暗雲
「先生。剣技の稽古に行ってきます」
「ええ、行ってらっしゃい」
低く、落ち着いた声が部屋に響く。龍は青年へと姿を変えていた。もう少女の身長は越している。青年は人として扱われ、一端の兵として仕えていた。頭も良く、力もある。魔力は自在に操れるようになり、もうほぼ人間と変わらない。
「…」
その後ろ姿を少女は黙って見送った。青年は今、龍と人間の狭間にいる。人間としては完璧になった。龍の、自分の身体について、特徴について、生態、龍のとして生きる術、その全ても教えた。彼も少女も聡明で、彼が人間とも龍とも育てられている事をこれまで誰にも気付かれることはなかった。
人間とも龍とも言えぬ。彼を縛っている事に少女は罪悪感を感じていた。
「龍として生きる事が何よりの幸せ…。私が龍として生きていけないように…」
王に直訴しようとした事がある。そのような事を自分の世話係だった者に仄めかしてみた。
…その日から、少女には監視がついた。
勿論、表立って堂々とはしていないが、少女は早々に気付いた。そして悟る。これが王にとってとても都合の悪い考えであることを。そして同時に恐ろしくなった。何故そこまで王が龍に固執するのか。
私が教わっていない何かが、龍にはあるのだろうか?
その疑問を胸にしまい、少女は従順なフリをした。どれだけ調べても答えは出てこない。しかし、少女は得体の知れぬ嫌な予覚を感じていた。
「私が、なんとかしなくては…」
そう小さく呟き、少女は部屋を離れた。
「ハァッ!」
「甘い甘い」
中庭の、植木に囲われた円のスペースに青年と騎士が剣を構える。騎士は青年の繰り出す剣技を尽く受け流し、バランスを崩した青年を地面に伏せた。腕を取られ、唸る青年。
「もうちょっと相手の動きを見たほうがいい」
「…ありがとうございます」
「なんだ、不満げだな?」
騎士が地面に座る青年に手を差し出すも、青年は手を取らずに立ち上り、砂を叩いた。
「貴方は強すぎます」
ふて腐れたように青年が言うと、騎士は青年のあたまには手を置き笑う。
「そりゃそうさ、お前と違ってこっちは生粋の剣士なんだ。そう育てられたんだよ」
はははっと、騎士が言う。青年は騎士の手を払い、そっぽを向いた。
その時だった。
「…先生?」
青年の目が止まる。中庭から見える城の廊下の向こう側。そこに彼の先生がいた。誰かと話している。
「あの男は誰だ」
青年は少女が城に監禁同様に囲われている事を知っていた。事務的な内容で上の人物と話しているところ以外を見たことが無い。常に同じ部屋で、自分の帰りを待っている。それが青年の知る全てだった。
「どうかしたか?」
騎士が青年の視線の向こうへ目を向けた。青年の毛が逆立ち、目が紅く燃えている。それに気付いた騎士。
「もしかしてお前…」
言いかけてやめる。聞かなくても明らかだった。龍は嫉妬深く、傲慢、そして独占欲の強い生き物だ。それを騎士は知っていた。
「まあ落ち着けよ」
騎士が青年の肩に手をかける。そして耳元で囁いた。
「そんなに不安なら、自分の物にしてしまえばいい。簡単な事だ」
ニヤリと騎士の口角が上がった。