殲滅
「……ったく、後味悪いったらありゃしねぇ」
魔緒はホールを出ると、再び薄暗い通路を歩いていた。彼の脳裏を過ぎるのは、先程戦ったアスモのこと。自ら死を望み、仲間を、家族を手に掛けてまで、魔緒に殺されることを選んだ少女のことだ。
(あいつ、最期に気になること言ってたな)
彼女が残した言葉を、一つ一つ思い出していく。その中でも特に、この先にいるという、二人の少女のことを。
(一人はベルフェ。俺が会ったことのある奴らしいから、多分……あいつだな)
思い浮かべたのは、仁奈を拉致した少女の顔(正確には、顔はフードで隠れて確認できなかった)。彼女は弓の使い手で、魔緒もそれによってダメージを負ったのだった。
(そしてもう一人……マモンツーって言ったか?)
そちらの方は、名前はおろか、顔にも心当たりがない。なので、アスモから聞いた話から、その人物像を捉えようとするのだが。
(あいつ、見た目も性格も、特徴らしい特徴を一つも言ってなかったよな……)
唯一、「常識に囚われている」とは言っていたが、それだけでは何も分かっていないに等しい。
「ま、会えば分かるか」
最早考えてどうにかなるものではないと判断した魔緒は、思考を中断して、次の部屋へと急いだ。
「……行って来る」
ベルフェは、残された一人の少女にそう言って、部屋を後にした。
「……ふぅ」
溜息を吐くのは、残された少女―――マモンツー。束ねていた白い髪を解いていて、うっすらと開いた目には赤い瞳が揺れている。何かを決断できなくて、悩んでいるのかもしれない。
(―――あと、一人。あと一人殺されれば、彼は私の元へ来る……)
手にしたレイピアを握り締め、悔しそうに唇を噛み締める少女。何かを迷い、躊躇い、葛藤している様子が窺えた。
(そうしたら、私は―――)
幾度となく繰り返した、その思考に、終わりは訪れるのだろうか?
……次に辿りついたのは、まるで病室のような、真っ暗な部屋だった。壁の両側にベッドが並べられ、それが部屋の奥、数十メートル先まで続いているのだ。床には包帯やガーゼが散乱していて、ベッドからはアルコールか何か、薬品の匂いが漂ってくる。病人や怪我人が使っていた場所なのだろうか。
「こりゃまた、妙なところに来ちまったな」
とはいえ、ここは病院なのだから、病室があるのは至極当然であろう。
「おーい、また誰かいるのか?」
「……いる」
魔緒が呼び掛けると、病室の奥から返事があった。
「……私はベルフェ。……まだ名乗ってない気がするから、とりあえず言っておく」
奥の扉から入ってきたのは、手製の弓を携えたローブの少女、ベルフェ。魔緒は驚きもせず、構えを取ることもしない。ただ、予想通りだと言わんばかりの表情で、彼女に話しかけた。
「大方予想はついてたぜ。ちゃんと名前は聞いてるしな。……で? お前も自殺願望者か?」
「……その言葉の真意は測りかねる。……けど、多分違う」
「違う、だと……?」
問い返すと、ベルフェは静かに頷いた。
「……私は別に、積極的に死にたいわけじゃない。……ただ、この場にいるのはあなたのため」
「―――意味が分からん。言いたいことがあるならはっきりしろ」
魔緒が苛立ち混じりに言うと、ベルフェは人差し指を一本立てて、続ける。
「……一つ、もしあなたが私を殺したなら。……あなたは、この先が楽になる」
そして、二本目の指を立てた。
「……二つ、もし私があなたを殺したなら。……あなたは、この先に進まなくていい」
更に三本目。
「……三つ、もしあなたがここで逃げたら。……あなたは、辛い思いをせずに生きていける」
四本目。
「……四つ、もしあなたがこれで諦めれば。……あなたは、「あの子」に会わなくて済む」
指を全て下ろして、ベルフェは手にした弓を魔緒に向けて構える。
「……どう? ……とりあえず、不幸になりたくなかったら、今すぐどれか選んで」
「そうだな。そんなに言うなら選んでやるよ」
魔緒は魔道書を開くと、暗闇でも分かるほどに赤い瞳を彼女に向けて、答えた。
「一の、「お前を殺す」だ」
「……そう。……残念」
ベルフェはぽつりと、本当に残念そうに、そう呟いた。
「……ならせめて。……私の手であなたを殺す」
そして弓に矢を番え、限界まで引き絞る。って、さっきの選択肢はなんだったんだ?
「魔術解放。狩人の弓、闇を掻き消し、天に還る。射抜け閃光」
魔緒は手早く詠唱を行うと、開いていた魔道書を閉じた。すると魔道書の上下から、光が棒状になって飛び出した。それが手前のほうへたわむと、その先端から細糸のような光が伸びて、棒の両端を結ぶ。その姿はまるで、ベルフェが使っているのと同じ形の、弓そのものであった。
「……何故、弓?」
「合わせてやったんだよ」
首を傾げるベルフェに、魔緒は不遜な態度で答える。光の弦に指を引っ掛けると、ベルフェのように引き絞り、弓全体を彼女のほうへ向けた。
「……矢がない」
「安心しろ、ちゃんとあるさ」
言うや否や、魔道書の中央が輝き出し、それが前後に伸びた。それはまるで、彼が頻繁に使用する魔術、「閃光の矢」のようであった。
「さ、今すぐ殺してやるからさっさと観念しろ」
「……それは御免」
その言葉が引き金となったかのように、両者は番えた矢を放った。互いの矢が接近し合い、擦れ違い、それぞれの目標へ向かって真っ直ぐ突き進んでいく。
二人ともが相手の矢を横に飛んで躱し、第二撃を放つ体勢に入った。ベルフェは矢筒から新しい矢を取り出して番え、魔緒は弦を引いて光の矢を再形成する。
「はぁっ……!」
同時に魔緒は、目の前に置いてあるベッドを片足で持ち上げて、盾のように立てた。
「……!?」
それによって、ベルフェの手が止まってしまう。彼女は魔緒と違い、矢を手動で番えている。そのため、不用意に放って外してしまえば、或いは防がれれば、その隙にやられてしまう。
「魔術解放」
そして紡がれる言葉。これは、魔緒が新たな魔術を発動しようとしている証だった。
「閃光の将を名乗りし、星屑の騎士。輝く雨粒を喰らいて、闇を貫け。砕け散れ閃光」
ベッドの前に、幾多もの光球が現れる。それらは詠唱の通り、砕かれた星屑のように空間に散らばって、小さな天の川を思わせた。
「閃光の星屑ッ!」
叫ぶように呼ばれた魔術名が、星のような粒を一斉に弾けさせる。点は線となり、瞬く無数の矢へと姿を変え、ベルフェに襲い掛かった。
「……回避優先」
ベルフェは手に持った矢筒を弓ごと捨て、迫り来る幾多もの矢をサイドステップで躱していく。
「……くっ」
けれども、流星の如く迸る閃光を、全て避けきるなど出来るわけがなく。数本の矢が、彼女の脇腹を掠めていった。
矢の雨が収まる頃、ベルフェは負傷した脇腹を押さえながら、魔緒が隠れているであろうベッドに視線を向ける。
「結構しぶといんだな」
その奥から姿を見せた魔緒は、光の弓を放棄した魔道書を開きつつ、溜息を漏らしていた。対するベルフェは、矢のない弓を引き絞り、答えた。
「……あなたは、これ以上進まないほうがいい。……これは、私に出来る唯一の忠告」
「黙れ」
彼女の言葉を魔緒は一蹴する。
「俺は、お前らが巻き込んだ楠川を連れ戻さなければならない。お前と、お前の仲間を倒せば、楠川を助け出せるんだからな」
仁奈を絶対に助け出す。そんな強い意志の篭った魔緒の言葉に、ベルフェは小さく首を振った。
「……一つ、誤解がある。……楠川仁奈は、巻き込まれた訳じゃない」
「何……?」
彼女の言葉に、魔緒は眉をひそめた。ベルフェは続ける。
「……楠川仁奈は、そもそも関係者。……彼女が関わるのは、寧ろ必然」
仁奈を拉致した張本人が、そんなことを口にする。それと同時に、ベルフェは弓の弦を絞っていった。
「……楠川仁奈の存在が、この計画の要だった。……つまり、彼女がいなければ、あなたがここにいる可能性もないと言っていい。……だって、彼女は―――」
「黙れっ!」
魔緒の叫び声が、彼女の台詞を遮った。そして、顔を伏せた彼は、ゆっくりと魔道書のページを捲っていく。
「魔術解放。閃光の将を名乗りし、星屑の騎士。輝く雨粒を喰らいて、闇を貫け。砕け散れ閃光」
紡がれた言葉が詠唱となって、魔道書に収められた魔術を起動する。それは、先程放ったものと同じく、彼の周囲に光の粒を撒き散らしていった。
「閃光の―――」
光点は急速に長さを得て、輝く矢へと形を変えていく。それらの向かう先は勿論、彼と対峙するベルフェ。
「―――星屑ッ!」
矢が、光の速さを持ってベルフェに飛んでいく。それも、一本ではなく、数百数千という単位で、彼女に襲い掛かった。
「……っ!」
あらゆる方向からの急襲を全て避けるのは不可能だと判断したのか、ベルフェは武器を捨てて地面に伏せ、丸くなって凌ごうとしていた。そんな彼女の背中に、光の矢は容赦なく降り注ぐ。
「……ぐっ! ……ぁっ!」
ぐさり、と、矢が皮膚を突き破る音。それに混じって、ベルフェの呻き声も聞こえてきた。だが矢の雨が収まった頃には、それらの音はこれっぽっちもしなくなっていたのだった。
「……ふぅ」
それで倒したと思ったのか、溜息と共に、魔緒は光の矢を消した。そこにはベルフェの死体があるはずだが、彼はそれすらも確認せず、奥の扉へと向かった。