「灯台の岬をめぐる」駅
灯台の岬の細長い陸つたいに群生する森には雨の湿ったカーテンが絶えずかかっている。灯台の守りをするぼくらとの境界線。上から下へと数字のように降り注ぐ水のカーテン。けしてぼくらの踏めない森。
灯台は黒く塗り潰された岬を護るように光の両翼を突き出している。陸沿いに南へ向かって走る海洋特急は必然的に岬のカーヴでおおきく減速しやがて「灯台の岬をめぐる」駅に停車する。深夜の静かな到着に当直のアサギは拳を握りしめ頬を膨らませる。
重たい扉を遠慮がちにたたく音。黒い影の群れはやがて人のかたちに変わる。マリーノ超特急の旅人たちだ。潮の匂いを漂わせて彼らは犬のように全身濡れている。アサギと旅人は簡易認証と固い握手の交歓の後に互いに待望していた乾いたシーツで眠りに就く。
朝になると密生する森をぬけて野生馬が岬のちいさな平地を訪れる。ながいタテ髪と雨をはじく皮膚を持つ背の低い瑞の馬たちだ。馬は思い出したように駈け足を繰りかえしみじかい生え草をたべる。馬は茸もたべる。おそらくひと時の夢をみるために。
湿った薄暗い朝の光にぼくは目を覚ます。アサギの息子ソルは隣でひどいイビキをかいているアサギにそっと毛布をかけている。階段を下りるふたつの黒い影がぼくとソルに変わる。そうしてぼくらは夢のなかで出会った旅人と再会する。
ソルと出会ってもう十年近くになる。灯台守の交替要員として海洋特急に乗って赴任したアサギの太い毛むくじゃらの腕にしがみついていた。ソルの母親はマリーノ超特急から下車することなく南下していったときく。アサギは多くを語らない。
「あいつは選ばれたんだ…いや選ばれなかったんだ…」
「セントラル駅へ…なあに定期補給の要請連絡だ。
セーフフード一年分…ラム酒ひと樽…それと…オムツ!」
灯台周りのちいさな平地と「灯台の岬をめぐる」駅。それがソルの世界のすべてだ。ソルは岬に腰を下ろしソルは駅のプラットホームに立って南の海の向こうをながめている。木の根っこをかじり水のカーテンに濡れて。ソルは馬を撫でる。ソルはよく笑う。
アサギが起きるまでの午前は静かに流れていく。今日の旅人は若い男女のふたりだった。ふたりは水のカーテンをものともせず寄り添って馬をながめたり旅の護りに四つ葉の草を探している。旅人の世間話はいつも南へ流れていって還ってこない。
ふたりが口にした帰郷先にぼくとアサギは顔を見合わせる。その村は噂ではもう存在しない。管理局に破棄された村の名前だ。どうしても帰るのかい。下手すりゃ村ごと森に喰われてるぜ。しばらくの沈黙の後にアサギはふたりの眼を覗きこむ。
「ぼくたちは選ばれなかったのさ…いや選ばれたのかなあ」
「死にに行くようなものだって言われたわ…
何の冗談かしら。みんなそうなのに」
東は海と抜けるような青空。西には黒い森と立ち込める雨雲。循環する数字のような雨のカーテンがぼくらの頬に肩に降りかかる。時に雨は海から吹きあげる風に巻かれて下から上に降りかかりすべての雨具は用をなさない。ぼくらは水を飲む。ぼくらはよく笑う。
各駅列車の接近の報が届けば別れの時間だ。アサギとぼくは灯台に昇り誘導の手配をはじめる。帽子を被るように簡単なことばを交わす。ソルはふたりと一緒に駅に通じる舗道を下りていく。少し距離をおいて一頭の馬がついてきて坂の手前でじっと見送っている。
潮と雨に再び濡れたふたりにソルが乾いた毛布を渡すのが見える。列車は無事到着しアサギとぼくは汗を拭う。ふたりの若い旅人はやがて車窓の黒い影に変わる。遠去かる南回りの列車にいつまでも手を振るソルの後ろ姿。列車はちいさな黒い影となって消える。
いつかまたぼくも海洋列車に乗るのだろうか。アサギも。ソルも。住み慣れた灯台に別れを告げて雨のカーテンを抜けて。まだみたことのない故郷のために。夜になり灯台は自動的に光の両翼を伸ばし始める。ぼくらは闇のカーテンに溶けて黒い影になる。