第105話 美しく、また哀しく華は散る
散華のシステムは極めてシンプルである。能力の強制的な強化により身体がついていけないため、覚醒から時間が経てば経つほど血流の速さが上昇し、結果として破裂する。
速い血の流れに耐えきれなくなった箇所から血管が破れ、その勢いのまま皮膚を裂き外部へと放出される。
その様子を、ある者は、ある種の芸術だと表現した。
「確かに、カーク博士の言った通りだな」
ミオの背で、散った赤く染まったヒカリに釘付けになりながら彼は呟く。
その彼女の様子に、アグスへの攻撃を止めたマドカも、地に付したままのサヤも言葉が出ない。
だが、何より衝撃を受けているのは、その散り際を身をもって感じたミオだろう。
彼女は、静止したまま瞼一つ動かすことができなかった。
そう、何も考えることができない。
ただ、強い鉄の匂いのみと、背で微かに動く"それ"を感じているだけだった。
べちょ……。
意識が飛びそうになった彼女は、掴む力を無くし背に背負っている物から自然と手を離す。
それは、生々しい音と共に血溜まりの中へ落ちていった。
そこで、何故振り向いたのか、それは当の本人も分からない。
だが、敢えて理由付けをするのなら、『ただ音がしたから』。その程度なのだろう。
ミオの視線の先、赤い血溜まりの上、ぴく、ぴく、と微かに動くそれに、彼女は胃から込み上げてくるものを抑えられなかった。
数秒前まで人だったそれは、光を失った目を大きく見開き、口を開け、ズタズタに引き裂かれた肌を晒しながらも赤く染まった人の形をしてはいたが、関節を無視した格好で上向きに倒れていた。
咄嗟に、しゃがみ込み彼女は血溜まりの前に吐瀉物をぶちまける。
吐きながら、彼女は深い悲しみに似た感情を感じていた。
だが、今はとにかく胃から昇ってくるものを抑えられなかった。
ある者は、こうも言う。
芸術的なのは散った瞬間であり、散った後の物に価値は無い、と。
同刻、寒空の下、B地区内の高校でリュウイチがカズハの力を抑えることに成功していた。
「一先ず、これで大丈夫だ」
能力を発動し終え、意識を失ったカズハをその胸に抱いたままリュウイチは周りに言った。
その言葉に、周りで見守っていた者たちも肩の荷が下りたようにその場に座り込む。
長い長い朝の終わり。
日は昇り、冷たい風が吹く中、彼らに暖かい光を与えた。
「う……うん?」
暫く、沈黙が支配していた空間において、カズハが目を覚ます。
「私……」
「おはよう、カズハ」
「あれ? 私、なんで外に……」
直後、彼女の視界に真っ赤に染まった自分の手が映り込む。
そして、黒が轟く脳内に、赤い赤い記憶が蘇る。
赤く、紅く、鼻に付く鉄の匂い。
強く、響く、耳に付く人の悲鳴。
夢見心地の彼女の脳内は急速に覚醒を始め。
そして、弾け飛ぶ。
「!!!!!!!!!!!!」
発狂しリュウイチを突き飛ばし、カズハは息を荒くフラフラと立ち上がる。
――また、やった、私は、傷つけた、人を、この手で、傷つけた、なんで、なんで、なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで!!
「!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
カズハは声にならぬ声で叫び、太い針を作り出す。
「カズハ!!」
瞬間、リュウイチの叫び声がこだまするが、カズハは針を首元に突きつけた。
「やめろ! カズハ!!」
声は、音としてしか彼女の脳に届かない。
その耳障りな音が後押しとなり、カズハは針の先端を首に押し込んだ。
――もう、無理だよ。ゴメン。そして、ありがと。
太い針が、彼女の血色の良い色をした首に突き刺さると同時に噴き出す赤い血。
そして、倒れるカズハ。
両手は、針に添え、目は開けたまま、彼女は首から、口から血を噴き出し、少しの間、微動した後に止まった。
そして、いくらかの間、再び誰かの叫び声が聞こえるまで沈黙がその場を支配した。
その頃、北F地区。
A地区で暴走者を止めた後、SCMのいないF地区に向かったSCMチームAである水野ニノ、音有アラタの2人は、『散華』を目の当たりにしていた。
「…………」
コンクリートの道の上で、赤い人の形をした物の周りを爆散したように飛び散った血液。先ほど、体外に放出されたそれは、まだ綺麗な赤色を保っていた。
目の前で起こった状況に、2人は手で口を抑える。
ショックからも大きいが、何より強い鉄の匂いが吐き気を誘うのだ。
「どうだね? 私はこれに『散華』という名を付けたのだが」
不意の背後からの男性の声に、2人は恐怖を感じつつ振り返る。
そこには、先ほどまでB地区に居たカークが不気味な笑みを浮かべ立っていた。
「お前は?」
「私はただのしがない研究者だよ」
「そうか、違ってたら悪いがお前がこの事件を引き起こしたのか?」
ああ、という言葉にアラタは表情変えずにカークに突っ込むも、彼の闇化により通り抜けてしまう。
「闇の能力」
その光景を見て、無表情のままニノは呟く。
一方、通り抜けたアラタは二撃目のために身体を捻りカークの背に向かって両手の指を擦り鳴らした。
パチン。
弾かれた音は、空気を伝い身体を闇へと変化させているカークを振動させる。
しかし、彼にダメージは無い。
「やっぱ、ダメか」
闇の能力は、煙の能力とよく似ておりアビリティマスターレベルなら自身の身体を闇に変えることも可能になる。
半身を闇に変えたまま、カークは表情変えずに"散った"者の方に目をやる。
「さて、質問の続きだが、どうだい? 散華は」
その言葉に、先ほどから一歩も動かないニノは「散華?」と聞き返す。
「君たちの目の前で起きたことだよ。私は、それを『散華』と呼んでいる」
「それに、私はどう答えればいいの?」
「面白い子だね。確かに、答えようが無いな。これは芸術と同じ、簡単に言葉に出来るものでは無い」
「つまり、散華は芸術?」
「そうだね。一瞬だが、その一瞬に私は何事にも替え難い価値を感じるよ」
「……悪趣味」
そう言い捨て、ニノは黙ってそのやり取りを見ていたアラタの方へ駆け寄る。
「理解できないか。まあいい。とにかく、この死体は私が責任をもって処理しておくから安心してくれ」
そう返し、血塗れの死体の元に歩き出すカークに「待て」とアラタが叫ぶも、再び舐めるように彼の身体を恐怖が侵食し、それ以上声を出すことも、また動くことも出来ない。
「実験は終了だ。今、散らなかった生徒に関しては君たちの方で何とかしてくれたまえ」
そう言って、赤い死体の側で闇となりカークは死体と共に消えていった。
彼が消えたと同時に、アラタを抑えていた恐怖も薄れていく。
「ありゃ、ただの研究者じゃないな」
額に冷や汗を光らせ、アラタはそう呟いた。
能力者暴走事件から丸一日が経過した翌12月19日。放課後。
例によって、SCM隊長室には一二三マモルとリュウの父である慶島カズオが居た。
「一応、全員症状は収まった。だが、油断ならんからな、マリアス含めて暫くはこっちで様子見だ」
ソファに深く腰掛けた慶島は、1枚の紙を見ながら向かいのソファに座るマモルに疲れ顔で言った。
暴走した生徒は各地区2名の計24名。うち、死亡した生徒は自害したカズハ含めて16名。
現在、散華する前に能力によって止められ助かった生徒8名は、SCMの地下研究所で検査を受けていた。
慶島も言った通り、まだいつ彼らが再度暴走するかもわからない状態なので、検査という名目で彼らは実質隔離されていた。
「そうですか。それで、検査の方は何か進展はありましたか?」
「分かったのは、能力暴走のメカニズムだけだな。肝心の治療法は、まだ時間がかかるそうだ」
それにしても、と慶島は出されていたお茶を啜り続ける。
「ここ最近、人が死にすぎだ。俺が、ここに来てから初めてだぜ。こんなこと」
「たまたまですよ。人の死なんて、知らない所で大量に発生している。それが、たまたま、この学園都市で偶然重なっただけです」
「まあ、そうなんだろうけどさ」と、慶島は納得いかない様子だったが、それは言った本人であるマモルもそうだった。
スズから受けた博士の存在。
サヤから受けたアグスの存在。
何かが裏で着実に動いている。彼は、それが思い過ごしだと信じたかったが、同時に事が起こるなら自分が卒業する前に起こってくれとも思っていた。
そして、彼のこの不安は残念ながら思い過ごしで終わらない。
悪夢のような現実は、すぐそこまで迫ってきていた。
次回予告
「後悔だけが、頭の中を回りやがる」
悪夢のような現実から1日が経ち、残された者たちは何を想うのか。
次回「花弁が落ちた地で何想う」