第86話 たった一つの温もり
12月2日、月曜日。
慶島リュウは、1週間振りながら特に変化の無い学生生活を過ごしていた。
「そういえば」
不意の声に、例によって彼の後ろの席に座っている添木レイタは眠そうな目を上げた。
「あれから、カナエちゃんに会ってない」
「あれから?」
「あの日から」
ああ、とレイタは納得する。
あの日といえば、あの悪夢の様な病院での一時を指す。
わざわざ、言葉にしなくても分かることだった。
「会ってなかったのか」
「会ってないんだよねー」
「へえ」
「うん」
「で?」
「カナエちゃん、放課後空いてるかな」
ちゃんと礼を言っとかないと、とリュウは付け足す。
しかし、リュウ自身もあの時、意識を失いかけていたあの時一二三カナエの声がしたからカナエに助けられたんだろう、と決め付けており。実際に、本人やSCMの人に確認をしたわけではなかった。
だが、それでも正体不明の確信が彼にそれが真実だと告げていた。
次の言葉を待つリュウに、変わらず眠そうにしながらレイタは「多分、大丈夫だろう」とぶっきらぼうに言った。
「もう、忙しくないかな?」
「今は、別件でごちゃごちゃしてるってのは風の噂で聞いたけどな」
「別件か」
「詳しくは知らんけどな」
でもまあ、とレイタは唐突に横に立った者に視線を移して続ける。
「2年組は、大丈夫なんじゃね」
「何の話してたの?」
彼に続く様に、顔を上げたリュウの目に写ったのは双葉ヤヨイだった。
「もう、お昼だよ? 一緒に食べよ」
「おう……」
閉じそうな瞼を擦るレイタを、引っ張るように彼女は立ち上がらせた。
「リュウ君もどう?」
「いや、俺はちょっと用があるから」
そっか、と返したヤヨイは、そのままレイタを引っ張るようにして教室を出て行った。
――付き合ってんだよな……。
実は、今年度に入ってから始めて、リュウはレイタと共に昼食を取らなかった。
ヤヨイの誘いにのるのもよかったのだが、彼なりに空気を読んだつもりだった。
――さて、1人で食べるか。
自作の弁当を鞄から取り出し、彼は静かに袋の紐を解いた。
いつもより長い時間を感じ過ごした授業を終え、リュウは疲れ顏で2年の教室に足を運んでいた。
そして、3年の教室のすぐ下の階に位置する2年の教室前の廊下に到着した所で、彼はあることを思い出す。
――俺、カナエのクラス知らねえ!
そもそも、カナエと一緒に行動したのがタッグトーナメントと文化祭ぐらいのものであり、加えて上記の時に彼女のクラスに足を運ぶ機会が無かった。
しかし、うろうろしてたらその内会うだろ、と彼はまだ人が疎らにしかいない廊下の端から端へと往復を始めた。
何往復かの後、彼は不意に背後から声をかけられた。
「あれ? リュウ先輩じゃないですか!」
元気な声をかけてきたのは、カナエの友人である双葉ミエだった。その隣には、同じく友人である羽風ユウの姿もある。
「どうしたんですか?」
「いや、ちょっとカナエちゃんに用があってさ」
「ほほう、だからここら辺をうろちょろしてたんですね」
「あれ、気付いてた?」
「注目の的でしたよ」
その言葉を聞いた瞬間、リュウは所謂「穴があったら入りたい」状態に陥るも、グッと堪えてカナエの居場所について彼女に訊いた。
「D組ですね。まだ、教室に居るかな」
と、既に人が出始めている教室に3人は視線を移す。
「カナエは、直ぐ帰っちゃう人ですからね」
「ふーん、真面目なんだな」
「いや、真面目というか、なんというか……」
珍しく言葉を濁したミエに少し違和感を覚えながらも、リュウはD組内を覗きに出てくる人を避けつつ教室内へと入って行く。
「やっぱ、居ませんね」
同じく、後を付いてきたミエが呟いた。
2人が、ザッと見た限りでは教室内に彼女の姿はない。
「急用だったんですか?」
「いや、別に急用ってほどじゃないよ」
会えないなら会えないで、また明日会えばいい。
リュウは、帰る為に踵を返す。
「あれ? リュウ先輩?」
振り向いた先に居た一人の少女。
その唐突な出来事に、リュウは一瞬言葉を失った。
場所は変わって食堂。
人が疎らに居るその空間の片隅の席に、リュウとカナエは座っていた。
「あの」
少しの沈黙を破るように、少女の声が発せられる。
「えと、今回はどういった用でしたか?」
他人行儀になった言葉に、彼女は少し後悔する。
あの日以来、リュウに会いづらい感覚が彼女を包んでいた。
それが、どうしてなのか。カナエは、分かりかねていたが、本人を前にしてようやくその謎が解けたような気がしていた。
「いや、大した用じゃないんだけどさ」
ただ、礼を言うだけ。
ただ、それだけだが、リュウは言葉を出せずにいた。
「その、この前の事でさ」
「この前?」
「ほら、病院で」
「…………」
「助けてくれたんだろ? だから、一言礼を言っとこうかなと……」
「助けたのは私じゃないですよ」
「いや、それでも……それでも、カナエちゃんが呼び掛けてくれたから、だから、俺は頑張れたんだ」
気恥ずかしそうに、視線を彼女から逸らしリュウは言った。
あの時、絶望に、恐怖に呑まれたリュウを救い出したのは間違い無くカナエの声だった。
また、視線を下に向けたリュウと同じように、カナエもまた視線を下に向ける。
恥ずかしさでは無く、嬉しさから。
「そんな事、よくストレートに言えますね」
「いや……うん。結構恥ずかしいな」
「女の子みたいです」
「俺は、1から10まで少年のつもりだ」
ふふふ、と微笑を浮かべ、カナエは改めてあの日の事を思い出す。
悪夢のような、過去を重ねたあの日を。
「もう、無茶しないでくださいね」
「……えっ?」
「リュウ先輩に何かあったら……あったら、少なくとも私が悲しみますから!」
そう言い切ると、カナエはガタンと椅子から立ち上がり鞄を持った。
「だから、今度こんな危ない事したら許さないです!!」
カナエは、その声を静かな食堂に響かせ、踵を返し走ってその場を後にした。
あまりの突然の行動に思考を白くしながらも、リュウは彼女の顔を思い出す。
その目に涙を浮かべている事を、しかしその表情は晴れやかだったことを。
「言ってよかった……」
呟き、リュウはバッと鞄に顔をうずめた。
次回予告
「絶対に友達になってやる!」
古場リオにはやるべき事があった。それは、札切アンズと友達になること。
次回「笑顔が一番!」




