第111話 24日―①
12月24日、火曜日。
カナエとの約束の時間までの間、リュウは年末に向けた部屋の大掃除……ではなく小掃除を行っていた。
――レイタとか適当に呼べばよかったかな……って、みんな今日は予定入ってるか。
リュウは、押し入れに規則正しく置かれていたダンボール箱の最後を取り出し、額に薄っすらと光る汗を拭った。
この学園に引っ越してきた際、めんどくさいからといって必要なものを除いて、リュウは私物が入ったダンボール箱を開けずに全て押し入れの中に突っ込んでいた。
もう必要なくとも、愛着が湧き捨てられない。そういうタイプのリュウは、ここに引っ越してきた際も必要以上のダンボール箱と一緒だったのだ。
――いい加減捨てなきゃな。
今年度で卒業のリュウは、進学では無く就職を選んだ。
SCM所属の親の後を追うため。
そして、親愛なる姉を殺した犯人の手がかりを掴むために。
だが、年々その気持ちは薄れてきていた。
夏以降の幸せな日々が、彼の憎しみの想いを薄くしているのか。それとも、その程度の想いだったのか。それは、本人すらよくわかっていない。
今わかっていることは、ただ1つ。
この感情を失うのが怖いこと。
ひと月ほど前の母との出会いが、彼にかつての記憶を呼び起こさせた。そして、研究所での一戦で彼は過去の感情を思い出し、病院での一戦でそれを多少なりともコントロールすることが出来た。
問題は、そのコントロール出来たということ。
コントロール出来るということは、抑えることも出来るということ。
それは、つまり冷静になれるということ。
恐怖という外敵要因により浮かび上がった黒い感情は、コントロールによって酷く静かに彼の中で落ち着き揺らめく。
冷静なことに越したことはない。
だが、コントロール出来るということは、その程度の弱い感情だとも取れる。
それが、彼は怖かった。姉に対して、申し訳ないと感じていた。
寒かったので閉めていた窓を、ダンボール箱を運んだことで体温が上昇したので、リュウは少しだけ開ける。
窓の外から入ってくる冷めたい風は、彼に心地良さを与えた。
暫くそれを感じ、「よしっ」と再度気合を入れ、彼はダンボール箱の中身を取り出し始める。
箱の中身は様々。プラモデルや何かの景品、思い出の品であるオモチャ、小、中学生の頃に作った工作物、教科書、ノートetc……。
その様々なものに宿っている記憶を呼び起こしながら、彼はあまり考えずに(しかし、ちゃんと分別はしつつ)ゴミ袋に放り投げていく。
――これって……。
出てきたのは、汚れた小さな赤い車のおもちゃ。
母親から、何処かに行った際に買って貰った物だった。
――確か、俺が近所の河原かどっかで無くした時、姉ちゃんが日がくれるまで一緒に探してくれたんだっけ。
薄暗くなる空の下、不安と共に大切なものを探していた記憶が彼の頭に蘇る。
泥だらけの姉弟。最後には、2人共笑顔だった。
「懐かしいな……」
呟き、リュウは更にダンボールの中の物を出していく。すると、一枚のボロボロの写真が出てきた。
――…………俺は、何をしていたんだろう。
リュウとリュウの姉、瑠美が2人笑顔で写っている写真。
それは、リュウの中学入学時の写真だった。
それにより、脳内に鮮明に映し出される記憶。
より、はっきりと溢れ出す感情。
そして、続けて全身を満たす後悔。
――何を……1人で俺は幸せになって。
目の前に広がる、あの日の光景。
クリスマス。日が射し込まない暗い部屋。姉弟、そして男の3人。
薄汚れた、激しく不快感を感じる歪んだ笑み。
「クソッ!!」
彼はダンボール箱を蹴飛ばす。
ガシャン、という音の後、再び訪れる静寂。
感じるのは、高鳴る鼓動のみ。
「……さっさと片付けよ」
息を吐き、彼は手に持った写真を近くのテーブルに置き作業を開始した。
機械的に、物をゴミ袋に入れる作業を。
1時間後、出した時より少なくなったダンボール箱を押し入れに入れ終え、リュウは軽く背伸びをした。
時刻は12時前。
待ち合わせ場所までにかかる時間を考えると、ちょうど良い時間になっていた。
今は、約束を守り、ただ彼女との時間を楽しもう。
リュウは、出かけるため支度を開始した。
――なんか、寒いなって思ってたけど。
灰色の空から落ちる、白い結晶。
白い息を吐き、リュウはその中を歩き始めた。
――そういや、今月はまだ雪降ってなかったか。
道行く人々は、誰も彼も暖かな格好に身を包んでいる。
また、男女で歩く者が多かった。
――やっぱ、クリスマスだよなあ。
幸せそうに、また気恥ずかしそうに歩く人々とすれ違いながら、彼は待ち合わせ場所へと向かう。
その心には、罪悪感を感じる彼と相手の事を考え純粋に楽しもうとする彼がいた。
高校に入り、リュウはずっと姉を殺した犯人を追っていた。
しかし、ちょっとした手がかりすら掴めず月日が流れ、いつしか、その感情も薄れてきていた。それでも、この想いを忘れてはならないと、彼はレイタ以外の友人を作らず、薄れる感情に鞭打ち手がかりを探し続けたのだ。
あのトーナメントに参加するまでは。
トーナメントに参加し、リュウはカナエを始め様々な者たちと出会った。
それが、その忘れかけていた幸せな感情を呼び起こし、彼の記憶から姉を押さえ込んだ。
トーナメントに参加したきっかけこそ、リュウの何気ない一言である。
『俺もさ、ハーレム漫画みたいに可愛い女の子達と学園生活を過ごしたいと思うわけだよ』
何気ない一言。
本当はそうしたかった、彼の本音。
しかし、姉殺しの犯人を見つけるために捨てたこと。
リュウの事情を知っていたレイタは、その言葉の真意を汲み取り彼をトーナメントに出場させた。
それが、正しかったかどうかは誰にも分からない。
そう、リュウも含めて。
冷たい空気が漂う中、雪がキラキラとちらつく中、リュウはカップルらと同じように1人の黒いコートに身を包んだ男性とすれ違う。
本来なら、気にせず歩き続ける所だが、彼はすれ違いざまに男から放たれた言葉を聞き足を止め男の方へと振り向いた。
「慶島リュウ?」
全身を黒で包んだ、無精髭を蓄えたぼさぼさ頭の男。
男の顔を確認した途端、リュウの背筋に悪寒が走る。
声の時点で薄っすらと彼の中の記憶を刺激していた。それは、男の顔を確認し確信へと変わる。
「お前はっ!!」
勢いよくこみ上げた怒りを抑えきれず、リュウは静寂の空間を切り裂くような声を張り上げた。
男の名は神谷真矢。彼こそが、リュウの姉を殺したとされる男だった。
「ほう、俺の事を憶えていたか」
「当然だろ……この5年間、どんな想いで、俺がっ!」
辛うじて残る理性で、動こうとする身体を押さえつけながらリュウは声を振り絞る。
その身体からは、ふつふつと黒い炎が燃え始めていた。
「そうか、それが"あの"黒い炎……」
怒りに、殺気に満ちた目で睨まれている神谷は、冷静にリュウの身体から上がる黒い炎を見る。
「しかし、いい目だな」
「そんなに俺が憎いか?」
我慢の限界を迎えたリュウは、その言葉を脳で理解する前に神谷に向かって飛びかかる。だが、それなりのスピードを持って動いたリュウの一撃を彼は軽々と避けてみせた。
「生きがいいな。だが、気持ちが弱い」
「黙れっ!!」
続けて放たれた黒い炎を纏った拳も、神谷は軽々と避けてみせる。
「俺を殺したいのは分かる。でも、今のお前じゃ俺は殺せんよ」
「黙れって言ってんだろ!!」
「お前、この数年、本当に俺を捜すためだけに費やしたのか?」
「…………」
その言葉に、リュウは攻撃を止め黙ってしまう。
「知ってるぜ。お前は、姉殺しの犯人である俺を捜すことを放棄し、楽しく学園生活を満喫していたんだろ?」
「違う」
「恋人か? SCM隊長の妹ともお近づきになったそうじゃねえか。青春してんなあ」
「違う」
「人造能力者とも戦って、すっかりヒーロー扱い。なかなか味わえるもんじゃねえよなあ」
「違う!!」
違わねえよっ! 神谷は、声を荒げたリュウに向かって同じく声を張り上げる。
「お前は、姉殺しの犯人である俺を捜すことを放棄し、学生らしく学園生活を満喫したんだ。その証拠に、お前は俺を前にしても、まだ理性を保っている。あの頃とは違う。そうだろ?」
「…………」
「……まあ、今は理性を保ってた方が俺てきには都合がいいんだけどな」
神谷は薄っすらと笑みを浮かべた。
「お前、あの日の事をどのくらい憶えてる?」
「??」
「質問を変えようか。あの日、俺がどうやってお前の姉を殺したか憶えてるか?」
弱い怒りに震えるリュウは、ジワジワとあの日の事を思い返す。
…………。
しかし、その過去の映像に姉が死んだ後の映像はあれど、姉が死ぬ直前の映像は無かった。
「……憶えて、ない」
「憶えがない? ……そうか、なら教えてやろうか?」
「……そんな事を知って何になるんだ」
こんな話に意味は無い。リュウは、再び拳を握り直した。
その瞬間、神谷の口から言葉が発せられた。
姉を殺したのはお前だ。
それは衝撃的で、現実味の無い言葉。
理解し難い、理解したくない言葉。
「いや……何言って」
「よく考えてみろ。どうして、お前は姉が死ぬ時の事を憶えていないんだ? 答えは簡単だ、それは俺が……」
「デタラメ言ってんじゃねえよ……」
「ん?」
「何で、俺が自分の姉を殺さなきゃならねえんだ」
「何で? 俺があの時、命令したからだよ」
命令。
その言葉に、少しずつリュウの中の記憶のモヤが晴れていく。
これは嘘偽り。自分を動揺させるための虚言。
しかし、リュウの心は可能性の1つとしてそれを受け入れていた。
「ただ、殺すだけじゃつまらねえだろ。だから、お前に姉を殺させた。姉を殺さなきゃお前を殺すと脅してな」
――俺ガ殺シタ?
「お前は必死に抵抗してたけどな。だが、それで助かるならと姉の方が逆にお前を説得してたぜ」
――俺ヲ助ケルタメニ?
「いやあ、あれは感動ものだったなあ。愛する弟のために自分を殺させる姉。弟の手を自分の首に持っていく姉。今だって、目を閉じれば直ぐに鮮明に思い出せる」
――俺ガ首ヲ締メテ殺シタ。
「俺が……」
暗闇に光が差すように、抜けていた記憶が、ようやく元に戻る。
あの日、背負った罪は当時中学生だった彼には重すぎた。だから、彼の脳は防衛本能として罪を背負ったシーンのみを記憶の奥底に封印したのだ。
主人が二度と壊れぬように。来るべき日まで封印したのだ。
「どうだ? 真実を知った感想は」
放心状態。リュウの思考は完全に止まり、いつしか神谷に対する殺意も完全に消失していた。
「……これは、逆効果だったか?」
黒い炎は消え、逆にリュウの周りには彼を守るように氷の壁が作られ始めていた。
「つまらねえ……」
ドスッ。
一瞬にしてリュウの前に移動した神谷の拳が、氷を突き破り、彼の腹部を抉り飛ばす。
吹き飛ばされたリュウは、そのままコンクリートの地面に身体を勢いよくぶつけた。
強打し、腹部を抱え呼吸がままならないリュウに神谷は更に蹴りを加える。
1発、2発、3発、4発、5発…………。
無表情な男から繰り出される蹴りは、抵抗できぬリュウの腹を、胸を、足を、腕を、顔を、強く蹴り上げていく。
軋む骨、凹む肉、圧迫される血流。
服を着ているため身体は分からないが、少なくとも顔に関しては青白く腫れ始めていた。また、口の中を切り、口からは唾液に混じって血が流れて始めていた。
「……っと、やべえやべえ。抑えねえと」
何発も蹴りを入れられ、ぴく、ぴくっ、と微かに動くリュウ。
最早、彼に抵抗する意思は、いや意識すら残ってはいなかった。
「おーい、もう終わりか」
特に反応を返さなくなった半目のリュウの顔を、神谷は足で踏みつけるも、やはり反応は返ってこない。
それに、神谷は舌打ちし最後にリュウの腹部を蹴り上げた。
「俺は、暫くここら辺にいるからよ。相手になら、いつでもなってやるぜ」
そう吐き捨て、神谷はポケットに手を突っ込み雪の降る道を行くあてもなく歩いて行った。
一方、男女のグループやカップルなどで賑わう待ち合わせ場所では、カナエが既に到着し、そこでたまたま出会ったレイタとヤヨイと共にリュウを待っていた。
「約束の時間、もう過ぎちゃったね」
「珍しいな。こういう場面でリュウが遅刻するなんて」
白い息を吐きながら、2人は遠くを見つめる。
そんな2人の言葉に返さず、カナエも心配そうに何処を見るまでもなく遠くの方を見つめていた。
彼女の、その内は何故か心配で一杯になっていた。
特に理由は無い。あるとすれば、リュウが遅刻しないタイプだと知ってるからだろうか。
正体不明の不安に、彼女はいても立ってもいられなくなる。
「迎えに行ってきます」
ああ、と答えたレイタを背に、彼女は少し速く歩き出す。
ただの寝坊だと。速く、確認し安心したいために。
その頃、歩道に血を流し倒れていたリュウをようやく通行人が発見していた。
時刻は、昼過ぎ。
何処からか聞こえる救急車のサイレンの音に、より一層不安を感じたカナエは歩を速め、そして、いつしか息を切らして走っていた。