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(g)突進担当
穴山信君は、信玄の姉の子で、駿河遠江攻略を担当し、江尻城代として今川・徳川氏との外交に当たった。1575長篠で無断離脱し、1582徳川氏に降った。本能寺の変のとき徳川家康を護衛中に一揆に殺された。
【鑑定】不可解な行動が見られるが、武田家臣団の賛同を得ていたようで、多くの有為な人材が生き残っている。
飯冨虎昌は、歴戦の猛将で、信虎追放晴信擁立の中心の一人。義信の守役だったが、1565義信謀反事件で引責自害した。
【鑑定】その能力は、戦線で最大限発揮されたようである。義信謀反事件は、失敗はしたが家臣団の多数の支持を得ていたようである。
真田昌幸は、幸綱の三男。人質として信玄に送られたが、各地に転戦し戦功をあげ1575相続。1582織田氏に降った。
【鑑定】信玄からその能力を見抜かれていたようである。織田氏に降るとき、多くの武田家臣が従っている。