第127話 欠片はカケラのままで
3月5日、水曜日。
問題解決屋のリュウイチ、アカネは現在SCMに保護観察化にあるマリアスの元に向かっていた。
「そういやさ」
SCM地下研究所へのエレベーターの中、リュウイチは不意に口を開く。
「マリアスは卒業式出れんのかな?」
「大丈夫だろう……多分」
開花事件の際に暴走を起こしたマリアスだったが、あれ以来、暴走の予兆は無かった。SCMとしても、あの暴走は他者が意図して引き起こしたものであると分かっているため、近々保護観察を解除する方向だった。
「やっぱ、卒業式は一緒に出たいじゃん?」
「それは、勿論。というより、本人が一番そう思って……」
扉が開き、アカネはその次の言葉を飲み込み歩き出す。
初めて暴走を起こした際、マリアスはどういった行動を取ったか。それを考えれば、必ずしも彼女が卒業式に出たいとは考えられなかった。
「マリアスは、卒業式に出たいのかな」
彼女は思ったことを口にする。
一見、本人以外答えの分からない質問だったが、横を歩くリュウイチは全く悩むそぶりを見せずに即答する。
「そりゃ、出たいに決まってるだろ」
「……いや、いやいやいや。なんで、そこまで断定的に答えられるの」
「だってさ、前に来た時だって、あいつ学校に行きたいって言ってたし」
「そりゃ、そうだけども……」
それに、とリュウイチは続ける。
「あいつは無理してそんなこと言ってねえよ。俺らを前にしてなら尚更な」
何処からそんな自信が来るのだろうか。
そのような疑問を持つアカネも、マリアスが自分たちの前で強がらないという部分について同意だった。そのくらい、マリアスは仲間を信頼しており、また彼女らもその事を知っているのだ。
しかし、再度暴走を起こしてしまったマリアスが、初めて暴走を起こした時のように傷を全く負ってないとも考えられない。あの時ほどではないにしろ、多少はダメージを受けていることはアカネにも予測できた。
しかし、そのような事はリュウイチも十分わかっているはず。なら、とにかく今はマリアスと直接目を見て話して自分なりに結論を出そう、とアカネは再び真っ直ぐ前を向く。
白い壁に囲まれた廊下の先、およそ3週間ぶりのマリアスの部屋は既に見えていた。
例の事件から、早2ヶ月と少し。
それ以来、2人は2週間に1回ペースでマリアスの元に訪れていた。当初は、暗さが内に見えていたマリアスも彼らが訪問を重ねる内に元の彼女へと戻っていき、今ではすっかり自然な笑顔も見せれるようになっていた。
そして、その笑顔は2人にも毎回のように元気を与えていた。
例によって、イヤホンを押してから数秒後、聞き慣れた幼さの残る女子の声と共に部屋の扉が開かれる。
「いらっしゃい」
扉からひょっこり顔を出した150センチ前後の身体は、喜びを抑えながら2人を部屋の中へと招き入れる。
地下という事で人工的な光しかない空間だが、リュウイチとアカネの努力のかいもあり、すっかり健康的な明るさを放つ部屋へと変貌を遂げていた。
「外寒かったでしょ? ちょっと待っててね」
部屋中方に置かれたコタツに吸い込まれるように入った2人に笑みを浮かべながら、マリアスは台所の方に向かった。
「………………いやー、温まるー」
「ふー、このまま眠りたい気分」
溶けるように、カーペットに寝っ転がる2人の元に3つ分の湯気の立つコップを乗せたおぼんを持つマリアスが腰を下ろした。
「サンキュー」
息を吹き冷ましながら、リュウイチはコップに口をつける。中の暖かな液体が喉から食堂、そして胃へと温度を伝え下っていくのを彼は感じた。
「ったまるー……」
ところでさ。と、全身で暖かさを感じたリュウイチは唐突に切り出す。
「マリアスは卒業式に出れるの?」
唐突すぎる話の切り出した方に、アカネは吹き出しそうになるのを堪えた。
だが、まるでアカネの持っていた不安を見抜くようにマリアスはそれに自然に返す。
「うん。出れるよ」
これには、聞いた本人も少し驚きを隠せない。
リュウイチも心からマリアスが卒業式に出たいとは思っていなかった。初めての暴走の時と同様に、周りの目を気にしているのではないか。もしかしたら、上手く本心を隠しているのではないか、と。
しかし、マリアスの声、そして目を見ればそんな事はないと十分に理解できた。
「そっか、良かった」
じゃあ、と彼は続ける。
「明日は、迎えに来た方がいいんだな」
「…………えっ? 卒業式って明日なの?」
今度は、マリアスが驚きの表情を見せる。
「おう、明日だよ。つか、明日でも問題ないよな」
「それは大丈夫。……でも、そっか、ちょっとびっくりしたな」
心なしか嬉しそうに、マリアスは髪に手をやる。
そんな彼女の素振りに2人は、特にアカネは改めて安心した。もし、可能性は低いがマリアスが卒業式に出たくなかったら。もし、クラスメイトに会いたくなかったら、どうすればよいだろうか。
といっても、今のクラスメイトに、マリアスに対し恐怖する者は少ないだろう。それでも、本人の気持ちは大事であり、自分の目で見た限り今の彼女にそのような不安はない事をアカネは予測できていた。
「じゃあ、準備もしてないんだよな」
「うん……でも、準備って?」
「いや……ほらさ、あれ、なあ、アカネ?」
「当日は制服さえちゃんとあればいいよ」
勢いで言ったおかげで次の言葉を探すリュウイチの前、アカネは安心させるようにマリアスに言った。
「そう、制服……つか、卒業出来るんだよな?」
「先生は大丈夫だって言ってたよ」
「三橋が来たのか?」
「うん」
「そんなに驚くことでもないでしょ。仮にも担任だし」
まあ、とアカネは立ち上がり続ける。
「卒業できるなら良かった。日数足りてないかと思ってたから」
「先生がギリギリセーフだって」
「つか、アカネなんで立ったんだ?」
「うん? いや、そろそろこの部屋ともお別れだから整理しなきゃ」
「あれ? 言ったっけ?」
「いや、さっきここの担当の研究員から聞いた」
「俺は聞いてない」
「リュウイチがトイレに行ってた時だよ」
「じゃあ、ここに来るまでに教えてくれたっていいじゃん」
「まあまあ。それより、片付けなら私1人でも出来るよ」
「でも、人は多い方がいいでしょ?」
だな、とリュウイチもコタツから名残惜しそうに出て、立ち上がった。
この部屋にあるものでマリアスの私物は少ない。なので、リュウイチがなんの躊躇もなく部屋の片付けに入ってもアカネは止めたりしない。当然、マリアスの私物が置いてありそうな所に彼が行こうものなら全力で止めに入るだろうが。
「うーん、片付けるって言っても元々ある程度は整ってるからやることがねえな……」
「じゃあ、掃除かな」
「でも、雑巾とか無いよ」
「しゃあなし。ちょっと走ってくるわ」
マリアスの制止の声の前に、リュウイチは勢いよく廊下へと走り出して行った。
「別に、今日で無くてもいいのに……」
少し残念そうな表情を見せるマリアス。そんな彼女の心中を察し、アカネは声をかける。
「ここで会うのならもう無いだろうけど。私たちは卒業しても、ずっと一緒だよ」
当たり前といえば当たり前だろう。
だが、2人と離れている期間が長かったせいか、マリアスは2人と微妙な距離を感じていた。
しかし、そんな距離など存在していなかったとアカネの言葉を聞き、彼女は再度その事を確認したのだった。
「さあ、始めよう。えっと、荷物はもう纏めちゃってよかったよね」
暗い顔など一瞬だけ。マリアスは笑顔でアカネに頷き返した。
時刻は18時。片付け終えた3人は、各々コタツでゆったりとしていた。
「さて、そろそろ帰りますか」
ふと、壁にかかった時計に目をやりリュウイチが呟く。
「そうだね。……外は寒いだろうけど」
「くぅー、コタツが俺を離さないー」
「なんなら、今日泊まってもいいよ」
「じゃあ、私だけ泊まらせてもらおうかな」
「あれ、俺は?」
「男子禁制」
「ひでぇ……けど、何も言えねえ」
微笑を浮かべるマリアス。
同時に、この時間がもうあと少ししかない事に気付く。
卒業すれば、散り散りになっていく。
自分の進路よりも、大切な友人たちと離れてしまうことの方が彼女には酷く響いた。
「どうした? マリアス」
「……えっ? あっ、えっと……」
いつだったか、リュウイチが言った言葉に「問題解決屋の間で隠し事は無し」というものがあった。
「リュウイチもアカネも……ずっと、私の友達でいてくれるよね」
不安で押し潰されそうなら、いっそのこと吐き出してしまえばいい。
そんなマリアスとは裏腹に、リュウイチは即答した。
「当然だろ? 卒業したって問題解決屋だし、友達だ」
「なら、……卒業しても、また会えるよね」
再度確認する様に言った彼女に、今度はアカネが返す。
「当然。マリアスが会いたいって思ってたら何時だって飛んでくるよ」
ねえ、リュウイチ。
そのアカネの言葉に、「おう!」とリュウイチも力強く返した。
「さて、せっかくだし何か飯でも食べに行くか」
「そうだね。じゃあ、場所はマリアスに任せる」
「えっ、私? じゃあ、えっと……」
ラーメン!
こうして、既に外出許可の降りていたマリアスとリュウイチ、アカネは近所にある質素なラーメン屋に行くことになったのだった。
次回予告
「卒業式に出れなくて良かったと思ってるよ」
SCMからの命令で地下牢に行くことになったSCMチームCのアルスは、そこでアビリティマスターである氷界ハジメと話すことになり……。
次回「囚われの氷男」