第01話『遊馬と拓海』
「はぁはぁはぁ……くっそ……!!」
それなりに空高くまで昇ってきた太陽が照らす道を一人の少年が全力で走っていた。
その必死な形相から只事ではないのが見て取れる。同じ道を通っている通行人も少年の顔を見て大慌てで道を譲るほどのものだった。
「やばい……このままじゃ……!!」
少年は追われているのだ――決して逃れることの出来ないモノから。それはまるで静かに這い寄ってくる蛇と対峙するように心の余裕を絡めとってくる。
それでも少年は既に限界を迎えている足を止めることなく動かし続ける。少年の辞書に諦めるという三文字は記されていなかったし、何よりプライドがそれを許さなかった。
「このままじゃ編入初日に遅刻とかいう快挙を成し遂げてしまう……っ!!」
そう。少年は追われていた。
時間という逃れようのない概念に。
遅刻をしたくない。ただそれだけの為に少年は汗だくになりながら走り続けているのだ。
少年が向かうのは私立御陵学園。私立とは言えどお堅い決まり事は一切なく、生徒の自由を尊重した世にも珍しい私立高校である。
単位制を取っており、授業やカリキュラムは生徒個人が自由に組み立てることが出来る。また必修科目が少ない為、自分の未来へと繋がる授業を取る人が多く、そのおかげであってか進学率や就職率は他の私立校と比べると群を抜いていることで有名だ。
毎年受験者数の倍率は並外れた数値となっており、合格出来る=将来は約束されたも同然なのである。もちろん偏差値はそれなりに厳しい数値となっているのだが、全国各地から御陵学園へ入学を希望する者が後を絶たない状態になっている。
「拓海め……。一緒に登校するって約束すっぽかしやがって……後で会ったらタダじゃ済ませねぇ」
そんな超難関校に四月の終わりという微妙な時期に編入することになってたこの少年の名前は有塚 遊馬と言う。
これと言った特徴がある訳でもなく、何処にでもいそうな極平凡な高校生ではあるが、御陵学園に編入出来るだけの頭脳を持っているのは確かだろう。
「……ジーザス。どうしろって言うんだ」
必死こいて走り続け校門の近く辿り着いた遊馬。
しかしそれ以上走ることは出来なかった。校門に見るからに屈強そうな警備員二人がどっしりと仁王立ちしていたからだ。
そう言えばと遊馬は思い出す。
昨晩読んだ学園案内に登校時間を過ぎてしまうと学園へ入ることは原則出来ないと記述されていた。もしなんらかの理由で遅刻をする場合はその旨を学園側へきっちりと連絡する必要がある。連絡が無い場合、例え学園の生徒であろうと時間外の登校は出来ない事になっているのだ。
お堅いことは基本的に言わない御陵学園だが、その有名さあって生徒が危険な目に合わないようにと警備体制が異様なまでに固い。これでは遅刻どころか編入初日に欠席というクソ野郎のレッテルを貼られてしまう。
「さてどうするか……ん?」
ポケットに入れていたスマホから軽快な音楽が流れる。どうやらメッセージを受信したらしく、遊馬はすぐにその内容を確認する。
『裏門西35。ふぁいとー』
おそらくはここに行けという簡潔な文とやる気のない応援文。送り主は見るまでもなく分かってしまい、呆れが半分と自分を置いて先に登校していたことに対する怒りが半分のため息を吐いて遊馬は再び駆け出した。
「……なるほどなぁ。面白い」
ものの数十秒で指定された位置まで走りきった遊馬は自分の身長の三倍はある壁を見上げてニヤリと口元を吊り上げる。
その場所は人通りが少なく、一部分が学園側へ凹んでいる為裏門の警備をしている人間に見つからない絶好の死角になっていた。ようするに先ほどのメッセージの送り主はこの壁を乗り越えてこいと言っているのだ。
遊馬はとりあえず助走を付けるために壁から距離を取って警備員の様子を伺う。走り込む姿を見られてしまったらそこでゲームオーバー。初日欠席を遅刻へと変えるためには細心の注意を払う必要がある。
「……っ」
数秒か、数分か――ついにその瞬間が訪れる。警備員の視線が正反対の方へ逸れたその一瞬の隙を突いて遊馬は駆け出した。
その動きはまるで獲物を目の前にした虎のよう。目にも留まらぬ速さで壁まで詰め寄るとスピードを一切殺すことなく跳躍。凹んでいる壁の左右を踏み台に上へ上へ上がっていく。
「……おお。すげーな」
最後の蹴り上げで壁の上に乗ると学園の全貌が明らかになり遊馬は感嘆の息を吐く。
校舎全体が外国にでもありそうな貴族の屋敷のように高級感がある。この学園に通う人間のほとんどはお金持ちなのではないかと錯覚してしまう。
だが校舎よりも遊馬の目を奪ったのは目の前に広がるフラワーガーデンだった。季節に合わせた色とりどりの花々が風に揺られ、放し飼いされている兎が庭の中を駆け回っていた。
いつまでも眺めていたい光景だったが、こんな所に登っているところを誰かに見つかったらシャレにならない。遊馬は躊躇うことなくそこから飛び降りて学園内への侵入を成功させる。
それから学園から届けられた資料で自分のクラスを確認して移動を始める。その間誰かに見つかることはなく、あっさりと校舎内に入ることができた遊馬は地図を頼りに自分のクラスまで向かった。
「……ここか」
2年A組。それが遊馬が今日から通う教室だった。
とりあえず中に入ろうとドアに手を掛けたところで遊馬は違和感を覚え首を傾げる。
中があまりにも静かすぎるのだ。
人の気配はするのに物音一つしない。教室の中だけ時間が止まってしまったのではないかと錯覚してしまうほど不自然な静寂だった。
しかし、中で何が起こっていようとここで引き返してしまえば遅刻ではなく欠席になってしまう。どんな理由であれ遊馬はこれから教室に入らなければならないのだ。
あくまでも遅刻に拘る遊馬はとりあえず何の躊躇いもなく教室のドアを開け放った。
「――おー、遊馬。遅かったな?」
遊馬を出迎えたのは気の抜けた幼馴染の声だった。
今すぐにでも殴り飛ばしたい気持ちをグッと押さえ込んだ遊馬はすぐに自分に向けられる多数の視線に気づく。
「お前が来るまで時間稼ぎしておいた。俺は眠い。後は任せてもいいか遊馬」
この明らかに適当で気力が皆無な少年は藤原 拓海と言う。遊馬と同タイミングでこのクラス編入し、尚且つ遊馬とは幼い頃からの付き合いがある。いわゆる幼馴染という間柄だ。
「……任せるって何を。というかせめてこの静寂の原因を話せ」
「とりあえず遊馬が来るまで無言でいれば時間稼げるかと思って黙ったままでいたらこのクラスの人たちも乗ってくれた」
「いや、どう考えたって乗った訳じゃないだろ。呆れてるんだよ、確実に」
俺の発言にクラスの大半がコクコクと頷いた。
一寸のブレも無い見事なシンクロに遊馬はこのクラスは団結力が高そうだと勝手な解釈をする。
「えーっと二人共? 先生のお願いごとを聞いてくれてもいいかしら?」
「ええ、なんなりと」
どうせ拓海は返事をしないと踏んだ遊馬は担任と思わしき女性の方へ振り向く。
言葉で表現しにくいほど曖昧な表情を浮かべている担任はパンッと唐突に両手を合わせて全力で頭を下げる。
「お願いします!! 朝のホームルーム終わらせられないから二人共早く自己紹介をしちゃって下さい!!」
先ほどからやたら時計を気にしていたのはそのような理由があったかららしい。
授業は9時スタート。そして現在の時刻はちょうど長い針が11の場所を差したところだった。
「……」
担任の必死なお願いあって遊馬と拓海はそれぞれ自己紹介を始める。
そんな二人を一番奥の席からじーっと見つめている少女がいたことにこの時二人はまだ気づいていなかった。
to be continued
心音です。こんばんは!
前回とは全然雰囲気の違うお話でしたが別の物語というわけではありません!
今だけはのんびりとした日場をお楽しみください!