第132話 長い長い一日の始まり
早朝、七時四十分。
SCM地下研究所は、慌ただしく走る研究員たちで賑わっていた。
そんな彼らとぶつかりそうになりながら、マモルは地下研究所スキルイーター隔離所へと来ていた。
「よう、早かったな」
マモルの姿に気付き、リュウの父である慶島は眼下のガラス窓から、彼に視線を移す。
「時間が時間ですからね。それより……」
マモルはガラスの向こう、かつてヒイラギが本を読んでいた空間に目をやる。
電光に当てられた室内は、おびただしい程の赤黒い血で染まっていた。
「死亡したのは人造能力者七名で確定ですか?」
「そうだな。まあ、牢屋にいない奴を調べたら丁度人造能力者だけが確認出来なかったから確定だろうよ」
それより、と慶島は口を書類を持ってない方の手で抑える。
「遅れてきて正解だよ。あれは、学生が見ていいもんじゃない」
「そこまで酷かったんですか……」
「多分、今までの鬱憤を人造能力者どもにぶつけたんだろうな。それが何か確認出来るものもあったさ。でも、殆どが汚ねえ色の肉の塊。加えて異臭がやべえ。これでも、シャワー浴びて服も変えたんだぜ? なのに、まだ匂いが取れねえ」
この部屋に入った瞬間から、マモルも鼻を突くような異臭は微かに感じていた。
「地獄絵図だよ。今日は飯が喉を通らねえかもな」
慶島が、それほどまで堪えているということはそういうことなのだろう。と、マモルもよく理解していた。
「……侵入者が居たんですよね?」
「そうだな。しかし、地下牢の檻。特に、リアルが入っていた場所の鉄格子は特別性だ」
地下牢には二つのタイプがある。
一つは、軽犯罪者などが入る普通の一般的な牢屋。そして、二つ目が重犯罪者などが入る特殊な素材で作られた牢屋である。
「確か、能力によって作られた事象を破壊する鉱石で作られた牢屋なんですよね?」
「そうだな。だから、能力によってその鉄格子を破壊する事は不可能だ」
つまり、能力によって作られた武器や、火、水などの属性が一切効かない鉄格子である。
しかし、この鉱石も完璧ではなく相反する特殊な鉱石を使用する事で一時的に効力を失わせる事が可能になる。
「人造能力者らに付けられていた能力封じの手錠を外すのは容易だ。鍵さえあればいいんだからな。でも、リアルの入っていた鉄格子を破壊するのは現実的ではない」
「…………つまり、犯人はそういうのに詳しい研究員の可能性が高いと」
「だとしても相当な科学者だな。鉱石を探すのは簡単じゃないんだぜ?」
それにだ、と慶島は続ける。
「ここに侵入出来たということ。加えて、各種機能をダウンさせたこと。その事から、犯人は内部の人間の可能性もあるということだな」
「あまり考えたくはないですね。でも、SCMに主犯か協力者が居ることは確かか……」
スキルイーターという唯一無二の能力者の存在は、科学的にも、また政治的にも大きな存在となっている。
もし、彼らの考えるように内部に犯人が居たとしたら、それがどの国籍の人間であったとしても責任は日本のSCM側にある。そうなれば、政治的な面で他国との関係性も悪化することは避けられない。
二人は、その事も懸念していた。どちらにしろ、スキルイーターを逃がしてしまった時点で大なり小なり責任は発生する。
結局は、それが更に大きくなるかどうかの違いだった。
「まあ、今は方法や犯人について考えていても仕方ない。それよりも、既に登校しちまった生徒らをどうするかだな」
「卒業式の時間を出来るだけ延期して、その間にSCM総出でスキルイーターを捕縛……。 まあ、あくまで戦える敵がスキルイーターだけならですが」
「それが一番混乱が無いか。なら、外の人間にも協力を要請しないとな」
生徒らの登校時間までスキルイーターの逃走、及び人造能力者の死亡を確認出来なかった理由は、先述のシステムダウンにある。
地下牢、及び地下研究所の殆どの扉はオートロック式を採用しており、これは囚人やスキルイーターを逃がさないためである。今回は、それを逆手に取られた形となっていた。
「じゃあ、俺は一旦、中央管理室に……」
慶島さん!!
マモルが言い終わる前に、地下研究所内に若い男性の声が響き渡る。
その声の方に二人が目をやると、白衣に身を包んだ短髪の男性が汗を垂らしこちらに走って来ていた。
「どうした?」
「学園都市、境界付近からの報告にて……」
男は息を切らし続ける。
「学園都市を包むほどの結界の発生を確認した模様!」
「結界!?」
男の言葉に、先ず反応したのはマモルだった。
学園都市境界付近。
かつて、学園都市に住む能力者が学園都市外に出るためには能力封じの鉱石で作れたブレスレットを装着する義務があった。これは、まだ能力者というものが世間一般的な存在になっておらず、能力者が危険な存在だと認知されていたために行われていたシステムである。
その学園都市の中と外の境界、つまり出入り口を管理しているのはSCMOBであり、今回の報告もそのOBからのものだった。
「学園都市を包むほどの結界……か」
驚きを隠せないマモルに対し、慶島は酷く落ち着いていた。
「お前は、直ぐにこの事を上に伝えて調査チームを結成し、境界付近に行ってくれ。俺からも一言入れとく」
「わ、わかりました!」
男は身を翻し、来た道を戻って行った。
「予想してた事だよ。ただ、考えうる中で最悪の想定だけどな」
「……まさか」
「そのまさかだよ。恐らく、今回の事件の犯人はヒイラギを学園都市で暴れさせる気だ」
結界による学園内と外との遮断。
そして、スキルイーターの解放。
本来なら、唯一無二の能力であるスキルイーターの研究のために地下研究所に入ったと考えるのが妥当だろう。しかし、それならばわざわざ学園都市に結界を張る意味がない。まして、学園都市全体に結界を張るなど、多大な労力を要してしまう。
それを踏まえると、スキルイーターの力を学園都市に住む人たちを使って研究するという目的が浮かんでくる。
これは、慶島の言うとおり、最悪の仮説である。
「でも、そんな事をする意味が……」
「さっきも言ったが理由は後だ」
「……そうですね。取り敢えず、俺は上に戻ります」
何かを考え始めた慶島に軽く頭を下げ、マモルは先ほどの研究員と同じように足早に進み出した。
場所は変わって、とあるビルの屋上。
数時間前と同じように、クロス、カーク、エグシス、アグス、ラウリ、ヒイラギが各々、出発の準備をしていた。といっても、研究員以外の四人は準備運動をしているだけだが。
「さて、そろそろ動きますか」
クロスが他の五人に言う。
「そうですね。で、お前らは何処に行くか決めたのか?」
「俺は決めたよ」
エグシスの問いに即答したのはヒイラギだった。
「マモルと戦いたいけどさ。その前に会いたい人がいるから、北D地区に行く予定」
「マモル? そうか……」
「なに? ボサ銀はマモル狙いだった?」
「ボサ銀……。いや、そういうわけじゃない。強い奴と戦えれば俺はそれでいい。……で、アグスとラウリは?」
そうだな、とエグシスの言葉にフードを被っているアグスは口を開ける。
「北B地区に行く予定だが……その前に準備運動も兼ねて南にでも行くかな」
「私は、ここから近いところに行く」
「ならE地区か。俺はどうするか……」
行き先について考えている中、エグシスは不意にある事を思い出し、クロスの方を向く。
「結界の方は問題無いですか?」
現在、学園都市を覆っている結界は慶島の考え通り、ヒイラギと人造能力者たちを学園都市内で暴れさせるため、外からの邪魔者を入れないためのものである。
だが、この学園都市を完全に包むほどの結界となると、結界能力者十人以上いても全然数が足らない。なので、クロスは同じ研究員であるカーク、エグシスと協力し、結界能力を改造した改造能力者を作成した。
その結果、学園都市を覆うほどの結界を作るために必要になった能力者はたったの五人で済んでいた。
しかし、改造能力者はいつ暴走するか、またいつ能力が狂うか分からないものであり、エグシスは、それを心配していた。
「ああ、問題ないよ。恐らく、このコンディションなら半日もあれば二段階目に進めるだろう」
「そうですか」
『結界』、『二段階目』。聞きなれない単語にも、ヒイラギは自分には関係無いだろうと特に説明を求めなかった。
そろそろ時間だね。と、クロスは改めて四人、人造能力者と能力喰いの方を向く。
「今回の作戦にルールは無い。各々やりたいようにやってくれ。だが、あえて言うなら強い能力者やランクの高い能力を持つ能力者は、出来るだけ殺さないでくれると有難いかな」
特に反応を返さない四人に、「それでは」とクロスは変わらぬ表情で言った。
「私の期待を裏切らないでくれよ」
時刻は、八時。
マモルは、SCM特別連絡室に来ていた。
SCM特別連絡室。この部屋は、主にSCMメール配信サービスに登録している学生や一般市民に、例えば災害情報の緊急の情報や市内のイベントの情報などを配信する部屋になっている。
「メールの送信、完了しました」
部屋内にあるいくつかのコンピュータの置かれた席のうちの一つに座る男性研究員は、マモルに指定されたメール配信が完了した事を告げた。
今回、SCM所属生徒には能力喰いが脱走したという情報と、それに対して学校敷地内の警備を徹底するようにとの命令、及び卒業式の数時間単位での延期を通達した。
なお、一般市民、及び一般生徒には重犯罪者が逃走したので外出は控えて欲しい旨の通達をしていた。
また、教師陣には、既に卒業式のために学校に来ている生徒の親に関して、そのまま体育館で待機してもらうようメールを送っていた。
「しかし、この程度で従ってくれますかね」
同じく、コンピュータの前に座る別の男性研究員が言う。
いくら外出は控えるように言っても、重犯罪者とは言え、それが数人程度なら外出する者はするだろう。
また、仕事のために学園都市外に出て行く者もいる。そうなれば、結界によって外に出られない状況に何らかの不審感を持つ事は確実である。
「中々、難しいでしょうね」
手に持っていた上着を羽織り、マモルはズボンのポケットから携帯を取り出す。
「とにかく、出来るだけ速く結界を張っている能力者とスキルイーターを探し出します」
既に、SCMOBチームは捜索に出ている。
マモルも、それに合流するため連絡室を足早に出て行った。
「焦ってるな」
彼が出て行ったのを見送り、室内の研究員の一人が呟く。
「そりゃ、そうでしょ。あの、スキルイーターが脱走したんだから」
「でも、彼が悪意を持って何かをするとは思えないんだけどな」
「いや、そこじゃなくて。マモル君が心配してるのは暴走に関してだろ」
「ああ、なるほど」
スキルイーターであるヒイラギが、SCM地下研究所に収容された理由は、彼が持つ能力が希少だからというわけではなく、彼が未だ原因が解明されていない能力の暴走を起こしたからである。
とはいっても、ここ数年はヒイラギも能力を暴走させてはいない。
しかし、ヒイラギが能力を暴走させる危険を持っている事に変わりはなく、やはり迅速に彼を捕らえる必要があった。
「そういや、SCMOBの皆さんはどう動くんだ?」
SCMOBとは、その名の通りSCMに所属する学生以外のチームである。
SCMOBには、大きく分けて二つのチームがある。
一つは、SCMに所属する生徒らの戦闘訓練など行う戦闘特化チーム。もう一つが、SCMに所属する生徒らを補助する役目の補助特化チームである。
「戦闘系の能力者は既に動いてるって話だけど……」
「正直、マモルたちには結界能力者の方を任せて、OBの連中にスキルイーターを追わせた方がいいと思うけどな」
「それもそうだけどさ。まあ、悲しいかなOBよりもマモルの方が強いんだよね」
「そういやそうだったか。ったく、OBが聞いて呆れるよ」
「こら、お前ら口じゃなくて手と耳を動かせ」
いつの間にか盛り上がっていた二人に、他の研究員が口を挟む。
学園都市に散らばっているSCMからの情報をまとめ、更に他のSCMに伝える役目のあるこの部屋において、適度の緊張感は必須だった。
「さて、久々に忙しい日になりそうだ」
そう締め、二人の研究員は再び目の前のディスプレイへと目を移した。