家族ごっこ
家を出た魔緒は、念のために結界を張ろうと魔道書を取り出した。
「ん……?」
とそこで、ポストに新聞が入っているのが目に入る。
「そうか、もうそんな時間だったか」
辺りは既に明るくなりだして、日が昇る寸前である。新聞が配達されていてもおかしくない。
「このままほっとくと、不審に思われるかもな」
そう思い、ポストの新聞に手を伸ばす魔緒。新聞を取り出すと、ポストにまだ何かが残っているのに気づいた。
「チラシか?」
ポストの奥に手を突っ込み、その紙を取り出して、確かめてみる。するとそこには―――
「「ID:MAMON PS:PROTO-TYPE1」……? こっちにあるのはURLか?」
魔緒は暫し思案し、踵を返した。
魔緒は仁奈の家に戻ると、居間に置いてあるPCを起動した。幸い、パスワードの必要なく使用できる設定のようだ。そしてインターネットブラウザを開くと、紙に書いてあるURLにアクセスした。
「こいつは……」
そのページは、フリーメールのログイン画面であった。魔緒は紙のIDとパスを入力してログインし、受信メールを確認した。
「なるほど、フリーメールで連絡を、ってか」
受信箱には、一通のメールが届いていた。件名は「これからについて」。そのメールを開くと、本文に目を通す。
「「午後一時に中央公園にある、003番のコインロッカーを開けろ。鍵は同公園にある男子トイレ、奥から二番目の個室トイレにあるタンクの蓋の裏」。なるほど。けど馬鹿正直に、時間通りに行くことはないな」
魔緒はフリーメールのパスワードを変更。自身の携帯のアドレスを登録し、メールを同時受信できるようにして、再度家を出た。
◇
……十分後、指定された時間より遥か前に、魔緒は中央公園に辿りついた。ここは敷地内に所狭しと芝生が敷かれ、緑豊かな公園となっている。普段は子供で賑わうのだが、今は早朝だからなのか、人っ子ひとりいなかった。
「鍵は男子トイレらしいが……。ここは確か、トイレが三箇所にあるよな」
それ以前に、まだ時間ではないのだが。もしかしたら、鍵がまだ設置されていない可能性もある。
「まあ、片っ端から当たればいいか」
呟きながら、一番近くの男子トイレに入っていった。
◇
……更に三十分後。
「やっと見つけたぜ……」
三つ目のトイレから、ロッカーの鍵を見つけ出した魔緒。急いでコインロッカーのある区画へ向かう。指定された番号のついた扉を見つけて、鍵を開けた。その中には―――
「……」
またしても鍵。そして一枚の紙が入っていた。紙にはこう書かれている。
「「市民ホール内の017番ロッカーを開けよ」……おちょくってんのか?」
しかし、ぼやいても仕方がない。魔緒は速やかに市民ホールへ向かった。
◇
……また更に三十分後。
「またかよ……」
指定されたロッカーにはまたもや鍵と紙が。
「今度は駅か」
仕方がないので、とりあえず駅へ向かう。
◇
……更に更に三十分後。
「……」
そこにもまた鍵と紙が。
「もう止めてくれ……」
魔緒はこうして、昼まで町内を奔走したのだった。
◇
最後のロッカーが空だったので(因みに、ゲームセンターのロッカーだった)、魔緒は一旦、楠川家に戻ってきていた。
「魔緒……」
そんな彼を出迎えたのは、困惑した表情を浮かべる七海と、
「オギャー! ウギャー!」
パトカーのサイレンよろしく泣きまくる、生後間もないと思われる赤ん坊だった。
「……どういう状況なのか分かるように説明してくれ」
魔緒はとりあえず、頭痛を堪えるのに必死だった。
◇
……とにかく赤ん坊が騒がしく話が出来ないので、二人であやすことにしたのだが。
「出たわけでもないみたいだし……腹でも減ったか?」
「どうすればいいのよ……?」
「粉ミルクでも買ってくればどうとでもなるが」
「……私に買いに行けと?」
「その間あやせるなら俺が行ってもいい」
てな感じで、どっちが粉ミルクを買いに行くかで揉めていた。
「牛乳じゃ駄目なの?」
「駄目だな。鉄分不足になるらしい」
「初めて知ったわ」
「あと、たんぱく質がうまく分解できないってのもあるらしいが」
何でそんな知識だけは沢山あるんだ? 子持ちか?
「うぅ~、粉ミルクなんか買ってる所を誰かに見られたらどうするのよぉ~?」
「子猫に飲ませるって言えばいいだろ。子猫にも粉ミルク推奨だ」
「変な噂が立ったらどうするのよ?」
「おい」
魔緒は七海に向き直ると、呆れた様子で話し出した。
「大人の都合で子供に負担をかけていいと思ってるのか? 少なくとも、そのくらいのことでグダグダ言う奴はろくな大人にならんと俺は思う。買いに行くのがそんなに嫌なら俺が行くが、お前はその間、ちゃんとこいつの面倒を見れるんだろうな?」
彼にそう言われて、七海はばつが悪そうに答える。
「分かったわ……私が買いに行く」
「了解」
どうにか役割分担を決め、動き出す二人。やれやれ……。
◇
「買って来たわよ」
七海が戻り、魔緒は沸かしておいたお湯で粉ミルクを作る。しかし、ここで問題が。
「哺乳瓶があるといいんだが……」
「ないわね……」
一緒に買っとけよ。必要だって気づかなかったのか?
「何かおしゃぶりっぽいのがあれば、ペットボトルにつけて代用できるんだが……」
「風船は? ゴム風船ならあったわよ」
「そんなもんを咥えさせられるか」
あれを乳児の口に入れるのは抵抗があるかもしれない。心情的に。
「ならどうするのよ?」
「まあ、非常事態だしな。コップで飲ませればいいだろ」
「飲めるの?」
「別に構わないらしい」
だから何でそういう知識はあるんだ?
「さて、うるさいしさっさと飲ませるか」
◇
……食事を与え、赤ん坊が静かになった頃。
「で、これはどういうことだ?」
「私が聞きたいわよ……」
すやすやと眠る赤子を眺めながら、七海から事情を聞く魔緒。しかし七海の返答は、はっきりしないものだった。
「とりあえず、何があったのか言え」
「突然インターホンが鳴ったから外に出てみたら、この子が置いてあったの」
「……もう一度言ってくれ」
魔緒は額を押さえ、もう一度尋ねた。
「突然インターホンが鳴ったから外に出てみたら、この子が置いてあったの」
だが、返ってきたのは同じ台詞。魔緒は額に当てた手を離して、質問を変えてみた。
「何でそんな無用心に外へ出たのかとか、そんなことは置いておくとして……不審に思わなかったのか?」
「思ったけど、そのまま放っておくわけにはいかないでしょ?」
「まあ、それもそうだが……」
かつて捨て子だった彼も、現在の家族に拾われたからこそ今の自分があるわけで、それに関してはあまり強く言えなかった。
「にしても、出るときに張っといた結界も見事に壊れてるし……。これも奴らの仕業なのか?」
だとしても、赤ん坊を置き去りにすることの意図が分からない。
「それより、どうしたいいのかしら、この子?」
傍らで寝息を立てるこの乳児は、身元を示すものを何も持っていなかった。親元へ返すのも難しいだろう。
「暫く面倒を見るしかないだろ」
「それはそうだけど……いつまでよ?」
「勿論、親も捜すさ。それで見つからなければ、そんときはちゃんとした所に引き取ってもらう」
「そう……分かった」
七海は渋々といった様子で、彼に頷いた。
◇
……そういうことになったのだが。
「また泣き出したわよ!」
数分足らずで、またも赤子は泣き出してしまった。
「さっきは食ったから今度は出たんだろ」
「何とかしてよ!」
「なんか要らない布キレがあれば布おむつが作れるんだが……」
作れるのか……。お前一体何者なんだよ?
「紙おむつはないの!?」
「何でさっき一緒に買わなかったんだよ?」
確かに、それくらいは想定できそうだが。
「知らないわよ!」
逆切れするな。慌てすぎだ。落ち着けよ。
「まあいい。買ってきてくれ。若しくはその間あやすか」
「……あやすほうで」
「了解」
魔緒は赤子を七海に託し、紙おむつを買いに外へ出た。
◇
「買ってきたぞ」
「遅いわよ!」
未だに泣き続けている赤ん坊の声に混じって、七海の叫びが聞こえてくる。
「そうか? お前よりは早く買ってきたと思うんだが」
七海が粉ミルクを買う際の所要時間は約三十分。対して、魔緒が紙おむつを買うのに掛かったのは十五分ほどだった。
「いいから何とかして」
「へいへい」
魔緒は、赤ちゃんが最初から穿いているおむつに手を掛け、一気に脱がした。
「あ、こいつ女か」
「ちょっと待った!」
七海が魔緒と赤子の間に割って入る。
「何だよ?」
「何だよ、じゃないわよ! 何で女の子の下半身見てるのよ!?」
「いや、見ないと替えられないだろ」
それに相手は乳児だぞ。父親が子供のおむつを替えることも多いわけだし、別にいいじゃないか、そのくらい。
「文句があるならお前がやれ」
「……目を瞑ってやって」
「無茶言うな」
「いいから、早くしなさい」
自分はやりたがらないくせに、他人のやり方にいちゃもんをつける。悪い大人の実例そのものだな。
「とりあえずやってみろよ。将来子供を産む気なら、こういう経験は貴重だぞ」
「そこまで言うなら……」
というわけで、七海がおむつを替えることになったのだが……。
「うっ……」
口を手で押さえ、顔を背ける七海。そんなに駄目なのか?
「それから、つける前に尻を拭けよ」
対して魔緒は、一緒に買ってきたお尻拭きを七海の横に置く。準備がいいな、誰かさんとは違って。
「何よ、この匂い……?」
「別に匂いなんかしないだろ」
「するわよ……」
乳児の便は匂わないと聞いていたが……。単なる錯覚では?
「どれどれ、ちょっと嗅がせてみろ」
「駄目!」
それはあくまで嫌なのか。我侭すぎる……。
「なら頑張れ」
「うぅ……」
ファイト、七海。
◇
……おむつ交換もどうにか終わり、再び静寂が訪れる。
「まったく、匂う匂うって思ってるからそう思えてくるんだろ?」
「う~……」
七海は未だ、おむつ交換の後遺症のために、ぐったりとしていた。
「大体貴方、何でそんなに手馴れてるのよ……?」
「前にいとこの世話をさせられたことがあったんだ」
なるほど、道理で無駄に知識があったわけか。
「ま、これで次回からはある程度気が楽になっただろ?」
「次回があるのね……」
いや、そこまでげんなりせんでもいいだろうに……。
「とにかく、こいつの身元を調べないとな」
「調べるって言っても、どうするのよ?」
「まあ、警察に頼むのが手っ取り早いだろうな。……個人的には気が進まんが」
「どうして?」
「俺も犯罪者だからな、一応」
とある理由によって色々汚れたことをしてきた彼は、今もそれを後ろめたく思っているのだろう。
「でもまあ、それでこいつの親が見つかるならいいさ」
「―――貴方って、ほんとに立派よね」
「そうか?」
魔緒は意外そうに言った。対して七海は頷きながら続ける。
「子供のためなら何でもする、何だって出来る。たとえ自分がどうなっても。……そう言っているように見えるわ」
「割と普通だと思うんだが」
「普通じゃないわよ。―――少なくとも、私の両親はそうだったもの」
七海の呟きに、魔緒は自分の失言に気付いた。だが既に、彼女の表情は曇ってしまっていた。彼女は、両親の離婚が原因で妹と生き別れてしまったのだ。
「もし、両親が貴方みたいな人なら……私たちは、離れ離れになんてならなかったわ」
別にそれを悔いるわけでもなく、ただ羨むかのように七海は漏らした。魔緒は、そんな彼女にかける言葉を探す。
「―――けれど」
そして、とりあえず思いついたままに話してみることにした。
「お前は、お前と楠川は、その親がいたから生まれてこれたんだろ。だったら、そういうことは言わないほうがいい」
魔緒自身は、実の親が誰なのか知らない。それを知る手掛かりもなく、自分を拾ってくれた家族と生きてきたのだ。だからこそ、実の親がいる七海には、その親を大切にして欲しいのかもしれない。
「……そうね。そう通りかもしれない」
そんな想いが通じたのか、七海はそんな言葉を口にする。
<ピピピピピ>
と思ったら、いつぞやの電子音が鳴り響いた。
「……メールだ」
それは魔緒の携帯に設定されている着信音。……もっとましなのはないのだろうか。
「……」
「どうしたの?」
メールの文面を見て硬直する魔緒。それを不審に思った七海は、彼の携帯の画面を覗き込んだ。そして、そこには―――
「「プレゼントはお気に召したかな?」だと……」
更なる着信。そのメールも開いて、目を通す。
「「翌午後七時に送るメールにて呼び出す。それまでせいぜい、家族ごっこをお楽しみあれ」……喧嘩売ってるな、これは」
淡々と内容を読み上げ、少々苛立ちながら感想を口にする魔緒。おちょくられているみたいだから、やっぱり不愉快か。
「「家族ごっこ」って……もしかして私たち、監視されてるの?」
七海は妙に鋭いし。女の勘だろうか?
「そのくらいは予想してたけどな。今更、驚く気にもなれん」
「大変じゃない……!」
七海は慌てて部屋のカーテンを閉めた。そのくらいでどうにかなるとは思えないが。
「なんか奴らの思惑通りに動いてる気がしてならないが……」
魔緒は、傍らで寝息を立てる赤子を眺めながら、
「それなら、明日の夕方までは、大人しく「家族ごっこ」でもしてるか」
とても穏やかな表情で、そう言ったのだった。