第84話 だりだり のかか
「(じゃあ、今から道順指示するから。今度は切らないでよ)」
ショウイチ、ルミナス、ねここの3人は、SCMに向かうため部屋を後にしていた。
今回、サヤの指示に従い研究員を避けつつSCMへと向かう。その後、地下研究所にてねこになる方法を使い、ねこに戻って研究員をやり過ごす、というのが今回の作戦の概要だった。
「(まあ、D地区内には研究員4人しか居ないから。まず、見つかる事はないと思うけどね)」
「へえ、探知タイプとかはいないの?」
「(いたら、とっくに捕まっちゃってるはずでしょ)」
それもそうか、とアパートの階段を降り切ったショウイチは呟いた。
サヤの言う通り、D地区内には先ほど3人が遭遇した男女を含めて4人しか入っていない。
そもそも、今回ねここを捕獲しようとしている研究所の規模はそこまで大きなものではなかった。そのせいで、SCM自体もそこまで今回の捕獲作戦に人員をつぎ込んでおらず、メンバーもSCMからはチームDの3名のみとなっていた。
すなわち、今回3人がSCMに到達する事はそれほど難しい事ではなかった。
「つか、どうやって研究員の動きを把握するんだ?」
「(そりゃ、探知能力者よ)」
今回、サヤは研究員の行動把握の為、SCMで暇をしていた探知能力者「ミアレス・クライアル」に協力を要請していた。
彼は、SCM特殊チームと呼ばれるチームA〜Eとは別の所持能力を買われた者が所属するチームに在籍する学生であり、今回サヤの私情という建前の上で動いていた。
時折、サヤからの指示を受けながら3人は特に問題もなくSCMへの、人通りの少ない道のりを選んで進んで行く。ちなみに、ルミナスの住むアパートからSCMまでは今のスピードで行けばおよそ2時間程度で到達できる。勿論、休憩を挟まなければの話だが。
「さて、黙って走ってるだけじゃつまらないので、ここでねここさんにネコの日常について話してもらいましょうか」
早くも疲れの色を見せ始めたショウイチの斜め後ろを走るルミナスが唐突にさっぱりと言う。
「お前、余裕あんな」
「逆にショウイチは体力無さすぎですよ」
額に汗を光らし後ろに目をやった彼に対して、ルミナスは走る前となんら変わらぬ、疲れを見せぬ機械的な表情を持って返した。
「無表情で走るって怖いな」
「私の事ですか」
「寧ろ、お前以外に誰がいるのかと」
「ねーここ」
「……ねここ、大丈夫か?」
「無視されました」
ショウイチは、帽子を深く被り顔を赤らめ疲れ気味の表情を見せるねここを心配するも、彼女は笑顔で「大丈夫です」と返した。
ねここは、仮にも猫なので持久力は乏しい。だが、もし疲れたとしても、自分の為に走ってくれている人を前にして、彼女はそんな事を口にはしないだろう。
だが、いくら彼女が「大丈夫です」と言っても、その顔はとても大丈夫そうには見えなかったので、彼は敢えて自分が疲れたから休みたいとルミナスに切り出した。
「まあ、余裕は欲しいですしね」
ねここの様子をルミナスも逐一確認していた。
その為、ショウイチの考えを汲み彼女はいつもならゴネる所を、今回あっさりと承諾したのだ。
「じゃあ、私は適当に飲み物買って来ますね」
そう言って、道端にへたり込んでいるショウイチに彼女は手のひらを出した。
「ん?」
「お金」
「……」
お茶二本な、と彼は2人分の硬貨を出す。
それに、彼女はギュッと握り締め「ケチですねー」とボヤきながら近くの自動販売機に向かって歩いて行った。
天気は快晴。
暖かな日差しが刺す中、身体中から汗を出しながら2人は呼吸を整える。
「すみません。先を急がなきゃなのに」
不意に、ねここが依然として激しく息を吸ったり吐いたりしながら言った。
いくら、言い出したショウイチ自身も疲れをさらけ出していたとはいえ、ねここは彼が自分の為に言ってくれたと思っていたのだ。
「いや、俺が疲れたんだし……寧ろ、俺がごめんだわ」
同じく、荒く呼吸をするショウイチが答える。
この通り、彼女の事を気遣っての発言とはいえ、彼自身もかなりいっぱいいっぱいだった。
「……優しいですね」
呼吸の合間に呟かれた言葉は、不意に吹いた風のおかげで彼の耳には届かなかった。
「車とかで移動出来たらいいんですけどね」
手に持っている3本の内、2本を2人に差し出しルミナスは呟く。
本来、D地区からSCMにはバスで向かう。それを徒歩で行くというのだから、当然簡単にはいかない。
だが、バスで向かった場合、研究員に見つかった場合に逃げるのが困難になる為、足以外の移動方法は選べなかった。
とは言え、ねこことショウイチの体力を考えれば、足での移動はあまり良い方法では無かった。
「なあ、誓いで体力無限とか出来ねえの?」
「チートじゃないんですから」
「ですよねー」
「誓いで強化されるのは能力なんですよ。ですから、持久力が能力によって強化されるなら別ですけどね」
『誓い』は、基礎能力、また特殊能力を強化する能力である。
今回の場合、基礎能力によって持久力は強化されないので、仮にねここ、ショウイチが持久力強化の特殊能力を持っていれば、彼の言う体力無限が可能になる。だが、無限ともなれば大きな誓いと罰が必要になってしまう。
「まあ、いくら指示通りにすれば見つからないとはいえ、徒歩はキツイですよね」
体力には自身のあるルミナスも、ここからSCMまでの距離を考えるとうんざりしてしまう程だった。
確かになあ、と相槌を打つショウイチだったが、そこである事に気づき、先ほどまで閉じていた携帯を開いた。
「もしもし、サヤさん」
「(はいはーい。どうしたの?)」
「研究員って、D地区以外にも居るの?」
「(うーん……数は少ないけど他の地区にもいるよ)」
「じゃあさ、D地区から出たら車とかバスとかの移動に変えられるかな」
「(……やっぱ、足での移動はキツイ?)」
「うん、ちょっと」
「(分かった。車出してもらうよう頼んでみるよ。バスじゃ、待ち伏せが怖いからね)」
じゃあ、一旦切るから。こっちから、掛け直すまで待っててね。の後、電話が切れた。
「車出してもらうよう、頼んでみるってさ」
それに、「そうですか」と答えたねここの顔は、安心感に包まれていた。
その後、数刻の後にサヤからの電話があり、車を出してもらえる、との報告を受けた3人は静かながらに喜んだ。
結局、その後もちょくちょく休憩を入れ、彼らがD地区を出るのに1時間近くもかかってしまっていた。
とは言え、その間一度も研究員に見つかる危険性に晒されておらず、最重要目標の事を考えると十分に達成できていた。
SCMが遠方する際に使う車の車中、ルミナスも含めて3人はその顔に疲れをさらけ出し、うとうとと座席に深く座っていた。
車中には、彼らを除くとSCM直属の運転手しか乗っておらず、サヤや他のSCM所属の学生は万が一見つかった場合の事を考え乗車してはいなかった。
「着きましたよ」
その声に、現実と夢の狭間で意識を揺らしていたショウイチがはっと目を開ける。続けて、ルミナスも目をこすりながら重たいまぶたを開いた。
「研究所への案内図です。ここまで来たら安心だとは思いますが、周囲への注意は怠らないでくださいね」
笑顔で運転手の男は、一枚の地下研究所までの道程が書かれた紙をショウイチに手渡した。
3人は運転手に礼を言い、車を降りパッと辺りを見渡した。
地下駐車場。
暗く、不気味な雰囲気を醸し出す道路を(まだ眠気が覚めないせいもあるのか)ややひっつき気味に3人は歩き出した。
地下研究所へは、地下駐車場からSCM本部に一旦上がり、そこから別のエレベーターを使い向かう。
3人は、慎重に人のいない道を選びながら、紙を頼りに先ず地下研究所へのエレベーターを目指した。
「あっさり着いたな」
「そうですね」
そのあまりの何もなさから若干拍子抜けしつつも、3人は無地目的の研究室へと到着した。
研究室には、彼らの到着を待ってましたと言わんばかりに数人の研究員っぽい服装の男女が準備を終え、彼らを出迎えた。
「えっと……そちらの子がねこさん?」
その内の、眼鏡を掛けた女性がねここを示す。
それに、若干驚きつつも、ねここは「はい」と静かに答えた。
「じゃあ、この部屋に入って」
そう言って、彼女は奥のガラス張りの部屋を示す。
ねここは、彼女に言われた通りにその部屋に、2人に一言「ありがとうございます」と頭を下げてからその部屋に入っていった。
「あの」。部屋への扉が閉められると同時に、ショウイチが声を出す。
「猫に戻っても、ねここは、また人に戻れるんですよね」
それは、彼女が言いたかった言葉だろう。
それでも、彼は敢えてそれを代弁した。
だが、研究員から返ってきた言葉はあっさりとしたものだった。
「ん? 大丈夫よ」
その言葉に、「えっ?」と彼は思わず聞き返してしまう。
「だーから、大丈夫。猫に戻っても『人化』の能力が消える訳じゃないからね」
そう、安心させる様に言った言葉に、ショウイチは勿論、ガラスの向こうのねここも安堵した。
「さーて、ちゃちゃっとやっちゃうから。ちょっと、ピリっとくるかもだけど我慢してね」
後目瞑っててね、と軽い声で彼女は言い、近くにあったキーボードを慣れた手付きでパチパチっと叩いた。
すると、ねここが居るガラス張りの部屋内が一瞬ピカッと光り、次の瞬間、中に居た筈のねここが消えていた。
「戻った、のか?」
恐る恐るガラス張りの部屋を覗くと、そこにはさっきまでねここが着ていた服と不思議そうに外側を見る灰色の毛の猫の姿があった。
「無事成功ですね。今の彼女は日本語が通じるんで、念のために1回人に戻ってもらいましょうか」
1人で話を進め、彼女は中の猫に「もう一回人に戻ってください」と人に話し掛ける様に言った。
すると、猫の身体が先ほどと同じ様に発光を始めた。
「例えるなら、魔法少女の変身シーンですね」
「わかります」
でも、この場合、とルミナスが言い掛けた瞬間、発光が止み、部屋の中には猫ではなく白い肌を露出させたねここが、やはり不思議そうな顔をして立っていた。
「と、発光の最中に服を変えないんですよね」
ね、ショウイチ、とルミナスは手で顔を覆い隠しているショウイチに目をやる。
その彼が、いつぞやと同じ様にその指の間から目を覗かせるのを彼女はしっかりと確認した。
そして、帰りの車中。
日が完全に落ちた道のりを走る車には、運転手とサヤの他に2人と1匹が乗車していた。
「しかし、あっさりと問題が解決しましたね」
後部座席で、まぶたを閉じている2人と1匹に目をやり運転手の男は言う。
「まだ、ですけどね。まあ、擬人化出来る猫を見分ける力を持ってる人はあっちには多分いないでしょうから、ショウイチがミスしない限りは大丈夫でしょうけど」
猫に戻る事が出来たからもう安心、という訳にはいかない。
研究員の中には、まだショウイチを付けている者がいる可能性も十分にある。その為、研究所が公式に手を引くまでは"猫の状態"で過ごす事を今回SCMは彼らに義務付けた。
加えて、研究員達がしらみつぶしに学園内の猫を捕まえ検査する可能性もあるので、暫くはショウイチ宅で隠れて生活する事にもなった。
「まあ、SCMはSCMで"ペット捜索"よりも大事な仕事がありますからね。2日、3日で見つからないなら切られるでしょう」
「そういえば、最近よく聞きますね。そんなに、凄い事件なんですか?」
「正直まだわからないです。でも、もう少しで点と点が繋がりそうなんですよねえ」
そう呟いて、彼女はまぶたを閉じた。
確実に迫りつつある事に、小さな不安を感じながら。
次回予告
「一難去ってまた一難、ですね」
次回「びこびこ のかか 前編」




