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くらげちゃんシリーズ(:]ミ

くらげちゃんはホラーがお好き〜暗い日曜日編〜

作者: うろこ雲

 放課後。


 鍵を回して解錠し、茶道部の部室のドアを開けて中に足を踏み入れると、物悲しい女の声が聞こえてきた。


 不審に思いながら、上履きを脱いで靴箱に仕舞い、白足袋を履いて板の間を歩く。

 茶室に通じる(ふすま)をスッと引くと女の声が大きく響いてきた。


 これは歌だ。

 よく見ると柱の横にスピーカーがあり、そこから歌声が流れ出している。

 俺がここに来る前に誰かが持ち込んで、かけっぱなしにしたままどこかへ行ってしまったのだろう。


 とりあえずは放っておいて、午後の部活動の準備をすべく水屋の方へに足を向けようとしたところで俺は硬直した。


 いつ誰がこのスピーカーを持ち込んだ?


 昼休みに来た時には部室にスピーカーなんか無かったし、5限が終わったあとすぐに来たので俺が一番乗りのはずだ。

 確かに自分が鍵を開けたという証拠に左手の人差し指に引っかかっているキーホルダーの感触が教えてくれている。


「いやいや、待て待て落ち着け。きっと5限をさぼった誰かが部室で音楽を聴いていたんだ」


 一人きりの部室内で俺は簡単な推理を口にして自分を納得させる。


「そうだ、そうに違いない。なんてことないじゃないか。全く人騒がせな」


 焦ってしまったことがなんとなく恥ずかしく、原因を作った誰かに向けてボヤく。

 もう少ししたら他の部員が来る。

 その時に犯人も分かるだろう。


 はあ、とため息をつき、落ち着いたところで俺は大きな見落としに気づいた。


「待てよ。その誰かさんはどうやって部室に入ったんだ?」


 部室のドアを開ける鍵を持っているのは俺と3年の先輩の2人だけだ。しかもその先輩は今日は郊外学習で朝から学校にいない。


 つまり


 今日鍵を持っているのは俺だけ。

 しかも昼休みの終わりに確かに施錠してから部室を出たし、5限の間ずっと鍵は俺のポケットに入っていた。


 つまり


 昼休みの終わりから俺がこの部室のドアを開けるまで中に入ることは不可能だ。


 そこまで考えたところで血の気がゆっくりと引いていく。

 脊髄に液体窒素を流し込まれたかのような感覚になり、指一本動かせない。


 コノスピーカーヲ持チ込ンダノハダレダ?


 心臓が早鐘を打ち、結論を出すことが怖くなる。


 金縛りにあったかのように動けない俺の鼓膜をより一層大きくなった女の歌声が震わせた。


 何かを訴えるような、何かを嘆くような悲しい歌声。

 その後ろから荘厳だがどこか不安を掻き立てるコーラスが追いかける。


 これ以上この曲を聴いてはいけない。

 そう頭では思っているのに、全く体が動いてくれない。


 吹き出した汗が一滴、こめかみを流れて頬を(つた)い、首筋に達したとき



「ほら今あなたの後ろに」



「うわっ!!?」


 突然背後から耳朶(じだ)を震わせた透き通った声に驚き飛び上がり、俺は足を滑らせて畳の上を転がった。


「いてて……」


 強くぶつけた腰をさすりながら起き上がると、視界に俺を無表情に見下ろす制服の少女が映った。


「大丈夫ですか?」

「ああ……問題ない」


 首を少し傾けて心配そうに覗き込む彼女に、声をかけられただけで大袈裟な反応をしてしまったことに顔に熱が集まるのを感じつつ、俺は少し勢いをつけて立ち上がった。


「そうですか」


 彼女はすぐに興味を失ったかのように平坦な声でそう言うと、俺から目線を外した。


 彼女の名前は涼白(すずしろ) 水月(みつき)

 茶道部員で後輩。

 前髪パッツン、艶やかな細い黒髪を肩口で切り揃え、大理石のような真っ白な肌に整ったその顔立ちは紛れもなく美少女だ。

 身長160センチ弱の細身の体型。

 そしてなんといっても特徴的というか無特徴的なのが、眉一つほとんど動かさない無表情である。

 見た目通り余り口数も多くない、容姿は整っているのに余り目立たない子、というのが俺の印象である。


 涼白は柱の横のスピーカーに近づくと、差さっていた携帯音楽プレーヤーを操作して音を止めた。


「先輩」


 振り返った涼白の黒い瞳がまっすぐ俺を見ていた。


「な、なんだ?」


 あまり接点の無い涼白から声をかけてきたことに少し驚いたが、それを表には出さなかった。


「先輩はさっき流れていた曲を知ってますか?」

「いや、まったく」


 音楽はあまり聞かないし、ましてやあんな暗くて薄気味悪い曲は好きじゃない。

 すると涼白は「そうですか……」と少し残念そうな様子になった。

 その反応になんとなく罪悪感めいたものを感じたので、聞きたくもないのに質問をしてしまった。


「あの曲がどうかしたのか?」


 すると涼白はわずかに目を見開き、なんとなく楽しげな調子で答えた。


「はい、先ほど流していものは『暗い日曜日』というタイトルの曲なのです」

「!」


 その曲名は聞いたことがある。

 中身よりタイトル、いやそのあり方が有名と言うべきだろうか。


「確か"自殺の出る曲"とか呼ばれているやつだよな?」

「ご存知でしたか」

「噂程度にな」

「構いませんよ」


 あまり詳しくないので適当にお茶を濁したが、涼白にとっては十分だったようで、少し弾んだ声音になった。

 心なしかその瞳も黒曜石のように小さく輝いているように見える。


「『暗い日曜日』は、1993年にハンガリーで発表された歌ですね。初めてレコーディングされたのはハンガリー語で1935年ですが、英語での最初のレコーディングは1936年なんですよ。そしてこの曲のハンガリー語の原題『Szomorú(ソモルー) vasárnap (ヴァシャールナプ)』の意味は"悲しい日曜日"なので日本語訳はちょっと違っているんです。そして陰鬱さを醸し出した曲調や歌詞で"聞いたら自殺する曲"として知られてますね。歌詞の内容は暗い日曜日に女性が亡くなった恋人を想い嘆くというもので、曲の最後は自殺を決意するという一節で終わるんですよ」


 そこまで言いきったところでいったん間を取り、涼白は人差し指を立てて少し詰め寄ってきた。


「さてここからが本題ですが、本作を聴いて世界で数百人、そのうち157名のハンガリー人が自殺したと言われてますが、この本作と自殺との因果関係は明確には証明されておらず、本作が原因とされる自殺の記録も明確には存在しないんですね。まさに都市伝説です!また当時はナチス・ドイツによる軍事侵攻の危機が迫るなど自殺者が出てもおかしくない世相だったからか、直接の原因ではないにせよ、自殺を扱った本作が「引き金」になった可能性は大きいのではないかという意見もあります。ただし、当時はポピュラー音楽がそれほど普及していなかったため、自殺しようとする者が残すメッセージとして手に取るものがこれしかなかったのではないかと言う説も。本作のヒットのあとに作曲者の恋人が自殺、作曲者本人も自殺している、なんていう話もありますね!!」

「………あ、はい」

「少女がドナウ川で『暗い日曜日』のレコードを抱えて入水自殺したとかレコードで聴いていた男性が飛び降り自殺をしたとか聴き終えた人が拳銃で頭を撃ち抜いたとか首吊り自殺をした人の足下に『暗い日曜日』のレコードがあったとか……まだまだいっぱいありますけど聞きたいですか?」

「いやまったく」


 表情をほとんど変えないまま興奮した声音で説明する涼白。

 正直あまりの熱の入りっぷりについて行けない。

 涼白はこんなお喋りな奴だったのか………


 俺は少し話題を変えることにした。


「詳しい説明をありがとう。ところでなんで涼白は『暗い日曜日』をかけていたんだ?」


 スピーカーで『暗い日曜日』を再生していたのは涼白だと分かった。

 だがなぜわざわざ部室で流していたのかが気になる。


「そうですね、部室で再生していたことに特にこれといった理由も無いのですが、強いて言えば検証でしょうか?」

「検証?」


 要領を得ず、俺が眉をひそめると、涼白は口端をほんの少しだけ持ち上げて言った。


「はい、曲を聴いた人が本当に自殺するかどうかを検証していたのです」



(:]ミ(:]彡(:]ミ(:]彡(:]ミ(:]彡



「痛いです」


 涼白(すずしろ)が頭を押さえて抗議の目線を送ってくる。


「女の子をぶつとは何事ですか紳士にあるまじき蛮行ですDVです傷害罪で訴えてやります」


 頭をさすりつつ、息継ぎもせずに言い放った。


「涼白って意外とお喋りなのな」

「先輩、私の話を聞いていないでしょう?」


 ジトッと半眼になって睨んでくる。

 涼白は無口で無表情な奴だと思っていたが、その実よく喋り、感情表現も豊かな人間だった。

 表情筋はいまいち仕事をしていないようだが。


「しっかり聞いているぞ。その一発はお前の悪意に対する正当な裁きだ」


 話を聞くと、涼白は5限が自習だったため教室を抜け出して部室にやって来たが、やることも特に無かったので手持ちのスピーカーで音楽を聴いていたらしい。

 そしてふと『暗い日曜日』の噂を思い出し、退屈しのぎにデータを再生して、本当に自殺する気になるのかどうかを検証していたらしい。


 これにはちょっと、いやかなり引いたのだが、心の奥にしまっておいた。


 そして曲の途中で俺がやって来たので、隣の水屋に隠れて様子を(うかが)ってみることにした。

 すぐに出てくるつもりだったが思いの外俺の反応が面白かったので、後ろからちょっと脅かしてみようと悪戯心が働いたらしい。

 あとはさっきの通り。傍迷惑な話である。

 話を聞いた直後に俺の拳が正義の鉄槌として振り下ろされたのは当然の流れだろう。


「先輩、なぜしたり顔なのですか?私は納得していませんよ?あれは立派な暴力です。欲望まみれの男子高校生と八面六臂の大活躍で数々の経済効果を生み出す女子高校生が法廷で争えばどちらが敗北で床を舐めることになるかは明白でしょう。さあ土下座をして財布の中身を差し出し『水月(みつき)様お許し下さい』と命乞いをするなら今ですよ?今ならこの宇宙よりも広い心をもってその罪を許すことを考えてあげなくもないです」


 無表情のドヤ顔というなんとも表現しがたい表情を見せてくれた涼白の頭頂部に2度目の天誅をお見舞いした。


「一度ならず二度までも乙女をぶつとは恥を知ってください。もう言い訳はできませんよ暗い独房のコンクリートの床にのの字を書きながら罪の意識に(さいな)まれて生涯を閉じてください」


 もう一つ分かったことはこいつが毒舌だということだ。


「この程度で終身刑になるのは難しいだろうな」

「罪の意識がないというのですか」

「外傷が残らないように打ち込んだから大丈夫だ。女の子の肌に傷を付けるわけにはいかないからな」

「最低の配慮ですね」


 涼白の俺を見る目がより一層冷たくなった。


「興味があるのは構わないけどな、ここでわざわざやることはないだろうに」

「自殺の曲なんていう美味しいホラー話を逃す手はありません。というか家に帰るまで我慢できそうに無かったのです」

「ホラーね……」

「先輩はホラー系の話題はお嫌いですか?」

「まあ……」


 正直怖い話の(たぐい)はあまり好きではない。

 嘘だと分かっていても心霊系の映像や写真は心臓に悪いので避けているし、その手の本を読むのも苦手である。


 そう言うと涼白はほんの少し眉を寄せた。


「おばけ屋敷などに入ったことは?」

「無いな」

「こっくりさんや百物語をやった経験は?」

「そういうのを始める雰囲気になったら家に帰っていたな」

「心霊スポットに探索に行ったりは?」

「絶対にしない」

「………」


 俺が返事をするたびに表情を険しくしていった涼白は沈黙して、何かをじっと考えている様子だった。


「先輩……」


 呆れたような、哀れむような目で唇を開いた涼白。

 二言目は笑い飛ばすか(ののし)るか。

 いや、涼白のことだから表情を変えないままその毒舌を持って(おとし)めてくるかもしれない。「先輩は臆病者ですね。いまどき小学生でもそんなに怖がったりはしませんよ」とかなんとか言って。


 だがその想像は全く的外れであった。


「先輩、あなたは人生の半分を損しています」

「は?」


 想定外の一言に、思わず間抜けな声を出して固まってしまう。


「先輩は阿呆です愚か者です無知蒙昧すぎます。この世に生を受けたのにホラーに触れずに人生を送っているなんて無味乾燥な食パンを袋から開けてそのままかじりつくような不毛さですよ」

「すまん、全く意味がわからない」

「ホラーは殺風景な人生を豊かにしてくれるのです。我々の理解を超えた次元のなにかが詰まった宝箱、しかもそれは迷宮の奥深くに眠っているのではなく、普段何気なくすごしているこの日常の至る所に隠されているのですよ?それらを見過ごして日々をのうのうと暮らしているなんて勿体なさ過ぎます、つまらない一生を送ることになってしまいます」


 そこで一旦言葉を切り、涼白が一歩詰め寄ってきた。


「つまらない人生で大いに結構です」


 一歩下がりつつそう言ったが、涼白はまったく聞いていない。


「例えば学校はどうでしょう?廊下やトイレ、保健室、理科室、音楽室、美術室、どこかの空き教室、果てはクラスの生徒数にだってホラーな要素は詰まっているのですよ?先輩は今までそれらに対してなんのアプローチもしてこなかったと言うのですか!?」


 なんだか恋愛下手を諭されている気分だが、話題はホラーである。できれば一生関わりたくない分野である。


「する必要性を全く感じないな」


 にべもなくそう言うと、涼白の目が可哀想な人を見る目になった。


「不感症ですか……お気の毒に」

「3発目が欲しいのか?」


 俺は拳を握って涼白を睨んだ。


「冗談です。ともかく、ホラーをこよなく愛する者としてこれは見過ごせない事態です。丁度良く面白い題材があることですし、この『暗い日曜日』を持ってして先輩にホラーの素晴らしさを教えてあげます」

「お断りさせて頂きます」


 ホラー系の話題だけは嫌いなのだ。断固としてこの提案を受けない姿勢を崩さない。


「そんな、お時間は取らせませんから」

「必要ないです」

「絶対に後悔させませんよ?」

「深入りして後悔しそうなので嫌です」

「ちょっとだけです」

「ちょっとも嫌です」

「さわりの部分だけでも」

「もうその段階は終えたので拒否します」

「むう、先輩は頑固者です」

「嫌なものは嫌なんだよ」


 側から見れば美少女に強く求められるという羨ましいシチュエーションなのだろうが、実際はホラー好きがホラーは苦手な人間をしつこく誘っているだけである。羨ましくもなんともないむしろ嫌だ誰か代わってくれ。


 一歩も引かない俺を見て、涼白はため息を一つつくと、剣呑な光を目に宿した。


「こうなったら最後の手段ですね」

「え?」


 涼白は音もなく一瞬で距離を詰めてきた。

 突然のことに俺は全く反応できない。


 そしてなぜか涼白は俺のシャツの襟を右手で、腕の部分を左手で軽くつかんだ。


「えいっ」

「!?」


 いきなりぐっと押されたので後ろに倒れまいと反射的に足を踏ん張り、体を前に動かそうとする。だが涼白はその力の動きに沿って俺を手前に引っ張った。

 自分よりも小柄だといっても涼白の体重は40キロ以上はある。前のめりになった俺はその重さを引き戻すことができず、そのまま倒れこんだ。


「お上手です。先輩なら助けてくれると信じてました」

「危ないだろ、何がしたいんだよまったく……」


 背中から倒れた涼白は無事である。

 とっさに空いた左手を出した俺は涼白の頭を守るように抱え込んだので、畳に体を強くぶつけることは防げた。

 安堵のため息とともに床に手をついて体を起こした時、茶室の(ふすま)が勢い良く開かれた。


「委員会やっと終わったわ!遅れてごめんね。早速部活を……」


 後ろに後輩を引き連れて入ってきた2年の高田(たかた) (とうり)は、中の俺達を見た瞬間に固まった。


「鳴神と……涼白さん?」


 状況を客観視するならば、先輩の男子が後輩の女子を押し倒してる図である。


「ナニヲシテルノ?」


 目のハイライトを消した高田が胸ポケットに挿した赤いボールペンを取り出してカチリとノックした。


「ちょっと待て高田、これは違う。誤解だ!」

「後輩の女の子押し倒してる野郎にしか見えないんだけど?」


 なんとか弁解を試みるが、高田は状況を誤った方向に確信しているようだった。


「鳴神、どこがいい?目?耳の穴?それとも下半身のソレ?」


 カチカチとボールペンをノックする高田の目がマジである。やばいこれ死ぬかも。


「先輩」


 どうにか生き延びる術を模索していると涼白が小さな声で呼んできた。


「な、なんだ?今生きるか死ぬかの瀬戸際でやばいんだけど」


 サリ、サリ、と畳の上をすり足でゆっくり近づいてくる死神(高田)の足音を聞いて背中に冷や汗を流しながら俺は小声で聞き返す。


「先輩がさっき言ったことを受け入れるというのならこの場をなんとかしてあげます」

「ぐっ…ホラーは嫌いなんだよ」

「では先輩は部室で後輩女子を襲った肩書きと高田先輩の制裁が欲しいのですか?」


 前門の虎、後門の狼。だが、涼白の提案を受け入れる方がはるかにいい。

 俺は苦渋の決断をした。


「く……分かった、分かったから!」

「交渉成立ですね」


 「脅迫成功」と俺には聞こえた気がした。


「高田先輩」


 涼白が俺の下から顔を出して声をかけると、高田の瞳に理性が戻った。


「ん?涼白さん大丈夫よ。今こいつを()って助けてあげるから」

「違うのですよ。今さっき私がバランスを崩して倒れたところを先輩が助けてくれたのです」

「鳴神が襲ったわけじゃないの?」

「はい」

「そう、ならいいわ」


 カチッともう一度ノックをして高田はボールペンをポケットに戻した。

 死ぬかと思った。


「先輩、部活が終わっても逃げたらだめですよ?」

「……はい」


 涼白の念押しの一言に、やっぱり(怖くて)死ぬかもしれないと思った。



(:]ミ(:]彡(:]ミ(:]彡(:]ミ(:]彡



 「なぜ俺の家なんだ」


 水月は俺の部屋のコンポに音楽プレーヤーを繋ぐと、振り返ってゾッとしたように自分を抱き、ゴミを見るような目を向けてきた。


「それは私の家に押し入りたいという遠回しな要求もとい欲求ですか?女の子の部屋に入ってあれやこれやしたいという男子高校生の下衆な妄想が透けて見えるようです気持ち悪いです3メートル以内に近づかないで下さい」


 なんなのこの子。俺の心を砕くために降臨した悪魔か何かなの?もうやだ。


「という1%の冗談と99%の本音はさておき」

「ほぼ本音じゃねえか!むしろその1%が気になる!!」

「"3メートル以内に近づかないで下さい"というのが冗談です」

「そうか、他のが本音だということに少しのショックを禁じ得ないがまあ、近寄るなと言われるのは辛いから良かったよ」

「"5メートル以内に近づかないで下さい"というのが本音です」

「もうだめだ心が限界だ旅に出よう」


 自分の部屋にいるはずなのに居たたまれなくなった俺はドアの方へ振り返った。

 だがそこには既に涼白がいた。


「先輩は私の趣味に付き合ってくれるというお話でした。どさくさに紛れて逃亡を図るのはだめですよ」

「心が折れそうになったのも事実だからな」

「あれくらいの冗談を軽く流せないようではこの先ついていけませんよ?」

「正直ついていきたくないです」

「だめです強制参加です。さもなくば高田さんに本当は脅されてあの場は言い訳をしたと言いますよ」

「脅されてるのは俺の方だと思うのだが」

「まあまあ、夕食まで時間が無いことですし、さっそく始めましょう」

「食べていくのね……」


 涼白が家に来た時、やたら興奮して「今夜はお赤飯ね!最高の夕食を作ってみせるわ!」と言ってキッチンに消えた母を思い出す。


 もう帰りたい。ここ自分の家だけど。



(:]ミ(:]彡(:]ミ(:]彡(:]ミ(:]彡



「では先輩はそこに座ってください」


 言われた通りに自分のベッドの上に腰掛ける。

 操作を終えたらしい涼白が俺の隣に腰掛けた。ちょ、あの、近いんだけど……


「寄りすぎじゃないか?」


 肩が触れるか触れないかという距離。隣の涼白から清涼感のあるいい香りが漂ってきて落ち着かない。


「そうですか?でも互いに何かあった時にすぐに対応出来るようにした方がいいと思いますよ?」

「何か起こるの前提なの!?」


 不安で心拍数が少し上がった。

 二重の意味で落ち着かない俺を横から見上げた涼白は口元をうっすらと(ほころ)ばせた。不意打ちのその笑顔に心臓がドキッとする。


「ふふふ……先輩かわいいです。いつもクールにお点前する姿からは想像出来ませんね」

「ホラーは本当に苦手なんだよ……」

「何かそうなるきっかけが?」

「まあ……」

「興味深いです」

「その話はまた今度な」

「つまり早く始めたいということですね?それならそうと言ってくれればいいのですよ」

「え、あ、やっぱり話をしようかな……」

「時間もあまり無いので再生しますよ」

「ちょっ…心の準備がまだっ」


 涼白は容赦なく手に持ったリモコンの再生ボタンを押した。


 スー……という微かなノイズがしばらく聞こえたかと思うと、あの荘厳でどこか不安と恐怖を煽るようなコーラスが部屋全体に響き渡った。


 そしてコーラスが終わると物悲しく、どこか諦めたような声音の女の歌が聞こえてくる。



"Sombre dimanche"

(暗い日曜日)


"Les bras tout charges de fleurs"

(両腕に花をいっぱい抱えた)


"Je suis entree dans notre chambre"

(私は私達の部屋に入った)


"Le coeur las"

(疲れた心で)


"Car je savais deja"

(だって、私にはもう分かっていたのだ)


"Que tu ne viendrais pas"

(あんたは来ないだろうと)


"Et j'ai chante des mots d'amour"

(そして私は歌った)


"Et de douleur"

(愛と苦しみの歌を)


"Je suis restee tout seule"

(私は一人ぼっちでいた)


"Et j'ai pleure tout bas"

(そして声を殺してすすり泣いた)


"En ecoutant hurler la plainte des frimas"

(木枯らしがうめき叫ぶのを聞きながら)


"Sombre dimanche"

(暗い日曜日)



 そこまで聞いた時だった。


「!!?」


 俺は背後に何者かの気配を感じた。


 横の涼白に目を向けるが、表情を変えずに聴き入っているようで、背後の気配には気づいてい無いようだった。

 俺は涼白に声をかけようとしたが、何故か声が全く出ない。

 体も金縛りにあったように硬直して、指一本動かすことすら叶わなかった。


 歌は続く。


"Je mourrai un dimanche"

(苦しさに耐えかねたら)


"Ou j'aurai trop souffert"

(私はいつか日曜に死のう)



 背後の気配がより一層強くなり、俺の心臓は激しく鳴っていた。

 涼白に気づいてもらえるように必死に動いたり声を出そうとしたりするが、何も出来ない。



"Alors tu reviendras"

(生命の蝋燭を燃やしてしまおう)



「!!!」


 背筋を死神の指がつうっと優しく撫で上げたようなおぞましい気配を感じ、心臓が凍りつく。



"Mais je serai partie"

(あなたが戻ってきたとき)



 もうほとんど歌が聞こえない。

 横の涼白の香りも息づかいも何も感じられない。



"Des cierges bruleront"

(私はもう逝ってしまっているだろう)



 視界も段々白くなって。



"Comme un zrdent espoir"

(椅子に座ったままで)



 何も考えることができない。



"Et pour toi, sans effort"

(目を見開いて)


"Mes yeux seront ouverts"

(その瞳は)



 そしてひとりでにゆっくりと、俺の腕が持ち上がり、その手が自分の首に添えられた。



"N'aie pas peur mon amour"

(あなただけを見つめている)



 ゆっくりと力が込められていって。

 息が段々苦しくなる。



"S'ils ne peuvent te voir"

(でも、どうか怖がらないで)



 このままだと自分の息は止まるだろう。

 心臓の鼓動が止まるだろう。


 だが不思議と


 怖くはなかった。



"Ils te diront que je t'aimais plus que ma vie"

(私はあなたを愛しているのだから)



 真っ白になった視界が段々と暗くなり、俺の意識はゆっくりと遠のいていった。


 誰だろう?


 微かに、声が、き、コ、エ、ル………



"Sombre dimanche"

(暗い日曜日)




(:]ミ(:]彡(:]ミ(:]彡(:]ミ(:]彡




……!


………い!!


…………ぱい!!


「先輩!!!」


「!!」


 目がさめると、視界いっぱいに焦った表情の涼白がいた。

 起き上がると、俺は全身にびっしょりと汗をかいていた。


「何があったんだ?」


 少しヒリヒリする首元を押さえながら俺は涼白に尋ねた。


「先輩は……曲の後半で突然自分の首を絞め始めたんです」

「はぁ!!?」

「白目を剥いて泡を吹いて……引きはがそうにも、もの凄い力でなかなかうまくいきませんでした。最後はなんとかやめさせることに成功しましたが………ごめんなさい」


 涼白はその場で低く頭を下げた。


「なんで謝るんだ?助けてもらったことを感謝こそすれ、恨んだり怒ったりするようなことは無いだろう?」

「私の提案で始めたことですので……」


 顔を歪める涼白。

 俺はその頭をぽんぽんと軽く叩いた。


「何はともあれ実際に怪奇現象は起こったんだし検証は成功だろ。結果的になんともなかったんだからそんなに気にするなよ」

「………」

「背後に気配を感じた時はかなり怖かったけどさ、目的は達成したわけだし、どうしてこうなったかをじっくり考えようぜ」

「気配?」

「ああ、曲の途中で後ろに誰かの気配を感じただろ?金縛りにあって全く動けなかったけどさ」


 だが涼白はそれには答えず、眉をひそめるだけだった。


「気配には敏感な方ですが、曲を聞いてる途中、背後に先輩の言うような気配は感じませんでしたよ?」

「え?」

「私が見たのは曲の後半で突然自分の首を絞め始めた先輩だけです。他に誰かがいたようには感じませんでしたが……」

「おいおい………じゃあさっきのは……」


 そこまで言ったところで、突然スピーカーからブツンッという大きな音がした。


「涼白……『暗い日曜日』の再生は終わってないのか?」

「いえ、曲が終わったら切れるような設定をしましたし、曲自体ももう終わってるはずですが……」


 俺と涼白は青い顔を見合わせ、同時にスピーカーの方を向いた。


『ふふふふふふふふふふふふ………』


 あの歌の人物とは別の、背筋がゾッとするような高い女の笑い声が聞こえてきた。



『ふふふふふふ………あーあ、つまんないの。そのまま死ぬかと思ったのに』


 そう言うとまた高く高く女は嗤う。


『ねえ………今度はちゃぁんと死んで頂戴ね?うふふふふふふ……あははははははははははははははは!!!』


 そしてブツンッと言う音がまたして、それきりうんともすんとも言わなくなった。


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― 新着の感想 ―
[一言] うーん、ヒンヤリ(*´ω`*) 中盤まではいつも通りのくらげちゃんだなと思いながら見ていたけども、あのラストは全く想像してなくて背筋がだいぶひんやりしました(´・ω・`) そして本編の更…
[良い点] ヒヤッとしました。 くらげちゃん可愛いです! 文章も安定していて、読みやすかったです。
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