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絶望の中から芽を出す希望


  ◇



 ……一体、どれほどの時間が経っただろうか。魔緒はとっくに静まっていて、それでも、ずっとその場を離れないでいた。彼女の命を奪った右腕を元の形に戻す以外は、まとも動作すらしていない。茫然自失としたまま、ずっとそこに佇んでいた。

「……ん?」

 そんな放心状態にある彼の耳に、何やら物音が聞こえてきた。気になって、よく耳を澄ませてみると、それは最近どこかで聞いた音―――というか声だった。

「もしかして、赤ん坊か……?」

 どうしてこんなところに? とは思ったが、ここは自分たちを作った施設らしいから、もしかすればその一環で用意されたのかもしれない。しかし、自分たちを作った者はとっくにこの世を去っているとのことたった。だとすれば、それではここに赤子がいる説明がつかない。

「とりあえず、行って見たいところだが……」

 とはいえ、仁奈の亡骸をこのままにしてはおけない。致し方なく、魔緒は彼女をお姫様抱っこの要領で抱えて、声のするほうへ行ってみることにした。



 声の発生源は存外近かった。そこは小さな部屋で扉もなく、中には、壁際に備え付けられた小型のベッドが一つあるだけだ。そして、そのベッドに寝かされていたのは―――

「……っ!」

 白い髪、赤い瞳を持つ赤子。そう、その姿はまるで、魔緒や仁奈をそのまま小さくしたかのようだった。

「こいつは、一体……?」

 この容姿を持っているのは、魔緒と仁奈を含め、八人しかいないはず。なのに、これはどういうことなのだろうか?

「……いや」

 そこで、思い出したのはアスモの言葉。確か彼女は、最期にこう言い残していた。「マモンはね、試作品が三体作られたの。うち一体は失敗作で、あとの二体は、どちらを「マモン」にするか決めるために、実験台となったのよ」と。つまり……。

「こいつは、「失敗作」のほうか」

 何を以って失敗としたのかは分からないが、恐らくこの子が、残る一人なのだろう。

「……とりあえず、連れて帰るか」

 魔緒はいつの間にか、自分が抱いている少女のことよりも、目の前で泣いている赤ん坊のほうが気にかかっていた。それは薄情と呼ぶべきか、或いは立ち直りが早いと言うべきか。

 とにかく魔緒は、その赤子を連れて、ここを出ることにした。過去の命を象徴する骸と、新たな命のシンボルである赤ん坊を、それぞれ抱えて。



  ◇◇◇



 ……時が流れ、もう五年もの歳月が経過していた。


「……もう、五年になるのか」

 この小高い丘の上には小さな石が墓標のように置かれていて、その前には三人が―――男が一人と、幼児が二人、立っていた。男は、真っ白な前髪を掻き上げながら呟いた。その赤い瞳はまるで、粗末な墓石を通して、遥か遠くのものを見ているようだ。

「……パパ?」

 男の足元にいた女児が、心配そうに彼を見上げていた。その純白な髪といい、ルビーのような紅の瞳といい、その容貌は男とそっくりだった。

「パパ、どうしたの……?」

 もう一人の女児も問いかけてくる。こちらは黒髪に漆黒の瞳で、標準的な日本人の子供みたいだ。

「いや、何でもない。大丈夫だ」

 すると男は、しゃがんで子供たちと目線を合わせ、優しく微笑みかけた。

「……さてと、そろそろ行くか」

 すると男は立ち上がり、女児たちを連れて、その場から離れようとする。

「……ん?」

 しかし、彼らの前方から、誰かがやって来た。

「あら、奇遇ね。陰陽魔緒」

 現れたのは、妙齢の女性。真っ直ぐで長く艶やかな黒髪と、やや鋭い目付きが特徴的だ。そしてその姿は、男にとっては懐かしく―――そして、後ろめたい気持ちになってしまうものだった。

「……ああ、本当に奇遇だな」

 男は―――魔緒は、なんでもない風を装って女性に答える。だが、内心は動揺で溢れ返っていた。……何故、彼女がここに? という疑問の嵐が、彼の心を支配しているのだ。

「パパ……?」

 黒髪の女児が、魔緒を不安げに見つめていた。女性は女児に気づくと、顔を綻ばせて話しかけた。

「あら、ひとみも久しぶり。大きくなったわね」

「……だれ?」

 自分のことを知っているらしいと分かり、多少警戒心を解いて尋ねる女児。すると女性は、少々落胆した様子で答える。

「まあ、最後に会ったのは五年も前だし、覚えてるわけないわよね……。私は七海よ。そこのパパ? とは友達なの」

「パパの、ともだち……?」

「ええ、そうよ。ね?」

 女性―――七海は、同意を求めるように魔緒へ視線を移した。

「……ああ、そうだな」

 すると、魔緒は渋々といった感じで頷く。その言葉に、女児たちはいよいよ警戒を緩めた。が、れでも人見知りするほうなのか、魔緒の後ろからは出てこようとはしないが。

「……それで? 今日はどうしたんだ、こんなとこまで」

「―――決まってるじゃない」

 言うや否や、七海は魔緒に抱きついた。

「お、おいっ……!?」

「―――どうして」

 戸惑う魔緒の声を遮るように、七海が言葉を紡ぐ。

「どうして、私の前から消えたのよ……? あの日、仁奈を失って……その上、何で貴方までいなくなるのよっ!? ずっと……ずっと、寂しかったんだから」

 最初は、問いかけるように。次は、責め立てるように。そして最後は、嗚咽混じりに、縋り付くように。七海は、長年溜め込んだ想いを、魔緒にぶつける。

「……確かに、貴方を拒絶したのは私のほうよ。虫のいい話なのは分かってる。―――けど、私には貴方しかいないの……。あの子の、仁奈の最期を知っているのは、貴方だけなんだから……」

 彼女は目に涙を浮かべながら、それでも、懺悔と懇願の想いを口にする。あの日、魔緒と七海の間に何があったのか。その後、彼女がどういう心境でこの長い時間を過ごしたのか。想像するだけなら容易だが、理解するのは到底無理だろう。

「―――そうか。それは済まないことをしたな」

 魔緒は、そんな彼女の肩に、そっと手を添えた。七海は顔を上げ、彼を見上げる。

「俺はずっと、お前に恨まれていると思っていたが……とんだ勘違いだったようだな」

 魔緒は右手の指で、七海の涙を優しく拭った。その表情は、安堵と後悔、二つの感情が入り混じっているようだった。

「とはいえ―――俺はまだ、あいつのことを引き摺っている。それに、今度もずっと引き摺ると決めた。……だから、俺はお前のことを、異性として見ることはない。お前が望むような関係には、絶対になれない。……それでも、いいか?」

 七海とは、男と女の関係にはなれない。それでもよければ一緒にいよう、と魔緒は言っている。はっきり言って、身勝手なことこの上ない申し出だ。

「……そうね。あの子を差し置いて、私だけ貴方に言い寄れば、ただの嫌な女だもの」

 しかし七海は、あっさりそれを受け入れた。魔緒は黙って頷くと、両手を、足元にいる女児たちに向けて差し伸べた。

「じゃあ、そろそろ行くか」

「「……うんっ!」」

 女児たちは魔緒の手を握り、彼と共に歩き出す。七海は彼らに並んで、親子たちを見守るように、歩調を合わせて歩いていった。それはもう、一組の家族と呼んでも、差し支えないものだった。



  ◇◆◇


 道が、別の道を遮って塞いでも。そこから新たな道が生み出される。そうして世界は、道を作り、壊し、繋がっては分裂しを繰り返して、その姿を変えていく。その道を歩む者が、昨日よりも強くなれるようにと、願いながら。


    ~THE END OF ROAD 3~

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