第145話 切れぬ鎖はキズナを繋ぐ
D地区と同じように結界が張られた校舎の中で、問題解決屋である鍵原竜一、紫雲茜、そしてマリアス・クルレイドの三人は暗闇が落ちた廊下にいた。
「みんな大丈夫かな」
「大丈夫だろ。仮にもSCMだぜ? ちゃちゃっと敵倒して戻ってくるよ」
心配そうな表情を浮かべるマリアスの肩を、リュウイチはぽんと叩く。
結界が張られる直前、SCMチームBの三人(アイリス・クライム、ユーリ・クライム、湧流鈴)は、アビリティマスターである彩張鈴蘭と共に結界能力者捜索のため外に出ていた。
「リュウの言う通りだよ。アイリスも、ユーリも、スズもみんな強いから」
「そっ。だから、俺らはここであいつらの帰りを待とうぜ」
リュウイチの安心させるような笑顔に、つられるようにマリアスも笑みをこぼす。
今回の敵が、どういうものかリュウイチたちは知らない。
まして、その中に散華事件に関わっている者が居ることなど、想像すら出来ないだろう。
各教室から漏れる明かりが差す廊下。
結界の影響で暗くなった廊下は、自然と不安を助長させた。
「そろそろ戻るか」
現在、生徒らには各教室で待機するよう言われているが、待機する教室は指定されていない。
三人は、リュウイチとアカネが所属するA組へと歩き出した。
…………ピシッ。
「?」
「どうした?」
ふと、何かヒビが入るような音を聞き取りアカネは足を止める。
その音が何なのかは分からない。
分かる事はただ一つ、上から聞こえてきたという事だけである。
「上から、何か……」
「上?」
…………ピシピシッ。
「聞こえるんだ。ヒビが入るような音が」
「音って……マリアス、聞こえるか?」
「…………うーん?」
……ピシッ。
「気のせいじゃねえの?」
「そうかな……」
パチッ。
「ほら、行こうぜ」
ピシピシピシピシピシピシピシッ。
「!?」
ガラスが割れるような高い音が響き、次の瞬間、三人から少し離れた所の天井が崩れ落ちた。
砂塵舞う中、彼らは生唾を飲み込む。
敵が現れた。そして。
「結界が……」
結界が破壊された。三人は、そう直感した。
そして、結界を破壊した能力者が、今目の前に居る。
三人は、自然とその場で身構えていた。
「ああ……」
前方から声がする。
「意外とちゃんとした結界だったな」
砂煙舞う中、彼らの方へと出てきた男は言った。
金髪で鋭い目つきをした、フードを被った男。
散華事件の少し前、"四人"の前に現れた男。
アグス・ロドル。散華事件の重要参考人である。
「お前は……」
怒りがリュウイチを侵食していく。
目の前に立っているのは、同じ問題解決屋であり友人である藍森和葉を間接的に殺した男。
今にも飛びかかりそうになる身体を抑え、彼は静かに口を開いた。
「てめえ、ここに何しに来やがった」
「何しに?」
アグスは、薄ら笑いを浮かべる。まるで、本物の悪役のように。
「そこの彼女を暴走させに」
血管が切れるような感覚と共に、リュウイチは地を蹴り足を前に出す。
だが、走り出そうとする彼をアカネの腕が止めた。
「暴走させて、ここの餓鬼共を殺させる。俺は、そのためにここに来た」
目は見開き、歯が割れそうなほど食いしばり、呼吸は荒くなっていく。
アグスの一言一言が、彼の神経を逆撫で、ブチブチと何かを切っていく。
「てめえは殺す! 俺がこの手で殺してやる!!」
「ああ、やってみろよ。俺を殺さなきゃ、他の奴らが死ぬぜ!」
ああっ!!
アカネの手を振りほどき、リュウイチはアグスに向かって走り出す。
鬼気迫る顔で、リュウイチの右腕がアグスの顔面を狙い、撃ち抜く。
しかし、撃ち抜いた拳は空を切っていた。
「!?」
次の瞬間、彼の脇腹を強い衝撃が襲い、そのままの勢いでその身体は窓際の壁へと激突した。
リュウイチ!!
二人の高い声が廊下にこだまする。
いつの間にか、教室の窓には怯えながらその状況を見守る生徒たちの姿があった。
「悪いな。さっきまで暴れてたから、身体はあったまってんだよ」
「クソ、が……」
衝撃で立ち上がる事が出来ないリュウイチの前を、アグスはゆっくりと歩き出す。
標的はマリアス。
小動物のように怯え、アカネの背後に隠れる彼女に向かって、彼は一歩一歩、進む。
「ん?」
アグスの歩が止まる。
まるで、足が何かに引っかかったかのように。
「そういや、お前は『抑制』の能力者だったな」
アグスは、地に伏せるリュウイチを睨みつける。
リュウイチの能力『抑制』は、対象の様々なものを抑制する能力である。
今回、彼がアグスに使用したのは動くことに対する抑制。
動くことを抑えられたのだから、当選彼は動くことが出来なくなる。
「だが、この程度で俺を、止められるとでも?」
だが、まるで車に括り付けられたロープを引っ張るかのように、アグスの身体はゆっくりと動き始める。
ゆっくりと一歩ずつ、先ほどよりは遅い歩で確実に前へと動き出した。
しかし、そのチャンスを、完全に舐めてかかっている今だからこそ出来る隙を、彼女は見逃さなかった。
一閃。
アカネが作り出した刀は、そのまま床から彼の足を伝い、一直線にその身体を切り上げた。
数少ない隙を完璧に突いた上の斬撃。だからこそ、彼女はこの一撃で決めようと、その身体を深く斬りつけた。
最悪殺しても構わない。その一心で、目の前の肉体を斬りつけたのだ。
だが、刀から伝わる重みは彼女が思っていたものとは少し違っていた。
アカネは、トレーニングの際に出来るだけ硬いもので試し切りを行っていた。
岩、コンクリート、鉄パイプ……。
気付けば、彼女に切れないものは無いほどであった。
そして、それらに比べれば人なんてもは酷くあっさりと切れてしまうはず。
だが、感触が違っていたのだ。
綺麗に切れた時、少しズレて切れた時、それらとは少し違うもの。
その違和感にアカネは直様地を蹴り一旦後退した。
そして、その違和感、そしてその後取った彼女の行動は正しかった。
「……ん? その程度か?」
血が出ないのだ。
アカネ自身としては深く斬りつけたはずが、切れたのは彼の着用している服のみで、その服に血が滲むことも、そこから血が噴出することもなかった。
「どんな時でも臨戦態勢を取るのは正解だな。でも、俺をそこらの能力者と一緒に考えたのは間違いだ」
痛みを我慢しているわけでもない。目の前の男の表情は、先ほどと何一つ変わっていない。
その時、アカネは目の前に立つ能力者が普通の能力者とは違うことを知った。
だからこそ、SCM総出でも倒せない。
だからこそ、結界を破壊出来た。
目の前に立つのは、自分たちとはレベルの違う相手。
そう認識した途端、アカネの全身を悪寒が走った。
「勝て、ない……」
ほぼ無意識に、絞り出すように出された声を気にもかけず、アグスは後ろ、立ち上がっていたショウイチの方へと振り返る。
と、ここでアグスはふと、あることに気付く。
「そういえば、もう一人いた気がしたが……」
針の能力を操る、マリアスの前に実験も兼ねて暴走させたうちの一人。
今のアグスにとって目的はマリアスでしかないので、すっかり彼女、つまりカズハの存在を忘れていたのだ。
そして、その言葉は当然、リュウイチの神経を逆撫でる。
てめえっ!
アグスに向かってリュウイチが殴りかかろうとした瞬間、アグスの両隣の壁が彼を挟み込むようにして一直線に伸びた。
「伏せろ!!」
後方からの男子生徒の声に、リュウイチは自然に姿勢を低くする。と同時に、銃声が廊下に響き渡った。
ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ……。
鼓膜を連続して叩きつけるような重い音。
リュウイチ、また咄嗟にマリアスを守るように抱き締めたアカネも耳を塞ぐほどだった。
「リュウイチ」
銃声に混じった声と同時に肩に置かれた手に、リュウイチはピクッと震える。
が、その聞き覚えのある声に、直ぐに彼は背後で銃を打ち鳴らす者が誰なのかを認識した。
「敵がここにきて、誰か生徒なり先生なりを殺した?」
「いや、誰も殺されてない」
ユーリ。
と、リュウイチは背後で微笑むユーリの方へと振り返る。
そこから数メートル後ろ、アグスが空けた穴の付近にはアイリスも立って機関銃を撃っていた。
彼らは、SCMからB地区の結界が破られたことを聞き、全速力で学校に戻ってきたのだ。
「それはよかった。さて、これから君はどうする?」
「どうするって……」
リュウイチの心は既に決まっていた。
「戦うに決まってるだろ」
アグスを抑え付けていた壁が破壊され、血塗れの彼がリュウイチに向かって殴りかかる。
「よし、場所を変えよう」
撃ち続けてられていた銃弾が途切れ、ユーリは姿勢を上げ襲いかかる敵の横腹に手を添える。
ギュッとエネルギーが凝縮され、次の瞬間、風船が割れるような音と共に敵の身体は真横へと窓を突き破り吹き飛んだ。
「さて、二人が来る前にかたを付けられるかな?」
ニヤリと笑みを浮かべ、ユーリは破られた窓から外へと飛び出して行った。
リュウイチが戦っていたA棟校舎から数メートル離れた場所にある運動場にて、アグスは血まみれかつ穴だらけになった衣服を脱ぎ捨てていた。
アイリスの放った多量の銃弾により、彼の肉体はボコボコになっていた……のは数分前の話であり、今は完全に修復されており、その鍛え上げられた肉体に残っているのは乾燥した血液だけだった。
「…………」
息を吐く、と同時に怒りがこみ上げてくる。
行動を封じられての容赦のない殺すつもりの攻撃。
そして、その攻撃を放った者が目の前に立っている。
「さて、SCMからは君を拘束するように伝えられてるんだけど……」
「拘束なんて甘ったるいし、第一拘束なんて手抜きをすることは私たちに出来ない」
ユーリに続き、アイリスが口を開く。
SCM本部は、今回スキルイーターを含めて敵全員の拘束を各隊員に命じていた。
「だから、私たちはあなたを全力で殺しにいくから」
少し楽しげな表情を浮かべるユーリに対し、アイリスの表情は真剣そのものだった。
目の前で立っているのは、散華事件の重要参考人。
もし、相手が他の人造能力者なら彼女もユーリと同じように、強者と戦えることにうずうずしていただろう。
しかし、今の彼女には戦いを楽しめるほどの余裕はない。
それは、先ほどの銃乱射にも現れていた。
「…………ああ」
そして、それは敵も同じだった。
「俺も、てめえらを全力で殺す」
その言葉を最後に、約一分ほどアグス対ユーリ、アイリスによる戦闘が始まる。
劣化共鳴により意思疎通を精神単位で行えるクライム姉弟のスキルバースト込みのコンビネーション攻撃に対するは、アグスのスピードに任せた拳と脚を使った打撃。
そのアグスの物理だけの攻撃に対し、クライム姉弟は多種の武器、更に地面、衝撃波を利用した攻撃で応戦する。
だが、それらのバリエーション豊かな攻撃に対して、アグスは一歩も引かず、それどころか戦闘全体の二割ほど優勢に立ってすらいた。
だが、完全に数の有利を受けているクライム姉弟は、物理特化のアグスをも上回っていた。
少しずつ、少しずつ。当たらなければ次へ、流されたら次へ。二人によって編み出される無数の攻撃は、アグスの感覚で避ける戦い方をも凌駕する。
何回目の攻撃か。約一分ほど続いた戦いは、ユーリの持つ剣がアグスの頬を切り裂いたところで一旦終了する。
その一撃に、その戦いで初めてアグスは数歩引いたのだ。
頬を伝う血を手で拭い、アグスは自分の中から怒りが消え、逆に冷静さに支配されていることを知る。
怒りに任せて戦うには、あまりに勿体無い。
彼の戦闘好きという本能が、目の前の敵二人を認めた瞬間だった。
一方のクライム姉弟も、アグスと似た感情に支配されていた。
友人を殺した元凶。
元から楽しむつもりだったユーリはともかく、アイリスすら先ほどの戦いを通して、その怒りが沈み、一秒でも長く戦いたいと感じていた。
だが、その欲求も遅れてきた二人の登場により、叶わぬものとなってしまう。
突如として灰色の空を覆うほどの小型ミサイルが出現すると同時に、クライム姉弟とリュウイチを守るように光の半円が発生した。
――行け。
運動場から少し離れたところに佇む、一人の男子生徒、ミサイルのアビリティマスター、スズラの小さな合図により、宙に浮かんでいたミサイルは火を上げて地上のアグスへと急降下する。
それを音により感知したアグスは、地を蹴りミサイルの届かない範囲まで、ユーリたちの居る場所とは反対方向に向かって走り出す。
しかし、能力によって作られたミサイルは、降下途中で停止し、向きを変え対象を追尾することなど容易だった。
ミサイルが自分に向かって進路を変更したことを目で確認したアグスは、逃走をやめ、ミサイルをユーリらを守っている光の壁に当てようと移動を開始する。
だが、ミサイルは彼が進路を変更するために一時的に止まったのを見逃さない。
対象を補足し、急激にスピードを上げた無数のミサイルは、槍のように一直線にアグスに襲いかかる。
まるで戦場。映画などでしか見たことのない世界が、ユーリたちの眼前に広がっていた。
重なる耳を弾くような爆発音と、炎の赤色、そして灰色の煙。
いくら改造能力者といえど、生きてはいないだろうと思わせるだけの光景だった。
「ごめんなさい、遅れて……」
不意の背後からの声に、リュウイチはハッと振り返る。
そこに立っていたのは、この光の壁を作り出したユーリたちのチームメイトであるスズだった。
「みんなは無事?」
「あ、ああ、大丈夫。みんな怪我とかないよ」
背後からの音が止む中、答えたのはリュウイチだった。その彼の言葉に、スズはホッと胸を撫で下ろす。
「よかった……って、まだ気を抜いちゃいけないよね」
リュウイチは、スズの視線の先、爆発の止んだ場所へと目を移した。
まだ、煙が充満しており敵がどうなったかは分からない。
あれだけの攻撃を食らって、常人ならバラバラになってるだろう。
しかし、相手は能力者。それも、普通の能力者よりも遥かに強い能力者である。
何食わぬ顔で立っていも不思議ではない。
四人は再度、気を入れ直した。
入れ直したつもりではあった。だが、敵は四人の反応の一歩先を行っていた。
視線の端、映ったのは血塗れの男の姿。
それが、自分に向かって襲いかかる姿。
身体を貫かんと放たれた赤い腕を目に、彼は確かに聞いた。
リュウイチ! と叫ぶ仲間の声を。
無我夢中で攻撃を避けるために後退したリュウイチの前に、アグスは前のめりに倒れ込んだ。
それは一瞬の出来事。
身体を貫くために出した腕のうち、二の腕から先が消えたのだ。
残ったのは痛みだけ。先ほどの攻撃によるものではない。
忘れてたかのように血が流れ出す。
腕が綺麗に切断されていた。
意味は分からない。しかし、これを逃してはいけない。
ユーリとアイリスは、反射的にアグスの身体に作り出した剣を突き刺した。
「リュウイチ」
ふと聞こえた二度目の声に、リュウイチはその方へと振り返ろうとする。
と同時に、声の主が彼に抱きついた。
「……マリアス」
マリ、アス?
意識がはっきりしないアグスも、その名前に反応し目線を上げる。
破壊の能力者、マリアス・クルレイド。
かつて、散華事件に利用した能力者だった。
その利用し、人生を狂わせた能力者に、彼は腕を消されたのだ。
「大丈夫か、リュウイチ」
リュウイチが視線を上げた先、立っていたのはアカネだった。
「ああ……つか、アカネこそ大丈夫なのかよ」
「私は大丈夫だ。というより、マリアスが勇気を振り絞って助けに行きたいと言っているのに、私だけ中で怯えてるわけにはいかないだろ?」
微かに震える腕を隠すように後ろに下げ、アカネは答えた。
リュウイチらが、外へと吹き飛ばされたアグスの元へと向かった後、アカネは先ずマリアスと共に教室へと向かった。
自分のやるべきことは、マリアスを守ること。
戦うことは出来ないが、せめてマリアスの心の支えにはなろうと考えた故の行動だった。
しかし、アカネが思っているほどマリアスは弱くはなかった。
「そっか……ありがとう。マリアスも、アカネも」
リュウイチは、ずっとと抱きついたままのマリアスの頭を撫でた。
「さて、一難去ったはいいけど……」
その様子を見守っていたスズは、地面に倒れるアグスの方へと目をやる。
剣を何本か突き刺され、反抗する気配を全く見せない彼を、これ以上警戒する必要はないだろう。
しかし、だからといって放っておくわけにはいかない。
「……まあ、こいつは俺らで監視しとくからさ」
取り敢えず、とユーリは続ける。
「誰か、睡眠の能力持ってるスズラを連れてきてくれない?」
「分かった」
彼の言葉に、一番にリュウイチが反応する。
「行こう。マリアス、アカネ」
彼の言葉に、アカネが、そして袖を顔にやってからマリアスが「うん」と答えた。