第41話『歪み』
「……」
遊馬と別れて独りで行動していた紅刃はありすからの連絡を受けて【箱庭】の施設であるこの学校を焼き尽くす為に紅蓮の焔を圧縮していた。
紅刃の創り出す焔は能力者である自分を除いたモノ全てを消滅させるほどの熱量がある。
現実にあるもので例えるならば水爆の数十倍はタチが悪く、紅刃が本気を出せば勝てる人間などいないと言っても過言ではない。
「……納得がいかないわ」
揺らめく焔を見つめながら紅刃は一人呟く。
人っ子一人いない巨大な地下空間。遊馬たちの報告によればこの場所にたくさんの子ども達が集められて実験をさせられているという話だった。
子どもどころか【箱庭】の人間と思われる人すらいないもぬけの殻状態。これと言った設備があるわけでもなく、本当にこの場所で実験が行われていたのかすら分からない。
「【教会】は【箱庭】と手を組んでいるけれど一部の人間しかそれを知らない? 《開花計画》が極一部の範囲内で行われているとしても仲間にまで内密にする意味が分からない」
色々な可能性を考える紅刃だったが、どれも納得がいかないようで首を傾げる度にその表情に苛立ちの色が濃くなっていた。
「まぁいいわ。最終的に私たちの計画の邪魔さえしなければどうだっていい。終焉りが来れば何もかもが無に還るのだから」
【軍】のこの街での最終目標――それはこの街ごと【教会】を葬り去ることだった。
【教会】がいなくなれば実質【軍】は最強の能力者集団となり、裏社会におけるトップに君臨することができる。ゆくゆくは表社会も統制し、自らの手中に国を治めるのが紅刃の考えだった。
「自らの思想を貫くのが【軍】の行動理念。実際そんなことはどうだっていいのよ。私は私がやりたいようにやるだけ。今も、これからも、それだけは変わらない」
そこで紅刃はふと思う。何もかもが終わった時、自分はどうすればいいのかと。
トップに立つ前は与えられた任務を忠実にこなし、幾つもの戦地を生き抜いてきた。紅刃が去る戦場は全て紅き焔で焼き尽くされており、いつの間にか《血焔姫》という異名が付けられていた。
しかし紅刃と対面する人間は例外なく殺害されており、その姿や顔を知る者は【軍】の人間以外には存在しない。故に紅刃の存在は他の組織では誰にも認知されない幻の存在となっている。
だからこそお花見をした時、亜弥香も久遠も紅刃のことに気づかなかった。他の人間に認知されないからこそ、紅刃も堂々と遊馬たちと遊ぶことが出来たのだ。
本当に敵が目の前にいたのに、誰も、誰一人として気づくことはなかった。
あの時の彼、彼女らは流れる時間を純粋に、心から楽しんでいた。束の間の幸せであることに気づくことができなかった。
「……さてと、みんなそろそろ脱出してくれたかしらね」
紅刃の《能力》である《血染めの終焉を謳いし紅焔》の発動はいつでも出来る状態だった。
力を解放すればこの学校は一瞬で消滅する。実際、限界まで圧縮された焔は地下空間の床をドロドロに溶かして異様な臭いを発していた。
「……」
手を翳して発動に備える。
あとは念じるだけでいい。しかし紅刃は《能力》を発動せずに考え込むようにその瞳に焔を灯していた。
「やっぱり納得いかないわ。ありすの言うことが確かなら【教会】の一部は何も知らずに【箱庭】に手を貸していることになる。《開花計画》が上手くいけば戦力が上がるのは間違いない」
先程考えていたことをもう一度口に出して頭を捻る。
英語のイントネーションを覚える時、無言でただひたすら覚えるよりも口に出す方が頭に働きやすい。
それと同じように、考え事をする時も口に出すことで様々な観点から考え直すことが出来て思わぬ発見を得られる事もある。
「ならば【教会】ぐるみで《開花計画》に協力した方が効率的にもいい。なのに黙っている。その理由は?」
こうしている間にも紅刃の周りは常人が耐えきれないほどの熱量で包まれていた。
しかし紅刃は真剣な表情を崩さずに思考の迷路を深く深く進んでいく。その先に答えがあるか無いかは紅刃にとってどうでもいいこと。
そう、答えを導き出すよりも今回は考えることに意味がある。様々なことを考え、対策しておくことで今度何が起こったとしても最善の対処を選ぶことができる。
「【教会】は正義を謳っている集団……。けど《開花計画》においては【箱庭】と協力して何人もの子どもたちを犠牲にしている。自分たちの理念に背いているから一部の人間しか知らないってこと? そんな単純なことなの? 何か裏があるとしたら――」
もう一段階潜ろうとした思考を遮るように着物の帯に挟んでいたスマホが鳴り響く。
こんな異常に暑い空間でもスマホが壊れていないのは紅刃自身が《能力》で焼けないのと同じ原理なのだろう。
スマホには『ありす』と表示されていた。
紅刃は通話ボタンをタップしてスマホを耳に当てる。
『やっほ〜、くー姉。首尾はどうなってるかな〜?』
「それを聞くためだけに電話をしてきたのなら、生憎私は今機嫌が悪いのよ。切るわよ?」
『機嫌が悪いようには思えないんだけどな〜? まぁいいや。とりあえずこっちはもう合流済。みーちゃんの《能力》使って出来る限り遠くに移動しておいたよ〜』
「そう。こっちも準備は出来ているわ。燃やし尽くしたら合流する。詳しい話はその時にちゃんと聞かせてもらうわよ。私の《能力》を気軽に使おうとしたんだから当然よね?」
『もちろん説明はするよ〜。ただ――』
「ただ?」
電話越しから伝わってくる不穏な空気。
ありすが何を考えているのか分からないが、ろくでもないことだということだけは確かで、紅刃は眉を潜めながら次の言葉を待つ。
『わたしはね、くー姉。思ってしまったんだよ』
※
Another Views ありす
「わたしはね、くー姉。思ってしまったんだよ」
ありすは笑っていた。
心の底から楽しそうに、愉しそうに笑っていた。
電話越しでも伝わってくる紅刃の殺気にも似た苛立ちをまともに受けながらもその笑みを崩すことはなかった。
「楽しいなぁ。本当にこの世界は楽しいと思うよ」
スマホを当てる耳とは反対の方。
耳から伸びる黒い線はだらんと下ろした左手まで伸びていて、その先には小さな機械が握られていた。
「ねぇ、くー姉? くー姉はこの世界が好き? 嫌い?」
『……何よ突然。好きか嫌いか? そんなの決まっているじゃない。大好きだけど、大っ嫌いよ』
「わたしは大好きだよ」
紅刃の答えに意味など無いというようにありすは即答した。
「こんなにも面白い世界は他に無いよ。わたしの大好きがいっぱい詰まってるんだもん。わたしはね、くー姉。くー姉には感謝してもしきれないよ。あの日あの時あの場所で、わたしのことを【軍】に誘ってくれてありがとう」
『はぁ? いいから早く――』
紅刃の言葉を最後まで聞かずにありすは電話を切った。あとで紅刃に怒られることなど知ったこっちゃないのだろう。
何故ならありすは今この瞬間、どこの誰よりもこの世界を楽しんでいた。怒られることなど今この瞬間の幸せに比べれば些細なこと。
「――楽しいし、楽しみだな〜」
紅刃と電話をする為に外していたイヤホンを再び耳につけた。そこからは恐らく電話をしているのであろう少女の声が微かに漏れていた。
『ごめんねー。予定が少し早く終わったから一緒に夕飯食べれると思ったんだけど間に合うかな?』
ありすは笑う。
ただただ楽しそうに笑う。
『ほんと? 今日の夕飯は確か拓海が作るんだよね? 私拓海の作るご飯好きだから楽しみ!』
この世界は歪んでいる。
どこまでも、どこまでも。捻れて絡まってしまった糸が解けないように、歪に歪んでしまった人間関係はもう二度と元に戻ることは出来ないのだろう。
to be continued
心音です。こんばんは。
諸事情にてアップが遅れてしまい申し訳ございませんでした。




