第45話『ティータイム』
「……は? 肝試し大会?」
夕飯時、夕方に話していた『亜弥香と久遠のドッキリわくわく仲直り計画』の概要を、遊馬は純度100%の嘘で練り固めて久遠に話していた。
練り固められた部分は言わずとも分かる、亜弥香と久遠を仲直りさせるという部分である。
「夏と言ったら肝試しをするしかないだろ」
今回のこの長ったらしい題の企画、主体となるのは遊馬たちの通う御陵学園を利用して行う肝試しだ。
夜の学園に侵入するわけだが、このメンツならばセキリュティなど無いも同然だろうし、紅刃が色々と根回しをしてくれることになっている。
「夏って言ってもまだ初夏だよ? 始まったばかりだよ? そんなに暑くもないのに肝試しなんてやるの?」
「思い立ったら吉日って言うだろ? 決行は次の土曜日にしようと思うんだが予定とか大丈夫か?」
「えーっと、ちょっと待ってね……うん。予定は無いから大丈夫」
スマホから視線を上げ、遊馬に向かってピースする。
渋々参加するというわけでも無いらしく、遊馬は心の中でガッツポーズを決めた。
嬉しさからなのか、夕食のグラタンを食べる手がるんるんと踊り始める。
「散花さんは、怖いの平気?」
「平気だよ。幽霊なんかより人間の方がよっぽど怖いしね」
サラダの添え付けのプチトマトを拓海の皿に移しながら久遠は答える。
「人間関係って難しいよね。何がきっかけで壊れるか分からないんだからさ。些細なことで喧嘩して、すぐに謝れば済む話なのに逆上しちゃって。終いにはずっと一緒に生きてきたのに、こうして逃げ出しちゃって。本当に……何してるんだろ、私」
ため息を吐いて手を下ろす。
持っていたスプーンが食器に当たってカチャンと音を鳴らした。その音は口を閉ざし、久遠の話を聞いていたダイニングによく響く。
「今回の企画さ、私と亜弥香を仲直りさせるために開こうとしているんでしょ? 遊馬がみんな揃っていないところでこんな企画を立てる訳ないからね」
「……まぁ、そうだよな。流石に見抜かれるか」
当然、この話は亜弥香には通してある。
だからこれ以上嘘を積み重ねる必要も無く、遊馬はあっさりと折れた。
「亜弥香は何て?」
「特に何も言ってこなかった。ただ一言だけ、参加するって言ってそれきりだ」
「そっか。仲直りするつもりはあるんだ」
「だろうな」
でなければ参加するなんて言うことは無い。
亜弥香も久遠と仲直りしたいと思っているからこそ、この企画に乗ってくれたのだろう。
「遊馬たちが舞台を整えてくれたのなら、私はヒロインとしてちゃんと振る舞わないといけないね」
「そうだな。俺たちが整えたのは舞台だけだ。結末がハッピーエンドになるかバッドエンドになるか。それを決めるのはお前たち二人。俺たちは観客として舞台を楽しみ、役者としてお前たちの仲直りを全面的にバックアップさせてもらうからな」
遊馬は優しい人間だ。でも、その優しさは誰かの為では無い。
今回の企画だってそう。表面は亜弥香と久遠を仲直りさせたいという優しさで立てられたものだが、ひとたびその裏を返してしまえば、遊馬の極個人的なことが浮かんでくる。
遊馬は常に自分の事と【軍】の事しか考えていない。
だからこの企画はただただ自分が楽しみたい。そして拓海と小雛、それから紅刃を楽しませたいという思いしか無いのだ。
口では仲直り出来たらいいな的なことを言っているが、結果なんて遊馬にとってはどうでもいいこと。自分たちが楽しめればそれでいいと思っている。
遊馬の優しさは全て自分の為。その優しさは狂っている。
けれど今回の件に関してはまだ全然ぬるい方だ。仕事のことになればその狂気は更に度合いを増す。結果が全ての【軍】の仕事では感情なんてものは一切切り捨てる。
戦いにおいて感情は不要。ほんの少しの揺らぎが死へと直結することだって有り得る。事実、これまでに何人もの人間が感情に騙されて殺されてきた。
奪うのが目的ならば奪う事だけを考えればいい。
生き残るためなら殺すことだけを考えればいい。
必要の無い感情なんて全て切り捨てればいい。
それが有塚 遊馬という人間の生き方。これまで何度も言っている通り、彼にとっての日常は非日常であり、非日常こそが遊馬の生きる日常なのだ。
「いやー、それにしても楽しみだな。当日は紅刃が色々と準備してくれるらしいぞ」
「紅刃さんって聞くと、前にやったお花見を思い出すよ……。あれはなんて言うか……凄まじかった」
「……服、脱がされた思い出しか、無い」
男子がいる中で下着姿になったことを思い出したのか、小雛の頬はほんのりと朱色に染まっていた。
思えば、いい歳した男女が公共の場でバカ騒ぎしながら野球拳をしていたのだ。よくもまぁ近所の人に通報されなかったと。
「まぁ、今回は肝試し大会だし、下着姿になることなんて無いだろ」
一足先に夕飯を食べ終えた拓海はキッチンでお湯を沸かし始める。遊馬宅では食後のティータイムが恒例となっている。
拓海がお茶を入れ終わるまでに三人はせっせと手を動かしてグラタンを食べ終えると、タイミング良く拓海がお盆に乗せた湯呑みを持ってきた。
「食後はやっぱりこれだよねー。ホッと一息つける至福の時間。私、この時間が好きなんだ」
そう言いながら久遠は両手で握りしめる湯呑みに視線を落とした。
ゆらりと揺れる日本茶の水面に久遠の顔が映る。久遠は寂しげに笑っていた。
「……亜弥香と二人で暮らしている時もそうだった。夕飯が終わったら頼んでもいないのにこうしてお茶を入れてくれてさ。そして他愛のない話で盛り上がるの。今思えばほんと、楽しい時間だったんだなって思う」
「……大切なんだね、小波さんのこと」
小雛の言葉に久遠は頷く。
「大切だよ。だから、今回みたいに大喧嘩したら仲直りの方法が思いつかない。近すぎるのも困りものだよね」
そうして苦笑いを浮かべてお茶を啜る。
一口、二口飲んだところで湯呑みを静かにテーブルに戻した。
「久遠……」
両手で握りしめる湯呑みがカタカタと鳴っていた。
震えている手で握りしめているせいだ。
「……ちゃんと仲直りしたいな。できるかな?」
「できるかな、じゃない。するんだよ」
そう力強く宣言して遊馬は久遠に笑いかける。
遊馬の笑顔はホンモノだった。ホンモノに限りなく近いニセモノだった。
それに気づいているのは拓海と小雛だけ。いつも通りの久遠ならばその異様さに気づいたかもしれないが、今の久遠にはその笑顔の裏を読み取ることはできなかった。
「そうだね。弱気な発言はダメだよね。よし! 土曜日頑張るよ!」
そして久遠は結局、遊馬の笑顔の本当の意味に気づくことなく笑い返す。
穢れきった笑顔と、屈託ない純粋な笑顔。正反対の二つの笑顔を同時に見せられた拓海と小雛は無言で目を逸らした。
「わたし、ちょっと出掛けてくるね」
まだ半分以上中身の残っている湯呑みを置いたまま、小雛はゆらりと立ち上がった。
「こんな時間に?」
「コンビニに行くだけだよ。そんなに遅くなるつもりは無いから」
じゃあね。と、言うように小雛は片手を挙げると、そのままリビングから出ていった。すぐに玄関の方から音がしたからそのままの格好で出ていったのだろう。
「あれ? 小雛、財布持っていたのかな?」
「持っていたんじゃないか? でなきゃすぐに出ていったりはしないだろ」
「普通家の中で財布持ち歩く?」
「元々行く予定だったなら、準備していただけのことだろ」
「んー……まぁそっか。そうだね」
あまり納得はいってないようだったが、長続きさせる話でもない。久遠はお茶を一気に飲み干すと、食器の片付けを始めた。
「どうせいつものアレなんだろうからな」
洗い物をはじめた久遠にはその言葉は届いておらず、代わりに拓海が言葉を返す。
「それなりに耐えた方だろ。散花がいるから抑えていたみたいだし」
「まぁな。んじゃまぁ、俺は風呂入ってくる」
「おー」
浴室に向かう遊馬にひらひらと手を振りながら拓海はソファーに横になった。
to be continued




