第141話 地に堕ちる
粉塵舞う中、平地と化した街を歩く二人の男が居た。
「うーん、やっぱ他にやりようはあったよね」
一人は、ボロボロのワイシャツに身を包んだヒイラギ。そして、その横を歩くのは、まだそこまで汚れていない白衣を纏ったエグシスだった。
「ねえ、聞いてる? これで、もしマモル君が死んでたらクロスに怒られるよ?」
「大丈夫だ。あの男は、この程度では死なない」
「なんで、そう言い切れるのか知らないけどさ。マモル君も一高校生、いや人間だよ? 死ぬ時はあっさり死ぬんだよ?」
「お前は、あの男があの程度の攻撃で死んだと思っているのか?」
「そりゃね。あれだけ、至近距離で爆発を受けたんだから、普通はそう考えるよ」
「お前は、『絶闘流』そして『龍』という能力について何も知らないから、そんな予測が出てくるんだ」
「悪かったね。勉強不足でさ」
不機嫌そうな表情のヒイラギに対して、エグシスは仏頂面を崩さず、ただ前だけを見ていた。
ビルも道も街灯も、何もかもが消えていた。
あるのは、灰色の地面と煙と火。
その地上からは、本来青い筈の空さえも霞んでモノクロに見えていた。
まさに、今の異界の状態そのままの光景。
右も左も、前も後ろも何も無い。
多少、煙が晴れたら何か見えるだろうが、少なくとも今は何も見えなかった。
「しかし、よくあれだけの爆弾を作れたね」
「その分、酷くスタミナを消耗したがな」
「ふーん。大丈夫なの? まだ、反抗する奴は残ってるでしょ?」
「少し休めば元に戻る。クロス博士は、スタミナ関係についても解決策を出しているからな」
「へえ、便利だねー」
あの隕石を作ったのも、爆発させたのもエグシスだった。
彼とヒイラギは、予め爆風の及ばない場所にまで移動しており、今回の爆風には呑まれてはいない。
だが、あれだけの岩と爆発のためのエネルギーを作り出すのに消費したスタミナは甚大なものだった。
普通の能力者とならば、あれほどの大きさの岩も、それを爆発させる事も出来ない。
これは、人造能力者だから出来た芸当である。
「にしても、ここ何処らへんだろう?」
「…………」
ん? どうしたの……。
と、ふとエグシスが歩を止めたのでヒイラギも同じように止めた。
そのエグシスが、真っ直ぐ一点を見ていたので、ヒイラギも同じようにその方へと顔をやった。
「…………ああ、あれは普通の物差しで計っちゃダメなんだね」
二人の視線の先に立っていたのは、直立不動の一つの影。
人の姿に戻った、一二三マモルだった。
物悲しさを感じる、その姿。
表情は読み取れない。
ただ、やや顔を上に向けて立っているだけ。
死んではいないだろう。しかし、生きていると断定は出来ない。
生気が無い。
無感情の人の形をしたそれは、何を想いそこに居るのか。
ふと、風に煽られ、彼の顔が二人の方へと向けられる。
不気味な程、自然に動いたそれに、二人は指先一つ動かす事は出来ない。
変わらず、砂煙は動き続ける。
しかし、時は止まっているように感じられた。
…………………………。
無限に続くと思われた静寂を破ったのは、マモルだった。
一滴の生唾を飲み込むよりも先に、マモルの姿が二人の目の前に移動し、瞬きをするよりも先に、拳がエグシスに向かって放たれる。
!!
コンマ数秒の反応の遅れ。
だが、明らかに速度の落ちたパンチを避ける事は容易かった。
ここまで、ヒイラギとの戦闘、そして爆発から身を守るために彼は大量のスタミナを消費した。
もう、マモルに戦うための力は残されてはいない。
「それが普通だ」
拳が空を切り体制を崩したマモルの腹部に、逆にエグシスの拳が打ち抜かれる。
ミシッという低い音と共に、マモルの身体は吹き飛ばされた。
「さすがに戦う力は残ってないかー」
吹き飛ばされ、腹を抱え苦悶の表情を浮かべるマモルの元へとヒイラギは歩き出す。
「びっくりしたでしょ? あんな巨大な物体も、能力者は作り出せるんだよ」
「…………」
「まあ、本当は俺が最初から最後まで戦いたかったんだけどね」
「……?」
「さすがに俺もスタミナ切れ。これ以上は戦えなかったからね」
そこまで言って、ヒイラギは両手を挙げた。
「この戦いは俺の負けだ。いやー、さすがに学園都市最強の男は、その評価通りの男だったよ」
「……だったら、なんで」
「ん?」
「なんで……」
マモルは顔を上げる。
「なんで、街を破壊した!!」
マモルは叫んだ。
ヒイラギは負けを認めた。
しかし、彼らにとってみれば自分は厄介な敵。
つまり、どちらにしろ誰かがヒイラギの代わりに戦わなければならない。
だが、方法がおかしい。
代わりに戦うならば、他にも方法があったはず。
何も、周りを巻き込んでまでやる意味が無い。
マモルには、それが理解出来なかった。
それは、街を守れなかった怒りからもきていた。
だが、その問いに対し、エグシスの返した答えは少なくともマモルにとっては理解し難いものだった。
「簡単な話だ。クロス博士は、この学園都市を巨大な研究所にしようとしている。加えて、クロス博士は研究所内に平地が欲しいと言っていたからな。だから、お前を消耗させるついでに街を破壊しただけだ」
「…………」
言っている意味が理解出来ないわけでは無い。
学園都市を巨大な研究所にしようとしていることも、そこまで驚くことでは無い。
ただ、許せなかった。
理由を聞いた所で、納得のいく答えが返ってくるとは思っていなかった。だが、彼が思っている以上に身勝手な理由だったからだろう。
彼の中を、ただ怒りが埋めていった。
「まだ、やるのか?」
満身創痍。
マモルに戦える力が無い事は、誰の目からも明らかだった。
「お前を殺すつもりはない」
弱々しく立ち上がったマモルの腹部を、容赦無くエグシスの左の拳が襲う。
続けて、よろめくマモルの頬目掛けて、右の拳が打ち抜かれた。
――…………まだ。
衝撃で後退するも、マモルは倒れない。
――……まだ、やれる。
揺らめく視界には、忌まわしき記憶が映し出される。
笑顔を輝かせる少年が、こちらに向かって手を振っている。
酷く、やんちゃだった。
だから、いつも親の代わりに妹と一緒に面倒を見ていた。
その顔から笑顔が消えたのは、自分たちに力が足りなかったから。
人を守る力を。
妹と決意したあの時から、手を抜いた事は一度も無い。
「おれ、は、まだ……」
「いや、もう終わりっすよ」
声が聞こえたのと同時に、視界が一気に暗くなる。
――まだ……俺は…………。
マモルは地に倒れた。
「全く、時間かけ過ぎっすよ」
地に伏せるマモルの直ぐ後ろ、黒衣に身を包んだ碧髪の若い男が口にする。
その姿を、エグシスは知っていた。
「ん? 誰?」
「初めまして、結城ヒイラギさん。クロス博士の助手のラミアと申しますっす」
「ふーん、クロス博士の助手ね。こちらこそ、宜しくっす」
ラミア・レストリア。
クロスの助手の中でも、エグシスに次いで信頼を得ている研究員である。
「クロス博士に言われて来たのか?」
「そうっすね。一二三マモルと氷のアビリティマスターの回収のために来たっす」
「回収? 担いでくの?」
「まさか。俺は空間移動能力者っすからね。よく、こういう回収作業を任されるんすよ」
そう言ったラミアは、マモルを担ぎ上げる。
「ではでは、皆さん引き続き頑張ってくださいっす」
マモルを担ぎ上げたラミアは、そのまま空間移動により消え去った。
「何か、っす、っすうるさい奴だったね」
「この国の言語を学ぶ際に買った漫画の登場人物が、語尾によく付けていたらしい」
「なるほど、納得……」
さてと、とヒイラギは一つ伸びをする?
「君は、これからどうする?」
「俺は、学校の方に戻る。気になる事があるんでな」
「そう……じゃあ、俺は暫くここで休んでようかな」
「一つ忠告しておくが、休むのなら街の方に行ってからの方がいい」
「……まあ、ここじゃあ直ぐ見つかりそうだしね」
マモルとの激戦を終え、さすがのヒイラギにも疲れの色が見え始めていた。
その色を包み隠さずに、彼は息を吐いてから静かに何も無い平地を歩き始めた。
一方、D地区市街地では、レイジ、サヤ、アンズが白い触手を操るラウリに苦戦を強いられていた。
アンズの能力『波動』により、絶対的な防御力を誇るラウリに一撃見舞う事には成功した。
だが、それが二度、三度と続くことは無かった。
「つまらない……」
小さく口を開いたラウリの目は冷たかった。
その視線の先には、膝を付くレイジとアンズ。そして、触手による一撃を腕に浴び、その場に蹲るサヤが居た。
あの一撃は偶然。
振動による攻撃は、確かにラウリにダメージを与えた。
しかし、だからこそ、いや、痛かったからこそ、彼女はこれ以上攻撃を食らうまいと、いつも以上に防御に徹したのだ。
それに対し、突破口を見つけたレイジは、どうにか隙を作ろうと多少無茶をしてしまった。
焦らなければ、まだ分からなかったかもしれない。
レイジは、後悔していた。
またやってしまった、と。
「もう、いいよね?」
サヤは再起不能。アンズもバテ気味。
まだ動けるのはレイジだけだが、レイジではラウリにダメージを与えられない。
――ここまで来たら、やれるだけやってやろうか……。
レイジは立ち上がる。
負けを認める事は、この場面においては死を受け入れる事。
抵抗無く殺されるのは気分が悪かった。
「もう、いいよ」
「てめえがよくても、……俺がよくねぇよ!!」
スキルバース……?
スキルバーストを再発動しようとしたその時、ふとレイジはコンクリートの地面が碧く揺らめいている事に気付く。
まるで、太陽の光が水面を通して揺らいでいるような光景。
その違和感にラウリも気付き、そして二人はほぼ同時に上空を見上げた。
「…………えっ?」
レイジが、思わず声を出す程の光景。
上空。五階建てのビルの更に上、一面を覆うように水がゆらゆらと浮かんでいた。
その光景は、まさに水中から水面を見上げたそれと同じものだった。