第73話 他者と自己の犠牲
『能力創り』。世界、いや歴史上探してもその能力を持つ者は彼女以外いないだろう。
そんな、レア中のレアな能力を持つ彼女をどうやって彼らが見つけ出したのか。
それは、ただの偶然。
誰の手も、神の手すら加えられない確率で彼女は彼らの前に現れた。異界の荒廃した地に倒れている彼女を、そんな数えるのも億劫になる確率の元、彼らは発見したのだ。
そして、彼らは彼女の能力を知るや否や、元々徹底していた情報統制を更に強化した。元々付き合いのあった研究所を除いて。
完璧で無かったのがいけないのだろう。例え、研究仲間であれ無闇に情報を渡さなければよかったのだろう。
そして、その甘さが今回の事件へと繋がってしまう。
扉一枚隔てた向こう側から、絶え間なく聞こえる人のものとは思えない悲鳴、そして断末魔に暗い室内の6人は揺れる脳にむち打ち、あと一歩の所で自身の身体を精神を支えていた。
そんな緊迫した状況の中、最初にヤヨイが限界を迎える。
泣き崩れ、その場に蹲ったヤヨイにレイタは駆け寄り声を掛け、背を優しく摩った。
悲鳴は断末魔へと変わり、沈黙へと戻る。そして、暫くした後に再び悲鳴が聞こえ、また断末魔へと変わる。その繰り返しに耐えれるほど彼らは強くない。そもそも、普通の学生がそんな状況に耐えてはいけないだろう。
「もう、いやだ……」
涙声に訴えるヤヨイに、ミオは声を掛けに行こうとする自分を何とか止めていた。
今、敵が来たら?
震える拳を握り締め、ミオは何も知らぬ様な穏やかな寝顔のアリスに視界を改めて定めた。
そんなミオから見て、斜め右に立っているリュウは必死に拳を握り締め倒れそうになる身体を支えていた。
トクン、トクン、トクン、トクントクントクントクントクントクントクン……。
揺れる視界、乱れる呼吸。そして、異常な早さで高鳴る鼓動。
その脳内に映るは過去の記憶。
リュウは、生唾を飲み必死にそれらに耐えていた。それでも、彼の耳に悲鳴が入る度に脳は抵抗出来ぬ彼に容赦なく思い出したくない記憶を、風景を見せつける。
唐突な悪夢。実家で両親の帰りを待つ姉弟に、何の脈絡も無く訪れた少し早い贈り物。
「……うぐっ」
胃から上がってきたものに我慢出来ず、リュウは身を翻し目の前の扉を勢いよく開け外に出る。そして、ふらつく様に前のめりに歩き、廊下の角に吐瀉物を吐き出した。
はあはあはあはあはあ……。
高く早く打ち鳴らされる鼓動。荒く乱れる呼吸。身体中から溢れ出る冷や汗。
そして、背後からよりクリアになって聞こえる悲鳴。
「大丈夫?」
背後からのキョウの言葉に、リュウは右手を上げ大丈夫である事を伝える。
しかし、フラッシュバックは終わらず繰り返される。
あの夜にも聞いた、姉の口から発せられる初めて聞く高さの声。
「もう……やめてくれ」
許しを請うように、その目に涙を溜めリュウは呟いた。
……断末魔の連鎖が終わり、また新たな悲鳴へと移り変わる。しかし、何故か何も無かったかの様に廊下から声は聞こえてこなくなった。
「……止まった?」
暗い廊下の奥に目を凝らし、キョウは呟く。しかし、まだ全員の緊張の糸は切れない。寧ろ、より一層強く張られるくらいだった。
「戻ろう」
口を拭い、リュウはふらふらと立ち上がり、まるで生気が抜けた様にキョウに言う。
しかし、戻ろうと扉の方を向いた瞬間2人は強い視線を感じその場に固まった。
水滴が落ちる音に、足音、そして呼吸の音が、静かな廊下では辛うじて聞こえた。そして、それらは次第によりはっきりと聞こえだす。
「…………」
言葉を発したくても、喉から声が出ない。そんな極限の状況で、遂に男が2人が認識できる所まで出てきた。
彼の顔を見た瞬間、キョウは全身に耐えられぬ程の怒りを感じた。
血に塗れたアリスの元で叫ぶ彼が、視界の端で捉えた醜い笑みを浮かべた顔。見間違える筈もない。
「よう、殺しに来たぜ」
上は髪から下は靴まで全身血塗れの、強く濃い鉄の臭いを放っているオーラルは笑みを浮かべて言った。その手には、赤黒く染まったナイフが握られている。
――氷結結界!!
キョウが、憎悪に囚われ血が出る程に握り締められた拳を振り上げ走り出そうとした瞬間、リュウはほぼ無意識で能力を発動し床に手を置いた。すると、パキパキパキと氷が床から生えるように発生し、一瞬の内にリュウとオーラルとの間に厚い氷の壁を作り出した。
「行くぞ!!」
即座に床から手を離し、リュウは前を見つめたままのキョウを押すように部屋に入り扉を勢いよく閉める。そして、扉を背にリュウは息を切らしその場に力が抜けるように座り込んだ。
「まあ、こうくるわな」
能力により部屋内に侵入したオーラルの声に、リュウは即座に立ち上がる。部屋の中の者も彼の方を向いた。
お前が!! 同時に、キョウは叫びオーラルの方へと走り握り締められた拳で殴りかかる。瞬間、オーラルはニヤリと笑みを浮かべた。
「やめろ!!」
レイタの叫び虚しく、キョウのわき腹辺りにオーラルの作り出したナイフが刺さった……。が、それよりも早くキョウの左手が彼の腕を掴んでいた。
オーラルが手に持っていたナイフの感覚を失う同時に、キョウの右拳が彼の側頭を吹き飛ばす。更に、ふらついたオーラルにキョウは左、右と拳を憤怒の思いのままにぶつけていく。
基礎能力で防御が出来ないオーラルにぶつけられる、キョウの能力により強化された拳。それは、次第にオーラルの顔を変形させ、彼に血反吐を吐かせた。
キョウの執拗なまでの顔への攻撃に、オーラルは次第に押され遂に窓際にまで殴られ後退させられた。
――殺してやる。
一歩下がったキョウは、そのまま勢いよくオーラルに突進し、オーラルと共に窓を突き破りそのまま地上へと落下した。
「キョウ!!」
唖然とその様子を見守っていたレイタ、ミオの2人は、直様窓際に駆け寄る。しかし、窓から下を見る前に、ドンと低い音が窓の外から響いた。
その音に、2人は一瞬下を見るのを躊躇するも恐る恐る窓から下を見降ろす。見降ろした彼らの視線の先には、草むらの上オーラルを下にしキョウがうつ伏せに倒れていた。
「助けなきゃ」
ミオは呟き、ひび割れた窓を開け躊躇せず地上4階から飛び降りる。
風のアビリティマスターであるミオは、風の塊を作り出しその上に乗る事ができる。
今回、ミオは風の塊を間隔的に作り出し難なく地上まで降りた。
「キョウ?」
そうミオが声をかけると、キョウの指先が微かに動き反応を返した。
「よかった……」
それを確認したミオは、その場に力が抜けるように座り込む。そして、上で様子を伺うレイタに向かって両腕で丸を作り見せた。
「大丈夫だ」
振り向き言ったレイタの言葉に、心配そうにレイタの方を見ていたヤヨイ、リリアは一先ず胸を撫で下ろした。
「遅いな〜、オーラル」
リュウ達が居る部屋から2つ病室を挟んだ後の部屋にて、ライガル、フィイ、リクルの3人はそれぞれ適当に時間を過ごしながらオーラルの到着を待っていた。
あの後、彼らは一旦バラバラに行動する事になり、ある程度人を殺しきった後にアリスの居る病室近くに集まろう、という手筈になっていた。
「リクル、ひょんな汚いもの振り回しゃないでくだひゃいな」
鼻をつまみながら、楽しそうに大きく目を見開いたままの女の長い髪を掴んで頭を振り回すリクルに言う。しかし、リクルはフィイから少し距離を取っただけで振り回すのをやめようとしない。おかげで、女の体液や血液が部屋の床や壁にびちゃびちゃと模様を付けていた。
「しかし、遅いな」
「そうですわね。何かあったのかしら」
「いや、それはないだろう」
窓際に立っている、血に塗れたスーツを着ているライガルが腕を組み答える。院内には当然、能力者も数多く存在したが、そのどれもが彼ら4人に傷一つ付ける事は出来なかった。まして、フィイに限ればその一見高価な服に、返り血一粒浴びてはいなかった。
「まだ何処かで遊んでるんだよ」
振り回していた顔を壁に勢いよくぶつけ、リクルが満足そうな顔をして窓際へと歩いて来る。
「リクル、後どの程度持つ?」
ライガルが黒キ空間の残りの発動時間を訊くと、リクルは「まだまだ、大丈夫」と調子良く返した。
「そうか……なら、もう少し待つか」
そう言って、ライガルは自然と黒い背景の窓の外へと目を向けた。
降りる時と同じ方法でミオは、オーラルを下敷きにしたといっても全身を強く打ち満足に動けないキョウを担ぎ、再び皆のいる4階へと戻っていた。
「あいつは死んでるのか」
窓から地上に倒れるオーラルを見ながら、レイタが呟く。
「わからない……一応確認しておこうか?」
ぐったりと顔を下に向けるキョウを壁を背に床に座らせ、ミオは立ち上がり言うもレイタは「いや……いい」と返した。この場面、敵は空間移動を扱うため確認するべき所だろうが、人の死亡確認を進んで行う人間などいない。少なくとも、レイタはそう考えているため、彼はミオの優しさからの行動を止めたのだ。
レイタは、もう一度オーラルを見降ろしてから部屋内を見渡し壁を背に座り込んでいるリュウの元へと歩いた。
「リュウ、大丈夫か?」
先ほどレイタは、ヤヨイの側から離れられなかった為に部屋を出るリュウの元へは向かえなかった。だが、リュウの過去を知るレイタだからこそ、リュウが何故ここまで参っているのか理解し、またリュウに何か一声掛けなければならないと思っていた。
「ああ、大丈夫。心配ないよ」
言葉と声の調子が一致しない。しかし、レイタはそれ以上リュウに何と言葉を掛けていいか分からなかった。
……そして、再び始まる暗闇の中の沈黙。
しかし、それはあっさりと壊された。
何の前触れもなく響く、壁が吹き飛ぶ音。そして、3人の男女が部屋へと足を踏み入れた。
「貴様らか、オーラルを殺したのは」
怒気の含んだ低い声で、ライガルは目の前に立つ者たちを睨みつける。その圧倒的存在感に、キョウとリュウを除く者全てが彼の方へと振り向いた。
「お前が、みんなを殺したのか……」
怒りを全身に感じながら、ミオは言葉を放った。
「その前に此方の質問に答えろ。お前らが、オーラルを殺したのか?」
「知らねえよ!!」
ライガルの言葉に、普段の彼女なら絶対に使わないだろう言葉使いで言い返す。その勢いで発生した風が、ライガルらへと向き抜けた。
「お前……アビリティマスターか」
その全身に風を纏わせ服を、髪を揺らめかすミオにライガルは言う。
アビリティマスター特有の圧倒的威圧感。ミオ自身は、前回氷界ハジメ絡みでリュウと対戦した際にもこの威圧を出しているが、その時にしろ今回にしろミオ自身はこの力を自覚はしていなかった。
なお、前回その場にレイタ、キョウ、ヤヨイはいなかったので、この見慣れない彼女の状態に3人はただ黙って見守るしかなかった。
「まあいい。答えないということは、イエスと取るが文句はないな」
指を鳴らし、ライガルはその威圧感に全く動じずに言う。
「お前らのせいで、みんな……」
ミオは拳を握り締める。
「どんな思いをしてると思ってんだ!!」
ミオは床を蹴り上げ、ライガルへと風を纏った右の拳を振りかぶり飛び上がる。
トン。
ミオの拳はライガルに当たらず、それどころか何かに引っ張られる様にミオの身体は床へと激突した。
「大事なのは、そこじゃない」
ライガルは、前に出した右手をミオの方向へとゆっくり押し込む。すると、激突したミオの身体は更に強く床に押し付けられた。
「うっ……」
何かが軋む音が低く部屋に響く。それと、同じく響く彼女の声にならない声に、他の5人は助けにいかんと自身の体に命令する。しかし、恐怖からか彼らの身体は言う事を聞かなかった。ただ、一人を除いて。
!?
左からの突然の攻撃に、ライガルは全く反応する事ができなかった。
「リュウ?」
動けず直立するレイタの視界の先には、黒い炎を纏ったリュウの姿があった。
「何ですの、それは……」
その初めて見る炎に、フィイは絶句する。
黒くメラメラとリュウの身体を燃える炎。それは、暗い部屋の中不気味に自然に燃えていた。
「リュウ……君?」
ライガルの能力から解かれ、床に伏し怒りから我に帰ったミオが呟く。暗闇の中、微かに見えるリュウの目に光は感じられなかった。
「やっと、分かった」
自身の手に黒く燃える炎を見て、リュウが呟く。
「通りであの時も……」
その脳内に思い返されるのは、研究所での一戦。
「何なんだ……お前は」
化け物を見るような目で、ライガルはその内に一瞬恐怖に似た感情を感じ言う。
その感情のなす意味が何なのか、そもそも自分が何故彼にこんな感情を抱いたのか。ライガルは、それが恐怖に近い事以外分からずにいた。
しかし、リュウはそんな彼の言葉に耳を貸さずにレイタの方を向く。
「レイタ、みんなを連れて逃げろ」
レイタは一瞬、その自分に向けられた言葉が何を意味するのか理解出来なかった。
そして、ほんの少しの間を置き彼は口を開いた。
「いや、俺も戦う」
とても、戦える状態でないのはレイタ自身も十分理解できている。しかし、それでも彼はそう言わずにはいられなかった。
だが、そんな彼の無理を押しての言葉など無視するように、リュウは表情変えずにリリアの方を向いた。
「リリアさん、みんなを連れて逃げてください」
その言葉を聞いた瞬間、レイタの視界は酷く揺れ、その内には様々な複雑な想いが駆け巡った。
「でも、じゃああなたは」
「俺がこいつらを止めます」
そのリュウの言葉に、この中で唯一恐怖を感じていないリクルが大口を開けてこの場に似合わぬ笑い声を上げる。しかし、リクルを無視しリュウは続けた。
「だから、ヤヨイの能力を使って逃げてください」
「俺を無視すんな」
急に笑い声を止め、リクルは真剣な表情で彼を睨みつけた。しかし、やはりリュウは気にせずリリアの方を向いたままだ。
「だーかーらー」
リクルは、両手の拳を握り締める。
「無視すんな!!」
リクルは、両手を振りかぶりリリアの方を向いたままのリュウに向かって飛び上がった。
その刹那、リュウは即座にリクルの方へと顔を向け、その血走った目で彼を睨みつける。
――!?
そして、そのまま黒き炎を宿した右拳でリクルの脇腹を殴り飛ばした。
吹き飛ばされた巨体は、レイタの横を通過し壁に勢いよく激突する。
「早く移動しろ!」
唖然とするリリア達に向かってリュウは叫ぶ。その言葉に、先ずレイタが床に伏したままのミオを助ける為に動いた。
その行動に「させるか」と、ライガルは能力を発動しようとするも、即座にリュウが彼の出された右腕を蹴り上げる。
体制を崩しふらつくライガルを視界に捉えながら、レイタはミオ抱え上げリリアに「アリスを頼みます」と言い、床に座ったままのキョウの元へと走った。
そのレイタの動きを視界に捉えた後に、リュウは体制を立て直すライガルに向かって黒い炎を手から発射する。
「させませんわ!」
発言と同時にフィイは自身の能力『拒絶』を発動し、ライガルの手前で黒い炎を遮断する。
それでも、リュウは黒い炎を出し続けたままレイタ達の方へと顔を向けた。
「いいんだよな」
ヤヨイの手を掴むレイタの言葉に、リュウは何も言わず頷いた。
「ヤヨイ、移動してくれ」
レイタ、ルナ、アリス、リリア、キョウ、ミオに触れられた状態でヤヨイは能力を発動し、彼らは一瞬の内にその場から消えた。
消えた事を確認し、リュウは炎の放出を止める。
「無駄な真似を……」
無傷のライガルは、より一層の苛立ちを見せリュウを睨みつけた。
一方、リュウ達がいる部屋の2つ下の階の部屋にヤヨイ達は移動していた。
この部屋は、先ほどまで居た部屋より少し大きく、ベッドが4つある病室だった。
「やっぱ、6人はキツイ……」
「大丈夫か」
息を切らし床に手をつくヤヨイに、レイタは手を握ったまま声を掛ける。
「そんなに、移動出来てないみたいね」
窓から外を見降ろし、リリアが呟いた。窓の外、地上には俯きでオーラルが倒れている。
「なら、少し休憩してから、もう少し移動した方がいいな」
「大丈夫、今すぐに行こう」
と、息を切らしヤヨイはふらふらと立ち上がるも直ぐに足を崩しその場に座り込んだ。
「無理すんな」
「でも……」
足に力を入れるヤヨイに「大丈夫」と肩を叩き、レイタは立ち上がる。その拳を握り締めながら。
「今からでも助けに行こうとしないでよ」
先ほどからずっと黙って俯いていたキョウがようやく、しかし俯いたまま口を開く。
「ああ……わかってるよ」
わかってる、と自分自身にも言い付けるように言い、レイタは握り締めた拳を解いた。




