瞬間の雪 3
彼女は、てくてくと俺の方に歩いてきて、両手でボールを手渡した。その時、微かに指が触れた--が、春山さんはそんな事など一切気にしていない。
「部活?」
「ああ、サッカー部だよ」
答えると、春山さんは「そうなんだ」と小さく笑った。俺は「ありがとう」を言うタイミングを逃した。しかし、今はそれどころではない。
「……?」
春山さんが、じーっと俺を見つめる。その状態のまま、静止。
……俺の顔に何か付いているのか?それとも汗臭かったのか?とりあえず、理由は後回しにして、俺はとにかく目のやり場に困った。彼女の茶色の髪は、ふんわりとシャンプーの匂いがするし、その頬は花が咲いたような淡いピンク色だ。かと言って、その大きな目を見つめ返すのは……何だか出来ない。
「優木君。今日、ありがとう。数学の時間」
「えっ?」
不意打ちの言葉に、拍子抜けた。それから少し遅れて、胸の辺りが熱くなった。
そんなこといいのに。という気持ちと、覚えていてくれて嬉しいという気持ちと。たまらなく嬉しくなった。
やっぱり、そうじゃないか。宮の言う通りじゃないか。
春山さんの一つ一つが特別で、目が離せなくなること。春山さんの前で、正常を保てなくなること。こんなに単純で真っ直ぐな感覚、俺にだって分かる。もう、分かるんだ。
「何で、泣いてたの?」
ほとんど、勢いだった。
俺の勇気の塊は、言葉になって、春山さんに飛んでいった。彼女は初めは驚いたような顔をしていた。それからしばらくして、ちょっとだけ俯いた。
普段の俺なら、こんな気まずい沈黙に負けてしまうだろう。しかし、今日は違った。
「春山さんの力になりたいんだ。教えてくれ……!」
何て馬鹿みたいに大胆な台詞を言ったんだろう。だけど、その言葉で、春山さんは俺の方を見てくれた。
体温が三度は上がってしまったような、そんな火照り。力を込めた拳に、見開いた瞳。俺を構成する要素の全部が、緊張している。お願いだから教えてくれ、と何度も何度も叫ぶように。
「……野球部の先輩」
「先輩?」
先程まで感じなかった、桜の匂い。
頬を赤らめた春山さん。俺は、そんな春山さんが好きだ。好き……だけ、ど。
「好きな人がいて、そのことについて悩んで泣いたの」
春山さんが、そんな風に悲しそうな目で言うから。俺は、動けなくなってしまった。
これで第一章は終わりです。ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。第二章から、ようやくこの物語を進めることができる。そんな気持ちです。これからも読んでいただければ嬉しいです。