最低だなヴァイスロイ家」
「貴様ぁああああああッ!」
発狂した。
「明後日の叡将戦、アルファは必ず僕に負ける! そしたら僕の婚約者だ! そんなことすら理解できないのか貴様は!」
ニルは顔を真っ赤にして激昂しながら、眼鏡の女を無理矢理に抱き寄せた。その大きな胸がむにゅっとニルに当たる。
「俺のおっぱいがぁ!!!」
「貴様のではないわッ!」
この男、許せねえ……!
「……分かった、分かったぞ。明後日の叡将戦で彼女がお前に負けたら、お前は彼女と婚約すると。しかし彼女としてはお前との婚約は望むところではないと。つまり、家と家との政略的な何やかんやだな!」
「何をごちゃごちゃと!」
「そうなんだな!」
俺はニルを無視して、眼鏡の女アルファの目を見て問いかける。
アルファは、こくりと、小さく頷いた。
「彼女を家に送れ、あんこ」
「御意に。主様」
瞬間、流れるように《魔召喚》する。喚び出されたあんこが闇に紛れてアルファに触れるとほぼ同時に、あんこは姿を消した。
「な、何だ……!?」
ニルが驚く。直後――彼の腕の中からアルファの姿が一瞬にして消滅した。
「うわあっ!? き、貴様、何をした!?」
「知らん。彼女、何か用事があったんじゃないか? 帰ったんだろうきっと」
「そんなわけあるかぁ! 突然消えたんだぞ!? どういうことだ!?」
何やら喚いているニルを眼前に、ちょうど60秒後、俺自身もあんこによって《暗黒召喚》される。
――転移した場所は、湖畔の豪邸のリビングだった。
「お待たせ。レモンティーくらいしかないんだけどいいかな」
「え!? は、はい。ええぇ……?」
アルファは混乱している。
俺はキッチンで紅茶を淹れながらあんこを労って《送還》し、レモンを切りつつアルファに話しかけた。
「砂糖は?」
「あ、ええと、なしで……」
少し落ち着いてきたみたいだ。
リビングのソファに座らせて、対面に俺も腰かける。
俺は紅茶を一口含んで、ユカリのように美味しく淹れられていないことに気が付いた。
「ヘタクソですまん。いつもは人に淹れてもらうんだ」
「いや、その……ちゃんと美味しいですよ?」
アルファはふーふーと紅茶を冷ましながら眼鏡を曇らせて、ちびちびと飲んでいる。
そうして、しばらく。どこか心地良い沈黙が流れた。
「……あのぉ。一閃座戦、大丈夫ですか?」
……………………ヤッベェ忘れてた。次の開始は何時だオイ。
い、いや、しかし、折角ここまで格好付けたんだ、この動揺を悟られるわけにはいかない。堂々としなくては。
「気にするな。そんなことよりお前、あのエルフと婚約したくないんだろう? 一つアドバイスを受けてみないか?」
「それはまあ、はい、できることなら……しかし、ええと、アドバイスですか?」
「ああ。これは勝つためのアドバイスではなく、負けないためのアドバイスだ」
「負けないための……?」
今までの一閃座戦の二人からして、この世界のタイトル戦出場者たちは“基本”を知らない傾向がある。
彼女も多分そうだろう。ならば、教える価値は十分にあると俺は予想した。
「簡潔に伝える。決して大技を使おうなどと思うな。相手と一定距離を保ち、壱ノ型で攻撃、参ノ型は最後の最後で奥の手の目くらましだ。相手の魔術は基本的に全力回避すること。これを徹底しろ」
「壱ノ型が攻撃で、参ノ型が目くらまし……それって、逆ではなくて……?」
もう知ってるよ、なんて言われたらどうしようかと思ったが、どうやら大丈夫そうだ。
「時間をかけてじわじわと削れ。辛抱強く戦え。決め手に頼るな。避けて避けて避けまくって、隙を突いてねちねち攻め続けろ。じきに相手は焦る。決めに来ようとする。そこがチャンスだ、なんて考えるな。ずっと、ずっと、こつこつちまちま壱ノ型だ」
「それで……勝てるでしょうか」
「半信半疑だな? 判定勝ちでもいい。時間切れ時点でより多くダメージを与えている方が勝ちだ。とにかく負けないことだけを考えて動け。壱ノ型を信じろ。叡将戦は、壱ノ型を制する者が制す」
「……一つだけ。お聞きしても、いいですか?」
「何だ?」
「どうして、初対面の私に、ここまでしてくださるんですか? 貴方、すぐ一閃座戦もあるのに……叡将戦でも、当たるかもしれないのに……」
なかなか答えづらい質問をしてくれる。
何故だろう。気まぐれ? カサカリの件でイライラしていたから? 自分でもよく分からない。
……そうだな。だが、ただ一つ言えることがあるとすれば――
「その素敵なおっぱいに釣られて、つい」
こういうこったな。
アルファは、俺の酷く正直なセクハラを受け、くすりと笑って言った。
「私、貴方を信じてみようと思います」
その後、あんこの《暗黒転移》と《暗黒召喚》で闘技場へと舞い戻った俺は、何とかギリギリ最終戦の開始に間に合った。
一閃座戦、最後の相手はロスマンという名前のオジサンだった。
カサカリとの試合の後にちょろっと話しかけられた、薬物中毒者っぽい前髪後退気味の中年その人である。
「あんたが一閃座だったのか。無視して悪かった」
「いえいえ。私を知らない方もいるのだと勉強になりましたよ」
へぇ、謙虚な人だなあ。
「貴方の剣筋、二度だけですが見させていただきました。いやはや、どちらも甚く鋭い。私は貴方に敵わないかもしれません」
悠然と語るロスマン。
微塵もそうは思っていないだろう、自信に満ち溢れた言い草。
…………ほぉ。
「強いだろ、お前」
「さて、どうだったでしょう。ここのところ、あまり人を斬っていないもので」
「期待させてくれるなあ」
「こちらこそ、楽しませていただきたいものですねぇ」
じわじわと高まってくる。
そうだ、この感覚だ。タイトル戦とは、こうでなければならない。
「両者、位置へ」
審判の指示でロスマンと距離を取る。ロスマンの得物は、何の変哲もない長剣だった。
相手が何であろうが、俺のやることは変わらない。
セブンシステム――世界一位の定跡を採用する。
「――始め!」
号令がかかる。
同時に、ロスマンと俺は間合いを詰めた。
初手、《歩兵剣術》と《桂馬剣術》の複合をロスマンの右足手前に突き刺すようにして放つ一撃。さて、どう受ける。
「何度見ても素晴らしい」
ロスマンは何やら呟きながら、トントンと軽やかに後退して、初撃に加え《歩兵剣術》による斬り上げの追撃をも難なく躱した。最善の対応だ。
寄せては返す波のように、今度はロスマンが攻めに転じてくる。俺はその隙に《飛車剣術》の準備を済ませておき、構うことなく突進した。ほれほれ、対応せざるを得まい。
「なるほどなるほど」
一言。ロスマンは《金将剣術》の準備を始める。
おいおい、それだとカサカリん時の手順と合流しちまうぞ。誘っているのか? この先に何か用意しているのか? なら、乗るのも一興か。
俺は即座にスキルキャンセルし、《角行剣術》を準備、ミスリルソードを投擲する。
「この発想も面白いですねぇ」
俺の投擲を見て、ロスマンは《金将剣術》をキャンセル、その後《香車剣術》でミスリルソードを弾いた。貫通攻撃は同じく貫通攻撃で弾くことができる。その特性を利用した防御。なかなか勉強しているな。
さて。弾かれてそれで終わりかというと、そんなわけがない。
俺はロスマンがミスリルソードを弾いている間に、インベントリからもう一本のミスリルソードを取り出し、《龍馬剣術》を準備していた。カサカリの時は発動せず終わったこいつを、今度はしっかりと発動する。
「これまた抜け目がない」
すると、俺の《龍馬剣術》の発動とほぼ同時に、ロスマンが《金将剣術》を発動した。
ああ、そう。このタイミングで《金将剣術》を発動できるってことは、さっきの《香車剣術》発動の直後にもう準備を始めていたということ。つまり、俺の《龍馬剣術》を読んで、彼なりの対応を準備していたというわけだ。
《龍馬剣術》は全方位への強力な範囲攻撃。《金将剣術》は全方位への範囲攻撃。どちらも防御向けの“対応”スキルだが、前者の方が範囲が広く威力が高い。しかし、相手の攻撃を防御するという一点だけ見れば、前者後者どちらであっても十二分な効果を発揮する。即ち――
「終わりですかな? ではこちらから参りましょう」
ロスマンは無傷であった。
今度は、どうやら攻めたいようだ。まあ、そういう変化もアリか。仕方がないな、受けてやろう。
「ひゅッ――!」
口から息を漏らしながらの《銀将剣術》が、俺の喉元へと突き入れられるようにして放たれる。
「……?」
非常にぬるい攻撃。俺は《歩兵剣術》でパッと弾いて、次なる攻めの継続手を待つ。
「ふッッ!」
上段からの《銀将剣術》。弾く。次いで、横薙ぎの《歩兵剣術》。弾く。最後は、決め手とばかりに《香車剣術》と《桂馬剣術》の複合。避ける。あくびが出るな……。
「応じてばかりではつまりませんよぉ」
ロスマンは間合いを取ってから、そんなことを口走った。
挑発だ。「攻め合って見せろ」と、そう言っている。
……何故。何故そんなことが言えるのか。
もしかして、こいつ、俺の定跡を破ったとでも思い込んでんのか?
初撃を躱して、フェイント入れて、投擲を弾いて、金将で受ければ、俺の攻めは終わりだと……そう思ってんのか?
「お前はさ、その対応を強制されていることに気付いてないのか?」
「強制? 何をです?」
…………。
セブンシステムは。
セブンシステムってのは。
世界一位の、定跡なんだよ。それがどういう意味か、こいつには一生分からないんだろうな。
「分からないんなら、いいわ」
……周りのやつらは皆、全てのスキルが九段だった。【剣術】だけじゃない。【弓術】も【魔術】も、実装されているスキルの全てが九段だ。
それが“当たり前”だった。
タイトル戦とは、頂点同士のぶつかり合い。命のしのぎ合いだ。
息をするように超絶技巧を繰り出し、気の遠くなるような時間を賭したありとあらゆる全てをその一瞬のみに注ぎ込む勝負だ。
当然、俺は“研究”された。数百人のランカーによって研究し尽くされた。やつらは俺の戦闘映像を何度も何度も繰り返し見て、足の運びから指先の動きに至るまで俺の行動の全てを研究していただろう。「この変化の二十一手目にこういう癖ありますよね」などと気持ち悪い指摘をされたこともある。だが、世界一位というのは、得てして、そういうものである。
sevenのこの技には、こうするのが最善だ。こう来られたらこうだ。こういう戦法ならsevenはやりづらいはずだ。
並み居るネトゲ廃人どもによって、数え切れないほどの対策を講じられた。
……それでも。
それでも、俺は世界一位を維持し続けた。
セブンシステムってのはな、そんな定跡なんだよ。
何百人何千人という廃人どもによって立てられたseven対策、それらを全て受けとめ、吸収し、対抗し得るため、途方もない進化を積み重ねてきた定跡なんだよ。
…………お前に、お前如きに、簡単に打ち破られるようなものじゃないんだよ。
「攻めさせんじゃなかった」
後悔が口をついて出る。
期待した俺が馬鹿だった。
彼が悪いんじゃない。少し楽しもうとした俺が悪いんだ。
「行くぞ」
「おやおや。またそれですか」
ロスマンは、俺の初手《歩兵剣術》と《桂馬剣術》の複合を見て、呆れるように呟く。
そして、わざとらしい余裕の笑みを浮かべながら、以前と同じようにトントンと二歩退いて躱した。
「お次は飛車の突撃でしょうか?」
その通り。
「で、角行を投げると」
その通りだ。
「通じませんよ。龍馬でしょう?」
そうだ。
「さて、これで終わりで――!?」
終わらせねえよ。
《龍馬剣術》の方が広範囲なんだ、《金将剣術》をぶつけて受ける時、こっちが金将の範囲外から攻撃してやれば、相手は龍馬の攻撃が有効範囲に到達するまで“待つ”必要がある。僅か0.1秒ほどの差だが……致命的だ。
「ごめんな、さっきは見逃したんだ」
俺は謝りながら、《角行剣術》の突きを入れる。素早く強力な貫通攻撃。貫通効果があるため、対応するなら《歩兵剣術》では駄目だ。
ロスマンは俺の《角行剣術》を見抜き、《金将剣術》の硬直終了後、必死の形相で《香車剣術》を準備して対応しようとしたが――やはり、0.1秒足りていない。
セブンシステムは無慈悲にも正確なのだ。この距離で、このタイミングで、《龍馬剣術》を使った時、相手が《金将剣術》で受けた場合、《角行剣術》で攻撃すれば、必ずその後の対応に0.1秒遅れてしまうため、攻め切ることが可能。ゆえに《金将剣術》の対応は悪手。定跡に、そう刻まれている。既に、こう判明してしまっている。これはどうしたって覆すことのできない摂理。何年も前から分かっていた不変の事実。
だから定跡になる。だから対応を求められる。だから行動を強制される。そして、下手な対応は、決して許されることなどない。
「強いよお前。素人にしては」
俺の《角行剣術》がその心臓へと吸い込まれるようにして接近する。
「……ぁあああ!!」
ロスマンは、咆哮した。
遠いのだ。0.1秒の差が、永遠のように、遠い……。
「――勝者、セカンド・ファーステスト!」
お読みいただき、ありがとうございます。




