第25話『ありす』
「……」
居心地の悪くなった実習室から抜け出した小雛は誰もいない廊下を一人歩いていた。
まだ授業の時間。とはいえ、もうすぐ中休みになるということもあってか、通り過ぎるどの教室も生徒の雑談が耳に入ってくる。
一人になりたかった小雛にとってその声は雑音にしかならなかった。込み上げてくる苛立ちを押さえ込んで足早に廊下を進んで行く。
小雛が向かっているのはこの学校の屋上。
普段は鍵が掛かっているのだが、つい先日とある目的のために紅刃が用意してくれたスペアキーが手元にある。
紅刃からは目的を達成してくれるなら好きに使っていいと言われている建前、与えられたものを有効活用するのは別に悪いことではない。
「……ほんと、ムカつく」
苛立ちを押さえ切ることの出来なかった小雛は小さく呟いた。
滅多に感情を表に出さない小雛がここまで苛立ちを顕にするのは珍しいことだった。普段大人しい分、自分の中で許せないことがあったらとことん許せないタイプなのだ。
「――殺してやればよかった」
冷たく放たれた言葉はおそらく本音。しかし実行しなかったのは【軍】の目的を穏便に達成するためというのが一番なのだろうが、遊馬や拓海に迷惑をかけてしまうことを恐れたからというのも大きい。
自分の中の衝動を抑えることが出来ただけ上出来だと褒めてもいいところだ。
陽の届かない薄暗い階段を音も無く登っていく小雛。
【軍】の訓練から身に付いたこの歩き方は主に尾行をする際に使うもの。通常時でさえこのように歩いてしまうのは身に染み付いてしまっているからとしか言えない。
特に誰とも遭遇することなく屋上へ続く扉の前に辿り着き、ポケットから鍵を取り出して鍵穴に差し込むとすんなりと解錠されら扉を開くとまずは強い風が小雛を出迎えた。
靡く髪を片手で押さえつつ屋上へ足を踏み入れる。綺麗な校舎内とは違って屋上はそれなりに荒れていた。コンクリートの塗装は雨風のせいで所々剥がれ落ちており、ひび割れた地面の隙間からは無数の雑草が生えている。もしかすると開校以来、一度たりとも使われたことが無いのかもしれない。
生徒が知っている学校の風景とは掛け離れたこの場所は、日常から切り離された非日常の一部のように思える。
だからこそ、そこに立つ小雛の姿は絵になっていた。非日常で生きる彼女にとって、荒れ果てた地こそ自分の生きる世界。血と嘘で塗り固められた深淵のように救いのない世界。
しかしそれらを否定するかのように、天高く昇る太陽は煌々と輝いて小雛を照らしていた。
ここはお前の生きる暗い世界ではない。そう語っているようにも思える。
「……」
小雛は落下防止用のフェンスの前に立つと、ちょうど下に広がっていたフラワーガーデンを見下ろした。
御陵学園の名所と謳われているフラワーガーデンは年中季節にあった花が咲き乱れ、放し飼いされているうさぎがぴょこぴょこと跳ね回っている。
元は亜弥香と久遠の聖域のような場所だったのだが、ここ最近はみんなで揃ってお昼ご飯を食べる場所になっていた。綺麗な花々と可愛いうさぎに囲まれるフラワーガーデンで食べるご飯。この学校に通う生徒ならば一度は憧れるシチュエーションだろう。
それは無論、小雛にだって同じことが言える。うさぎと戯れている時の彼女は誰がどう見ても楽しげだったからだ。
「……よっと」
小雛は軽く助走をつけて跳躍し、二回ほど網に足をかけてからフェンスの上に立った。驚くほどのバランス力で立ち続ける小雛は吹く風を全身で受け止めるように両手を大きく広げた。
「――いるんでしょ? 出ておいでよ」
そして小さな声を風に乗せた。
届けられた声を受け取ったその少女は、身を隠していた給水タンクの裏からひっそりと姿を現す。
背丈は小雛よりも幾分か小さい小柄な少女。腰の辺りまで伸び、太陽の光を反射して眩いほど輝くゴールデンイエローの髪。空を映したようなスカイブルーの瞳は、顔だけ少女に向けている小雛をじっと見据えていた。
「帰ってたんだね、ありす」
「うん〜。昨日こっちに帰ってきたばかりだよ〜」
まったりとした口調で話すこの少女は鈴峯 ありす。こう見えて遊馬たちと同じ【軍】の精鋭メンバーの1人。年齢は小雛と同じで、最年少メンバーとしてこれまで数多く【軍】に貢献して来ている優秀な人材だ。
「どう? 任務、上手くいった?」
「もちろん〜。上手くいってなかったらここにはいないよ〜。もしかしたら死体になっていたかもしれないしね〜」
「わたし達の世界は生きるか、死ぬか。その二択しかないもんね。ありすが生きてて、良かったよ」
フェンスから飛び降りて小雛はありすのいる給水タンクに登って地面に腰を下ろす。その横にありすも並んで座った。
「ゆう兄とたく兄は元気にしてるかな〜?」
「元気だよ。今頃お昼ご飯を食べ終えた頃じゃないかな」
遊馬と拓海はそれぞれゆう兄、たく兄と、ありすに呼ばれているらしい。
「? 一緒にご飯食べないの〜?」
「わたしはちょっとイラつくことがあったから、抜け出しているだけだよ」
頭の中で亜弥香の顔でも浮かんだのか、小雛は隠すことなく舌打ちをする。そんな小雛を見てもありすは顔色一つ変えずに青空を仰ぎ見た。
「そうなんだ〜。学園生活? は大変そうだね〜。けど、ちょっとだけ憧れちゃうな〜。わたしも通ってみたいよ〜」
「くれはに頼めば?」
遊馬たちの任務に参加すると言えば、紅刃がオッケーを出すのは目に見えていた。そもそもありすがここにいるのは、自分の任務を終えて遊馬たちの任務に参加するため。今回の任務は【教会】と全面戦争が起こることを想定して精鋭メンバーのほとんどが紅刃によって集められていた。
「別にいいかな? わたしに普通の人の日常は似合わないからね〜。人を殺している方が性に合ってるよ〜」
「それはわたしもだよ。でもまぁ、ゆーまとたくみがいるから我慢できる。それはそうと、ありすはどうしてこんなところにいたの?」
「――見ていたんだよ」
途端にありすの口調から柔らかさが消えた。
ぞわりと小雛の背筋が凍りつく。何かどす黒いものを無理矢理圧縮したような殺気。並の人間ならこの殺気だけで意識を失ってしまうだろう。
「これから消えゆく――この街の最後の姿を」
ありすは笑っていた。
悪魔のような冷たい微笑に、小雛は言葉を返せないでいた。
【軍】には序列制度というものがある。
代表である紅刃は序列第0位。そこから精鋭メンバーの数に合わせて第1位〜6位までの席がある。
小雛は序列第6位。身体能力及び戦闘技術は精鋭メンバーの中で群を抜いているのだが、《能力》の面においては他のメンバーに劣るところがあるからだ。
小雛の《能力》である《儚き夢を映す鏡の世界》は自分の幻覚を創り出す《能力》。創り出した自分を思うままに操ることが出来る上に、普通の攻撃が一切効かない。これだけ聞くと十分に強い《能力》なのだが、他のメンバーの《能力》はこれよりも遥かに強いし恐ろしい。
栄えある序列第1位に君臨するのは遊馬。紅刃の右腕と呼ばれるほどの圧倒的な力の持ち主。拓海は《能力》自体は強いものの、持ち前のだらけさ加減から序列は第5位。
「――楽しみだね、小雛ちゃん。浄化されたこの街を見るその時が」
そして序列第2位――鈴峯 ありす。
幼い彼女が望むのはこの街の終焉だった。
to be continued
心音です、こんばんは!
ここに来て【軍】の新キャラが再び登場です!別に【教会】の存在を忘れているわけではありません!近いうち登場します!!
ちなみに今回登場のありすは《能力》だけではなく戦闘技術もずば抜けているキャラクターです。ありすの今後の活躍にどうかご期待を!