第07話『友達』
『本日未明、バラバラになった男の遺体が発見されました。遺体は損傷が著しく直接的な死因は未だ調査中とのことです。尚、警察は――』
「……」
ぶつんと音声が途絶える。
亜弥香は【教会】から連絡が入ってから何度も繰り返し見ているニュースサイトを閉じ、他に誰もいないのをいいことに教室の壁を本気で殴りつけた。
拳が割れるのではないかと不安になるほどの音が静寂を切り裂く。亜弥香の心情はミキサーで掻き混ぜられたようにぐちゃぐちゃになっていた。
殺されたのは【教会】の人間の一人であり、実力もそれなりにある男だった。亜弥香も面識があり、訓練に付き合って貰ったり、相談に乗ってくれたりとそれなりに良くしてもらっていた。
だからこそ【教会】から殺されたと聞いた時、悲しいという気持ちよりも先に腹の底から煮えたぎるような怒りが込み上げてきた。
世界を脅かす【軍】だけは絶対にこの手で消し去らなければならない。この手がどれだけの人間の血で濡れようとも止まるわけにはいかなかった。
「……っ」
気を引き締める為、そして込み上げてくる怒りを発散する為、もう一度拳を固めて振り上げたその時だった。
ガラッと教室のドアが開かれて二人の男子生徒が入ってくる。怒りのあまり周囲の音など警戒していなかった亜弥香は突然の来訪者に驚いてそのままの体勢で固まってしまう。
「……ん。あれ、亜弥香じゃん。来るの早いんだな」
「……」
教室に入ってきたのは遊馬と拓海の二人だった。
亜弥香はハッと我に返ると、慌てて振り上げていた拳を下ろして誤魔化すように笑う。
「おはよう、遊馬くん、拓海くん。二人も早いんだね」
「これといった理由はないけどな。小雛に起こされたのがこの時間ってだけだ」
遊馬は眠そうに欠伸をする。隣にいる拓海に至っては立ったまま睡眠の世界へと入り込んでしまったようでこっくりこっくりと船を漕いでいた。
「ええと、昨日の昼休みにいた子だっけ? 起こされたって……え? もしかして一緒に暮らしてるの?」
「そ。シェアハウスしてるんだよ。楽でいいぞー。生活費と光熱費は3分の1。食事当番はローテーションで掃除も役割分担をすればすぐに終わる。そして何より毎日が楽しい。一人暮らしや実家暮らしとはまた違う喜びがそこにはある。気の合う信頼している人と共に送る生活ほど素晴らしいものはない。亜弥香もやってみれば分かるぞ」
「え、ええ……そうだね。考えてみる」
マシンガンのような遊馬のトークに辛うじて返事をして苦笑いする。
遊馬たちと同じくシェアハウスをしている亜弥香にとってなかなか新鮮な話題だったのだが、つい先程まで考えていたことが邪魔をして上手く話に乗ることが出来ないでいた。
「――それは?」
「え?」
それは唐突な変化だった。
つい一瞬前までニコニコと笑っていたはずの遊馬は真剣な眼差しで亜弥香の右手を凝視する。その事に気づいた亜弥香は咄嗟に背中に手を隠すが見られてしまったものは隠すだけ無駄というもの。
追求から逃れることは出来ないと察した亜弥香は赤く腫れ上がった手を隠すのをやめ、遊馬が何か言ってくる前に口を開く。
「ちょっとぶつけちゃってね。大した怪我じゃないから心配しなくても大丈夫だよ」
亜弥香は笑って誤魔化そうとするが、遊馬の表情は晴れない。それどころか嘘を吐いてることなんてお見通しだと言うように鼻で笑う。
「……へぇ? 面白いこと言うんだな。ちょっとぶつけた程度で血が滲み出るほど腫れるわけないだろ?」
遊馬は肩に掛けていたスクバから包帯と消毒液を取り出し亜弥香の元へ歩み寄ると、抵抗する暇すら与えずに真っ赤になっている右手を取った。
「それにお前の横の壁。昨日までは凹んでいなかったはずだし、うっすらとだが血が付いていてしかもまだ乾いてない。何があったかは流石に分からないが、亜弥香が壁を凹ませるほどの力で殴りつけたのは明確な事実」
「――――」
亜弥香は唖然としていた。
人並外れた観察眼。そして底知れぬ恐怖すらもかんじる洞察力。亜弥香は理解する。遊馬という人間は絶対に敵に回してはいけないタイプの人間だということを。
「それにしても随分と派手なことするんだな。活発的な女の子だとは思っていたが、まさか壁を凹ませるほどのやんちゃさがあるとは思わなかった」
包帯を巻き終えた遊馬は愉快そうに笑う。
「一応女の子なんだしさ、怪我には気をつけろよ? 大事な肌が傷ついちゃ悲しいことになるぜ?」
「……どうして」
「ん?」
「どうして理由を聞いてこないの? 私が壁を殴った理由……気になるんじゃないの?」
亜弥香の言葉に遊馬は目をぱちくりさせる。
その様子から遊馬は理由などに興味が無いことが見て取れた。
「……聞いてほしいなら聞くけど」
「聞いて欲しいわけじゃないし、悪いけど聞かれても答えられない。私が知りたいのはこんな馬鹿みたいな行動をしているクラスメイトを見てどうしてそうも平然としていられるのかってことだよ」
「ああなんだ、そんなことか」
ようやく亜弥香が何を聞きたいのか理解した遊馬。
普段は恐ろしい程に鋭い癖して、こういう事に関しては鈍感のようだった。
遊馬は言葉を選んでいるのか腕を組んで唸る。分かりやすく伝える為にそうしているのだろうが、早く答えを聞きたい亜弥香にとってその待ち時間は妙に長く感じてしまう。
静寂に包まれた教室はアナログ時計が刻む時間の音と立ちながら眠っている拓海の寝息が良く聞こえた。
やがて言葉がまとまったのだろう。遊馬は顔を上げて亜弥香の瞳を見据えた。
「誰にだって話したくないことの一つや二つあるんだ。もちろん俺にだってあるし、そこで寝てる拓海にだってあるはずだ。隠し事をするのは人間として生きている以上当たり前のことなんだよ。だから俺は踏み込んだりはしない。無理に聞き出してもそれで得られるものは何もないからな」
アニメのような模範解答。
亜弥香は思う。遊馬は本当の自分を見せないのだと。それは能ある鷹が爪を隠すのと同じ。自分の本当の実力を見せないことで本心を相手に読み取らせない。
「私……遊馬くんのことが良く分からない」
思わずそう呟いていた。
初めから何でも分かっているとは思っていない。でもそれでも、遊馬には分からないことがあまりにも多すぎた。
「分からない、か。まぁそれを言うなら俺だって亜弥香のことは分からない。けど、一つだけ分かっていることならある」
腰に手を当てて自信満々にそう言う遊馬。
「俺と亜弥香は友達ってことだ」
そのキラキラと輝く表情は遊馬の素顔のように見えて亜弥香は先程とは違う意味で言葉を失った。
そして同時に込み上げてくる感情。それは今までの疑惑を全て吹き飛ばしてしまうほどの喜びだった。
「ふふ、あはは……あははははっ」
それがあまりにも可笑しくて亜弥香は声を上げて笑い始める。遊馬はきょとんとした様子で亜弥香を見ていたが構うことなく笑い続ける。
流石の拓海も亜弥香の笑い声に目を覚まし、お前何したの?とでも言いたげな表情で遊馬を見るが、自分がどうして笑われているか分かっていない遊馬は首を傾げることしかできなかった。
「ねぇ、拓海くん。拓海くんも私のこと友達だと思ってくれる?」
「え」
唐突に話を振られた拓海はまだ寝ぼけている視線を教室のあちこちに彷徨わせると、最終的に亜弥香の方を見て人差し指を自分に向ける。
「……俺?」
「うん。拓海くん」
「……」
期待の眼差しを向けてくる亜弥香。返答に困った拓海はたまらず遊馬に助けを求めるが、遊馬はニヤニヤと笑うだけで何の助言も与えなかった。
「……友達、かもしれないな」
諦めたようにそう呟く拓海は恨めしそうに遊馬を睨みつける。
しかし遊馬はそんな拓海の視線をガン無視して嬉しそうにバンバンと亜弥香の肩を叩いていた。
「俺たちにとって亜弥香は初めての友達なんだ。仲良くしてくれると嬉しい」
「遊馬くんと拓海くんが友達。私も嬉しいな。こちらこそよろしくね」
握手を交わす二人。遊馬に手を引かれて拓海もめんどくさそうにしながら亜弥香の手を握る。
この友情が本物であろうと、仮初だとしても、この優しい関係は今だけのものであることだけは――間違いなかった。
to be continued
心音です。こんばんは。
不穏な話の後にこういう明るい話はいいですよね。最後に落としましたけど。
次回は久遠と小雛も混ぜてみようかなと考えています。多分しばらくは明るい話が続く。かもしれません()