第26話『変わり者』
「――なぁ、散花よ」
買ったばかりのミルクティー味のタピオカをストローを使って飲みながら眠たげに拓海は口を開いた。
紅い瞳が真っ直ぐに見据える先には、はむはむと上機嫌にクレープを食べている久遠の姿がある。
「ん、何かな?」
「俺たちはなんでまたこの店に来ているんだ?」
「私一人で甘い物を食べに行くのが寂しかったからだよ」
二人がいる場所は、前に買い物をしている時ばったりと遭遇したクレープ屋だった。
放課後ということもあって学生の姿が多い。久遠たちがこの店に来た時にはまだそれなりに空席があったのだが、瞬く間に満席になってしまった。
どの学生も考えることはほとんど同じということなのだろう。
「わざわざ俺だけをドナドナしなくても良かったんじゃ」
「ドナドナ言うな。というか拓海って察しが悪いねー。私は拓海と二人が良かったの」
可愛い女の子にこんな事を言われたら普通ドキッとしてしまうのが男の性だが、拓海は眉一つ動かすことなく再びタピオカを飲み始めた。
その態度が若干不満げだったのか、久遠は頬をふくらませながら無言で拗ねる。
「まぁ、誘ってくれたことは嬉しかった」
機嫌を直すためのお世辞のような言葉だったが、途端に久遠の表情に花が咲いた。
久遠にとってはお世辞であろうと何であろうと、そう言ってもらえたことが嬉しくて仕方ないのだろう。恋する乙女というのはそういうものだ。
「拓海はさ、今日の話どう思った?」
「話? どのことを言っている?」
「調理実習の時の話。ほら、亜弥香が小雛を怒らせちゃった話だよ」
「ああ。人生がどうたらこうたらってやつか」
「そうそれ」
久遠は買ったばかりのオレンジチョコクレープを一口齧ると、むすーとした表情を作ってため息を吐く。
クレープが美味しくなかったという訳ではなく、単に亜弥香に思うことがあったのかもしれない。
「私にはさ、両親がいないんだよね。私が小学生の頃に死んじゃった。交通事故で、それも、私の目の前で」
唐突な告白は無表情を貫いていた拓海の表情筋を歪ませる。食べようとしていたクレープを口から離し、久遠から視線を逸らした。
「人生はどう転がるか分からない――確かにその通りだよ」
それを少し寂しそうにしながらも、久遠は語るのをやめようとはしない。拓海に聞いて欲しい――そんな意志が垣間見えていた。
だから拓海はもう一度、久遠と視線を合わせる。
アメジスト色の瞳が揺れていた。それは風に揺られる炎のように儚げなもの。けれど、拓海を視界に捉えると久遠は嬉しそうにはにかんだ。
「でも、良いように転がるだけとは限らない。時には悪い方向に落ちてしまう。それも急転直下にね。私がいい例だと思わない?」
「……」
拓海は無言を返す。けれど、今回は視線だけは逸らさずに久遠を見つめ続けていた。
辺りの喧騒が消えていく。
無論、人がいなくなった訳ではない。それほどまでに二人が会話に意識を集中させているということなのだろう。
「あの日を境に私の人生は文字通り終わった。大好きな両親が一瞬で肉の塊に変わって、飛び散った血が私の心を穢した。後から聞いた話なんだけど、私の両親を殺した車は飲酒運転をしていたんだって」
殺した――。
口調は比較的穏やかなのに、重く押し潰されそうな程の重圧が込められていた。家族を失った悲しみ、怒りは、失った人にしか到底理解することができない。
「ほんと許せないよね。それを知った時、死んで償って欲しいと思った。これが中学生の頃の話。その頃から私は自分を偽って生きていた。愛想笑いを浮かべて、表面上だけの友情を繋いで。心から笑うことが出来なかったんだよ。だから――崩壊するのは早かった」
築くのに時間が掛かるのに、壊れるのはほんの一瞬。
絆なんて些細なきっかけさえあれば簡単に壊れてしまう。
「私ね、苛められていたんだよ。しかもかなり陰湿なやつ。もう参っちゃったよね」
笑いながら話す久遠だったが、すぐにその笑顔に影が差し、表情から色が消え失せ、同時にアメジスト色の瞳にどす黒い何かが蠢く。
それを見た拓海は驚くこともなく、目を逸らすこともなく、ただ――笑った。そして理解する。久遠という人間の本質。笑顔の仮面の裏に隠された禍々しい本性を。
「だからね――殺しちゃった」
そしてあっさりと久遠はその事実を認める。
明るい日常の風景には似合わない非日常の一片。けれど忘れてはいけない。これが彼、彼女らの日常だということを。
「けど私に罪が科せられることはなかった。未成年だからというのもあったけど、世間からこの事件の全てが抹消されたからね。深い深い闇の底に真実を隠したの」
久遠が起こした事件は事故として処理された。
世間ではそう報道されているし、記録にもそう残っている。誰もがただの悲しい事故だと認識され、時間が経つごとに忘れ去られていった。
でも、真実を知る者はあの凄惨な光景が脳裏に焼き付いて離れなくなっている。真っ赤な血で染まりきった教室。無数の悲鳴はやがて聞こえなくなり、耳が痛いほどの静寂の中で一人立ち尽くす久遠の姿。
「ねぇ、拓海。拓海は私が人殺しだと知ってどう思った? 見損なった? 恐怖した? 私とはもう――友達ではいられない?」
三つ目の問いかけで久遠に表情が戻る。
それは後悔の表情だった。久遠は後悔した。どうして自分はこんな話をしているのだろうと。そして同時に恐怖した。折角手に入れたささやかな幸せな時間を失ってしまうのではないだろうかと。
「ご、ごめんね。私、何話しているんだろ、バカみたい……。忘れていいよ。迷惑だったよね、本当にごめん、私もう帰るね!!」
席を立って走り出そうとする久遠。
その目尻に涙が浮かんでいるのを拓海は見逃さなかった。
「――待て」
一歩走り出した久遠の手を掴んで引っ張る。
「えっ!? きゃっ!?」
唐突に引っ張られたせいで体勢を崩した久遠は、引っ張られるがままに拓海に向かって思いきり倒れ込んでしまった。
拓海は当然のように受け止めると、久遠の背中に手を回して抱きしめるような体勢を取る。そして久遠の耳元に顔を近づけて口を開く。
「俺は別に何とも思わない。それが散花、お前の本当の姿なら、俺はそれを受け入れる」
蜜のように甘く、花のように優しい言葉に久遠は目を見開いた。そんな言葉を掛けてもらえるなんて想像もしていなかったから、久遠は咄嗟に言葉を返すことができない。
「俺の感覚は普通の人とはちょっと違う。身内にやばい過去を持っているようなやつがいても、人を殺しているような人がいたとしても、俺が認めている相手ならば気にしない」
そう。拓海もまた普通の人間とは違う。
これまでに何人もの人間を殺してきている。だから普通の人間ならば引いてもおかしくないことを平気で受け入れてしまう。
「それに俺からしてみれば、その程度のことで友達じゃなくなるなんて思われている方が悲しい」
拓海にとって久遠や亜弥香は同年代の初めての友達だった。学園生活なんてどうせ下らないもの。任務が終わればそれまでだと思っていた拓海は、この二人と出会ってほんの少しだけ変わることができた。
「拓海……あなたって人は……」
耐えきれなくなった涙が頬を伝って流れる。
拓海はそれを他の誰にも見せないようにと久遠を自分の胸に押し当てた。
「……まぁあれだ。上手くは言えないが、変わり者同士仲良くしようぜ」
その言葉に久遠は何度も、何度も頷く。
みんなが思っている以上に久遠は弱い人間なのかもしれない。他人のことなんて結局のところ、見た目だけでは判断することができないのだ。
それから久遠が泣き止むまで拓海はずっと震える小さな体を抱きしめ続けていた。
【軍】と【教会】――決して交わることない二つが、ほんの少しだけ交わった時間だった。
to be continued
心音です、こんばんは!
今回は拓海と久遠がメインの話で、少し久遠について触れました。呆気ない告白だと思いましたか?これでいいんです。彼らは異常なんですからね。でも、心は持ち合わせている。めんどくさいものですよ、ほんとに